7.5話~国王の側近の苦悩~
ジュード・サイラン。
侯爵家の次男である彼は、その有能さから国王の側近として働いている。
国王自らの人選であり、非常に名誉なことである。…と周囲は思っている。
だが、ジュードは知っている。どうして自分が選ばれたのかを。
「じゃ、アーネストの件は任せたからね」
「えー……」
国王であるシーモアからそう言われ、ジュードは顔をゆがめた。
いつもこうだ。厄介な案件は、すぐにジュードに丸投げされる。それは、ジュードなら解決できるという信頼の表れではあるが、丸投げされた側からすれば厄介この上ない。
アーネスト。
国王の腹違いの弟であり、王位継承争いの被害者。
当時、まだ第一王子だったシーモアと第二王子の王位継承争いに巻き込まれた。アーネストはシーモアと母は違えど仲が良かった。それにより、アーネストがシーモア側に付くことをおそれた第二王子がアーネストを排除しようしたのだ。
アーネストの元に暗殺者が差し向けられ、先代国王の側妃であった実母と乳母、侍従と侍女を殺されている。
この事件は側妃を愛していた国王の逆鱗に触れ、第二王子は実の父によって処刑されている。同時に第二王子派の勢力も潰された。結果的に、シーモアの地位は盤石となった。
しかしこの事件でアーネストは心に深い傷を負い、逃げるように王宮を脱し、周囲に人を寄せ付けないようになってしまった。側妃を失ったショックで国王はアーネストのケアにまで気が回らず、放置されることとなった。
シーモアは自分と第二王子との王位継承が原因であることを気にし、アーネストをなるべく手助けしようとした。しかし、同時に負い目もあるため、なかなか踏み込んだことができずにいた。
結局彼ができることは、アーネストが心を許せるような女性と出逢えるよう、未婚の令嬢をあてがうことしかできなかった。
もっとも、その未婚の令嬢をあてがう役割を負ったのがジュードであり、彼はアーネストを慮ってくれるような令嬢を探しては、自ら案内して引き合わせることになった。
(はぁ、またダメでしたね)
アーネストに罵声を浴びせられ、泣きながら馬車に逃げ帰ってしまった令嬢を見てジュードはため息を吐いた。
これでもう10人になっただろうか。
出合い頭に「帰れ!」「出てけ!」としか言わないアーネストに、温室育ちの令嬢が耐えられるわけがない。
しかしそれを陛下に言っても、「何とかしてほしい」としか言われない。それはジュードとて分かってる。アーネストをこのままにしていいとは思っていない。
彼が負った心の傷を癒せるような女性がいれば。そう思って未婚の令嬢がいる家に打診を掛け、来てもらっている。
しかしそれも、こうも徒労に終わってしまっては疲れてしまう。
だが、唐突に終止符は打たれた。
きっかけは、ルートロード伯爵が自分の娘をアーネストの婚約者にと推薦してきたのだ。
ルートロード家に未婚の令嬢がいるのは把握していた。
しかしルートロード家は素行に問題があるため、打診は避けていた。しかし、自ら娘を推薦してきたとあっては、無碍にもできない。それに、婚約を打診する令嬢の当てもなかった。
ジュードは仕方ないと思いつつ、念のためにルートロード家の素行調査も始めた。
しかし、そこである存在が浮上した。ルートロード家には庶子がいることが判明したのだ。名をクレアといい、母親はルートロード家で使用人だったという。ルートロード伯爵が手を出して生まれたのだが、黒髪を持って生まれたために母子と共に追い出されたという。
そして、どうやら伯爵はこのクレアをアーネストの婚約者にしようとしているらしかった。正当な嫡子ではなく庶子を、それを王族の婚約者に推薦しようとはずいぶんと舐められたものだ。
当初は断ろうかとも思ったが、報告を受けた国王は乗り気だった。とはいえそれは、「面白そうだ」という極めて軽いものだったが。
ジュードも、最初こそ乗り気ではなかったが、ここまでまともな令嬢はほぼ失敗している。
ならばいっそ、まともではない者であったほうがいいのではないかと自棄になりつつもあった。
そして当日。婚約者候補を迎えにルートロード家の屋敷を訪れると、そこにはやはり黒髪の少女がいた。しっかりと手入れをされたのか、艶やかな艶を帯びており、美しかった。
瞳は茶色で、品のいい白のワンピースを身にまとっている。
しかしやはり庶子で、しかも市井で生きてきたからか、淑女としてのマナーは皆無だった。
カーテシーではなく、ただ頭を下げてきたことにジュードの眉間にしわが寄る。
「も、申し訳ありません。この娘、訳あって母親に預けていたのですが、何を間違えたのか礼儀知らずに育ちまして」
そんな伯爵の弁明は予想通りだ。どうやら、庶子であることをジュードが気付いていないと思っているらしい。
「ルートロード伯爵、王家にごまかしが通用すると思わないでいただきたい」
そう言えば、ルートロード伯爵は見るからに青ざめていた。
この小物ぶりがジュードは嫌いだった。伯爵の顔を見たくなくて、さっさとクレアを馬車に乗せて出発した。
道中、クレアと話しをしてみると、やはり彼女は市井で暮らしているらしく、しかもほとんど貴族としての教育は受けていないようだ。
「あの、私貴族の作法とか知らないし、王子の婚約者とか無理ですよ」
「大丈夫です。殿下も全然教育を受けてません」
「いや、それは大丈夫じゃないでしょう」
それにしては頭の回転が速い。商人の娘だからだろうか。しかも見るからに貴族であるジュードに対し、臆する気配が無い。媚びる様子もない。
これまでの令嬢には、国王の側近であるジュードに恐れおののく者もいた。中にはほぼ権力をもたないアーネストよりも、ジュードに取り入ろうとする者もいた。
(これは、もしかしたらするかもしれませんね)
クレアと馬車で会話を交わす度、もしかしたらという期待がこみ上げてくる。
自分に物おじしない性格。ルートロード伯爵から叱責されても彼女は平然としていた。怯えることも無く、冷静に自分の父親を見据えていた。
クレアは黒髪を持って生まれたために苦労したという。そのため、祖母から厳しく教育を受けたとか。それがこの物おじしない性格を作ったというのであれば、その祖母に感謝すべきだろう。
そしてその予感は的中した。
アーネストと顔を合わせても、クレアは一切動じない。それどころか、うるさくわめくアーネストを一喝して黙らせた。
これにはジュードは拍手喝采したいほどに内心喜んだ。そんなことができた令嬢は誰もいなかった。それはジュード自身もだ。そして、さらに驚くべきは、一喝されただけでジュードが大人しくなったこと。
もしかしたら、自分たちはアーネストとの関わり方を間違えていたのかもしれない。そんなことが頭をよぎる。
そのままクレアを置いていけばなんとかなると思ったが、どうやら彼女は本当にアーネストに興味がないようだった。これまでの令嬢とは別の理由で帰ろうとする彼女を餌で釣り、なんとか屋敷に留めることに成功した。
この報告をしたときの、国王の嬉しそうな顔をジュードは忘れられない。
「ええっ!?本当にアーネストを恐れない令嬢がいたのかい?」
執務中だというのに、国王としての顔を忘れて素が出てしまっている。それほどの衝撃だというのは、確かにジュードも同じだ。
「はい。殿下を恐れず、そのまま屋敷に滞在していただくことができました」
「…そうか、やっと…希望が持てそうなんだね」
「はい。ただ、隙あらば逃げ出そうとしたので、餌で釣りましたが」
「…欲がないといえばいいのか、アーネストに全然興味が無いのか、どうなんだろうね」
「おそらくですが、世界が違いすぎて当事者意識が無いのだと思います。今回は候補ですが、そのまま本当に婚約者になるとは微塵も思っておりません」
なりたくないわけでもなく、なりたいわけでもない。初めから婚約者になれると思っていない。
そう彼女は考えている。ある意味、今後のことを考慮していないからこそのアーネストに対する無礼とも言えるが、アーネストが先に無礼を働いているのだから咎める必要はない。
無礼には無礼。下町育ちだという彼女らしい行動様式だ。
ひとまず第一段階はうまくいった。そう安心したジュードを更なる衝撃が襲う。
1週間後、様子を見に行ったジュードの前には大人しく座るアーネストの姿があった。
クレアが整えてくれた応接間はかび臭かったが、一切座る余地がなかったのを思えば、彼女の頑張りが窺える。
それだけではない。「出てけ」と「帰れ」しか言わなかったアーネストが座っている。それがどれほど驚くべきことか。クレアと肝心の当事者が理解していないのが、なんとももどかしい。
「…クレア様!」
「なんですか?」
「い、いいい一体殿下に何をしたんですか!?」
「………何したんでしょうね?」
一体クレアは何をやってくれたのか。聞いてもやっぱり当人に自覚がない。それどころか、問い詰めようとしたジュードを、アーネストが引きはがした。
(あの殿下が…他人を気遣っている!!)
これはもしかしたら、本当にもしかするのではないか。そんな期待がジュードの頭をもたげる。
しかも、アーネストは騎士になりたい、人の役に立ちたいと望むほどに変わったのだ。わずか1週間で。これまでのジュードの苦労が何だったのかと思う一方、そんなことよりもアーネストが乗り気になっている今のうちにどんどん話を進めるべきだと思った。
現状、クレアが一人で屋敷を管理している状況はよろしくない。
そこで、使用人を一人雇わないかと打診する。やはりアーネストは渋るが、クレアを餌にするとあっさり承諾した。やはりアーネストにとってクレアは特別な存在になりつつある。
しかしやっぱりクレア本人はその意識が薄い。これは早急に外堀を埋めないと、仮の期間として定めた半年を終えたときあっさり帰られてしまう。
それだけは何としても避けたい。二人の前を辞したジュードは早速国王に報告し、使用人の選定を始めた。
そこで候補に挙がったのは、ネイサン・ハッシュベスト。
ハッシュベスト伯爵家の次男で、ジュードの実家で執事として雇われている。
極めて有能なのだが、有能すぎて当時雇っていた伯爵家に家乗っ取りの疑惑を掛けられて暇を出された残念な経歴がある。しかも、当人の素にクセがある。どうしてそんなクセがあるのか疑問だが、今はむしろそれがいいと思った。
すぐさま実家に連絡を取り、ネイサンをアーネストへと派遣することを決めた。
もちろん、当人にも話をしておいた。
「ネイサン、あなたにはアーネスト殿下の屋敷で執事として働いてもらいます」
「承知しました」
頭を下げたネイサンは微笑を浮かべ、その本心はうかがい知れない。この底の見えなさが疑惑を掛けられたところでもある。
だが、実際にはそんなことはない。当人は至極真面目に仕える主人のために真剣に尽くしてくれる。ただ、彼の特殊なクセを抑えているために、そんな風に見えてしまうのだ。
「あらかじめ言っておきますが、アーネスト殿下もその婚約者…候補であるクレア様も、どちらも非常に人柄にクセがあります。ですが、あなたならきっと対応できると思います」
「そのように評価していただき、ありがとうございます」
「そこでは、あなたは素でいいですよ」
「……よろしいのですか?」
「ええ。むしろそうでないと信頼されないでしょう」
アーネストもクレアも、良くも悪くも自然体だ。それだけに、型にはめた対応は嫌うのではないか。
それなら、使用人も型にハマってない人物が適任ではないかと考えた。そこで白羽の矢が立ったのはネイサンだ。
「わかりました、頑張るっす!」
「ええ、頼みましたよ」
ネイサンはよく働いた。
屋敷の総整備の案を早速挙げ、実行に必要な業者の選定から諸経費まであっという間にまとめ上げた。しかも、二人とも良好な関係を築いていけそうだと。ネイサンは素が調子者なところがあり、それが心配でもあったが、うまく馴染めているようだ。
やはりアーネストは、自分から人に踏み込むのを恐れている。だからこそ、クレアやネイサンのような、自然体で踏み込んでくる人のほうがいい。
そういった報告を受け、陛下もだんだん気になりつつあるようだ。そして、ついにアーネストとその婚約者候補であるクレアの様子を見に行きたいと言い出した。
きっと驚くことだろう。異母弟の変化を。そしてクレアという女性の、常識外れさに。