1.オキシダイト精錬所襲撃
【登場人物】
ジョニー・ラッシュ:プラント警備員
グラン・ロッティ:プラント警備員
ねーむわい原作によるわグルま!!小説『エンジェリックスカイ』をわグルま!!と関係ないオリジナル設定で書きなおした作品DEATH
ロケーション:魔界・スプレッタシー海中域・ブルルキャピーテ王国・オドリビーチェ村属『村立オキシダイト発掘プラントB棟』
その連絡通路はいつも暗い。
プラント専属警備員であるジョニー・ラッシュは腰のホルスターにぶら下げたフラッシュライトのスイッチを入れ、その暗闇に一歩足を踏み入れる。
一歩歩くごとに、履き込まれた安全靴の硬い爪先がコンクリートの通路を叩き、こつん、と乾いた音を立てる。
連絡通路が暗いのには理由がある。
とは言っても、それはとてもくだらない理由。
面倒くさいので、切れた蛍光灯を誰も交換しようとしないのだ。
連絡通路の天井までの距離は床から五メートルほどもある。
そのため、その高さの天井に設置された蛍光灯を交換するためには足場を組む必要がある。
言うまでもなく、それはなかなかの労力を要する作業であり、そのため、率先して交換しようなどという物好きはいない。
このプラントには専用の保守部署が存在し、プラント内に不都合があれば、直ちに修復を行う。
この連絡通路は災害発生時の非難経路を兼ねているため、本来ならば、災害時の安全を確保する意味でも保守部署はメンテナンスを行うべきはずだ。
しかしながら、緊急時には非常灯が点くようになっている。
さらには、徐々に老朽化しつつあるプラント設備にはいたるところに些細な不備が生じており、保守部署はそちらの対応で手一杯なのが正直なところだ。
そのため、蛍光灯の交換優先度はどうしても低くなる。
もっとも、緊急時に明かりが灯ろうが灯るまいが、ここで働く連中にとって、そんなことは関係ないだろう。
なぜなら、もし災害が発生しようものなら、倒壊した建物に潰される可能性のある連絡通路などは通らず、耐圧扉をアンロックした後、二本の足を魚の尾に変化させ、施設の外に広がる母なる海へと一直線に飛び出してゆくだろうからだ。
母なる海。
そう、このプラントは海底に存在する。
天使属や獣人属といった普通の地上人であれば、プラントから野外に出ることは即座に溺死、あるいは超高水圧による圧死を意味する。
が、ここで働く人々はみな海の種族……、セイレーン属である。海こそが彼らのフィールドであり、いくら深海であろうと、そこを泳いで脱出することは極めて容易いのだ。
さて。
先に述べた理由により、このプラントの連絡通路は、半年前に電灯が切れたまま、今日まで暗闇を保ち続けている。
海中の設備であるため、プラント内の湿度は極めて高い。
陸上の種族であれば、二日も滞在すればうんざりしてくるような、このじめじめとまとわり付くような空気も、ジョニー・ラッシュには一向に気にならない。
ジョニー・ラッシュは、自身の靴が立てる足音が刻むリズムを意識しながら、懐中電灯が照らす暗闇の中を、まるで深海探査船が未踏の海底を進むようにして、進んでゆく。
歩くときは、なるべく頭を揺らさないようにする。
『作品』の映像が乱れないためだ。
ジョニー・ラッシュが被った野戦用ヘルメットには、最新式の小型監視カメラが取り付けてある。
それは、支給された装備ではなく、個人的な趣味のものだ。
王立軍に所属する以前、ジョニー・ラッシュは芸術大学の映像学部に所属する学生だった。
最初は個人制作の映画を撮影していたが、やがてドキュメンタリータッチの作品を手掛けるようになった。
軍に入隊してからの五年間は撮影から遠ざかっていたものの、除隊後、民間の警備員に転職してから、は再び撮影を始めるようになった。
とはいっても、テーマを決めての撮影ではない。
ジョニー・ラッシュが試みているのはライフログと呼ばれる実験的な手法だ。
身に付けたカメラで自身の一日を主観的に撮影し、それを編集で好きなように繋ぐことで、何の変哲もないように見える日常風景に一種のストーリー性を与えるのだ。
ジョニー・ラッシュは、そのカメラをヘルメットの内側の目立たぬ位置に取り付けている。
撮影に関しては保安部の許可を取っているものの、カメラを向けられること自体を嫌う同僚もいる。
そういう連中に対する配慮として、小型の最新型カメラとマイクをヘルメットの見えない位置に取りつけているのだ。
ジョニー・ラッシュは、撮影のため、できるだけ身体を揺らさぬよう気をつけて歩きながら、この発掘プラントにいる人間ならおなじみになった微細振動に耳を傾ける。
この音が、ちゃんと録音されていればいいんだが。とジョニー・ラッシュは思う。
けれども、無理だろう。ジョニー・ラッシュが録音に使用しているマイクはあまり質が良くない。
その振動は、プラントの中央掘削エリアから七つに伸びた竜の首のような掘削ドリルが、足元に広がる巨大な岩盤を少しづつ、休むことなく削り取ってゆく振動である。
その目的は、言うまでもなく、『オキシダイト』の掘削。
それがこの、海底に存在する、面積にして1.3ヘクタールもの巨大な施設の唯一の目的である。
オキシダイト。
深海の水圧の中で何億年もの年月を経て圧縮形成された魔力エネルギー資源『オキシダイト』は、水中に存在するレアアースである。
純粋な魔力エネルギーの塊であるオキシダイトは、魔力エネルギー産業になくてはならない物質である。
蛍光灯から電子レンジ、魔動車からマジキネティクスウェポンシステムまで、現代社会に必須な魔力エネルギーの供給源は一つではない。
地上に広く存在するロンネ鉱石、ある種の微生物が生産するカレント糸玉、あるいはストーンスレンジ帯に存在する大魔力湖などが挙げられる。
それら多種多様の魔力供給源の中でもオキシダイトは特別な地位を占めている。
オキシダイトが占める特別な地位。
オキシダイトを極めてレアリティの高い存在としている点は、この鉱石が一般に『高輝帯』と呼ばれる特有の波長域の魔力を有している、という点である。
魔力には固有波長と呼ばれる色がある。代表的な三食は赤、黄、青、の三原色であるが、そこから外れた『高輝帯』の魔力は際めて高出力であるため、一瞬で高い出力が必要な、高機能エンジン、魔術触媒、あるいは兵器用途に用いられる。
『高輝帯』の魔力は、三原色の魔力を圧縮することでも生成できるが、その変換効率は極めて悪い。
そのため、高純度の『高輝帯』の魔力の供給源となるオキシダイトは、非常に高い価値を持つのである。
そして、このように高い価値を持つオキシダイトは、犯罪組織やテロリストの格好の標的となる。
精製されたオキシダイトは一キログラムで人口千人の町の一晩の明かりを賄うのに十分なほどのエネルギーを持つ。
そのため、市場取引価格は非常に高い。
また、オキシダイト自体は極めて安定な物質だが、特殊な装置に組み込めば強力な爆発物として使用することも可能である。
希少価値、そして兵器として利用できることから、まっとうでない人間たちにすれば、格好の獲物、すなわち強奪のターゲットとなる。
とは言え、そうした強奪が起きるのは、ほぼ間違いなく、地上での話だ。
このような海底に存在するプラントが襲われることはまず無いと言ってよい。
理由はいくつかある。一つは、交通の便だ。
プラントは海の底にある。
ここの従業員のおよそ九割五分を占めるセイレーンたちのような海の種族ならまだしも、地上の種族にとってみれば、ここまでやって来ること自体が困難を伴う。
耐圧船、もしくは特殊な海底車両を使用せねばならない上に、慣れない人間にとって、海中は極めて迷いやすい。
さらに、もし海中プラントに辿り付いたところで、些細なトラブルが即、命取りになる。
四方を水に囲まれたプラントで失敗すれば、外に逃れるすべはない。
文字通り、袋のネズミになる。
そのため、普通の頭をしている者なら、海底プラントを襲うなどと考えるはずもない。
しかし、油断は禁物だ。
いくら万が一の可能性であろうが、ハイリスクハイリターンの一攫千金を夢見た愚かな強盗が襲撃をかける可能性もある。
そのような不慮の襲撃に備え、警備員たちは、昼夜を問わず、常に施設内を巡回している。
言うまでもなく、ジョニー・ラッシュもその一人だ。
連絡通路は長い。
およそ500メートルの距離がある通路は、途中で直角に折れ曲がっている。
その曲がり角の数メートル手前で、ジョニー・ラッシュは、急に、ぴたりと立ち止まる。
かさり、と音が聞こえたのだ。
人ではないな。
ジョニー・ラッシュは、瞬間的にそう判断する。
プラントは、中央棟と、その周囲を取り巻く7つのサテライトセクターに分かれている。
連絡通路はサテライトセクター同士を繋ぐが、各セクターは独立して機能しているため、わざわざ別のセクターに用事がある人間は極めてまれなのだ。
出食わすのは、同業者、つまりは同じ警備員くらいだ。
連絡通路で警備員以外の人間と出会ったことは、過去二年の間に一度しかない。
それに、警備員ならばジョニー・ラッシュと同じくフラッシュライトを持っているはずだ。
だから、明かりがない以上、あの音の正体は人間ではない。
だから。
また海底ゴキブリでも出たのか?
そう考えて、ジョニー・ラッシュはまたたく間にうんざりする。
言うまでもないことだが、ゴキブリという生物は、古今東西どこにでも存在している。
話によれば、天界にすら、存在するのだと言う。
正直、それは眉唾だと思う。
天界にゴキブリが住む様子など想像できないが、それを言うならそもそも天界という場所自体がどんな場所なのか知らない。
ジョニー・キャッシュが天界について知っていることと言えば、魔界テレビのくだらないドラマで知った情報だけだ。
天界特捜捜査官らいにゅん、というタイトルのそのドラマは、天界を舞台にした、極めてくだらない作品だ。
ストーリーはいつも決まっていて、主人公である天使のらいにゅんが殺人事件に遭遇し、すったもんだの末、なんとか解決する。
ストーリーの途中で助手の天使ラングゲイルとの恋愛エピソードが挿入される。
しかし、鈍感ならいにゅんはラングゲイルを異性として意識していないので、視聴者はやきもきしながら二人の仲を応援する。
呆れるほどワンパターンだ。
しかし仕事で疲れた頭には、そういうくだらない話が丁度良いらしく、ジョニー・ラッシュは帰宅後、ぬちゃぬちゃしているが慣れるとクセになる食感の牡蠣ピーをつまみに缶入りの酎ハイを開けながらそのドラマを見ることを火曜の夜の楽しみにしている。
ドラマを見ていると、かつて抱いていた、有名な映画監督になるという夢を思い出して、切ない気持になることもあるが、実のところ、そういう気分に浸るのも、嫌いではない。
いずれにせよ、それはそれ、だ。
古今東西どこにでも出没したゴキブリは、おそらく荷物や物資に紛れ込んできたのだろう、当然のように、この地下プラントにも発生した。
そして、どういう理由でか、この地下プラント内で繁殖したゴキブリは、年々巨大化の一途を辿っている。
大きくても五センチ程度であったゴキブリは数年の間に、平均十五センチ以上、最大で三十センチものバケモノゴキブリへと変化してしまっている。
専門家の見解によれば、プラント内に微量に漂うオキシダイトがその原因である、ということだ。
魔力を何らかの形で取り込み、サイズを大きくしてしまったのだ、という。
迷惑な話だ。
巨大化したゴキブリは、今のところは人畜無害で人を襲うことはないものの、サイズが増した分、不快度は通常のゴキブリの比ではない。
なにせ、人間の手の平ほどのゴキブリだ。
歩けば、カサカサ、どころか、ガッサガッサと異様に存在感のある音を立てるし、顔にでも飛びかかられたらかなりの恐怖を感じるほどだ。
だから、プラントの衛生管理局は、十二センチ以上のサイズのゴキブリの死骸一匹につき700ゼックの賞金をかけている。
つまり、ゴキブリを一匹殺せばその日の昼食代が浮く、ということだ。
悪い話ではない。
それも、ゴキブリを叩きのめすときの、ぐしゃり、というあの気色の悪い感触を忘れられればの話だ。
少し迷ったのち、ジョニー・ラッシュは、そのゴキブリの死骸と引きかえに700ゼックを手に入れることに決めた。
それに、うまくいけば、なかなか面白い画を撮れるだろう。
ジョニー・ラッシュは、曲がり角の向こうからゴキブリが飛び出してきても身のがさないよう、左手でフラッシュライトを慎重に構えながら、反対側の手を腰のホルスターに伸ばし、警棒を固定するホックを外す。
ぱちん、という小気味の良い音とともにロックが外れ、右手の中に、慣れ親しんだ警棒の感触を滑り込ませる。
暗闇の中の巨大化ゴキブリは、光を当てるとこちらに向かって飛んでくる習性を持つ。
だから、タイミング良く警棒を振るうだけで、簡単にゴキブリを仕留めることができる。
慌てず、じりじりと角に近づく。
ゴキブリは、物音に敏感だ。
大きな足音を立てると、ただちに逃げられてしまう。
だから、慎重に近づき、角を曲がった瞬間、一気にライトを当てるのがジョニー・ラッシュの作戦だ。
それにしても、さっきから漂うこの臭いは何だ?
あと一メートル、八十センチ……。
あと少しで顔を出せる。
六十センチ、四十センチ。
妙な臭いはますます強くなる。
どこかで嗅いだことのある臭いだが……、ひょっとして、ゴキブリの糞じゃないよな?
二十センチ、十センチ……。
今だ!
ジョニー・ラッシュは、すかさずフラッシュライトの光線を、ゴキブリがいるとおぼしき地面に向ける。
「……なっ……!!」
それと同時に、絶句する。
頭のない警備員が倒れている。
警備員と分かるのは、そいつがジョニー・ラッシュと同じ制服を着ているからだ。
思わず、フラッシュライトが揺れる。
ライトの光が照らした一メートル先の地面に、サッカーボールのような球体が転がっている。
その球体には二つの目と一つの鼻、そして、ひしゃげた一つの口が付いている。
人の頭だ。
「これは……」
頭の整理が追いつかない。
首の無い死体からは、血溜まりが広がっている。
そして、その血だまりのまわりには、巨大なゴキブリが二匹、ぺちゃぺちゃ、と音を立てている。
血をすすっている……。
ライトを死体に向ける。
鋭利な刃物で一撃で切り落とされた首の切断面。
倒れた拍子に乱れたのであろう襟元から、ゴキブリが顔を出す。
服の中に入っていたのだ。
そして、この死んだ警備員の肉を……。
そのゴキブリが、ライトの光に反応して飛びかかる。
ジョニー・ラッシュは、警棒を持った右手で反射的にそれを叩き落とす。
ぐしゃり、と潰れるゴキブリの感触。
その感触に、ようやく我に返ったジョニー・ラッシュは、警戒するように周囲を見渡す。
そして、考える。
死体にはゴキブリがたかっていた。
ゴキブリが死体を探し出すのにかかる時間は何分だ?
早くて五分、というところだろう。
つまり、警備員は、五分より前に殺された。
周囲に敵の影はない。
つまり、この警備員を殺した下手人は、五分の間にどこか別の場所に移動しているはずだ。
死体を見たのは始めてじゃない。
軍にいたときは、もっと悲惨は状態の死人を見たこともある。
だから、動揺はしているものの、恐怖で固まってはいない。
だから、自分が次に何をすればいいか、ちゃんと理解できる。
と、地面に転がった頭と目が合う。
「ロッティ……」
グラン・ロッティ。
特別に仲がいいわけではないが、さりとて仲が悪いわけでもない、ジョニー・ラッシュの同僚だ。
「何者かは知らんが、仇は討ってやるからな……」
そう言って、腰に取り着けた通信機に手を伸ばす。
この状況でなさなければならないことは、まず第一に、警備本部への連絡だ。
周囲を油断なく見張りながら、左手に持ったマイクの通話ボタンを押す。
少なくとも、ジョニー・ラッシュの脳は、自身の左手にそのような指令を送ったはずだった。
……が、指は何も押さない。
……なに?
何気なく頭を下げて、左腕を見る。
手首から先が無く、赤い液体が吹き出している。
と。
「状況判断が遅い」
声。
「それに、反応も遅い」
別の、声。
同時に、ジョニー・ラッシュの耳は、しゅぴん、という鋭い音を捉える。
「警備員は二人とも似たり寄ったりの技量。この程度なら、思ったよりも随分簡単な仕事になりそうね」
三つ目の声がそう言うと。
身体が、ずるり、と、“ズレ”る感覚。
その瞬間、床が少しづつ近寄ってくる。
……え?
どちゃり、と、音がして、“身体が地面と激突する”。
……え??
ジョニー・ラッシュは、何故か地面に上向きで横たわっている自分に気付く。
……え???
すぐ向こうには、警備員のズボンを履いた、二本の足。
その足が履いているブーツには見覚えがある。
他ならぬ、ジョニー・ラッシュ愛用のブーツだ。
俺の足……。
何が起きているのか分からない。
それに、なぜか視界がかすみはじめている……。
と。
ぅいん、という微かな音とともに、目の前に別の誰かの足が現れる。
……急速にぼやけつつある視界で、ジョニーラッシュはその足を見る。
機械化され、強化された脚部パーツ。
軍に所属していたジョニー・ラッシュには見慣れた足。
ああ……。これ……。は……。
頭はもはや、働かない。
薄れゆく思考の中。
ジョニー・ラッシュが最期に思い浮かべた単語。
それは。
……『スレイル』…………。
その言葉を最期に、ジョニー・ラッシュは絶命した。