◇慣れない日常
穂坂 昭彦。ここ、私立狐陵高校に通う高校2年生だ。卓球部の主将を務めていて、全国大会にも出場経験がある。基本的に運動神経は抜群なのだが、勉強は出来ない。
1人目の主人公の紹介はこのくらいにして、2人目の主人公の紹介をしよう。
三島 晴子。昭彦と同じクラスの、器楽部部長を務める優等生。定期考査で常に学年トップを誇る学力と、器楽部をまとめるリーダーシップが彼女の武器だ。しかし、運動があまりできないのを気にしている。
こんな完全に相反する2人が、このストーリーの主人公である。
4月〇日…教室では、翌日に迫った新入生歓迎会の準備が行われていた。
大量の紙吹雪を各クラスで用意することになっていたが、昭彦のクラスは紙吹雪の量が足りず、本番前日の今日もクラス全員でチラシ千切りに精を出しているのである。
「さて、ノルマは達成したし、あとは帰宅部組でなんとかするから部活あるやつは行っていいぞ」
「了解!お言葉に甘えさせてもらいま~す」
部活開始の時刻になり、昭彦たち"部活組"はそれぞれの活動場所へ散っていった。
昭彦は卓球部の活動場所…体育館へ到着。
即座にジャージに着替え、準備を進める。
と、ここであることに気付いた。
「携帯電話を教室に忘れてきた」
先程、教室でポケットから机の上に置いて、そのままにして来ていた。
「わり、携帯忘れてきたから取ってくる」
「あぁ、道草食うんじゃねーぞ!」
「わかってるって!」
体育館を出て、教室へ駆け上がる。
ガラガラッ
教室の扉を開けると、中には誰もいなかった。
「おっ、あったあったマイ携帯♪……て、あいつら紙吹雪運んでねぇし…」
本来、作った紙吹雪は職員室の前に届けることになっていた。「仕方ない」とばかりに、紙吹雪の入ったポリ袋を運ぼうとしたとき…
ガラガラ…
「あっ…」
「三島…」
入ってきたのは晴子だった。
実はこの2人、互いにあまり相手のことを快く思っていなかった。
「ンだよ、てめえ…何しに来た?」
「私はただ、忘れたペンケースを取りに来ただけですけど…文句ありますか?」
「だったらさっさと持ってけよ」
「えぇ、言われなくても」
教室に流れる不穏な空気。まさに"一触即発"だ。
晴子はチラッと昭彦を睨み付け、ペンケースを取った。
昭彦も睨み返す。"犬猿の仲"も通り越し、ここまで来るともう"虎と熊の喧嘩"の勢いである。
晴子が教室を出ようとした、その時…
グラッ…
「地震!?」
「それなりに大きい!?」
教室が大きく揺れる。
机やドアが音を立て、次々と物が床に落ちる。
と、ロッカーの上に置いてあった紙吹雪の袋が、
………落下した。
「「紙吹雪が!!」」
2人の手が袋に伸びる。
「あっ…」
「きゃ…」
2人の顔が迫る。
揺れが収まったとき、紙吹雪の袋は床に落ちてはいなかった。
しかし…
2人の唇が、重なっていた!!
袋を4本の腕で支えた状態のまま、時が止まる。
刹那、2人は無言で離れた。
ゆっくりと袋をもとあった場所に戻して、大きく息を吸って…
「うわあああああ!!!?」
「最っっっっ低!!」
パァン!!
晴子は昭彦の頬に手形を残し、走り去った。
ペンケースは床に落ちてそのままだった。
「最低なのはお前だろ!?わけわかんねぇし…」
右手は拳を握りしめ、もう片方は手形が残る左頬を掻いていた。
―――体育館
昭彦が再び体育館に舞い戻った頃には、顧問の教師が来てミーティングを行っていた。
「穂坂、遅いぞ!!何やってたんだ!!」
「すいません、携帯…"携帯用カイロ"が見つからなくて…」
「もうカイロを使う季節じゃないだろ?そんなことはどうでもいいんだ。今日は終了の時間を早めて、大会の話をする。覚えとけよ」
「「「ハイッ!!」」」
こうして時間は過ぎていき…
数時間の練習を終え、顧問による大会に向けての話も聞き終わり、昭彦は家路についた。
学校から昭彦の家までは歩いて10分程の距離。
さっさと帰宅し、重たい鞄を荒々しく2階にある自分の部屋の床に投げ置く。
と、階段の下から声が聞こえた。……母だ。父は数ヵ月前から出張で県外に行っているので現在は不在だ。
「昭彦?母さんちょっと出掛けてくるから、ご飯は適当に済ませてもらえる?」
「へいへい、了解」
下から家の戸が閉まる音が響いた。
階段を降りると、食卓テーブルの上に"野口さん"が一枚だけいた。
「コンビニ弁当でも買って食うか…あ、その前に風呂入っちまおうかな」
少し悩んだ末、先に風呂に入ることにした。
[オフロガワキマシタ]
「よし、入るか」
脱衣場で服を脱ぎ捨て、軽く体を洗い流して浴槽にゆっくり浸かる。
「くぁあ~、生き返るなぁ…」
何と言うか高校生が言うものではない言葉を発しつつ、浴槽を出て石鹸で体を洗う。
それも難なく終え、再び浴槽に浸かった。
「あぁあ…そういや、今日は災難な日だったな…」
「「なんでよりにもよってファーストキスの相手が三島なんだよ(穂坂君なのよ)、あり得ねぇだろ(あり得ないでしょ)」」
同じく風呂に入っていた晴子も、昭彦と同じことを考えていた。
「初めては本当に好きな人としたかったのに…なんであいつなんだか…神様も酷いことするな…」
湯船に浸かり、1人で文句を呟く。
そうしているうちに、少しのぼせてきた。
「さて、そろそろお風呂あがろうかな…」
湯船からゆっくりと立ち上がる。すると、予想より浴室内の空気が冷たくなっていて…
「クシュン!!」
思わずくしゃみをしてしまった。しかし、特に気にせずそのまま浴室を出ようとした、その時だった。
「え?あれ!?わっ!!」
ガシャンッという音を立ててボディーソープが倒れる。
浴槽からあがったところで、転んだのだ。
…おかしい。確かに浴室の床が低くなっている。そうでなければ転びはしない。
「いった~…なんで床が…」
顔を上げると鏡があった。それを見て、晴子は目を疑った。
「な…なんで鏡に穂坂君が映るの!?」
続いて目に入ったのは、血管が浮き出たいかにも"男らしい"手。
よく見ると腕も筋肉質になっている。
視線を手先からゆっくり戻していくと、次に目に入るのは…胸だ。
「うっそ…これってまさか…あっ」
胸もやはり無くなっている。その更に下にあるモノを見て、確信した。
見たと言うよりは、すぐ目を逸らしたため"視界にあった"と言うのが正しいのだが。
「私…穂坂君になってるんだ…」
晴子…いや、昭彦と言うべきなのだろうか?
"昭彦の体"は浴室を出てバスタオルを胸まで巻き、携帯電話を探す。
意外にも探し物は脱衣場の洗濯機の上に放り投げられていた。
「穂坂君、ゴメンッ」
<晴子>は携帯電話を開いた。幸運にもロックはかかっていなかった。
電話帳から"穂坂 昭彦"を探す。しかし、は行の所にその名前は無かった。
「無い!!なんで!?……あ」
今は自分が"昭彦"。つまり今は、"三島 晴子"を探さなければならないのだ。
気を取り直して今度はま行のページを開く。
三島 晴子を選択し、通話ボタンを押した。
数回通信中の音が鳴り、<昭彦>が電話に出た。
「もしもし!?ほさ…三島さんの携帯…あぁもう!穂坂君なんでしょ!?」
{おい、どうなってんだよ!?まさか俺達…}
「心が入れ替わってるってこと?」
{わけわかんねぇよ、そんなことが現実に有り得んのかよ!?}
「今私達に!現実に起こってるじゃない!!」
{……なぁ、俺の声で女言葉使うのやめてくんねぇか?なんか…気持ちわりぃ…}
「知らないわよそんなこと!!それより、あぁ、電話じゃよくわかんないから、今から会えない!?じゃそっち行くから!!」
{おい、ちょ…}
ツー…ツー…
電話を一方的に切られた晴子…いや、<昭彦>は今窮地に立たされていた。
色々な理由で脳の機能は完全に停止し、漫画チックな表現を使うと"頭から煙が上がっていた"。
脱衣場から携帯の着信音が聞こえたため取り敢えず浴室を出てバスタオルを巻いた。
下を見ると意識を失いそうだったからだ。
その通話が終わって今に至るのだが、改めて辺りを見回すと次々と目に飛び込んでくる今まで見たこともない、これからも縁の無さそうな物の数々。
「あぁ…三島ここに来るんだ、さっさと服着ねぇと…」
吹っ飛ぶ寸前の意識を何とか制御し、服を着てゆく。
しかし、下着以外の着替えが見当たらなかったため、脱いだと思われる服を着た。
そこで家のチャイムが鳴った。
「うわ、俺!?…あ、三島か…」
「穂坂君の家の辺り、よくわかんないから迷ったじゃない…ハァ…」
2人は居間のソファーに座る。……そして、沈黙。
沈黙を破ったのは晴子だった。
「私達…ホントに入れ替わっちゃったんだね…」
「そうだな…」
「これからどうなっちゃうんだろ…」
「さぁ…」
………。
………。
「ねぇ…今落ち着いて考えたら…穂坂君、私の…ハダカ…見たんでしょ?」
「あ…」
「最低…でも、そんなことで怒ってる場合じゃないもんね…
でも、それでもせめてブラはつけてくれない?男に見られるの恥ずかしすぎる…」
「こちとら恥ずかしくてそんな代物さわれないっての…」
………。
………。
「とっ…取り敢えず、今日はどっちも親居ないみたいだし、家に帰るね。どうやったら戻れるかわからないから、暫くはこのまま過ごそ」
そういって晴子が家を出ようとした、その時だった。
「「クシュン!!」」
2人は同時にくしゃみをした。
「うぅ…今日は随分くしゃみが出るな…あ、あれ!?」
「おい、戻ってないか?」
「戻ってる!!」
目を開くと、入れ替わっていたはずの2人の心はもとに戻っていた。
自然と2人の口元が緩む。
「……そうか、さっきも風呂場でくしゃみしたら入れ替わった…つまり、2人同時にくしゃみしたら心が入れ替わるってことか!」
「なるほど…面倒なことになったわね…信じられないわ…」
「まぁ戻ったんだ、今日は帰るわ。これからは2人同時にくしゃみしないように気を付けようや、じゃあな」
「あ、ちょ…」
バタンッ
昭彦は三島家を出て、自宅に帰っていった。
残された晴子は深いため息をつくと、緊張の糸が切れたのかそのままソファーの上で眠ってしまった。
自宅に着いた昭彦も、夕食を食べるのも忘れて部屋のベッドの上で寝てしまっていた。
そして静かに、夜は更けていった…
しかしこの休息は、これから始まる大嵐の前触れに過ぎなかった…