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名前の無い物語  作者: 梶島
16/20

『昨日よりも遠い明日のために』

スィニエーク・アールグレイ

ルシオラ・ルミノクス


【お借りしたPC】

エーテル・ネウロパストゥム(タイレイさん)※名前だけ

雪はなにもかもを覆い尽くす。

陰も、血も、争いも、憎しみも、いとしさも、そして――命さえ。

降り積もった白は分厚く過去を隠し、その下で儚く息づくものは気取られずに消えてゆく。


国と国を繋ぐ転移魔法陣は国にとって要所と言うべき存在で、それを使う資格は厳密な試験と確認の末にようやく与えられるものだ。

それを監督する国家公務員、『フォレス・クロウ』として、スィニエーク・アールグレイはアリア・クランに在住している。

とは言え普通に生きていれば問題なく取得できるし、旅行などでは活用する国民が大半である。

特別なものではあるが、特別ではない。

必要なものではあるが、必要ではない。

矛盾するようであるが、許可証についてスィニエークは概ねそのような認識を抱いていた。


彼もこの国では国家公務員としてそれなりにホワイトに働いている。

シフト制なので休日は人並みにあるし、仕事自体もさほどハードではない。

そんな休日の昼過ぎに、日常に必要なものを買い出しに出ていた。

寝食を不要とするスィニエークにとって必要なものと言えば、紅茶やそれに添える菓子のような嗜好品程度のものなのだが。


――雪がちらつき始める。


彼は体温を持たない。

雪に閉ざされたこの国でそれはとても致命的な欠陥で、外気に晒された指先はそのまま温もりを失ってしまう。

それが誰かを不快にさせることを懸念し、人と会うときは温かい紅茶で身体と指先の温度を確保するという習慣がいつのまにか身についていた。


「……おや、ルシオラさん。待ち合わせですか」

「スィニエークさん。……こんにちは」


街角で見知った顔を見つけた。

これが彼女でなければ無視していたかもしれないが、幸いにもスィニエークにとって比較的好ましい相手だったので、近寄って声をかける。

ルシオラ・ルミノクスはこの国の軍に所属する少女だ。

彼女の種族、燐蛍族特有の彩度の高いフレッシュグリーンの髪は肩口までのセミロングに切り揃えられ、右側で細い三つ編みにしてある。

その隙間から覗く双眸はややつり目がちながらも長い睫毛が縁取り、アメジストの輝きを湛えていた。

努力家で素直で勤勉なルシオラは、女性が苦手なスィニエークにとっても気安く思える存在である。


彼女はただ街角でぼんやりしているように見えた。

鎧は着ておらず、ファー付きのコートの裾から伸びる足はタイツで覆われている。

春先になったとはいえこの国の春は他国と比べれば非常に寒く、さらには雪が降り始めたいま無意味に外に出れば下手すると凍死する危険性すらあった。

であれば、ルシオラと仲のいい誰か、例えばエーテルなどと待ち合わせしていると思うのが妥当である。

だが、一度律義に頭を下げるとゆるく首を振って、ノーの意思表示が返ってきた。


「……いえ。特に誰かと待ち合わせというわけでは。……ただ、外を歩きたかっただけです」

「散歩……ですか? 雪が降ってきていますし、あまり長居をすると身体が冷えますよ」

「目に、焼き付けておきたかったんです。誰かが当たり前に生きている日常を」

「……? とりあえず、わたしの家にいらっしゃいませんか。寒いでしょう? 紅茶とお茶菓子程度でしたらご馳走できますから」


ルシオラの言わんとすることはよくわからなかった。

ただ、ひどく寒そうに見える。

雪の粒は小さくとも、その冷たさは確実に身体を蝕むはずだ。

いくら騎士とはいえ、寒空に長時間晒されているのは気持ちのいいものではないだろう。

気遣いから自宅に招いたが、ルシオラは少しだけ考え込む仕草を見せてから頷いた。


「すみません、気を遣わせて。ボクのことは、あんまり気にしなくてよかったのに」

「そうはいきませんよ。……すっかり指先が悴んでしまっているじゃないですか」

「……あなたにそれを言われるとはね」


冗談のつもりはなかったとはいえ、ルシオラの表情が緩んだことは悪くない。

スィニエークの家に入って手袋を外したルシオラの指先は白く、冷えているのは一目瞭然だった。

紅茶を淹れるための湯を沸かしながら、先にお茶菓子を用意する。

頂き物のシフォンケーキがあったので、それをカットして皿に乗せると、テーブルで待つルシオラの許へと運んだ。


「……本当は、あまり他人と親密になるなと言われているんですけどね」


ぽつりと、落とすように呟く。

誰に言われたんだ、とは思ったが、語らないということは語りたくないのかもしれない。

しかし、交友関係を広げることのなにが悪いのかは理解できなかった。

向かいに腰を下ろすと、スィニエークは首を傾げる。


「……それはいささか虚しい気がしますが……何故ですか、と訊いても構いませんか」


その言葉を受けて、ルシオラは窓の外に目を遣った。

無言のまま、まるでしんしんと雪が降り積もる音に耳を傾けるかのように。

伏せた睫毛は淡い陰を落とす。

ゆっくりと顔を上げ、スィニエークに視線を移した。


置いていく(・・・・・)からです。どうしても。ボク達は、普通の人と同じ足並みでは生きられない。そして別れは、悲しみを与えてしまうから」

「……」


――理解した。

街角で出会ったときルシオラが口にした言葉の意味を。


普通の人の三倍の早さで年老いて、あっという間に一生を終えこの世から消えていく彼女にとって、自分が守るべき民が普通に生活しているだけのなんでもない光景すら貴重なのだ。

それは、何かを成せない彼女たちにとって生きた意味に等しい。

自分が確かに守ったもの、それが連綿と続く実感が欲しいのだ。


「……どうして」


気がつくと、愕然としていた。

それを隠す仮面すら忘れて、ルシオラに気付かれてしまう。


「そんな顔を、するんですか。ボクが早く死ぬのは仕方のないことです。スィニエークさんが気に病んでも、その……ボクには、どうしようもない」


ルシオラは言葉の選び方が下手だな、と思った。

それはまだ幼い彼女ならば無理もなく、それと同時にひどく不器用な人間性を思わせる。

淡々とした声は、自分自身を哀れんでいなかった。

ただありのままに事実を述べ、そこに悪気はない。


「いえ……ただ、思わされただけです。わたしは、わたしの受けた生がたまたま永かったことに、あぐらをかいているのではないかと」

「それを悪いとは思いませんよ。国は平等でも時間は平等なんかじゃない。そこを恨むのは筋違いだ」


随分はっきりとものを言うものだ、と感心すらしそうになる。

時間という面で圧倒的不利に立たされながらもそれを呪うことなくただただ受け入れること、その強さにも。


ヤカンが音を立てる。

立ち上がり、紅茶の用意を整えて振る舞うと、ルシオラはただ「ありがとうございます」と礼を告げてきた。


「でも、あなたがボクを覚えていてくれるのなら。……あなたの中で、ボクが生き続けたのなら。それはきっと、ボクがこの世界に爪痕を残せたということなんじゃないですか」

「爪痕はひどいですよ。……せめて足跡くらいにしておいたら如何ですか」


言葉選びまで不器用なことだ。

それに少し笑みを零しながら、紅茶にミルクを落とす。

ルシオラも砂糖を放り込みながら、唇の両端を持ち上げた。


「どちらにせよ、ボクはボクの生を悲観したりしていません。スィニエークさんの家についてきたのも、スィニエークさんの中にボクという人間がいたことを刻み付けられたらいいな、ってだけで」

「……ええ。ええ、きっと。わたしはあなたを忘れません。あなたのことを儚いと思っていましたが、それはとんだ誤認でした。……あなたほど強いひとを、わたしはほかに知らない」


紅茶に口を付けて、ほうと息を吐く。

琥珀の水面を見つめてから、じっと上目遣いを向けてきた。


「それは、褒めているんですよね。ボクは騎士だから、強いと言われるのは良いことですよね?」

「……うーん……はい。ええ、まあ、そういうことにしておいたほうが、お互い幸せではないかと」


わざとなのか意図的なのか図りかねる。

それに戸惑い言い澱むも、悪く捉えられていないのなら構わないと思うことにした。

ルシオラはフォークを手に取るとシフォンケーキにゆっくりと沈め、一口大に切り分ける。


「とりあえず、あまり寒空の中長居はおすすめしませんよ。風邪を引いたらただでさえ貴重な時間がロスになってしまいます」


ぱくんとシフォンケーキを口に運びながらその言葉を聞いていたルシオラは、アメジストを瞬かせた。


「……その発想はありませんでした」

「……真っ先に思い至るべきではないでしょうか……」


どうにも、このあたりは年齢相応だ。

とは言え、素直なルシオラのこれは可愛い方ではある。

言われれば素直に知らなかったと言うし、こちらの指摘の大半は飲む。

だからこそ、スィニエークも彼女を好ましく思っていた。


「でも、スィニエークさんが、見つけてくれたから。結果おぅいぇー、というやつですね」

「結果オーライ、ですね」


間違った語彙はきっと新しく覚えたものなのだろう。

微笑ましく思いつつ、スィニエークは今日という日を忘れないようにしたい、と思った。


儚く、短くも、確かに生きた少女の足跡がここに残るのなら。

それを守ることは、大切だと気付いたから。

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