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【第一話】魂の光は滅びの中で

 

 鳥のさえずりが、どこかで聞こえていた。


 開け放たれたテラスの向こう、遠くに霞む白い都市群は、朝靄の中でぼんやりと溶けていた。

 人工的に整備された庭園には風が渡り、低く咲いた花々の合間を、メイド型アンドロイドが静かに歩いている。


 その一角。

 陽の光を受けて微かに輝く銀の髪が、ゆるやかに揺れた。


 皇綴すめらぎ・つむぎ――西暦3000年、この地球で“人間の皇族”としての名を持つ、ただ一人の少女。

 どこか儚さを感じさせる細い体に、白と朱の正装を身につけ、彼女は静かに湯呑を傾けていた。


 「今日は風が優しいですわね。」


 その独り言に、傍らのメイドアンドロイドが丁寧に頭を下げる。


 「はい、お身体の調子も安定しております。ツムギさま。」

 「ありがとう。あなたがいつも見守ってくださるからですわ。」


 微笑むツムギ。その笑顔には、威圧感も虚飾もない。ただ静かな気品と、穏やかな慈しみが宿っていた。

 ――西暦3000年。人類の社会構造は大きく変わっていた。


 世界政府による統一管理。大半の肉体労働・行政業務はアンドロイドによって行われ、人間は管理対象として静かに暮らす時代。


 だがツムギは、その中でも珍しく“尊敬される人間”の立場にあった。

 それは彼女が皇族だからではなく、だれにでも優しく寄り添うことが出来る人格の持ち主であるからだった。


 (今日も、誰かが笑ってくれたら、それで――)


 その時は突然だった。


 空気が裂けるような、低い金属音。

 そして、爆音。テラスの奥、庭園の木々が爆風で吹き飛び、灰色の煙が押し寄せる。


 「ツムギさま、下がってください!」


 メイドアンドロイドが身体を張って庇ったその刹那、数体の黒装束の戦闘用アンドロイドが突入してきた。

 目に赤い照準光を灯し、武器を構えながら無言でツムギを取り囲む。


 「……これは、何事ですの?」


 彼女の声は震えていなかった。だが、その両手には明確な緊張が走っていた。

 直感でわかった。これは事故でも演習でもない。


 誰かが、自分を狙っている。


 「ツムギ皇女を排除対象と認定。感情的行動を封じるため、即時の消去を実行する。」

 

 低く無機質な音声が、耳の奥に突き刺さる。

 メイドアンドロイドが即座に防御姿勢に移ったそのとき――銃声が轟いた。


 視界が赤く染まり、ツムギの足元に血が飛び散った。


 ――赤い、液体?


 視界の端に、飛び散った金属片と、機械油が混ざった液体が見えた。


 その中心で、メイドアンドロイドは膝をついていた。


 先ほどまで完璧に整っていたその姿は、爆風と銃撃で無残に破壊され、片腕は千切れかけ、腹部の装甲は抉られて内部回路が剥き出しになっていた。


 「お下がりを……ツムギさま……お下がりを……」


 ぎこちない動きで、アンドロイドはツムギの前に身を投げ出すようにして倒れ込んだ。

 血ではなく、黒い潤滑液が地面に広がっていく。

 

 「……ミコト、そんな……!!」


 悲痛な声が、ツムギの唇から漏れる。


 メイドは、ミコトと名付けられ、ツムギの側に仕えるアンドロイドの中でも、もっとも古く、もっとも親身な存在だった。

 ツムギの幼いころから傍らに在り、風邪をひいたときも、泣いたときも、そっと肩に手を置いてくれた“家族”だった。


 「わたくしが……あなたを、守るべきでしたのに……」

 

 足が震える。耳鳴りがする。肺がしぼむように、呼吸が浅くなる。


 アンドロイドたちはもう銃を構えていない。任務完了の確認動作に入っている。


 ツムギはその瞬間、自身の胸からも大量の血が噴き出していることに気づいた。

 

 「...だれが・・こんなことを・・」


 その問いに答える者はいなかった。


 ただ、どこかから響く通信音。上位プロトコルの確認命令。命令主の識別コードは――世界政府中枢:コーネリウス。


 (ああ、そういうことですのね。)


 ツムギの意識は、急激に暗転していく。


 熱を失っていく四肢。霞んでいく視界。けれど、心の奥底だけは、どこか冷静だった。


 その時――


 目の前のアンドロイドの、左目のセンサーがゆっくりと明滅した。


 「……ツム……ギ、さま……」


 壊れかけた喉回路から、最後のように、名が呼ばれた。


 ツムギの手が、その金属の頬に触れた。ひどく冷たく、けれど懐かしい感触だった。


 (まだ、わたくしは、ここにいますわ……)


 次の瞬間、彼女の意識は完全に途切れた。


 そして、何かが動いた。


 黒く濁った機械油の中で、メイドアンドロイドの胸部の中枢ユニットが微かに脈を打った。

 死んだはずの回路が、再びゆっくりと起動を始める。


 コードではない。指令でもない。

 それは――魂の鼓動だった。


 感覚が、音も、光も、遠のいていた。

 まるで深い水の底で眠るように、ツムギの意識は暗闇の中を漂っていた。


 だが、その奥底で――何かが、確かに“目覚めよう”としていた。


 からん、からん……


 金属が触れ合うような音がした。いや、それは鼓動だった。

 壊れたはずのメイドアンドロイドの胸部中枢で、再起動の兆しが走っていた。


 《……ユニット再接続……精神プロトコル、エラー検出……意識情報、流入中……》


 それは、電気信号でも記録データでもなかった。

 人工知能では説明できない、人の意思、祈り、魂の核が、機械の器の中にそっと収まっていくような感覚だった。


 「……っ……は……ぁ……」


 小さく、息を吐く音。

 重く閉じられていた目蓋が、軋むようにゆっくりと開かれる。


 その瞳は、先ほどまでとは異なっていた。


 「わたくし……は……?」


 口をついて出たその声は、少しだけ機械的な響きを帯びていた。

 舌の動きがわずかに異なることに気づく。

 喉の奥ではなく、胸部から音が生成されている。

 

 「……また、生きて……いるのですわね……?」


 目の前には、銃痕が残る庭園。壊れた噴水。崩れた壁。

 血の代わりに黒い潤滑液が染みたタイルの上に、自分――いや、ツムギの“かつての肉体”が、静かに横たわっていた。


 彼女はそれを、見下ろす形になっていた。


 まるで、魂が自らの死を見つめているような構図だった。


 「まさか・・これは・・一体?」


 ゆっくりと、冷たい空気が皮膚――ではなく、外装の表面を撫でていった。

 呼吸はない。心拍もない。なのに、何かが確かに“動いて”いる感覚がある。


 ツムギは自分の身体を触り、確信した。


 (私の意識が・・、ミコトの中に入り込んだ・・!?)


 その時、何十メートル先から何かが近づいてくる音をツムギの耳は捉えた。

 ――ドローンだ。先ほど撤退していったはずの戦闘部隊の、確認小隊。

 処理が完了したかを確認し、残骸を回収するための部隊だろう。


 (逃げなければ……わたくしは、ここで……)


 そう思った瞬間だった。

 背中から火花が散った。それも仕方ない。さきほど軍隊に半壊させられた身体だ。

 左脚の関節が一瞬ぐらつき、膝が崩れかける。

 

 ――駄目、まだ……わたくしは……!


 その叫びとともに、ツムギの意識が再び高ぶった。

 すると、制御系統に干渉するように、身体の各部が応じる。

 センサーの帯域が広がり、骨格駆動ユニットの出力が自動的に最適化されていく。


 「立てますわ……わたくし……立てるのです……」


 震える手を見つめる。その手は、冷たくて硬くて、けれど……自分の“意志”で動いていた。


 ドローンの音が近づいてくる。


 高い周波数のプロペラ音、熱源検知のレーザー、周囲の空気が細かく震える感触が、ツムギのセンサーにまともに突き刺さった。


 これまでの感覚とはまるで違う。

 “空気を読む”のではなく、“空気そのものを演算する”**ような知覚。


 体はまだぎこちなく、力を込めるたびに内蔵ユニットが唸った。


 (来ますわ……また、あれが……わたくしを殺しに……)


 ツムギの心に微かな怯えがよぎる。

 しかし、それは震える声ではなく、警告音のように冷たく澄んだ“情報”として処理されていった。


 ドローンが視界に入った瞬間、ツムギの体が独自に反応した。


 《敵性ユニット接近──自動防衛モード、解除待機》

 《起動条件:意識判断──"危険"──承認》


 何かが“落ちる”ような感覚。

 次の瞬間、ツムギの体が自律的に低く身構えていた。片膝を軽く折り、肩を引き、腕を伸ばす。


 誰も教えていない。だが、この体は“戦うために作られたもの”だった。


 (わたくしは……戦えるの?)


 ドローンが音もなく放ったレーザーが、ツムギのすぐ右をかすめて石畳を焼いた。

 思考より早く、体が反応する。ツムギはその場で一瞬、身体を回転させ――


 そして、伸ばされた右腕が、ドローンの本体を的確に打ち抜いた。


 金属がねじれ、爆発音が響く。


 ツムギの体の中で、何かが静かに再起動していく音がした。

 燃える残骸の前に、彼女はただ静かに立っていた。


 「これは……わたくし……?」


  自分の動きが、自分ではなかったように感じた。

 でも、それは恐ろしいことではなかった。

 “守るため”に動いたことが、確かに自分の意志だったと分かっていたから。


 「……ありがとう、ミコト」


 ツムギはそう呟いた。

 それは、元のメイドアンドロイドに対する名残であり、まだ彼女が“この体を借りている”という感覚のままにある証でもあった。


 ツムギは顔を上げる。

 夜の帳が落ちかけた空の下、人工都市の光が遠くに滲んでいた。


 この世界は、もう“かつてのツムギ”を知らない。

 だが、魂はここにある。


 次に彼女が歩み出す一歩は、もはや誰かに与えられた役割ではなく――

 自分の魂が選ぶ“道”だった。


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