2.ミア女王からの依頼
【登場人物】
わいにゃん:主人公。堕天使属。
ロングテイル:わいにゃんの部下。戦天使属。女性。
ミア女王:ブルルキャビーテ王国女王。セイレーン属。
ロケーション:魔界・リングレット地域・魔桜エリア・わいにゃんキャッスル
魔王に統治されている魔界は、主に七つの領域に分かれる。
スプレッタシー海域。
リングレット地域。
ヘイルバード地域。
ストロングレー地域。
ハブチック森林域。
ラングレード火山域。
スリットスパー空域。
それはあくまで地域的な分類に過ぎない。
各地域はさらにエリアとして分断され、各エリアには魔王によって封ぜられた複数の領主が自らの領地を構える。
魔界には数多くの種族の悪魔やモンスター、それに天界からの訪問者である天使が住んでいる。
彼らの外見は、基本的には人形であり、種族固有の身体的特徴――たとえば動物の耳や天使の翼など――を有している。
たいていの場合、モンスターは同種ごとに集まり、ボスに従い、一つの領地の中で暮らしている。
しかし、例外も多くある。
その例外の一つが、ここ魔桜エリアである。
わいにゃんキャッスル。
そのふざけたような名前は、しかし大マジのネーミングである。
その城の名は、魔桜エリアを統轄する者の名前から取られている。
わいにゃん。
先祖は天使だったが、第四次天魔対戦が終結し平和協定が結ばれた後、天界から魔界にやってきた両親から生まれた天使属である。
魔界で生まれた天使を堕天使と呼ぶ。
堕天使わいにゃん。
彼は、そう呼ばれるのが何よりも嫌いである。
「ねーねーねーねーよしおーーーー、よしおーーーーーーーーー」
朝の四時。
まだ太陽すら地平線の下で眠っているこの時間であるにも関わらず、大声を上げながらわいにゃんの寝室の扉を叩く者がいる。
「ねーねーねーねーーーよしおってばーーーーーーー!」
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン!
その音に、廊下のいくつかの扉が開き、音に叩き起こされたのであろう何人かが不機嫌そうな顔を覗かせるが、わいにゃんの扉を叩く少女の顔を認めた瞬間、諦めたように、はあ、と溜息をついて部屋に引っ込む。
扉を叩く少女の身長はおよそ140センチ。
汚れのない白い翼と頭の上でくるくる輝く輪は彼女が天使属であることを示している。
体格は華奢だが、非力なわけではない。
膝丈までのパンツとラフなTシャツから伸びた手足は一見細いものの、無駄なく引き締まった実用的な筋肉が付いていることが分かる。
「いることは分かってんだかんね! つーかなんであんた部屋に鍵かけてんのよ! さっさとこの扉、開きなさいよね!!!!」
彼女は、それが領主であるわいにゃんが寝る部屋の扉だというのに何の遠慮もなく大声を出しながら叩きまくる。
さながらハードロックバンドのドラムボーカルのごときけたたましさである。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン!
魔ホガニー製の、いかにも高級なアンティーク調なドアであるにも関わらず、容赦なく握り拳を叩きつける様はまるで季節外れのハリケーンである。
重量感のあるその扉は非常に頑丈で、猛烈な打撃にびくともしないが、しかし素材がいいだけあって音響も素晴しく、7.1chサラウンドスピーカーのごとき迫力のある音を響かせる。
ガチャリ。
その声にようやく目を覚ましたのか、あるいは惰眠を貪るのを諦めたのかは知らないが、ようやく部屋の扉が開く。
「……おはよう。ロングテイル君」
わずかに開いた扉から覗くのは半眼を開いた不機嫌そうな顔の男。
150センチほどの背丈。
頭に乗った、パジャマとお揃いの柄の三角形のナイトキャップ。
目をこする右手と反対の腕に抱かれた50センチほどのサイズの熊ちゃんのお人形。
そして、背中に生えた黒い翼と、頭の上でくるくると回る、半分くすんだ色をした輪。
「おはよーよしお!」
この男こそ、わいにゃんキャッスルの城主、わいにゃんである。
「おはよーじゃねえよロングテイル……。朝っぱらから何してくれちゃってんのお前……、地獄のドラム奏者みたいな騒音立てやがって……。安眠妨害どころの話じゃねーぞ……」
ぶつぶつと言いながら、細めた目線でロングテイルと呼ばれる天使属の少女を睨む。
それなりの迫力だが、しかし、そんな睨みも少女にはさっぱり効果を発揮しないらしい。
「しょーがないじゃん、ウチだって朝から出したくて大声出してるわけじゃないし。だってあんたさっきから内線かけてんのに全然出ないんだもん。はぁーいいよねー魔界の領主サマはサー。ウチが朝から仕事してるってのにご主人様ときたら部下の苦労も知らずにすやすやおねむしちゃっててサー」
その言葉に、わいにゃんは訝しげに眉をひそめる。
「内線? 何か用事でもあったか?」
「さーてね。電話。どこぞのプリンセス様があんたを直々にご指名だってさ。先方には折り返し連絡は入れるって伝えといた。言っとくけど、さっさと着替えて速攻連絡入れたほうがいいと思うな」
ホロ=フォン。
電話の一種だが、声だけを伝える電話とは異なり、相手の姿を立体映像で見ることができる。
設置するためには専用の場所が必要であるに加え、装置自体もそれなりに高価なものであるため、一般市民はまず接することのない上流階級向けアイテムである。
であるからこそ、ホロ=フォンにて連絡が来たということは、相手がそれなりの社会的地位の持ち主であるということを意味している。
そのことを意識してか、わいにゃんは天使属の正装で身を包み、ホロ=フォンの通話ボタンを押す。
ホロ=フォン用に最適に調整された明るさになるよう部屋の照明が自動的落とされる。
それとともに、接続中を意味する『Conecting...』の立体映像の文字が十秒ほど点滅した後、突然画面が切り代わる。
たった三十秒で応答したということは、先方もわいにゃんの連絡を待ち詫びていたらしい。
点滅する文字の代わりに姿を表したのは、目も覚めるようなブルーのドレスに身を包み、頭に王位継承者であることを示すプラチナのティアラを乗せた一人の女性。
肌は白く、セイレーン属に特有の、細く絹のようになめらかなライトブルーの髪を腰の長さまで垂らしている。
プルルキャピーテ王国を治める、ミア女王である。
その姿を認めたわいにゃんは、ふんわりと優雅に一礼して口を切る。
「ご無沙汰しております、ミア女王陛下。先ほどは失礼致しました、なにぶん席を外していたもので」
「こちらこそお休みのところ申し訳ありませんわ、わいにゃん子爵」
その言葉に、わいにゃんは不思議そうな顔をする。
「なぜ俺が寝ていたことを……?」
さては、ロングテイルの奴がまた余計なことを口走ったか……?
わいにゃんの心を読んだように、ミア女王は微笑んで、言葉を繋げる。
「髪が寝癖でハネておりますわ」
「……っ、これは申し訳ありません、とんだ失礼を」
「いいえ、繰り返しになりますが、起こしてしまったのはわたくしです。わいにゃん子爵はお忙しい方であることを十分に理解しておりながら、この非常識な時間に連絡させて頂いたこと、済まなく思っております」
わいにゃんは、慌てて言う。
「いやいや、とんでもありません。しかし、この時間にわざわざ連絡を頂いたということは……」
そう言って言葉を切り、さりげなく要件を促す。
「ええ、『頼み事』の『お願い』ですわ」
「頼み事……、ですか?」
どこか困惑した顔で尋ねるわいにゃんに対し。
「……失礼を承知でビジネスライクな表現をすれば、『お仕事』の『依頼』と言ったほうが良いかもしれません」
そのニア女王の言葉を聞いた瞬間、わいにゃんの顔付きに、緊張感が漂った。
『お仕事』。
それが意味することは、一つしかない。
荒事である。
わいにゃんが治める魔桜エリアは古来より土地が貧しく、作物が育たない場所である。
また、獲物となるような動物も少ないため、狩猟で暮らすこともできない。
そのため、畑を耕し、狩りをするような生活では生きてゆくことができない。
だから、このエリアの人間は、技術を磨いて金を稼ぎ、その金で衣食住に必要なものを整えてきた。
土地の人間は伝統的に、金銭を得るための技術を磨くことを大切にする。
魔桜エリアに代表的な技術は二つ。
魔具の制作技術と、戦闘技術である。
流通と分業の発達した現在においては作物の育ちやすさはそこで生活することにあまり意味を持たない。
しかし、エリアの歴史は現在にも引き継がれており、現在の魔チェリーエリアには、魔具職人と傭兵が多い。
そのため、住民にも血の気が多い者が多く、魔界のトラベラーズマップには、観光客が訪れたくないエリアトップ10の中にランクインしている。
単に、血の気が多いだけではない。
魔桜エリアには、『紅い月』と呼ばれる夜がある。
このエリア上空のみに存在するレッドエーテルと呼ばれる成分が最大濃度に達したとき、そこを通過する月の光は『レッドライト』と呼ばれる特殊な波長を帯びる。
その光を帯びた魔族は、意思を奪われ、凶暴化し、暴れ回る。
また、『レッドライト』には、麻薬にも似た耽溺性と、常習性がある。
本来ならば、『紅い月』の夜には家に閉じ込もっているか、『レッドライト』を中和する特殊アイテムを装備する必要がある。
しかしながら、うっかり外出してしまった者、あるいは麻薬作用のある『レッドライト』を故意に浴びようとする者がおり、そうした連中は凶暴化し、町の中で暴れ回る。
非力な一般市民でさえ凶悪な殺人者と化す『紅い月』の夜だが、厄介なことに魔桜エリアには戦闘経験豊富な傭兵が多数暮らしている。
そのため、彼らを鎮圧するためには相応の武力が必要となる。
だから、魔桜エリアを治める領主には、武力が欠かせない。
それは歴代の領収の伝統だったし、また、このエリアの後継者になりたがる人間がさっぱりいないことの原因である。
魔桜エリアの領主の寿命は極めて短い。極端な場合、成人を迎える前に死ぬことすらある。
『紅い月』に発生する暴動で命を落とすためだ。
わいにゃんは、そんな魔桜エリアを、五年間も治めてきた。
城に閉じ込もり、現場には一切顔を出さない歴代の領主とは異なり、わいにゃんは常に最前線で戦う。
魔力にも腕力にも劣るわいにゃんは、非常に高価な魔具をエンチャントし、足りない力を補い戦場司令官として配下の精鋭とともに戦闘に参加する。
そんな彼を、知人や友人は半ば呆れたように、喧嘩大好き荒事天使わいにゃんと揶揄するが、本人はまったく気にした様子はない。
彼は第一に、喧嘩が好きなわけではない。
できれば平和に暮らしたいものだが、それが領主の仕事なのだから仕方がない。
第二に、他人にだけ手を汚させるのは彼の性格に合わない。
部下が血を流し命を失う場面であるにも関わらず、一人だけ城でのんびりしているなんて真似は彼にはできない。
他人からは、責任感がある、とか、律儀、とか言われることがあるが、その言葉はいまいちピンとこない。
仲間が戦うなら、自分も戦う。
言葉になおせばその程度の理屈に過ぎない。
戦う動機がどうであれ、わいにゃんの持つ兵力は、ある種の条件下では極めて優秀である。
わいにゃんの手下は粒を揃えた少数精鋭の人材であるため、国と国が戦うような全面戦争には向かないが、しかしテロリストを相手にした市街戦や限定的エリアでの特殊工作には最高の結果を出す。
定期的に訪れる『紅い月』の夜での働きにより、実戦経験も豊富である。
その経験を生かし、わいにゃんは、知り合いの貴族の厄介事を解決することがある。
厄介事と言っても、ペットのわんちゃんが脱走した、とか、思春期の息子が非行に走った、といったような話ではない。
人質となった一人娘を誘拐犯から奪還して欲しい、とか、領土を荒らし回るテロリストに対処して欲しい、といった、人命のかかった厄介事である。
そういった自体への対処は、本来ならば、魔界全土に捜査権限を持つMDAPD(魔界デビル&エンジェル警察)、もしくは軍が行うべき筋だ。
しかし、わいにゃんの友人ともなると魔界ではそこそこの権力を持った人物であることも多く、また、彼らには大っぴらにできない秘密がある場合もある。
状況が、そういったデリケートな問題に関係する場合、彼らは公権力に頼らず、あるいは裏でわいにゃんに私的に頼みごとをすることがある。
わいにゃんには、常人では対処できない場面を解決するための能力がある。
非常に面倒くさい話ではあるが、貴族間の人間関係や立場、それにしがらみというものもある。
だから時にわいにゃんは、そうした悩みを解決するために自ら働く。
そのような仕事の引き換えに、わいにゃんは金銭を受けとることはない。金銭に困っているわけではない。
そこで得た形のないもの、すなわち信頼や、貸し借りこそが、貴族という立場においては金よりも貴重な財産となるのだ。
もっとも、それはあくまで結果的にそうなったというだけのこと。
わいにゃん自身は貴族間の権力争いや勢力図にはあまり感心はない。
わいにゃんが『依頼』を受けるのは、打算があってのことではない。
非常に面倒くさいことではあるが、困っている相手は助けたくなってしまうという、彼本来のお人良しな性格に負うことが大きい。
そしてどうやら、先のニア女王の言葉から察するに、今回もまた、そういった種類の頼み事らしい。
それも、こんな時間に叩き起こされるほどの重大事である。
わいにゃんは、半ば諦めたあと、意識を仕事モードに切り換える。
一呼吸置いて、ニア女王は、静かな、けれどもよく通る、一国の指導者ならではのカリスマ性に溢れた口調でこう言った。
「昨夜未明、ブルルキャピーテ王国オドリビーチェ村のはずれで稼動中のオキシダイト発掘精製プラントが何者かに襲撃されました。死者は32名。いずれもこちらの警備員です。保管庫は破られ、内部に管理されていた十二トンの精製済みオキシダイトが強奪されました。襲撃者の正体は不明。事態解決のために、実力と実績のあるわいにゃん子爵のお力をお借りしたいと考えます」
その言葉を聞いたわいにゃんは、一瞬、驚いたようにまぶたを開く。
「死者? 死傷者ではなく? 生存者は?」
短刀直入にそう尋ねる。
この時点では、依頼を受けるか受けまいか、判断できない。
それは、わいにゃん自身の好き嫌いの問題ではなく、専門性の問題だ。
活動範囲が広域にまたがるようなら、わいにゃんよりもMDAPDの出番だろう。
それに、MDAPDが得意とする捜査活動に関しては、わいにゃんはまったくの素人だから役には立たない。
専門外の場面に下手に首を突っ込んでも、邪魔になるどころか妨害してしまう恐れがある。
だから、受け負う前に、まずは状況を確認することが必要なのだ。
そのことを理解しているのか、ニア女王は疑問を呈すことなくわいにゃんの質問に答える。
「死者のみ。32名。いずれも致命傷を負い、一撃、あるいは二撃で死亡しています」
死者と死傷者という二つの言葉は、似ているようで大きく違う。
たとえば、爆発事故の場合、そこに巻き込まれた人々は、死ぬか傷を負うかのどちらかだ。
生存者がいなければ、それは逃げ場のない密閉空間での爆発か、もしくは巻き込まれた人間が確実に死ぬような大爆発であったことを意味する。
同様に、戦闘の結果、見方に生存者がいなかったなら、それはよほど多勢に無勢だったのか、あるいは敵が非常に高い技倆を持ち合わせていたことを意味する。
「プラントの警備を相手に一撃必殺を取れる相手、ということですか」
公共施設の警備員は、プルルキャピーテ王国軍に所属経験のある、腕と素性の確かな者のみが就くことのできる仕事である。
ここ五十年間は大きな戦争もない王国において、実戦経験はないものの、元特殊部隊員のような実力者も多数在籍しており、ただ立って見回りをしているようなデクの棒揃いではない。
それが軒並み一撃となると、相手はかなりの数を揃えてきたか、あるいはよほど腕が立つということだ。
そんなわいにゃんの心を読んだように、ニア王女は、さらに答える。
「正体不明の相手ですが、人数は判明しています。おそらく三人。高度に武装化した、いずれも精鋭揃いです」
粒を揃えた少数のテロリストによる襲撃。
おそらく、武装の貧弱なMPADPだけでは対処に困る相手だろう。
そう納得したわいにゃんは、ため息をついて、相手に告げる。
「……分かりました。俺が動きましょう。今から装備をまとめます。まずは現場が見たい。六時間後にそちらに向かいます。警備体制など、いくつか知りたいこともあります。質問事項をまとめて送りますので、俺が到着するまでに、可能な限り、情報を集めておいて下さい」
その言葉に、ニア女王は、ほっとした顔をする。
「感謝いたしますわ、わいにゃん子爵。そちらからの要望は、すべて用意するよう手配致しますわ」
わいにゃんは、そっけなくうなずいて、答える。
「感謝するのは終わってからにして下さい。俺としても最高の連中を揃えますが、お宅の警備を楽勝で突破するような相手です。解決できるかどうかは運次第、といったところです。できるだけ死なないようにはしたいですが……」
そう言ったあと、わいにゃんは自分の不躾な言葉に気付き、はっとしたように顔を上げる。
「失礼しました。つい考え事をしてしまいました。悪い癖です」
ニア女王は、微笑んで、ゆっくりとうなずく。
「構いませんわ。むしろ、子爵がそのように集中している姿はわたくしの目には頼もしく映ります。それでは改めて、宜しくお願い致しますわ」
そうしてホロ=フォンの通話が切れ、室内の光量が明るくなる。
そして、室内には、ただ一人。
つい今しがたニア女王の映像が移っていた空間の向こうの壁を睨みつけるように。
頭の中に思案を巡らせながら、難しい顔をしたわいにゃんが、腕を組みながら黙って立っているのだった。