7.現場検証
ロケーション:魔界・スプレッタシー海中域・ブルルキャピーテ王国・オドリビーチェ村属『村立オキシダイト発掘プラントB棟』
プラント内部は巨大な動物の胎内のようだ。湿気に満ち、音響が幾重にも重なることで独特の鼓動じみたリズムを刻んでいる。そのリズムはプラントにおいて基調であり、その内部に潜む作業員たちに、一定の服従を強いる。
その内部において、作業員たちは巨大な構造物を維持するための駒だ。無数の働きアリが巨大な女王蟻の面倒を見るように、プラント内部の様々なパラメーター変化を一定にし、不都合があれば直ちにそれに対処する。
温度、気圧、プロセス液の流量と残量、発掘粗土が含有するオキシダント濃度比、消耗配管の閉塞立や腐食進行度。
見るべき項目は多岐に渡り、高度に専門化されたセクショナリズムに従って、作業員たちは己に課された役目に忠実に従い、プラントという巨大構造物を維持管理する。
それは、予期せぬ襲撃があった翌日の現在であっても変わらない。
犠牲者が多数出た第3ウィングは部分的に閉鎖されているものの、それ以外の場所は何事もなかったように平常運転を続けている。
そうせざるを得ないのだ。
プラントは巨大な生き物だ。
そこに緊急停止ボタンは存在しない。
プラントに一度火を入れたら、途中で止めることはできない。
無理に止めようものなら、プラント全体に蓄積されたエネルギーが行き場を失って、最悪の場合、爆発に至る。
そもそも、プラントに火を入れること自体が簡単ではない。
原理的には静止状態のまま十年間放置されていたガソリンエンジンを駆動するのに等しく困難だが、しかし労力の桁が違い、多大な手間と何十億ものコストがかかる。
大量のエネルギーを与え、運転初期の不安定状態を騙し騙し乗り切り、なんとかして安定した運転に漕ぎつけるのだ。
ただし、一度動きはじめたら、そのあとは比較的簡単だ。
発掘したオキシダイトの精製過程で得られる余剰エネルギーを使用して動き続ける。
定期的にメンテナンスを行いながら、海底深くに埋蔵されているオキシダイト原石が枯渇するまで資源を掘り続けることになる。
言うまでもなく、テロによる多数の犠牲は悲劇である。
そのことを、ここで働く全ての者は理解している。
けれども、それは、プラントを止める理由にはならない。
そのこともまた、理解しているのだ。
このプラントが止まるとき。
それは、文字通り、このプラントが役目を終えた時に他ならないのだから。
襲撃は、プラントB棟の第三連絡通路から始まった。
B棟は6つの細分化された建物に分かれており、それらはそれぞれアルファからゼータまでのギリシャアルファベットの名がつけられている。
第三連絡はガンマとデルタを結ぶ通路で、頭上にあるとおぼしき電灯は切れている。
わいにゃんは、その中を歩きながら、中に漂う独特の臭いに顔をしかめる。
嗅ぎなれた臭い。
血の臭いだ。
「ライトをつけましょう」
ドルッシーがそう言って指を鳴らすと、小さな魔力が渦を巻き、頭上へと打ち上げられ、周囲一面を照らす。
光の魔術。
内部が暗闇であることを承知していたドルッシーが用意していたマジックアイテムの効果に違いない。
この手のアイテムはわいにゃんもよく使用しているし、特に暗闇での戦闘時に重宝する。
自身が治める魔桜エリアにおいては、戦闘は夜に行われる。
だから、わいにゃんはそのことを身に染みて知っている。
ライトの光に煌々と照らされた通路。
そこには、胴部が両断された遺体、それに、首が落とされた遺体が一つづつ転がっていた。
「わいにゃん子爵の現場検証が終わるまで、現状維持を命じております」
話によれば、この通路は普段の人通りは少ない。
だから、通る者もあまりおらず、現在は立ち入り禁止にしているのだという。
「ありがとうございます」
そう言って、わいにゃんは遺体に近づき、足元に広がる半分固まった血だまりに足をつっこまないよう気をつけながらしゃがみ込む。
遺体の切断面をまじまじと観察したあと。
「この傷は……、どう思う、KB?」
そう言いながら、わいにゃんは、隣にいたKBに場所を譲る。
「……焦げているね。それも、切り落とした後に焼いたわけではないみたいだ。そんなことをする意味はないからね。つまり……、“そういう武器”を使ったのだろう」
わいにゃんは、うなずく。
「電磁ブレード」
「そうだ。そして、この武器の使い手は少ない。いや、訂正しよう。使い手は多いが、使いこなせる者となるとごく少数だ。普通の剣と違って、電磁ブレードは触れたものすべてをバターのように切り裂く。その意味において非常に強力な武器だが、しかし、それはたとえば“受け手”が封じられることを意味する」
“受け手”。
それは、剣に手を添える剣術の型の総称だ。
KBは、幅の広いブロードソードを武器として使う。
ブロードソードの使い手は、その広い剣幅を、敵の弾丸や剣戟を受けるための盾として使用する。
あるいは、攻撃時。刃で切り裂く斬撃とは別に、重い金属の重量を剣の腹に乗せて叩き付ける。
その際、衝撃を分散させるため、フリーの左手で剣を支えるが、そのように支える手のことを“受け手”と言う。
“受け手”は何もブレードソード専用の技術ではない。
剣に触れる所作を含まない流派はないと言っていい。
“受け手”はもはや剣士に癖のレベルで擦り込まれた本能的な動作のようなものだ。
しかし、電磁ブレードでは刃に触れることはできない。
その切れ味により、触れた自身の腕がダメージを負ってしまう。
だから、電磁ブレードの使い手は必然的に“受け手”を封じられることになる。
つまり、己の剣を、電磁ブレードに合わせて改造し直さねばならないのである。
電磁ブレードは強力な武器だ。
だから、今後、これだけを武器とする覚悟があるならば、それに合わせた剣術を身に付けることはそれなりに意味があることではある。
けれども、同時に電磁ブレードは極めて繊細な装備でもある。
連続使用にはメンテナンスが欠かせないし、メンテナンスのためには修理部品を用意せねばならない。それは、運用には少なくない額の金が必要となることを意味する。
電磁ブレードは繊細な装備であると言ったが、戦闘中に主要機関が壊れれば、その鋭利な切れ味は失われる。
その意味において、極めてピーキーな性能を持つ武器であり、威力に目をつけた素人が簡単に扱えば大きな代償を支払うはめになる。
だから、それを武器として選ぶ以上、その使い手は、戦闘に関する極端なこだわりと哲学を有した職人肌の性格であるということだ。
戦闘狂の改造天使『スレイル属』の中でも、そこまでのこだわりを持つに至った者はそう多くないだろう。
実際、実戦において電磁ブレードを使用するのは、後方支援が整った資金潤沢な部隊か、特殊な暗殺任務に携わる潜入戦闘員くらいのものだ。
「なるほど。その線なら、確かに追える」
そう、電磁ブレードの使い手は少ない。
つまり、今回のテロリストの一人は、よく名の知れた使い手である可能性も少なくない。
だから、以上の情報を、わいにゃんキャッスルにて待機するサウザンに伝えれば、優秀な彼女はただちに検索を開始し、可及的すみやかにその正体を絞り込むだろう。
もっとも、それも情報空間上に敵のデータが存在すれば、の話だが。
「KB」
わいにゃんは、KBにそう呼びかける。
「うん。サウザンにはもう伝えた」
KBは、そう言って、自身の情報端末を指で示す。
彼は、わいにゃんの指示を先読みして、電磁ブレードを使用するスレイル属を検索するようサウザンに伝えたのだ。
海底に位置するブロロキャピーテは、地上との間に特別な回線を有している。
国賓扱いのわいにゃん一行は、それを無制限に使用する特権をミア女王から与えられている。
「助かる」
言葉を使わず伝えたいことを理解してくれる部下は貴重だ。
KBは、うなずいて、言葉を受け入れたことを示す。
「誰か、他に何か気付いたことは?」
わいにゃんは、振り返って一行に尋ねる。
「えっと、よしおが言ってるのとはちょっと違うかもしんないけど、一つ聞いていい?」
そう言ったのはロングテイルだ。
「分かんないことがあるんだけど、この敵、って、スレイルの超凶悪なおねーたま方なんでしょ? えっと、そのスレイルのおねーたま方って、どうやって中に入ってきたの?」
わいにゃんは、うなずいて、ドリュッシーに尋ねる。
「ここが最初に襲われた場所として侵入経路は?」
その質問に、工場長デメストラが答える。
「賊はメンテナンスハッチを使用したようです」
そう言って、頭上の一角を指差す。
「あそこのハッチはプラントの排気ダクトに繋がっていて、そこを500メートルほど進めば外部に進むための排気孔へ出ることができます。その排気孔は直接外海へと繋がっている」
デメストラは、言葉を切ってわいにゃんが理解しているかを確認する。
わいにゃんはうなずいて、続きをうながす。
「当然の措置として、排気孔はコンピュータ制御による三重の気密ロックがかかっています。つまり、そこを通って外海へ出入りするためには、三つの隔壁を抜けねばなりません」
「その目的は?」
「名前こそ排気孔ですが、その目的は、ドームメンテナンス作業のための通路です」
「その存在を知る者は?」
「工場の保全部に所属する者なら全員が知っているでしょう。それ以外には、そうですね、古参の、つまり勤続十年以上あるような所員なら、知らない者はいないでしょう」
なるほど、と、わいにゃんはうなずく。
「それ以外に、たとえば外部の人間で気密ロックの存在を知っている者は?」
デメストラは、あごに手をあて、頭上を見上げながらしばらく考え込んだ様子を見せる。
「そうですね、まず、あのような類のメンテナンス用の気密ロック自体は、ドームで都市部を覆うブロロキャピーテでは一般的なものであるため、ブロロキャピーテ国民なら、誰もが知っていると思います」
わいにゃんは、続けるように目でうながす。
「けれども、ドームのあの位置に気密ロックがある、ということを知っている外部の者は、というと、かなり限られてくるとは思います」
なるほど、と、わいにゃん。
「限られてくるとすると、たとえば?」
「そうですね、本来なら、外部から呼んだメンテナンス関係者などがそれに当たるでしょう。しかし、それはここには当てはまりません。本プラントは内部で完結できるように所員を訓練しており、修理やメンテナンスは全て所内の人間で行います。つまり、何かトラブルがあっても外部の人間を必要としない。これは、設立当初からの方針です」
工場長は、自分の言葉を確かめるように、言葉を続ける。
「だから、このプラントが稼動してから過去三十年の間に外部の人間の助けを求めたことはそう多くないはずです。少なくとも、私が工場長となってからの七年間に外部のアドバイザーを呼んだ機会は、数える限り。思い当たるのは、毎年行われる技術交流会くらいでしょうか。その際も、話題は主にオキシダイトの精製法等の専門的な内容が主で、メンテナンスハッチのようなものが注目されたことは無いだろうと断言できます」
「そうですか。念のため、過去に工場を訪れた外部の人間のリストを提出頂けますか? こちらでチェックすれば、ひょっとすれば何かが分かるかもしれません」
「ええ、過去三十年分すべてのデータが電子化されて保存されているのでお渡しするのは簡単です。後で担当の者に申し伝えておきましょう。しかし、電子化は場所を取る紙を処分しペーパーレス化を促進するための処置でした。それがまさかこんなところで役に立つとは……」
そう言って、デメストラは、はあ、と深いため息をつく
「ご提供、ありがとうございます。そして、立場は違えど、私も部下を率いる身。ご心境はご察しいたします」
この工場長は、部下を何十名も失ったばかりだ。
心の整理もまだついていないに違いない。
わいにゃん自身は幸いなことに、まだ部下を失ったことはない。
けれども、その時のことは覚悟しているつもりだし、だからこそ、工場長の気持ちも少しは理解できるつもりだ。
その気持ちが伝わったのか、デメストラはゆっくり深く頷いたあと、続ける。
「そうそう、工場内の設備に詳しい外部の人間と言えば、工場の設計担当者、それに工事に携わったプラント専門の工事会社が挙げられます。いや、待てよ……」
視線を上に向けて少し記憶を遡ったあと、確信したように言う。
「思い出しました。設計者と工事会社は、確かうちの保全部門に吸収したはずです。私がここに来る前の話なので当時を直接知っているわけではありませんが、そのような話を聞いた覚えがあります」
なるほど、と、わいにゃん。
「つまり、現在はプラントの青写真なども外部には存在しない、ということですね?」
工場長は首肯する。その後で。
「ただ……」
少し考えたあと。
「そうですね、先ほどもお伝えした通り、ハッチはコンピュータ制御となっています。以前は手動での開閉でしたが、簡易と安全のためこうした外部に繋がる出入口は全て機械で制御する方針が採用され、五年前に設備が更新されたのですが……」
そこで一旦言葉を切り。
「その際、電子ロックシステム一式は、耐圧システムを扱う会社の既存の製品を導入しております」
「つまり、その会社は、気密ロックの場所とロックの開け方を知っている、と……?」
しかし、工場長はその言葉を否定する。
「いいえ、それはありません。ロックの取り付けは当工場の担当者の手で行いましたし、ロックの暗証番号を設定したのも当工場の担当者です。それを知る者は当社の中でも限られた人数のみ。既存品を使用している、というだけの話です」
なるほど、とわいにゃんは納得する。
「あとであの排気ダクトの内部をうちの者で確認したいのですが……」
「構いません。梯子を用意しておきましょう」
その言葉を聞いて、キーアとクレイアのアラクネ姉妹は顔を見合わせて、肩をすくめた。
狭い場所に潜り込んで点検するのは姉妹の得意分野だ。
わいにゃん一行は、そのあとテロリストが進んだと思われる通りに場内を進んだ。
襲撃のエリアは工場長の命により、その大部分が立ち入り禁止区域に指定されているものの、しかしプラントの日常点検に必要な箇所まで封印するわけにはいかない。
そうした場所では、遺体はブルーシートで覆い隠され、その隣を、おっかなびっくりといった様子で二人組みの所員が早歩きですり抜けていった。
その二人は、一日に二回、そこに設置してある計器の数字を確認しに来るらしい。
もう一回は深夜に行われるということだから、襲撃現場にやって来る人間は十二時間の間は誰みない。
その二人の後ろ姿を眺めながら、わいにゃんは、彼らが今何を感じているだろうか、ということを、ふと思った。
同僚を失った悲しみか?
それとも、自分が死なずに済んだ安堵か?
いずれにせよ、わいにゃんには、その気持を想像することしかできない。
そんなことを考えながら、わいにゃんは、現場の中を歩く。
賊の侵入を許した場所を追って歩くのは難しいことではなかった。
進路に沿って警備兵や作業員の遺体がいくつも転がっている。
それらは、現場検証のため、テロが起きたときのままの状態で放置されていた。
それらの遺体を見聞して分かったことは、三つあった。
一つは、事前情報の通り、スレイルが使用した武器は三種類ある、ということ。
まず、先に判明している電磁ブレード。
次に、巨大な質量を直接ぶつけたかのような、単純な打撃武器。
そして最後に、命中した肉体をばらばらに吹き飛ばすほどの威力を持つ銃器。
二つは、スレイルたちが、極めて残虐にテロを行った、ということ。
不幸にもスレイルと出会った警備兵と作業員は、躊躇なく、一人も残すことなく殺されていた。
まさに、虐殺という言葉が相応しいほどの凶悪かつ冷酷な犯行。
この敵がどういう連中だろうが、歩いた後には必ず死体が残る。
わいにゃんは、そのことを改めて意識した。
そして、三つは、それほど残虐なスレイルたちは、同時に冷酷なプロフェッショナルである、ということ。
というのも。
工場内の監視カメラ。
それらが、一つ残らず破壊されているのだ。
殺戮を行いながら、かつ、その場に存在するカメラを、それに捉えられる以前に破壊する。
カメラの位置を事前に把握していたのか、それともその場面場面で一つづつ対処していったのかは知らないが、この敵は、冷静に、全てのカメラを破壊している。
わいにゃんは、現場の様子をその目で確認し、こうして現場で敵の実際の動きをトレースして、わいにゃんは、この敵の凶悪さと狡猾さを実感した。
「こちらです」
むせ返るような充満した血の臭いの中、ドルッシーの声に我に返ったわいにゃんは、案内人に導かれ、プラントのさらに奥へと進む。