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名前の無い物語  作者: 梶島
17/20

『これが僕等の距離』

スィニエーク・アールグレイ

ルシオラ・ルミノクス


【お借りしたPC】

エーテル・ネウロパストゥム(タイレイさん)※名前だけ

珍しく、彼女のほうから誘ってきた。

なんでも少しこまごまとした通りに新しく出来たジェラートの店が非常に評判が良く、食べに行きたいから一緒にどうか、と。

断る理由はない。

こういった誘いの類は断ると後々自分の首を絞める場合があるということをスィニエークは解っていた。

そうでなくとも、ルシオラからの誘いを断る理由も特にない。

彼女とはよき友人でありたかったし、日頃なにかと根詰めているように見えるルシオラがこうした息抜きの相手として自分を誘ってくれたのは嬉しかった。


アリア・クランは春でも冷える。

寒さに慣れた国民は薄手の長袖に身を包んでいる者が多く、ルシオラもその例に漏れなかった。

一方体温を持たないスィニエークは通年変わらない厚着で、ジェラートを食べるのを解っていたため厚手のコートを羽織っている。

こうして並んで歩いていれば、兄妹かなにかに見えそうだ。


「……しかし、わたしで良かったのですか」

「良かった、とは?」

「エーテルさんなどを誘ったほうが、その……楽しめたのでは?」


ただ疑問がひとつだけある。

何故自分を誘ったのか、それが読めない。

ルシオラには常々仲良くしているというか、彼女の世話を焼いてくれる人物がいるのを知っていた。

そちらを誘うのが自然だろうに、せいぜい街中で会ったら挨拶したり時折家に招いてお茶をしたり、もしくは仕事でやりとりする程度の関係性である自分を誘ってきたのは意外としか言いようがない。


ルシオラは少し視線を泳がせて黙る。

エーテルを誘えない理由でもあったのだろうか、と思い、訊くべきではなかったかと迷い始めたころ、ぽつりとつぶやいた。


「エーテルさんとは、先週行きました」

「……なるほど?」

「そう何度も誘ったら、ボクの食い意地が張っていると思われそうで、出来ませんでした」


あまりに微笑ましい理由で、思わずぷっと吹き出してしまう。

しかし先週行ったばかりなのにまた行こうとするなんて、ルシオラは相当その店が気に入ったようだ。

であればこちらとしても期待する。


店はこぢんまりとした景観で、ジェラートの種類も少なかった。

どの味を食べたいか選ぶと店員が盛り付けてくれて、簡易的に設置された休憩所のような狭いテーブルに付属した椅子に座って食べろということらしい。


スィニエークはあまり迷うことなくミルクジェラートを選ぶ。

この国の畜産業は非常に盛んで、他国と比べると牛乳の質は頭一つぶん以上抜けている。

どうにもそれは寒冷な土地のほうが乳牛の生育環境として適しているのだと聞いたことがあった。

メニューでも一番上に書かれていたし、一番自信のあるものだと判断することが出来る。


一方ルシオラはストロベリージェラートを頼んでいた。

ミルクジェラートは前回食べたので、別の味を食べたいのだと少し語尾を濁して説明される。

どうやら先ほどの食い意地云々をまだ気にしているらしい。


「こうして冷たいものを食べるのは久しぶりです。ジェラートはなかなか自発的に食べませんから」


渡されたジェラートは真っ白できめが細かくて、手に持つとカップ越しに冷たさが伝わってくる。

体温が無いスィニエークは身体を冷やすことで触れた相手を冷やしてしまうことを気にして、冷たいものはあまり口にしない。

ジェラートを口にすると牛乳特有の甘みが口に広がって溶けた。

滑らかな舌触りは丁寧な作り方を想像させて、店主の仕事に対する真摯な姿勢が伺える。


「……ごめんなさい、そうでした。配慮が足りませんでした」


それを受けて、ルシオラが苦々し気な顔をした。

スィニエークは冷たいものを食べないと、知っていたはずなのに。

彼は周囲を不快にさせないよう、常に身体を暖める努力をしている。

そのために熱い紅茶を頻繁に淹れて飲む習慣があるのも知っていた。


「あ、いえ! そういう意味ではないんですよ。むしろ誰かに連れて来て頂かないと食べなかったでしょうから、良い機会を頂けたと思っています」


そう言って浮かべた笑顔に嘘は見えない。

仮に嘘だったとしても、嘘だろうと反論できるだけの材料はルシオラになかった。


「……スィニエークさんは、フォローが大人ですね」


ルシオラはそう呟くしかない。

どうすればこちらが受け止めやすい言い方になるかすぐさま弾き出してフォローする。

これ以上こちらが食い下がることも出来ないし、ならば彼の言葉をそのまま受け止めるしかない。

そのように会話を持っていくのは、あまり簡単なことではないような気がした。

少なくとも自分には出来ない。


「一応これでも大人ですからね。ルシオラさんもまだお若いんですから、たまには大人に甘えても良いんですよ?」


スィニエークも別段それを否定はしなかった。

年長者として彼女のフォローに回るのはなんらおかしなことではないし、些細なことで怒ったり不快になるのはそれだけの労力すら勿体ないと感じるのは事実である。

それは良くも悪くも大人である証左であるような気がした。

だが、ルシオラはジェラートを一口運んで目を伏せる。


「……ボクは騎士です」


子ども扱いするな、そう言われているのだと流石に理解した。

ルシオラはとにかく背伸びをしようとする。

小柄な若い女性であるというハンデも、どうにか覆そうとあがいているのを知っていた。

一人称然り、重い鎧を纏ったままでも戦えるよう体力を付ける訓練を怠らないことも然り。


「……すみません、あなたのプライドが許さないということですね」


軽率な発言をしてすまなかったと、スィニエークは詫びた。

その間、ルシオラは心の中でなにかもやもやとしたものが広がっていくのを感じている。

別にスィニエークは悪気があって言ったわけではないことくらい、解っていた。

彼は厚意で、甘えてもいいのだと言ってくれた。

こちらが常に肩肘張って生きていることを知っているから、自分にくらいは気を抜いても構わないよと言ってくれたのだ。

だが、自分は女だ子どもだと言う前に騎士でありたかった。

そこに女子どもという色眼鏡はなく、ただ国に仕えるつるぎであるべきである。

それだけではなくて、スィニエークに子ども扱いされる、というのはなんだか嫌だった。


「それにしても、とっても美味しいです。やっぱりミルクの質が違うのでしょうね」


その沈んだ空気を振り払うように、スィニエークは明るい声をあげる。

これもまた彼の大人らしい振る舞いに見えて、それを潰すのは子どものワガママだと感じたルシオラは乗った。


「質、ですか?」

「ええ。仕事柄、他国のものを差し入れで頂くことも多いのですが、やはり乳製品に関してはアリア・クランが一番だと思います。ただ舌に馴染みがあるだけかもしれませんが」

「……他国、か」

「……あ」


そこでまたスィニエークは言葉に詰まる。

ルシオラは非常に短命な種族で、普通の人間が普通に生きていれば学習することの大半は会得している余裕が無い。

実際彼女は実年齢もたったの五歳で、日常会話は出来ても読み書きはまだ殆ど出来ず、騎士団に関する掲示物はだいたいエーテルに読んで貰っていると聞いていた。

その短い生の大半を、騎士としての鍛錬と仕事に費やしている。

寄り道なんてしていたら、あっという間にボクの人生はあとがきに入ってしまうから、と。

まるでそれが受け入れられて当然のような顔をして言っていたことは、スィニエークにとっても少しショックな出来事だった。

そんなルシオラが、他国のものを口にする機会などありはしないと、少し考えれば解ることだったはずだ。


「……すみません、浅慮な発言をしました」


結局また空気はぎこちなくなる。

スィニエークに悪気はないのなんて解り切っている、しかしルシオラへの配慮が欠けた発言をしたのも事実だった。


「……やめましょう、さっきから謝りあってます」


ルシオラが苦笑する。

普段あまり表情の変化のない彼女にしては珍しい顔だった。


「いつかボクが他国に旅するときは、よろしくお願いしますね」

「……ええ、フォレス・クロウの一員としてしっかりとあなたをお送りします」


……不器用な嘘だ。

ルシオラは他国に渡るつもりなんてない。

そんな暇はないし、彼女はこの国のつるぎとして果てることを望んでいる。

でも、自分への気遣いで吐かれた優しい嘘を裏切れるほど、スィニエークも馬鹿ではなかった。

なので、他国への渡航に関わる者として、ルシオラが利用するなら誠心誠意対応する、と返すしかない。


ジェラートを食べ終えて、とりあえずルシオラを騎士団の寮へと途中まで送ることにした。

と言うより、ジェラートがあった店の付近はスィニエークの行動圏から外れていて、途中までルシオラと同行しないと帰り道がよく解らなかったためである。

見覚えのある大通りに出ると、ケーキ屋の店主が大声をかけてきた。


「あら、スィニエークくん今日は女の子連れ?」

「こんにちは。こちらはお友達ですよ」


恰幅のいい女性が、にやにやと笑って冷やかしてくる。

このケーキ屋は、スィニエークが普段紅茶に合わせる来客用のお茶菓子を購入するのによく利用する店だった。

苦笑して関係を遠回しに否定するも、女将は食い気味に話しかけてくる。


「今日はシフォンケーキ買っていってくれないの? 新作、食べて感想聞かせて欲しいねぇ。試食する?」


こちらが何か言う前に、女将は新作だという紅茶のシフォンケーキを小さく切ったものを押し付けてきた。

どうやら試食用としてあらかじめ用意してあったもののようだ。

押されるがままそれを口にして、ルシオラは驚いた。

ふわふわしていて、口に入れると解けるように溶ける。

それなのに紅茶の香ばしい風味はしっかりと口に残って、甘さがそれを邪魔しない絶妙なバランスだった。

要するに、美味しい。


「……あ、そうだ。ルシオラさん、騎士団に差し入れというテイでお預けしても構いませんか」

「……え、でも」


スィニエークはルシオラ、と言うより騎士団にシフォンケーキを買おうとしている。

さすがにそこまでしてもらうことはないのでは、と思って断りかけたが、ルシオラは気付いた。


――そうか、スィニエークさんは女将さんとの付き合いがあるから、ここでボクが断るとスィニエークさんの面子を潰してしまう。


ならば、ここはスィニエークからありがたくシフォンケーキを受け取って、彼を立てるべきだろう。


「では、お言葉に甘えても良いですか」

「もちろんです。ここのシフォンケーキ、とても美味しくて紅茶にもコーヒーにも合うんですよ。……2ホールもあればお友達には間に合いますか?」

「……1ホールで充分です」


では、そうしましょうか。

そう言ってスィニエークはシフォンケーキを購入し、女将が慣れた手つきでそれを包装した。


「荷物を増やしてしまいましたし、もう少し近くまでお送りしますね」

「ありがとうございます。……でも、そんなに気を遣わなくていいのに。ボクは騎士ですよ」


右手にシフォンケーキの入った袋を提げて、スィニエークが提言する。

それには礼を言うが、なにもそこまで守ってもらう必要はないと遠回しに告げた。

荷物が増えるくらい造作もないことだし、わざわざ帰路に付き添って貰わなくてはならないほど脆くもない。

ルシオラのその遠慮じみた主張を受けて、スィニエークは苦笑した。


「あはは……わたしは弱いので、あまり意味はなさそうてすね」

「……弱い人は優しさを知ってるから、悪いことじゃないと思います。スィニエークさんが弱かったとしても、それを守るのがボク達です」


彼はあまり戦闘が得意ではないと聞いている。

見たことはないし、彼の仕事柄戦闘に及ぶようなことはよほどのことがなければありえないことだ。

それに、そういった市民を守るのが騎士団の仕事である。

スィニエークに対して優しいと評すると大抵の場合彼はそれを否定するが、ルシオラから見れば充分優しく思えた。


「……ルシオラさんは強いですね」


ルシオラからの評は彼女からの主観なので、スィニエークに否定する権利はない。

ただ、弱いものをそのままでいいと認められるというのはとても強いことに思えた。

こうしてたまに会って会話するたびに、ルシオラは芯が強い人物だと感じる。

愚直にすら思えるほどただただ真っ直ぐに、ひたむきに、それしか成せないからという理由だったとしてもひたすらにひとつの道を突き進む姿は、真似できそうにない。

だからこそスィニエークはルシオラを尊重していた。

良い意味であまり女性らしくないので恐怖症が出てくることの少ない相手というのもあるが、純粋に人物として好ましく思っている。


しかしそれは時に怖くもなる。

自分は永く生きていて、有り余る時間を少しずつ刻んでいるが、ルシオラは極端に短い時間の中でどこか生き急いでいるようにも見えるからだ。

無論、何もしないで生きていたら彼女はきっと生きた意味すら見いだせないままあっさりと死んでいってしまう。

それが嫌だから、国のために尽くすと決めてそのためにすべてを注いでいるのだろう。

このあたりの精神性はルシオラの種族にはよくあることらしいので、それもやはりスィニエークにどうこう言えるものではない。


「ボクは強くなりたい。それが、ボクの目標ですから」

「もう充分強いですよ、わたしから見れば」


寮の手前まで来たので、シフォンケーキを手渡した。

ありがとうございます、とぺこりと頭を下げて、ルシオラは寮へと帰って行く。

スィニエークも踵を返し、自宅への帰路へ歩み始めた。


後日、騎士団ではちょっとした噂になってしまっていた。

『ルシオラを寮まで送ってくれていたあの優しそうな男性は誰なのか』と囁かれ、『確かあの人はフォレス・クロウだったはずでは』というところまで特定されてしまう。

スィニエークはよく街で買い物していて、街を巡回している騎士団にもいつも律義に挨拶するので、知っている者が多かったのが仇になった。

フォレス・クロウと言えば国家公務員、騎士団とはまた別ベクトルのエリートである。

さらには常に騎士団を労ってくれる人格者、しかもシフォンケーキの差し入れまでしてくれたような人物。

そんな優良物件と知り合いだったのかと、半ば羨望に近い眼差しが痛い。


……これではスィニエークに会いづらいではないか。

変に噂されては彼に迷惑をかけるだろう。

せっかく数少ない友人として信頼できる相手だったのに、どうしようかとルシオラは悩む羽目になった。

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