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名前の無い物語  作者: 梶島
19/20

『Meaning of sweets』

ソットヴォーチェ

クチハ・フェブリエ

穂村赫月

フェルマータ

スフォルツァンド


その他名前だけのうちのこよそのこ。

あれから約三ヶ月。

2月も後半に差し掛かろうかという時節、ソットヴォーチェは再びキースヴァイトからの依頼で魔術都市コンチェルトへと訪れている。

吹き付ける風はゆるいものの確かな冷たさを孕んでいて、鎧を纏っていないせいかやけに寒く感じられた。

しかし魔導仕掛けの空調が完備されたインパラーレ内部に入ってしまえば、ほどよい室温に保たれている。

行き届いた掃除や照明の明るさなど、キースヴァイトがいかにこの学園の環境の改善と維持に腐心したかが伺えた。

彼は、最高の環境を用意するためなら妥協はしない。


スピーチはなかなか荷が重いうえに肩が凝るのだが、どうも学園内に自分のファンがいるらしい、と聞かされていた。

そうして憧れてくれている生徒のためにも出来るだけこまめに顔を出してやりたい、という気持ちがある。

荷が重くないと言えば嘘になるが、そういった期待に応えるのもまた大人の仕事だろう。

それに、この季節はバレンタインチョコをインパラーレ関係者に渡しに行けるチャンスでもあった。


「はい、フェルちゃん、スフォルちゃん! 毎年市販品で悪いけど」

「わーい! ありがとう! ううん、ソットお姉ちゃんが選ぶチョコ、毎年可愛くて美味しいから私好きだよ! それじゃ私達からは……っと」

「ソット姉の高級チョコとは釣り合い取れないから、こっちこそなんか悪いんだけどね」


いつも通り、フェルマータとスフォルツァンドの家に滞在しているので、彼女たちには真っ先に渡す。

首都ヴィル・リベルテから移動する必要があるので日持ちしない手作りのお菓子は作る時間も場所もない。

なのでその代わりヴィル・リベルテでも評判のパティスリーで買い求めるようにしていた。

今年選んだのは、様々な味や形の小粒のチョコが丁寧に納められたボックス。

フェルマータとスフォルツァンドにラッピングされたそれを渡すと、彼女達からも可愛らしくラッピングされた箱を渡される。


「今年は何作ったの?」

「ガトーショコラ。これなら、フェルでも作れるかなと思ってステップアップさせたの」

「その言い方酷ーい! ちゃんとレシピ通りにやれば私だってひとりでも作れるもん」

「あはは、でもフェルちゃんもちょっとずつ成長してるってことだよね。偉いぞ~」


よしよし、と頭を撫でてやるとフェルマータが抱きついてくる。

厳密には遠い親戚なのだが、こうして実の妹のように甘えてきてくれる存在は可愛く思えた。

普段騎士団の寮で生活していて、こうした年若い世代と接することはあまり無いので、ある種の癒しに近いものを感じる。

フェルマータはひとしきりぎゅうぎゅう抱きついた後、そっと離れるとソットヴォーチェを見上げた。


「また理事長先生達にも渡すの?」

「うん。恒例行事」


ソットヴォーチェが毎年チョコを渡しているのは、まず理事長のキースヴァイト。

彼は、ホワイトデーにこちらと会うのが難しいということからだいたい先回りしてもうお返しを用意してくれており、それと交換という形になる。


あとは図書館司書のシェルツ。

この人については、お返しをくれた試しがない。

ただ、学生時代は彼の司書としての類稀なる能力に何度も助けを受けた恩がある。

勝手に渡しているのだからお返しなど無くともいい、というスタンスだ。

期待していないと言い換えることもできるが、まあ別にそれで構わない。


そしてエクレールとジギー、リーミン。

彼女達もバレンタイン当日にお菓子を用意しているので、こちらのチョコと交換という形を取っている。


最後に赫月。

彼とはひょんなことで知り合ったが、歳も近いし、見目と精神性が女性に近い部分もあることからあまり男性として意識していない。

彼はまだ准教授になってから2年と日が浅く、ソットヴォーチェと知り合った頃はまだ新任だった。

それでも彼なりにソットヴォーチェに対して世話を焼いてくれ、お世話になった相手としてチョコを突然渡したのだが、ホワイトデーの時期に騎士団宛にお返しが郵送されてきた。


「あと、前回クチハさんって先生とお友達になって。だから今年はクチハさんの分も用意してきたんだけど、高等部の先生みたいだし大学部みたいに研究室は無いよねぇ」

「あ、クチハ先生はチョコ受け取らない主義だよ」

「……え」


フェルマータの言葉に固まる。

渡すつもり満々でいたのに、受け取らないとは、渡しても拒否されるということか。

その動揺を感じ取ってか、フェルマータは眉尻を下げながら説明した。


「なんかね、例えば教室とかで大袋に入った小さいチョコとか開けて、みんなで食べよー、とかするじゃん。その時に先生もどうぞーってしても、食べないって聞いた」

「その話は私も初めて聞いたなぁ……鍛えてるから食べ物にも気を付けてるとか?」

「クチハ先生に憧れててチョコ渡そうとした子がやんわり断られた、って噂もあるよ」


スフォルツァンドはその戦闘スタイルから、時折騎士科の授業を受けているという。

その絡みで彼のことも知っているのだろうが、クチハのチョコ拒否については知らなかったようだ。

しかし食事にも気を遣っているのならその可能性はあり得る。


――やってみなければ解らない。

しかし、断られるのはわりとショックである。

なのでソットヴォーチェは、少しばかり卑怯な手段を取ることにした。




スピーチを終え、放課後の校舎内を散策した後、そろそろかな、と教育棟の目的の部屋のドアをノックする。

白く阻むドアの向こうから、どうぞ、と聞こえたので失礼しまーすと言いながら中に入った。


「おや、ソットヴォーチェさん。こんにちは。先ほどのスピーチ、僕も端で聞いていましたがとても良かったと思います。お疲れ様でした」

「あはは……何回やっても緊張します。ありがとうこざいます。……はい、今年のチョコです!」


ここは赫月に充てがわれている研究室。

彼個人の集めた書籍や開発中の符などが、整頓されて並んでいる。

その整然とした様子から、赫月のきめ細かな性格が窺えた。

自分の部屋がわりと混沌としているだけに見習わなければなと思いつつ、ソットヴォーチェは紙袋に入ったチョコを差し出す。

赫月は紙袋を受け取ると微笑んで礼を告げた。


「ありがとうございます、では今年も去年と同じく郵送でお返ししますね」

「ふふ、穂村さんセンスいいから楽しみなんですよ」

「期待されてしまうとちょっと緊張してしまいますね……でも今年は面白いお店を見つけましたから、ええ、楽しみにしてくださっていて構いません」

「わーい! あ、あと折り入ってご相談したいことが……あるんですけども」


どうしましたか、と不思議そうな顔をする赫月に思い切って切り出す。

クチハと友達になったのでチョコを渡したいのだが、彼はチョコを受け取らないと聞いたこと。

赫月は彼とは歳も近いし接点はないだろうか、やはりチョコを渡すのはやめた方がいいのだろうか、などといったことを質問する。

赫月はそれらの質問を受けると、少し表情に真剣味を帯びさせた。


「そうですね……フェブリエ先生がチョコを受け取らないという話は事実です。ですが、それは不義理を働かないためと本人が言っていたことがあります」

「……不義理?」


赫月によるとこうだ。

クチハの頭の中では、生徒からのチョコを受け取ってしまうと、礼儀として、ホワイトデーにお返しする義務が発生する。

しかし、どこに居るか動向を掴めない生徒にはきちんとお返しが出来ないかもしれない。

それは不義理であるため、ならばそもそも受け取らないようにする。


教師から受け取らないのは、そういった義理チョコの概念が女性教師の負担となるのを防ぐため。

貰えたら嬉しいと思うのは男性のわがままでしかなく、女性からプレゼントを貰うことの重みを考えれば、せめて自分くらいは除外して考えて欲しい、そう告げていた。


「……なるほど。とてもクチハさんらしいというかなんというか」

「そこまで義理に拘らなくとも良いのでは、とも言いましたけれどね。それで生徒がわざわざ手作りしたチョコだったらどうするのかなとは思いました。作ったチョコを自分で食べるの、きついでしょうに」


おそらくクチハはそこまでは考えていないのだろう。

もしくはあえて無視しているか。

とにかくチョコは受け取らないの一点張りで、大袋入りの小さなチョコだろうが高級店のチョコだろうが手作りだろうが等しく拒絶する。


「……ですが、ソットヴォーチェさんのなら受け取るかもしれませんね」

「……なんでですか?」

「友達、なのでしょう? 貴女は生徒でも教師でもない、いわばフェブリエ先生とは対等に近い存在で、知り合ったきっかけは仕事でもプライベートな関係に仕事は影響しないはず。ホワイトデーだって僕みたいに郵送してしまえばいい。貴女から受け取れない理由はあまり多くはないでしょう」


赫月がそう理路整然と述べると、ソットヴォーチェの表情はぱっと元気を取り戻す。

解りやすいひとだ、と思いつつも、気合を入れ直してクチハを探しに行ったソットヴォーチェの背中にひらひらと手を振った。


「……まあ、相手は手渡ししてくれたのに郵送で返すのは不義理では、とか言われたってことは……言わぬが花でしょう」




クチハのいそうなところはフェルマータから聞いている。

前回来たときはたまたま実技の授業をしていたが、今日は先程まで座学の授業を行なっていたはずだそうだ。

ならばそれらのまとめ作業のために高等部の職員室にいる可能性が高い。


ノックしてそっと職員室に入る。

こんな入り方をするなんて何年ぶりだろうか、もう生徒でもないのに。

職員室内に並んだデスクに座っている教師を見渡して――目当ての姿を、見つける。

さすがに座学の時まで鎧は着ないのか、ミスティアに行った時に近いシャツにスラックス、上着という姿だったが、彼のことはよく覚えているのだから間違いようもない。


「……クチハさん、こんにちは。……ちょっといいですか」

「……お久しぶりです。……私に何か?」


職員室は仕事をする場所だ。

なにか話すのであれば、そのすぐ隣にある応接室に移動する。

クチハに促されて向かいのソファに腰を下ろすと、ソットヴォーチェはチョコの小箱が入った紙袋を取り出した。


「少し遅いけど、バレンタインだったのでチョコをお渡ししたくて……でも、クチハさんはチョコの受け取りを断っている、とも聞きました」

「そうですね。私は基本的に誰からのチョコも受け取らないようにしています」


そう答える声に迷いも淀みもない。

つまり、このままだと自分のチョコも受け取りを拒否されるだろう。

それはなんだか悲しい。


「でも、理事長先生にも、シェルツさんにも、穂村さんとかにも渡したのに、クチハさんだけに渡さないのは不平等です」

「お気にせずとも結構ですよ。私の方から拒否しているのですから」

「……これはただ、バレンタインって行事にかこつけて渡してるだけの日頃の感謝の気持ちなんです。だからお返しとかは全然、気にしなくていいんです。ただ私が押し付けたいだけだから、それでも……受け取っては、もらえませんか」


クチハは随分あっさりと、こちらの気持ちを拒絶してくれるものだ。

友達なのにチョコも受け取って貰えないなんて。

そう思うとやっぱり、ぎゅっと胸が苦しくなる。


「……しかし、バレンタインに頂いたらお返しをするのが礼儀です。とは言え……感謝の品を受け取らないのもまた、不義理のような……」


クチハの声色に珍しく困惑が滲む。

チョコのお返しができない不義理と、感謝の品を突っぱねる不義理を天秤にかけて悩んでいるようだ。

こんなことで悩む男性も珍しい。

本当にどこまでも真面目なひとなのだろう。


「……ごめんなさい。困らせちゃいましたね。じゃあ、もう大丈夫です。これは私が自分で食べちゃいます!」

「あ、いえ。お待ち下さい」


これ以上困らせるわけにはいかない。

もとよりワガママを通そうとしたのはこちらだから、わざと明るく笑って見せて身を引こうとしたのに、クチハが待ったをかけてくる。


「きっかりとホワイトデーにはお返しできませんが、来月末に首都に出向く予定があります。その時にソットヴォーチェさんさえよろしければ、お会いできませんか」

「……へ?」

「騎士科の教師は毎年3月末に研修を受けるのです。任意ですが毎年参加していますので、首都に行く予定は前々から立っていたものです。そのついで……に、なってしまいますね。それでもお会い出来る時間を作って頂けるのなら……」


そういえばそんな行事もあった気がする。

魔導部隊のソットヴォーチェはほとんど関わることがないが、確かにインパラーレの教師や教授は新入生を迎える前に研修、要するにテコ入れをするのだとは聞いたことがあった。


「インパラーレでこなすべき仕事の兼ね合いもあるので長居は予定していませんが、お食事くらいなら出来るかと。……ソットヴォーチェさんがよろしければ、ですが」


要するに用事を済ませたらすぐにコンチェルトへトンボ帰りする予定のようだ。

だが、クチハはこちらからのチョコを受け取るのに前向きになってくれていて、なおかつお返しを渡す段取りまで考えてくれている。

ならば。


「……じゃあ、その時にお会いしたいです。つまり、チョコ、受け取って頂けますか」

「ええ、ありがたく受け取らせて頂きます」


そっと差し出した紙袋に、クチハの指の長い手が伸ばされる。

両手でしっかと受け取っては、丁寧な所作でローテーブルに一度置いた。


「えへへ、良かった。クチハさんには受け取って貰えないのも覚悟してましたから」

「……悩ましいところではあるのです。厚意の拒絶というのは……しかしそれ以上に、お返しをきちんとしきれない不義理を働く可能性を危惧してしまう」


安堵から思わず笑みが零れる。

クチハについてはダメ元に近かったのに、とんとんと次に会う約束まで交わしていて、前よりも距離が近付いた気がした。

それに、やはり彼はチョコを拒絶することで相手を傷つけることに心を痛めているようだ。

ただ、不義理を働く自分を許せないことが上回ってしまうらしい。


「クチハさんらしいですね。女の子ってお返しなんて期待してなくて、ただ好きな人にチョコ渡せるだけで満足だったりするんですよ。……あっ」


ぼ、と顔が熱を帯びるのを自覚する。

そんなの、今まさにチョコを受け取ってくれたクチハに誤解されてしまうことに気付いたからだった。

急に彼の顔が見られなくなって、どぎまぎとしてしまう。


「あっ、あの、いえっ……好きな人ってのは一般論で! すいませんそんな変な意味とかじゃないんで」

「解っていますから大丈夫ですよ。感謝の気持ちだと仰っていましたし、同じものを皆さんに渡しているのでしょう」


クチハに動揺した様子は全くない。

それはそれでこちらばかり慌てていて滑稽なのだが、変な誤解をされるよりはマシということで片付けた。

これ以上彼を拘束して仕事の邪魔をするのは忍びないので、クチハがヴィル・リベルテに来る日を確認して予定を立てたところで解散する。


そうして、約一ヶ月。


「……よし」


クチハは夕方ごろには研修を終えるそうで、その後落ち合うことになっていた。

お洒落に詳しくはないが、首都で異性同士が二人でいれば周囲からはデートに見える。

ならばクチハに恥をかかせないようそれなりに見栄えのする服装をしていかねばなるまい。

かといって気合を入れすぎても空回りしてしまうので、あまり華美ではないが地味すぎないセーターにワイン色の膝丈スカート、防寒のためにタイツを履いて、上から白いコートを羽織った。


陽が傾き始め、長く伸びる影が道に落ちている。

幸いにも天気は晴れで、風もほとんどない。

遠方から来て疲れているであろうクチハを待たせるべきではないと思い早めに出てきたのだが、待ち合わせ場所にクチハの姿があるのが見えたのでソットヴォーチェは走った。


「クチハさんっ……! な、なんでこんな早く、あ、お久しぶりですこんにちは!」

「こんにちは。そんなに急がずとも……まだ20分前ですし」

「だから、その20分前になんでクチハさんはもういるんですかって、思って」

「30分前には着ける計算で動いていましたので」


さらりととんでもないことを言ってくれるものである。

相変わらずの涼しい顔でなんでもないことのように言うが、クチハの先回りと義理堅さはいっそ呆れてしまうほどに完璧だった。

まあ、それだけ真面目だからこそ、好感も持てるというものなのだが。

彼は研修帰りだからか、前回会った時よりもさらにかっちりした服装に身を包んでいた。

クチハからすれば仕事帰りにこちらと会っているのだから当然だし、そんな彼の隣で見劣りしないようきちんとしたきれいめの服装で来たのは正解だったなと思う。


「ここでは落ち着かないので、お返しはレストランでお渡しします。こちらですね」

「は、はい……」


この人が動揺することなんてあるんだろうか。

いくら武人の家系だからって、アズマの武人が皆こうとは限らないだろう。

こちとら田舎のエルフとそのへんの人間の間に生まれた一般人なんだよなあ、ちょっと魔術と槍術が使えるだけの。

そう考えるとなんとなく、釣り合わない気がしてきてしまう。


クチハに連れられて到着したレストランは非常にこぢんまりとしていて、正直普通に横切ったら入り口を見落としていたであろうレベルでひっそりと営業していた。

しかし中はオレンジがかったほどよい照明と静謐な空気、なにより厨房から漂う香辛料の香りが期待をそそる。


「こんな店よくご存知でしたね……初めて来ました。変わった匂いがします」

「規模も小さいですしあまり宣伝する気もないそうですからね。しかし味については知り合いが口を揃えて『良かった』と言うので間違いはないかと思います。このあたりでは珍しいスパイスを輸入しているとか」


二人掛けの席に通されて、メニューを開く。

どうやらオリーブオイルや塩、それから香辛料を使って調理した野菜料理がメインの店らしい。

どちらかというとこういう調理はミスティアのほうでよく見かける気がする。


……いかにも女性ウケが良さそうで、その『知り合い』とやらは女性なのだろうかと思ってしまった。

クチハが肉を好まないのか、ミスティアではしゃいでいたこちらに合わせたつもりでこの店をチョイスしたのか判断できるほど、ソットヴォーチェはクチハを知らない。

歳上だし、教師として騎士を育てるのに騎士団の所属を経験するような人なのだから当然人生経験だって豊富だろう。


――なんでそんなこと気にしてるんだろう、私。


キャベツとアンチョビのソテー、鶏肉と根菜のスパイス煮、海老と茄子のアヒージョ、その他いくつか適当な料理を注文したところで、クチハがホワイトデーのプレゼントを差し出してきた。


「あまり女性に贈り物をしたことはないので、正直自信はありませんが……先月はありがとうございました。よろしければ受け取ってください」

「ありがとうございます! ……え、うわ、なんかすごいたくさん入ってません……!?」


紙袋の大きさそのものはこちらが渡したものとさほど変わらなかったのだが、中を除くとお菓子とおぼしき小箱に加えて、ハンカチのようなものや、液体の入った小瓶はヘアオイルのようだ。


「三倍返しが常識と聞きました」

「で、でも私が勝手に押し付けたようなものなのに……なんだか気を遣わせてしまってすみません」

「……喜んで頂きたかったのですが、余計困らせてしまったようですね」


その言葉を受けてはっとなる。

クチハが極めて義理堅いのは解っていたことだ。

彼なりに誠意を尽くそうとしてこうなったのに、こちらが戸惑っていては不安にもさせるだろう。


「違うんです、私が困ってるんじゃなくて……クチハさんがこういうの大切にする人だって解ってたのに私はエゴを押し付けて、クチハさんの負担にさせちゃったんじゃないかって……」

「それを言うなら私のこれもエゴですから」


そう言われると、胸が軽くなった。

実際とても嬉しくはあるのだ。

きっちりお返しをしてくれるキースヴァイトだって赫月だって、ここまで手の込んだものをくれたことはない。

それだけこちらのことを考えてプレゼントを選んでくれたのなら、その気持ちが嬉しかった。

なら、笑って受け取るのが礼儀だろう。


「……じゃあ、そのエゴはありがたく頂きますね。嬉しいです」


食事をしながら会話はそれなりに弾んだ。

騎士団、それにインパラーレという共通の話題があるため、話題になる材料はいくらでもある。

料理も、はじめはその香辛料による変わった風味に驚いたが、慣れてくれば非常に奥行きのある味わいが面白く感じられた。

そうして食事と会話に花を咲かせていると、クチハの後ろから妙齢の女性が近付いてくる。


「……如月(キサラギ)さん? もしかして」


女性は、驚いた顔をしながら声をかけてきた。

その声に振り向いて女性の顔を見たクチハもはっとしては立ち上がる。

ソットヴォーチェはその女性と親交があった。

――アンゼリーナ・ヴォルセト。

騎士団の医療班では古参の、治癒術に長けた皆のお母さんのような存在だ。


「貴女は……ヴォルセトさん。お久しぶりです」

「まあ、てっきりコンチェルトに戻られてしまったのかと思っていたからこんなところでお会いできるなんて不思議だわ」

「今日は研修に。ヴォルセトさんはいまも騎士団の治療班に?」


そのまま二人は軽い会話を始める。

――『如月さん(・・・・)』? どういうことだろう。


「デートをお邪魔するのも悪いしわたしは自分のテーブルに戻るわね。水を差してごめんなさいな。では」


短い会話を終えると、アンゼリーナはひらひらと手を振って奥の席に向かって行った。

こちらに気を遣って会話を早めに切り上げたということらしい。

どうやら彼女は同世代の女性複数人とディナーに来ていたようだ。


「そっか、騎士団にいた時期があったからアンゼリーナさんのことご存知なんですね」

「ええ。短い間ではありましたがとてもお世話になった方です」

「……でも、『如月さん』、って。呼ばれてましたよね」

「……それは」


クチハが言葉に詰まり口籠る。

それを察して、ソットヴォーチェは努めて明るい声をあげた。


「あ、言いにくいことならいいんです全然! ちょっと気になったってだけなので、言いたくないことなら無理に言わなくて大丈夫ですよ」

「いえ、そういうことでは。大したことではないのです、本当に。……騙していたようですみません。私のフェブリエという姓は、偽名なのです」


偽名。

真っ先に思ったのは、『何故?』だった。

騎士団もインパラーレも、身分を偽らないといけないような組織ではない。

ならば、クチハには深遠なる事情があると推察できる。


「……つまり、偽名を名乗らないといけない理由があるってことですよね。それはきっと、簡単に話していいことではないと思います。私も、クチハさんに嫌な思いはさせたくないです」

「……本当に大したことではないのです。ただの私の意地のような……くだらないことです。せっかくの機会ですから、お話ししても構いませんか」


クチハは、偽名を用いる理由を話したいのだろうか。

こちらに嘘をついていた、騙していたと感じているのかもしれない。

……本当に義理堅いひとだ。

ここまで言われてはこれ以上引く口実も見当たらないので、ソットヴォーチェは頷いた。


クチハの本当の名前は『如月朽葉(きさらぎくちは)』。

アズマに栄え、それぞれの家がそれぞれの流派を連綿と伝えていく武人の血筋である『十二(とおあまりふたつ)の名家』と呼ばれるうちのひとつ、如月家の血を引いている。

如月家はリベルテの剣術をアズマ流に落とし込んだものを追究していた。

しかし、技術に国境を適用すべきでないということと、純粋にそれぞれの家の技術の独自性が薄れつつあることから、クチハの祖父の代からリベルテへと移住している。


クチハの代からインパラーレの教師となる方針が定められたため、クチハは教師として騎士を育てていた。

しかし、如月家の技術は会得も困難なうえ、それだけを教えるのは自分と生徒の可能性を狭めてしまうと考えるに至る。

なので、授業ではオーソドックスな剣術を教えるようにしていた。

リベルテではそうでもないが、アズマで武術を志せば嫌でも存在を知るほどに十二の名家はそれなりに名の知れたものである。

万が一にも十二の名家を知る者に請われることのないよう偽名を名乗って教師として振る舞うことをキースヴァイトから許されているのだった。


しかし騎士団はそうもいかない。

偽名を名乗ることができなかったので、騎士団には本名で登録されていた。

なのでアンゼリーナからすればクチハ・フェブリエではなく如月朽葉、というわけだ。


「……家柄、ですか。色々大変なんですね。でも、私もクチハさんのやり方のほうが正解に近いと思います」


食後に出された紅茶にも、スパイスが入っている。

その変わった香りを楽しみつつも、クチハから語られたのは家柄というしがらみに関するものだったので思わず表情は翳ってしまう。


一般家庭に生まれたソットヴォーチェにはあまりピンとこない話だが、クチハがクチハなりに生徒のためを考えて動き続けているのは理解できた。

如月家の技術を広めて欲しいというのはあくまで如月家の人間のワガママだ。

染まりやすい若者を指導する者がワガママであってはならないと、ソットヴォーチェも思った。

なら、滅私して生徒の可能性を探ろうとするクチハの判断は正しい。


「……暗い話をしてしまいましたね。私は……ええ、あまり家のことは気にせず好き勝手しているのです。結果として上手くやれているので、この方針はしばらく続けようかと」

「教師ってすごく大変そうですもん。あんまり無理しないでくださいね。私で良ければ、いろいろお話聞きますから」

「……ありがとうございます」


そのくらいしか出来ることはないのだが、ありがとうと言ったクチハの表情は、今まで見た中で一番穏やかな顔をしていた。


……クチハさんなりに、心を開いてきてくれてるのかな。

そうであると良いのだが。


紅茶を飲み終えたら店を出て、いいと言ったのに寮まで送ってくれたクチハと別れる。

自室に入ると、クチハからのお返しの中身を見ることにした。


「……うわ、すご」


小箱に入っていたのはマカロンが5つ。

緑色をしているのはピスタチオか、と思ったがもしかしたらアズマにルーツのある彼のことだから抹茶味かもしれない。

それから上品な生地で出来たハンカチは白で、角に一箇所花柄の刺繍がさりげなくあしらわれていた。

小瓶はやはりヘアオイル。

試しに開けて少しだけ中身を手の甲に伸ばしてみると、ほんのりといい香りがした。


……なんだかとんでもないものを貰ってしまった気がする。

しかし気にせず受け取ってくれというスタンスだったようだし、これらはありがたく使わせてもらうのが最大限の返礼だろう。



それから少しして、遠征用に持参する応急手当てセットの補充に関する事項でソットヴォーチェは医務室を訪れていた。

必要な備品を不足分仕入れると同時に、最近開発されたという高機能な魔導包帯もお試しでひとつ支給される。

末端の部隊にまでは行き届かない高級品だが、部隊長の率いる隊ともなれば話は別だ。

正しく使うことを保証された者に試験的に支給し、コスト次第では全部隊に適用するというわけである。


その使い方の説明などいくつかのやりとりを備品係と交わして、話を終えて戻ろうとしたらアンゼリーナがぱたぱたと駆けてきた。


「ソットヴォーチェさん! ……如月さんとのデートは上手く行った?」

「デートって……いやまぁ、そうなのかもしれませんけど。バレンタインにチョコを渡したから、そのお礼を受け取るついでにご飯をご一緒しただけですよ」


デート、と言われると流石に恥ずかしい。

いや、名実ともにそうであったのは事実だが、いざ他人からそう表現されると照れ臭いものがある。


「まあ、ホワイトデーね。何を貰ったの?」

「マカロンと、ハンカチと、ヘアオイル? 私が渡したものよりだいぶ豪華だったのでちょっとびっくりしました。律儀ですよね、彼」


そう答えると、なぜかアンゼリーナは絶句する。

呆気にとられた顔をしていたが、その数拍後にはみるみるうちに顔を華やがせた。


「まあ、まあまあまあ! マカロンですって? マカロンを貰ったの?」

「ま……マカロンが何か?」

「知らないの!? ホワイトデーにマカロンを渡す意味は、『あなたは特別な人』なのよ」


――特別な人。

いや、しかし、だが待って欲しい。

自分ですら知らなかったマカロンの意味を、クチハが知っていたとは思い難い。

彼はバレンタインのチョコを拒み続けていたのだから、ホワイトデーにまつわるそんな小ネタを知っているわけがない気がした。


「そんな意図無いと思いますけどね~。マカロン、お洒落で可愛いから私が喜ぶかなーと思った、くらいじゃないですか?」

「本心は如月さんのみぞ知る……ね。ふふ、上手くいくことを祈ってるわ」


引き止めてごめんね、とひらひら手を振って、アンゼリーナは持ち場へと戻っていく。

さて、まあ、なんともいえない爆弾を落としてくれたものだ。


次にクチハと会う時に、自分はそれを意識せずに平然としていられるだろうか。

彼にそこまでの意図がない可能性が極めて高いと理解しつつも、どきどきしてしまうソットヴォーチェなのであった。

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