2話~カビ屋敷での生活開始です~
「では殿下、改めて紹介しましょう。新しい婚約者であるクレア様です」
「クレアです。よろしくお願いします」
「帰れ!」
同じ言葉繰り返して、もう壊れたオルゴールみたい。とりあえず無視する。
ジュードが帰った後、屋敷には私と王子だというアーネストが残った。
「さて……」
「さてじゃない!早く帰れ!」
まだ言ってる。さすがにちょっとうざい。第一こっちにだって事情がある。帰れるんならさっさと帰りたいわよ。
アーネストに目を向ける。さっき一喝したからか、ちょっとビクっとした。
「ちょっと聞きなさい」
私はアーネストの胸倉をつかんだ。スーッと息を吸う。
「こっちだって事情があってここにいるのよ!あんたの個人的感情聞いて帰っていいならさっさと帰ってるわぁ!いい!?こっちは家族人質に取られそうになってここに来てるの!さっさと帰って家族になにかあったらあんた責任取れるの!?取れない!?取れないわよねぇ!分かったんなら大人しく私がここにいることを認めなさい!」
「は、はい……」
私の気迫にたじろいだのか、アーネストはうなずいた。
これでよし。
「認める…けど」
「けど、何?」
「俺のそばには…近寄るな」
「…そう」
その言葉はさっきと違い、ずいぶんと弱弱しいものだった。まるで、何かに怯える子どものように。そう言われては、私も拒否できない。
でも、まだ言いたいことはある。
「お金あるんでしょ?ちょうだい」
「……取ってくる」
お金を受け取った私は、さっそく額をチェックする。
丈夫そうな皮袋からはジャラジャラ聞こえる。これは結構入ってそうだと中をのぞいて…固まった。
(金貨ばっかりじゃない!しかも何枚入ってるのよ…)
ざっと見た感じ、100枚は入ってそう。でも、これだけあれば当面の生活費としては心配ないだろう。
私にお金を預けたアーネストはまたどこかに行ってしまった。門より外には出てないだろうから、多分庭のどこかだと思う。
「さて、と…」
ぐるりと玄関周りを見渡す。ホコリ臭いしかび臭いしで、こんな屋敷に住めたもんじゃない。
アーネストはどうしてるのか知らないけど、この状況じゃ彼には何も期待できない。今はまだお昼前で、太陽が昇りきってない。やれることをさっさとやらないと、今夜の寝床も怪しいわ。
まずはサッと屋敷内を見回る。まずは当面私が寝るための部屋だ。あとはキッチン。衣食住のうちの2つを確保しないと。
どの部屋も、長年閉めっぱなしのせいでかび臭い。その中でも比較的かび臭さがマシで、日当たりがいい狭い部屋を見つけたのでそこを寝床にする。
まずは窓を開け、ドアも開けっぱなしにして空気の入れ替え。ベッドも布団も全部外に出して、とにかく日光に当てる。部屋の中に掃除用具があったから、床だけでもホコリを掃きとって外に捨てた。部屋の中を通り過ぎる風が気持ちいいわ。
次はキッチンだ。こっちもなかなかにヒドイ。鉄製の調理器具は軒並み錆びてるし、まな板とかは朽ち始めてる。
ただ、水道とコンロは使えた。どちらも魔石を使って水や火を出すものだ。さらに冷蔵庫もあった。こちらも冷気の魔石が付いてる。
さすがは王家のタウンハウス。設備の質は高い。…きちんと手入れされていれば、の話だけど。
(部屋はざっくりやったし、まずはここの掃除と買い出しね。服も買いたいし、この分じゃ新鮮な野菜とか果物はここにはないでしょうし)
一人じゃできることは限られる。優先順位を付けて片づけていくしかないわ。
私は革袋から金貨を2枚取り出し、早速買い出しに向かった。
まずは服屋に寄り、安めなワンピースとエプロンを数着、下着も数枚セットで買う。着ていたワンピースはその場で売り払い、買ったばかりのワンピースとエプロンを纏う。そこそこいい素材だったようで、なかなかの値段で売れました。おっさん、これだけは感謝します。
次に雑貨屋。まな板に、食器を……二人分買った。多分アーネストは要らないというかもしれないけど、ついでだついで。
最後に市場で食料品を買う。出掛ける前に庇の木箱を見たら、ものの見事に保存食ばっかり。黒パンに干し肉、チーズ、ドライフルーツ、紅茶の入った瓶。最低限生きられればいいという感じだ。あんなものだけの食生活とか絶対ヤダ。新鮮な野菜や果物を持てる分だけ買って屋敷に戻った。
「さーて、やるわよ!」
私は掃除用具を揃え、キッチンに立つと気合を入れるように声を上げた。三角巾に口元を覆う布巾も装着済み。
まずはキッチンだ。食は何事においても優先すべし!おばあちゃんの教えだ。
まずは窓から出入り口から裏口から、とにかく風が通る場所は全部解放。こんなキッチンの中に食べ物持ち込みたくないもの。
それが済んだら、はたきでどんどん上から下へホコリを落としていく。さすがに屋敷の規模に合わせてキッチンも大きい。でも、場所が場所だけに部分的に綺麗になればいいというわけにいかない。
「ゴホッゴホッ!さすが、何年もののホコリはキツイわ」
あまりにこびりついたホコリはホウキで直接掃いた。というか、ほとんどのホコリがこびりついてたので、全部ホウキで掃くことになっちゃった。次は落としたホコリを掃き集めていく。
何度も塵取りで集めてはゴミ箱に捨てるを繰り返し、それが終わるだけで一汗かいてしまった。
次は水拭きだ。桶に水を汲み、雑巾でどんどん拭いていく。あっという間に黒くなる雑巾を何度もゆすぎ、手が届きづらいところは比較的丈夫な木箱に乗って届かせる。
なんとかひと段落しそうな頃には、もう日が傾き始めていた。
「はぁ…今夜はなんとかなりそうね」
綺麗になったキッチンを見渡して、一人呟く。
汗だくの体を引きずって、干しっぱなしの布団を見に行く。半日太陽に当てたおかげで、そこそこかび臭さは取れてる。まだ匂うけど、もうこれはしょうがない。
ずっと風通しを良くしてた部屋も、閉め切ったときの臭いは各段に落ち着いた。これなら眠るには問題ないわ。
(う~、水浴びでもしたいわ)
汗で張り付いた服が鬱陶しい。こんな立派な屋敷なのだから、お風呂もついてるだろう。でも、どうせ使える状態ではないと思う。今日はもうクタクタだ。
仕方なく、水を汲んだ桶を部屋に持ち込み、服を脱いで汗だくの体から汗を拭き取る。買ったばかりの服を身にまとい、今日最後の仕事に取り掛かる。
「とりあえず、今日はスープにでも…あ」
キッチンに戻って気付いた。金属製の調理器具が軒並み錆びだらけなのを。
「あーもう!」
仕方なく、急いで雑貨屋に向かう。
とりあえず新品の包丁と小鍋を買い、屋敷に戻る。もうお腹はペコペコだ。
新品のまな板と包丁で、買ってきた野菜を刻む。にんじん、じゃがいも、キャベツと細かく刻んだら、水を張った鍋に入れ、火にかける。
外の木箱から干し肉と黒パン、チーズを持ってくると、干し肉を刻んでさらに鍋に投入。
そして気づく。
(調味料も忘れた!ああもう、今日は干し肉の塩分だけで我慢よ!)
何もかもない状況がこんなにも面倒だったなんて、もううんざりだわ。スープが出来たら、チーズも細かく刻んで振りかけて完成。野菜と干し肉のスープ、チーズ掛けである。
硬い黒パンも薄く切り、綺麗にしたばかりのテーブルに並べた。
と、その時、玄関が開く音が聞こえた。
(…アーネストが戻ってきたのかしら)
結局、彼とは昼間以降全然会ってない。一体どこにいて、何をしていたのか、全然わからない。
そのまま足音は階段を上がっていった。キッチンの様子からも分かったけど、彼はキッチンで食事をとることはしないようだ。
(ふむ……)
薄暗くなり始めたキッチンで、壁際の灯りをともす。これも光の魔石を使った灯りだ。
別の食器にスープを注ぐと、それをお盆に乗せてキッチンを出た。そのまま屋敷内を歩くと、ある部屋からだけ灯りが漏れている。どうやらあそこがアーネストの部屋のようだ。
部屋の前まで歩くと、ドアをノックし、声だけ掛けることにした。
「アーネスト…様。ドアの前にスープ置いてくわよ」
なんか、流石に呼び捨ては不味いかなって思って様付けしてみた。今更かもしれない。
部屋からはなんかガタッて音が聞こえたけど、それっきり。
私はお盆ごとスープを置いて、立ち去ることにした。人嫌いなんだから、部屋には入れないだろうし。
キッチンに戻った私は、黒パンをスープに浸して、チーズを絡めながらこの屋敷最初の食事を始めた。
(我ながらまぁまぁね。干し肉もチーズも、そこらのものじゃないわ。干し肉はスパイスも使われてるし、チーズの風味は濃いし、おかげでなんとかまともなスープになったわ)
明日にはちゃんと調味料も揃えよう。そう思いながら今日の食事を終え、洗い物を済ませて部屋に戻る。
部屋の灯りをともすと、やっぱりちょっとかび臭い。寝具だけでなく、テーブルやイス、タンスといった家具にもカビが生えているんだろう。しばらく日中は開けっ放しにするしかない。
「はぁ~…疲れたぁ」
ベッドに飛び込む。怒涛の1日だった。
まさか王子、それも婚約者があんな面倒だとは思いも…イヤちょっとはしてたけど。
とりあえず文句がうるさいから黙らせたけど、本当に黙るとはちょっと驚き。
(人嫌いというわりには、なんだかちょっと違う感じがするのよね。なんだか嫌悪感っていうより、怯えが見えたような…)
そもそもどうして彼が人嫌いなのか、それをジュードは教えてはくれなかった。
知らないだけ?でも、アーネストとは親しい感じだし、知っててもおかしくはない。あえて言わなかったってことかしら。それだと、結構重い理由がありそうよね。
(まぁ、今はまだいいわ。まずはこの屋敷をなんとかしないと)
とりあえず最低限の衣食住は整えた。けれど、これからあと半年ここで過ごすのだ。
今のままでは、ただ屋敷の中にいて、ご飯食べて、寝るだけだ。そんなのもったいない。
それに、どうせなら王都も堪能したいもの。半年後には、どうせアーネストからまた認められないだろうから、他の令嬢と同じく婚約解消になるでしょう。
その後は、おばあちゃんたちを呼んで、王都で商売開始よ!
(ふふふ、半年後が楽しみだわ)
近い将来に夢を見つつ、目を閉じた私はあっさりと眠りについた。