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名前の無い物語  作者: 梶島
18/20

『エンカウンター・オブ・ポラリティ』

ソットヴォーチェ

クチハ・フェブリエ

キースヴァイト・ブリックバレー

教育機関インパラーレは、主な進路先として騎士団を想定していると言っても過言ではない。

騎士科で学ぶ生徒は特にそうだ。

インパラーレとの関係も良好で、職業としてもお堅く間違いがなく安定している。

個々の能力を生かせるような部隊分けも為されており、実力のあるものならば相応の活躍を見込めるだろう。


騎士団に所属する者は、インパラーレの卒業生も少なくない。

魔導部隊の部隊長を務める若き女性槍術師、ソットヴォーチェもインパラーレの卒業生であった。

彼女は最初高等部で魔術を学んでいたが、大学部から騎士科に転向、魔法騎士として変幻自在の戦法を得意とする戦士となり卒業していった。


「……だあぁは~、つっかれたぁ~……」


そんなソットヴォーチェは、理事長であるキースヴァイトに頼まれ、時々インパラーレの集会でスピーチを行なっている。

活躍している卒業生からの言葉を受けて生徒のモチベーションが上がり、ソットヴォーチェに憧れるという感情すらも燃料となるだろうという考え方からだ。


だが、疲れる。

ソットヴォーチェは応接室のソファに背中を預けると、ぐんにゃりと身体の力を抜いていた。

本来、スピーチだの発破をかけるだのはガラじゃない。

堅苦しい空気は苦手だし、それっぽいことを言っても本当に説得力があるのか不安で冷や冷やしながら、しかしその不安を悟られぬように生徒のやる気に火を付けなくてはならないのだから当然疲れる。


「ははは、毎度すまないな。ほれ、好きじゃろ。アップルティー」

「わーい! いやほんと、他に適任者いると思うんですけどねぇ」


笑い飛ばすキースヴァイトが簡易的なキッチンでお茶を用意してくれたので、ありがたくそれを受け取った。

紅茶の香ばしい香りに混ざって林檎の甘い匂いが漂う。

この、ほどよい甘い香りが気持ちを落ち着けてくれるし、喋り疲れた喉は紅茶が潤してくれるのだ。


「おぬしに憧れておる生徒は多いからな。力の強い男が騎士団でのし上がれてもさほど驚かんが、女の細腕で部隊長にまで登り詰めたとくれば、敬意の眼差しを向けるのもある程度は当たり前じゃろ」

「えぇー……私別にそこまで凄くないですよぉ」

「ま、疲れさせるのを承知で頼んでおるんじゃし、おぬしが嫌なら断って構わない。それで本来の仕事に支障が出るほど負担がかかっておったら申し訳ないしの」


追加で、お茶請けのクッキーが出される。

細かいチョコチップが混ぜ込まれたそれはサクサクとしていて、歯応えも心地よい。

それを口に放って、ソットヴォーチェは首を振った。


「いいえ、大丈夫です。私も学生さんたちのやる気を見て気が引き締まりますし。……あぁいや、引き締まりすぎてもしんどいんですけども! とにかく、好きで引き受けてるから大丈夫ですよ」

「ふむ……そうか。では、授業の見学にでも行くか? コロシアムに行けば誰かしら実技授業をしとるじゃろ。魔導科でも騎士科でも、おぬしから見ればどちらも通った道。生徒と手合わせしても構わんし、なにかアドバイスがあればしてもいいし、眺めるだけで終わりたいならそれも良し、じゃ」


ソットヴォーチェはその提案を受け取り、2人でコロシアムに移動する。

騎士団で一応は重要なポジションに就いている自分が見に行ってはプレッシャーを与えるかもしれない、と思って、生徒には気付かれないよう観覧席からそっと見守りたいと申し出た。


コロシアムでは、どうやら高等部騎士科の生徒が授業を受けているようだ。

生徒は皆同じ意匠のシンプルな剣を握っている。

騎士団で支給されるような剣を想定したものであろうし、武器の特殊能力による力量差の発生を防いで平等な条件で戦わせるためだろう。


生徒同士が激しく剣をぶつけ合い、防具を付けた身体のどこかしらに叩き込むことを狙っているのが、遠目から見ても動きで理解できた。

しかし2〜3分程度で教師が待ったをかけて、それぞれに指摘をしているようである。


「……先生もかなりお若い方ですね」

「ああ、そうじゃな。あやつは確か29かそこらじゃったような……その割には妙に落ち着いておるというか、動揺の薄い奴じゃのぅ。アズマにルーツのある奴じゃから、アズマの人間の気質らしいとも言えるが」


遠目なのでよく見えないが、指導する教師は若そうだ。

キースヴァイトによると29歳のその若き指導者は、時に生徒の握る剣の持ち方を矯正したり、剣をこう斬り込ませろと実際に動かして伝えたり、かなり熱心に教えているように見える。


「でも、凄いです。3分の斬り合いで生徒の癖を見抜いて、矯正しようとしてる」

「こと剣技にかけてはかなりの実力者じゃからな。騎士団に所属しておった時期もあったくらいじゃし。……あやつに興味があるなら授業終わりに声でもかけに行くか?」

「……いらしたんですか? 騎士団に? それはちょっと聞いてみたいかも……」


なら、決まりじゃな。

そう笑ったキースヴァイトに連れられて、授業終わりに教師のいるフィールドへと降りていった。


近寄ると、やはり若い。

オレンジがかった髪は短く切り揃えられ、精悍な顔付きをしていて切れ長の目元は金色をしていた。

身体は軽装の鎧に包まれていて、しかし動きにくさは排除されるよう計算して作られているのが解る。

こうして互いの顔が見える距離まで来ると、その振る舞いの隙の無さのようなものがひしひしと感じられた。


「貴女は……ソットヴォーチェさん。何故こちらに」


教師は少しも驚いた様子は見せないが、こちらがここにいることにこれでも多少驚いているらしい。

というか名前を覚えられていたことに少し居心地の悪さを感じてしまう。

また自分の名前が一人歩きしているのかと思うと複雑だ。

スピーチしたのだから、当たり前ではあるのだが。


「あぁ、えっと……ソットヴォーチェと申します。授業が見てみたくて、こっそりお邪魔してました。先生、あんな短時間で生徒の癖を見抜いてアドバイスするなんて……騎士団の教育係でもなかなか難しいですよ」

「クチハ・フェブリエと申します。……私は教えるのが仕事で、教え方を学んできました。それにずっと見ている生徒の癖の傾向は全員把握しています。大したことはしていません」


なんでもないことのように真顔で言う。

さらりと言ってのけているが、それは容易なことではないのでは?

それに、謙遜しているという気配もない。

本気で、ただただ自己評価が厳しいように見えた。

クチハと名乗った教師は会話を継続する気が無いのか、微動だにせずじっとこちらに視線を注いでいる。

それが気まずくて、ソットヴォーチェは別の話題を探した。


「昔騎士団にいらしたと聞きました。道理で実戦的な動きをお教えしているなぁと」

「矛盾しますからね。騎士であったことの無い者が騎士を育てるといういびつさに疑問を抱いたがゆえのことです。とは言え騎士団に居たのも二年程度のことですが」

「……ソットヴォーチェ、そういえば確か今回の休暇は長めに取っておると言っていたな?」


そこに、キースヴァイトが唐突に話題を捻じ曲げる。

確かに今回のコンチェルト出張はキースヴァイトによって国をきちんと通して騎士団の部隊長ソットヴォーチェに依頼されたものだが、その後に休暇も申請していた。


「あ……はい。大きめの案件も片付いたのでいいきっかけかなって、一週間くらいコンチェルトでのんびりしようかと」

「であれば次の土日は空いておるな?」

「そうなりますね」


話が読めない。

キースヴァイトは懐から何か取り出した。

それは、長方形の紙切れが2枚。


「ここにミスティアの美術館の優待チケットがある。儂が知人から大量に譲り受けて、なんなら学園内のそのへんに置いてある奴じゃ」

「……美術館?」

「フェブリエとソットヴォーチェで土日のどちらか行ってこい。フェブリエはいい加減誰かとプライベートな時間を過ごすことを覚えろ。ソットヴォーチェは息抜きしろ。無論拒否しても構わないしこの優待券は腐らんが」


何を言っているのか、解らない。

こんなほぼ初対面の相手、しかも異性と、ミスティアで美術館?


「え、えーっとでも……それ、フェブリエ……さん、は、楽しくないんじゃ」

「こやつの趣味は美術館巡りや観劇、演奏会じゃ。そこは心配要らん」


意外である。

いかにも武に生きてますという面構えをしているのに、そういった芸術方面にも造詣は深いのか。

どうしよう、とクチハをちらと見ようとすると目が合ってしまった。

気まずくて仕方ない。


「フェブリエは嫌か?」

「いえ、別に私は構いません」


ここで否定してくれないかなぁとは少しだけ思っていた。

だが、彼は本気でどうでもいいのかもしれない。

全く意識されないはされないで、こちらばかり独り相撲で複雑にもなる。


斯くして、週末の休日を利用して2人で美術館と相成ることになった。




「こ、こんにちは……」

「こんにちは」


当日、コンチェルトの駅で落ち合う。

ミスティアまでは魔導機関車を使うのが最も手軽さとコストの釣り合いが取れているからだ。

クチハはコロシアムで見たような鎧ではなく、清潔そうなシャツにセーター、それにコートというさっぱりした出で立ちだった。

ソットヴォーチェも背が高いのでさほど目線は変わらないが、凛と立つ姿は私服でも武人らしさを思わせる。


「……すみません、理事長先生が強引に。もし乗り気でないのなら、今からでも無かったことにしてくださって構いませんから」


……は?

クチハは意外にも、謝ってきた。

その表情はやはりあまり変わらないが、取り繕うための嘘や方便を使うタイプにも見えない。


「いえ、そんなことは! むしろ私の方が、絵のこととか何も解らないのに付いてきちゃって良かったのかなぁって」

「詳しくなければ見てはいけないというものでもありません。楽しめればそれで良いと思います」

「……そうですよね! それじゃ、行きましょっ」


なんとなく解ってきた。

クチハはただただ表情が変わらないだけで、気遣いも出来るし、言うことに説得性もある。

騎士団に少数いるタイプではあるが、ストイックなのは好感が持てた。


「そうだ、私ミスティアで食べてみたいお店があって。フェブリエさんはアズマの方って聞いたんですけど」


車窓を眺めていたが、ずっと無言というわけにもいくまい。

そう思い話題を切り出すが、言ってから話の前後に脈絡がないなと気付く。

自分も多少緊張しているのかと思うと少し恥ずかしい。


「ええと……確かに私の家はもともとアズマにありました。ですが祖父の代からこちらに移っていますので、私はさほどアズマに郷愁は無いですね。家の絡みで行くことはあります」

「あ、そうなんですね……ほら、ミスティアと言えば海産物と塩じゃないですか。それで、塩だけで食べるようなお寿司のお店があるって聞いたんです」

「……お寿司、ですか?」


クチハが少し驚いたような顔をする。

こういう顔をするのかと思うと同時に、もしかしてクチハのほうも多少緊張していたのかなと思うと親近感が湧いた。


「そう、お寿司です。アズマのと比べたら偽物かもしれないけど……そういうお店って一人じゃ入りづらいし、いい機会かなって思ったけど、アズマにそんなにどっぷりってわけでもないならあんまりかな」

「いえ、興味はあります。よろしければそこに私も同行させて頂けたらなと」

「……じゃあ、絵を見た後はそこに行きましょうか!」

「はい」


前々から目を付けていた店ではある。

そこに同行するのがほぼ初対面の異性となるのは予想外だったが、美味しいものを食べるのに気まずくなりすぎない相手ならば誰でも良い。

なにせミスティアで食べる海産物はどれも質が良く美味しいのだから、その質の良さと新鮮さを活かした寿司など美味しいに決まっているはずなのだ。


やがて、窓の外の風景は海が見えてくる。

ミスティアに近付いている証だ。


「ふー、着いたー! んんーこの潮の匂い……これぞミスティアですね」

「ええ、私も趣味でならよく来ますが、やはり今も騎士団は部隊長クラスでも色々な街を巡るのですね」

「そうなりますねー。無論みんなに任せてどうにかなることなら良いですけど、ほら、この街宝杖とかあるし」


ぐ、と伸びをして潮風を吸い込むと、クチハのほうから雑談を振ってきたので答える。

この街には宝具たる宝杖が祀られているため、その周辺に配備される場合はある程度立場のある人間が仕切らなければならない。

なるほど、と頷いたクチハの先導で美術館へと向かった。

時折ゴンドラを利用しながらであるが、地図を見る気配もなくおそらくは最短ルートで美術館に着いてみせたので、美術館に来るのが趣味というのは本当のようだ。


キースヴァイトから貰ったチケットを受付で見せると、本当に無料で入れてしまった。

クチハ曰くもともと普段からさほど入場料は高くないそうだが、それでも得した気分である。


「……うわぁ、凄い……」


静謐な空間なので大きな声は出さないように抑えたが、美術館内は圧巻の一言であった。

美しい風景や建物の光景、人並み、空、花、そして海。

そのどれもが緻密で繊細……に見えたが、よくよく見るとそうではなかった。


「この絵、不思議です。遠くから見るとすごくリアルで細かく描いてある気がしたのに、近付いたら結構大雑把な点々ばっかり」

「そういう技法ですね」


クチハが説明してくれる。

遠目から見るとリアルなのに近寄ると点描の寄せ集めのように描かれた絵画は筆触分割と呼ばれる技法だそうだ。

絵具を混ぜて色を作るとどうしても色が濁る。

しかし、混ぜない絵具を直接キャンバスに乗せて、それを緻密に細かく計算を繰り返しながら色を置いていくことで、『見た者の視覚では色が混ざって見えるようになる』というもの。

結果として、鮮やかさや透明感を出すことが出来る。


「お詳しいんですね……ありがとうございます。そっか、だからすごく光を感じられる絵に仕上がってるんですね。絵具が濁らないから」

「武術も絵画も、どうしたらどのような結果がもたらされるかの予測の繰り返しです。通ずるものはあると思っていますので、絵画についてもおおまかな知識は入れています」

「わ、私ほとんど感覚だけで動いてる……」


ここまでロジカルに突き詰めるタイプの武人は珍しい。

戦闘センスに頼りきらず、計算と予測も行いながら戦うタイプは敵からすればとても脅威になるだろう。

自力で策を組み立てて打開策を練られてしまえば軍師など要らないし、的確に状況を前進させる存在だ。


「それも大事です。感覚は努力で補うのが難しいですし、感覚で動けるというのはそれだけセンスがあるということですから。論理的なものは、あくまで補助輪です」


そうフォローされると、ちょっとだけ恥ずかしさも鳴りを潜めてくる。

良かった、これで『貴女は意識が足りない』とでも怒られたらどうしようかと思った。


美術館の中をゆったりと巡りながら、色々な絵画を見ていく。

最後に飾られていたのは、高さ3m、幅5mはありそうな非常に大きなものだった。

オメガ・クロノスフィアがこの世界を創造した時の光景……神話に伝わるお話のワンシーン。


「すごい、大きい。……上の方とかどうやって描いたんですかね。手が届かないどころの騒ぎじゃないですよ」

「脚立などを用いたのでしょう。油絵は描くときは立てますから」


何故そこまで知っているのだろう、と思った。

もしや、と尋ねてみる。


「……フェブリエさんも油絵を描いたり?」

「いえ、私は描きません。絵心はないので」

「そっかー……油絵ってなんで油って付くんだろう……」

「……油を使うからでは?」


そうなんですか!? と驚くと、これもクチハが説明してくれた。

油を使って絵具を溶いて描き、そして油のおかげで固まるのが油絵なのだ、と。

それすら知らなかった自分の無知に恥じ入るばかりだが、クチハはそれらを軽蔑するような様子は見せない。

かといって知識をひけらかしているような感じもない。

不思議なひとだ、と思った。


美術館を出たのは15時頃で、流石にお腹が空いてくる。

なので、昼にも夜にも半端な時間ではあるが例の寿司屋に移動することにした。

この時間帯なら客も少なくてゆっくり出来るだろう、というのもある。


ゴンドラに乗りながら、ソットヴォーチェは見てきた絵画の余韻を楽しんでいた。


「はー、凄かった! 絵ってやっぱり生で見ると全然違うんですね。絵具が盛られたデコボコとか、こんなに残るんだってびっくりしちゃった」

「すごくはしゃいでらしたので、微笑ましかったです」


そう言って、クチハが微笑むのを初めて目にする。

馬鹿にされたわけではないが、なんだか猛烈に恥ずかしくて、顔が熱くなってしまった。


「うぅ……すいません、年甲斐もなくて」

「あ、いえ、そういうつもりでは……そうして無邪気に楽しめる心は大事だと思います。私は知識ばかりで、どうしてもそういった感覚的なことを置き去りにしがちなので」

「……フェブリエさんはフォローがお上手ですね……私基本的にあっぱらぱーですから……」

「そうでしょうか……私から見れば、ソットヴォーチェさんのその純粋さが羨ましくないこともないです」


優しい、のかもしれない。

ひどく淡々と喋る人だと思っていたが、美術館あたりから言葉の端々に温かさを感じるようになってきた。

言い方こそ淡白だが、良い人なのだろう。


そうして着いた寿司屋は思ったより客が居なかった。

だが、ここは美味しい店だと聞いている。

ならば間違いはないはずなので、奥にある個室席に通して貰った。


そうして振る舞われる、様々な寿司。

アズマでは醤油で食べるのがメジャーと聞くがここは海上都市ミスティアである。

名産物である塩は粗めで、独特のコクと旨味があった。


クチハが左手で箸を持っていたのには少し驚いたが、本来は左利きなのだろう。

剣を右手で握っていたのは、教える際に右利きの生徒が多いからか。

だとしたら、本当に教師としてストイックなことだ。


「んんっ美味しい! すごーい! このマグロなんてとろっとろ!」

「そうですね、美味しいです」


酢飯のおかげでさっぱりしているからいくらでも入ってしまいそうだ。

まぐろ、いか、たこ、さば、いくら、うに……なにを食べても美味しくてテンションが上がってしまう。

しかしクチハの表情に翳りが見えて、もしかして口に合わなかったかと不安になった。


「えっと、フェブリエさん……もしかして、お口に合いませんでした?」


もしそうだとしたら申し訳ない。

アズマにはあくまでルーツがあるだけとは言うが、彼は本物の寿司を知っているとしたら、もしかしたらここの寿司は邪道に見えたのかもしれないなと思うと申し訳なくなった。

しかしクチハはかぶりを振る。


「……すみません、そうではないのです。……私のリアクションは淡白すぎますよね。……せっかく連れてきて頂いたのに、気の利いた感想も出てこなくて、それに少し自己嫌悪していただけです」


――自己嫌悪。

そんなに自分を責めなくていいのに、と思う。

この店に勝手に決めたのは自分だし、なにもこちらのテンションに合わせてくれなくてもいい。

そして、なによりも。


「フェブリエさんは……不器用なだけなんじゃないですか?」

「……はい?」


さすがにクチハも少し呆気に取られた顔をする。

言葉が足りなかったか、と、自分なりに見えたクチハ像を告げていく。


「演劇や絵画を見るのがお好きなら、それらを良いなと思う感受性は豊かだけど感想を表現するのは苦手っていうだけなんじゃないでしょうか。技法についての説明は、まるでなにかカンペでも見てるのかってくらいスラスラだったし、絵画を見るのがお好きなのは本物の感覚だと思いました」

「……なるほど」

「私もだいたいフェブリエさんのこと解ってきたから大丈夫ですよ。顔に出したり言葉で気持ちを表現するのが苦手なだけなんだなって受け止めておきますし!」

「……ありがとうございます」


食事を済ませ、コンチェルト行きの魔導機関車に乗り込む。

コンチェルトに着くのはギリギリ日が沈む前といったところか。


「今日は、貴女と来られて良かったです」


そうストレートに言われるとさすがに恥ずかしくて、「なら、良かったです」と呟いて返すのが精一杯だった。

打ち明ける気になったのか、クチハはぽつぽつと語り出す。


「私はあまり誰かとプライベートで行動を共にするつもりも機会も無いものでして……身勝手なのでしょうね。そのほうが気楽だと思えてしまうのは。ですが、今日は貴女と過ごして、色々と……目が覚めました」

「そ、そんな凄いことはしてないと思うんですけど……」

「もし機会があれば、また何かお付き合いください。私としても、こうして貴女と多少親しくなれたのは交友関係における財産です。であれば、無かったことにはしたくはないかな、と。無論ソットヴォーチェさんがお嫌でしたら潔く身を引く所存です」

「……ええと」


もしかしてこれは口説かれているのだろうか。

いや、クチハはそんなキャラではないだろう。

シンプルに友人としてもっと仲良くなりたいと言ってくれているだけだ。

なんだかこちらばかり意識している気がして恥ずかしいし、微妙に顔が熱を帯びている自覚はあるし、どう返せばいいか言葉に詰まってしまった。

それを、クチハは拒絶と受け取ったらしい。


「……すみません。突然無茶なお願いをしてしまいました。忘れてください」

「ちっ、違います! えっと、あの、ちょっとびっくりしただけで……私も、フェブリエさんに色々教えて頂いたり、フェブリエさんのすごいしっかりした価値観とか、気を引き締め直すきっかけになりました。ただ、その……私なんかで、良いのかなって思っちゃって」


クチハはたまたま、誰とも行動していなかっただけだ。

だがこうして接してみれば、知識は深く、配慮は細かく、真面目で。

そんなの引く手数多なのではないだろうか。

ちゃらんぽらんな自分なんかよりもっと、友人として互いを研鑽できる相手がいるのではないか。

そう思ってしまった。


「……今日、私と行動を共にしてくださったのは他の誰でもない貴女です」


その言い方は卑怯だ。

どきりとしてしまうし、明瞭に自分個人を求められてしまうと、誤魔化しも思いつかない。


「えーっと……じゃあ、その……よろしくお願いします?」

「はい。よろしくお願いします。まあ、暫くはお会いすることも出来ないのでしょうが、どうかお怪我など気を付けて。……釈迦に説法ですね」


……本当に不器用なのだなと思う。

不器用なりに、こちらを慮ってくれているのが伝わった。

それが、ただの他人行儀な気遣いだったのだとしても、シンプルに心配の言葉をかけてくれるのは素直に嬉しい。


「ううん、嬉しいです。部隊長とかになっちゃうと、出来て当たり前、って見做されちゃいますから。今更そういう心配してくれる人って結構少ないです」

「私は今、ソットヴォーチェさんのことを騎士団の部隊長としてではなく貴女個人として見ていますから。ならば私の前でくらい肩の力を抜いてはしゃいでくださって構いません」

「えっと……騎士団でもはしゃいでます……」


さすがにそれを言うとクチハの表情が少しだけ固くなる。

怒られるかなぁ呆れられたかなぁ、そう思ってもなんだか彼に嘘は吐けなかった。

クチハ自身これだけ馬鹿正直にものを言ってくるものだから、嘘や繕いをしたところで不誠実だしそもそもきっとバレる。


「……節度は、守るべきです。上に立つものである以上示しが付かないので」

「で、でもフェブリエさんは私を甘やかしてくれるんですよね!」

「騎士団の名を背負っていない時であればですね。そうでない時はそれらしく振る舞って頂かないと生徒の気も緩みますから」

「ふぁい……」


結局怒られてしまった。

だが正論もド正論なのでなにも反論できない。

ちらと顔色を伺うと、クチハは別に不愉快になったわけではなさそうだった。

どうやらこのひとは本気で、ただただ真面目なだけのようである。


コンチェルトに到着して魔導機関車を降りると、夕焼けが空を染めていた。

いつも通りフェルマータの家に世話になっているのだが、それは別に送ってもらう必要があるほど遠くではない。

送ろうかと言われたが、申し訳ないので断っておいた。


「なんだか機関車では説教じみたことを言ってしまってすみません。ですが、貴女と良き友人でいたいのは本音なので、懲りずにまたお相手してくださると助かります」

「いえ、私もめちゃくちゃちゃらんぽらんですから! 今日はとっても楽しかった! クチハ……さんのおかげです! じゃあ、私たち今日から友達になりましたってことで!」


それじゃあまたいつか、と手を振って、ソットヴォーチェは帰路に向かう。

その背中を見送ると、クチハは呟くのだった。


「……私と真逆のはずなのに。何故なのでしょうね」


その答えは、暫くは出ないのである。

出る時が来るとしたら、その時に歯車は再び動くだろう。

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