ゲーム脳、初のエンカウント発生に奇声を上げる。
川に落ちたはずの杏里は、気付くと全く知らない場所にいた。
「こ、これは……っ! まさか、噂の異世界トリップ!?」
しかし、彼女はこの状況に疑問を抱くことなく歓声を上げる。……ゲームのし過ぎだろうか。さすが、ヒキコモリゲーマー。
「チート!? 俺TUEEEE!? それとも流行りの乙女ゲー逆ハー展開!?」
最近読んだネット小説を思い浮かべ期待に目を輝かせた。杏里はアニメもマンガも小説も大好きだ。どんな設定でも楽しめる自信がある。
「…………キタコレーっ!!!」
異世界の森に、彼女のテンションの高い叫びがこだました。
◇◇◇
はしゃぎ終わると、杏里はまず森を探索し始めた。異世界トリップの定石である。迷子の鉄則はその場から動かないことだが、RPGにおいてはマップ移動しないことには冒険は始まらないのだ。……思考の基準が常にゲームである。
「う~ん。……召喚じゃないのかな?」
周りを見渡したところ、人も建物もないし、テンプレ召喚勇者・巫女イベント“おお、あなたこそこの国を救う勇者様!”は起こらないだろう。残念なことに。
だがしかし。召喚中に邪魔が入り、近くの森に落ちたという線もある。自分に自分で目が離せない。どこからかイケメンがわらわらと湧いて出てくるかもしれないし。
「ふっふっふ。今、新しい伝説が生まれようとして……あれ?」
自分的に不敵な笑みを浮かべ、謎の決めポーズを取っていると視界の隅に何かが映った。
杏里は不思議に思い、ふと足元を見やる。
その辺りに生えていた草の上にぼんやりと文字が浮かび上がっていた。
[ 薬草(緑): 使うとちょっぴり体力が回復する。5G ]
所謂、ゲームのステータス画面というものだろう。
そのアバウト過ぎる説明は、彼女には見慣れたものだった。
「え、ここって……」
今、彼女の目に映っているのはアイテムの説明だ。だからと言って、ゲームの幻覚が見えている訳ではない。……たぶん。
「ここって、チャック・クエスト!?」
チャック・クエスト。
それは“ゲームの世界にトリップだ~! ひゃっほう!!”とか思っている彼女がこの夏やりこんでいた正統派本格ロールプレイングゲームだ。
内容は勇者が魔王を倒すという、何の捻りもない王道ストーリーであり、どこかで見た設定が盛り沢山のかなりギリギリなゲームでもあった。
レベルは100までしか上がらず、プレイヤーキャラクターは勇者なので転職もできないとゲーム仲間の間では不評だったが、杏里はなかなかの良作だったと思う。……あのキャラデザは美し過ぎた。
しかも、デフォルトネームがなかったため珍しく自分で名前を付けていた所為か、他のゲームより愛着がある。数時間前までしてたし。
「緑の薬草、ゲットだぜ~」
使う予定もない“薬草(緑)”を摘みつつ、色々と危ないセリフを口にする。“獲ったど~”とどっちがマシだろう。
「採取~、採取~♪ ……ふっ、アトリエで鍛えた腕前を見るが良い!!」
相変わらずな独り言を叫びながら、杏里は薬草の採取に励む。
しかし、どこからそんな気力が湧いてくるのか、という程熱心に摘んでいた所為で、辺りがハゲた。
「あっ、なくなっちゃった。……まあいっか、どうせ一日経ったらまた生えてくるし~」
完全にゲームと現実の区別がついていない。どうやら異世界トリップの影響で、杏里のゲーム脳はさらなる進化を遂げてしまったらしい。……もう、病院に行っても手遅れだ。
あと、植物は一日じゃ生えません。森林破壊、ダメ絶対。
「う~ん、ここどこだろ?」
大量の薬草をポケットに捻じ込みながら、杏里は頭の中にチャック・クエストの世界“エテルニタ”の地図を思い描く。その能力を発揮すれば、地理でもっと良い成績を残せるだろうに。オタクの能力制限は自らの趣味でしか外すことはできないのか……っ。
「緑の薬草あるし、ケットの森かな~? 初めからインサニアム山脈とかキツイもんね」
植生から考えて、ここはゲームでいう“ケットの森”だろうと見当をつける。推奨レベルは1~5。弱い魔物しかいないので冒険初心者にオススメだ。
「そういえば、私のステータスどうなってんだろ? カンストしてたし、もしかしてレベル100とか!?」
杏里は肝心の自分のステータス画面を見ていなかったことに気付き、わくわくしながら確認する。方法は……たぶん、脳内のSTARTボタンでも押したのだろう。
名前:アンリ
レベル:3
HP:10/10
MP:15/15
職業:ヒキコモリ
武器:スマホ (+攻撃力0、特殊効果あり)
装備:着古したジャージ (+防御力0)
何度か瞬きしてみた。
徹夜明けの所為で、目にバグが生じたのかもしれない。ゲームに多少のバグは付き物だ。
「……………………」
どれだけ目を凝らしても、現れたステータス画面は変わらなかった。
装備……は、まあ良いとしよう。中学の頃から愛用しているジャージだ。杏里に恥じることなど何もない。“防御力0”だって、擦り切れてるんだから仕方がないだろう。
武器のスマホは、文明人らしくてむしろ良い。特殊効果が何なのか気になるところだ。
しかし、職業は……。他に何かなかったのかと声を大にして問いたいくらいヒドイ。普通ここは花の女子高生とか、天才ゲーマーとか、異世界の旅人とかだろう。なぜヒキコモリをチョイスしたんだ。
「ううっ、宿命を負いし者とか、カッコ良い二つ名が欲しかったのに……っ」
自分のステータスに絶望したかのように、地面をバンバン叩きながら悔し涙を流す。……杏里は一体どんな宿命を背負っているつもりなんだ。
しかし、高レベルの魔物が徘徊する山脈じゃなくて本当に良かった。このステータスでインサニアム山脈とか、無理ゲー過ぎる。つか、一瞬で死ぬ自信がある。誰かザオリクを唱えてくれ。
「……っ、これが私に与えられた試練なのかっ!!」
訳の分からないセリフを叫ぶ杏里は、オタク+ゲーム脳+中二病というトリプルコンボだ。救いようがない。
「はっ、こうしてはいられない!! この世界を救うためにレベルを上げないと!!!」
一応、チャック・クエストは“勇者として仲間と共に魔王を討つ、本格RPG”であった。この世界がゲームと同じものであるのなら、ここは今、魔王によって滅亡の危機に晒されていることになる。
杏里は世界を救うため、レベル上げに必要な生贄を探し始めた。
「待ってろよ、魔王ーっ!! ……あっ、スライム見っけ!!」
杏里は目を爛々と光らせながら、獲物へと近付いて行く。
ポヨン、ポヨンと近くで跳ねていたスライムは、その尋常ではない杏里の様子に怯えたように身体を震わせた。善良な魔物の命を刈り取ろうとは……お前は悪魔か、杏里! スライム逃げて、超逃げてー。
「くっくっく、逃げられると思うな……って、しまった! 武器がない!!」
スライムに狙いを定めた杏里は、肝心の武器がないことに気付いた。キョロキョロと辺りを見回し、すぐ傍に落ちていた木の枝を拾う。
「聖剣だーっ!!!」
そう叫んで、杏里は拾った木の枝――アイテム名は“木の棒”だ。一応、武器にはなるらしい――を天高く掲げた。気を確かに持て。
武器を手に入れた杏里は、プルプルと震えるスライムへと襲い掛かる。どっちが魔物か分からなくなってきた。とりあえず、迷惑なのは杏里だ。
「ギガスラッシュ!!」
杏里の究極の剣技“木の枝で叩く”は避けられてしまった。果たして、スライムが素早いのか、杏里がどんくさいのか。……レベル3の分際でギガスラッシュは図々しかったかもしれない。
攻撃を華麗にかわしたスライムは、意を決したような顔(?)で仲間を呼んだ。
杏里の周りをたくさんのスライムが輪になって取り囲む。わらわらと湧いて出たスライム達は、どんどん輪を狭め、杏里に近付いていった。十匹以上のスライムに囲まれるのは、スライム好き以外からすると、ちょっとしたホラーである。
「な、なにぃ!? くっ、仲間を呼んだか……!」
この状況で、頭の中にゲームの戦闘BGMが流れている杏里はもうダメだ。
絶体絶命のピンチにも関わらず、杏里は握った聖剣を振り上げた。しかし、一匹のスライムの体当たりによって、唯一の武器を落としてしまう。
「ちょ、先制攻撃とかっ!? 私からの攻撃がまだなんですけどーっ!?」
きっと、素早さが足りなかったんだよ。
初っ端のレベル上げで命を落とすとは……無念。どうする、この現実はリセットできないぞ!!
絶体絶命のピンチ。果たして、杏里の運命や如何に……。
待て、次回!!!