1話~婚約者『候補』になりました~
それは唐突だった。
「お前がクレアだな。今すぐ来い」
そこにいたのは、赤い髪をオールバックにまとめ、これまた服も真っ赤な貴族服を着た男性だった。ちりばめられた金の装飾がうざったらしいほどに輝いている。そして私を見る顔は、汚物を見るかのごとく歪んでいる。
(誰、このおっさん?)
私は首を傾げた。
私の名前はクレア。黒く長い髪を後ろに束ね、町娘らしくワンピースとエプロンを身に着けている。瞳は茶色と、この世界で最も多い色だ。16歳で、今は祖父母の店の店番をしている。
そして現在、店に入ってきた男がいきなり私を呼び、あげくに来いなどと言われている状況である。
「何をしている、さっさと来ないか!」
動かない私に、男は苛立ったように声を荒げる。
あいにく、声を荒げられた程度で動じるほど私はやわじゃない。こちとら、下町で生きてきてるんだ。この程度の怒鳴り声を上げる奴なんて日常茶飯事。そして何より、どこの誰とも知らないおっさんにのこのこついていくほど、私は無警戒じゃない。
ついでに言うと、客以外には容赦しない。
「誰、あんた?」
「誰、だと?貴様ぁ!私を知らないと言うのか!」
「知らないものは知らないわよ。それともなに、あんたの顔がそこらへんの手配書で触れ回ってるの?」
「この子娘風情が!黙って来んか!」
おっさんは手にした杖を床にたたきつけた。
その音とおっさんの怒鳴り声で、奥にいたおじいちゃんとおばあちゃんが顔をのぞかせた。
「さっきから何を騒々しく…!」
「っ!クレア、こっちに来なさい!」
おじいちゃんはおっさんの顔を見るなり顔を豹変させ、おばあちゃんは私をかくまった。どうやら二人はこのおっさんを知っているようだった。
「…今更何の用だい」
「貴様らにもエレナにも用はない。用があるのは、そこのクレアだけだ」
エレナとは私の母親の名だ。このおっさん、母さんとも面識があるようだ。
「帰ってくれ!もううちに関わらんでくれ!」
普段は温厚なおじいちゃんが、声を荒げて男を威嚇した。初めて見るおじいちゃんの姿に、私は目を丸くして驚いた。そして、今このおっさんが来ている状況が、かなりマズイということにも。
「…いいのか、私にそんな口をきいて?そんなに不服ならこんな店叩き潰してやるぞ!」
「っ!」
「はっ!こんな店の一つや二つ、クレアのためならいくらでも潰してやるさ!」
おっさんの言葉におじいちゃんは悔しそうに唇をかみ、おばあちゃんは買い言葉に売り言葉とばかりに啖呵を切った。いやそりゃまずいって。この店は二人にとって大事なお店なんだから。
だけどその前に、確認することがある。
「ねぇおばあちゃん」
「…何だいクレア」
「このおっさん、誰?」
「………」
「………」
なんだか気まずい沈黙が流れた。
その数刻後、私はおっさんと共に馬車に乗っていた。
おばあちゃんの説明では、なんとこのおっさん、私の父親らしい。しかも領主で伯爵なんだって。
つまり私はご令嬢様…のはずなんだが、下町で店番をしている。
話をさかのぼると、元々母さんは伯爵家でメイドをしていたようだ。そこで伯爵に襲われ、私を身ごもった。伯爵はその時点では母さんを妾とするつもりだったようだったが、私が生まれたことで態度を急変。
「忌み子も、忌み子を産むような女もいらん」
忌み子というのは、黒髪で生まれた子供を指す。つまり私みたいなやつを指すんだが、黒髪は邪神イブリースを彷彿させることから、特に貴族層に嫌われているらしい。
この極悪非道な伯爵は、生まれたばかりの私を抱えた母さんを屋敷から追い出した。仕方なく母さんはおばあちゃんを頼って実家に戻ってくることに。
それが16年前。それから今に至るまで一切音信不通だったくせに、今になって私に用があると言い出した。しかも、私が来ないと店を潰すと。
それに抵抗しようとした二人だけど、私が大人しくついていくことで収めることにした。
おばあちゃんはものすごく心配そうだったけど、「大丈夫、おばあちゃんの孫なんだから」といって安心させた。
おばあちゃんは今でこそ白髪混じっているけど、元は私と同じ黒髪だった。そのせいで子どもの時から苦労したらしい。だから、同じ髪に生まれた私を哀れに思うと同時に、生きるために必要な技術をどんどん叩き込んでくれた。
おかげで今なら、どんな街に行ったって一人で生きていける自信がある。だから、こんなおっさん(絶対に父親とは認めない)にどこに連れていかれようが、大丈夫だ。
おじいちゃんは悔しそうだったけど、おばあちゃんはにかっと笑って、「そうだね、派手にやってきな!」と激励までくれた。
それがずいぶんと面白くないおっさんは、私をさっさと馬車に乗せると出発。店を離れる直前、「母さんによろしく!」と二人に声をかけた。
連れていかれた先は、私が住んでた下町の家の何倍もありそうな大きな屋敷だった。
馬車から下り、おっさんの後に屋敷の中へ入るとそこにはきれいなお仕着せを着た女性たちがいた。
もしかして昔、母さんもあんな服を着てたんだろうか…なんて思ってたら、その女性たちに連れられて風呂に入れられた。
何を勝手なことを!と思ったけど、さすがにあっちの方が数が多くてどうしようもなかった。他人に洗われるなんて初めての経験にすごく恥ずかしかったけど、その女性たちはずっと真顔なもんだからそっちのほうが不気味になった。
洗われて拭かれた後は、なんかいい匂いのする香水をつけられた。そのまま今度はこれまで着たことが無いような、ものすごく肌触りのいい服を着せられる。こんな白いワンピース初めてだ。
(お貴族様ってのは、こんな服を毎日着てるの?)
ずいぶんと贅沢な暮らしをしてるんだなぁと思ったら、そのまま屋敷の入り口に連れられた。
そこにはおっさんと、なんだか…こう、ものすごく整った青年がいた。表現方法が出てこない。だって下町娘だもん。
「ジュード様、大変お待たせ致しました。娘のクレアにございます」
「やっと来てくれたのですね。私、ジュード・サイランと申します。以後お見知りおきを」
ジュードと名乗った青年は、みるからにおっさんより若そう。それなのにおっさんのほうがヘコヘコしてる。さっき私やおばあちゃんたちに怒鳴ってた姿はどこへやら。
(多分、このお兄さんも貴族なんだろうね)
肩まで切りそろえられた蒼い髪がサラリと揺れている。多分…いや、確実に私より髪は綺麗だ。瞳も蒼く、なんだか宝石のように綺麗。紺のジャケットにパンツ、白いシャツと下町育ちの私から見ても洗練されているのが分かった。
「クレアです」
ぺこりと頭を下げる。そして頭を上げると、ジュード様は信じられない物を見るような目でこちらを見てきた。そこに、おっさんが慌てて入ってきた。
「も、申し訳ありません。この娘、訳あって母親に預けていたのですが、何を間違えたのか礼儀知らずに育ちまして」
(はっ?おっさんにそんなこと言われる筋合いないんですけど)
礼儀を知らないのは言う通りだけど、間違えたとか言われるのは心外だ。そもそもそんなことになったのはこのおっさんが原因だっていうのに。
文句を言ってやろうと思ったら、先に口を開いたのはジュード様のほうだった。
「問題ありません。こちらで既に調べはついていますので」
「えっ?へ、そ、それは…」
「ルートロード伯爵、王家にごまかしが通用すると思わないでいただきたい」
「は、はひ!」
おお、おっさんが完全にビビってる。あと、このおっさん、ルートロード伯爵っていうのか。そういえばこの領地を治めてる領主が、ルートロードって名前だったか。どうでもいいから忘れてた。
「それではクレア様。私と一緒に来ていただけますか?」
「どこに?」
「愚か者!お前が聞く必要などない!」
聞いただけなのにおっさんからうるさいのが飛んできた。聞く必要ないとか、あんたにそもそも聞いてないんですけど。
しかしそれも、ジュードの一にらみでおっさん沈黙。ざまぁみろである。
「クレア様の婚約者の元へですよ」
「へっ?」
そこから先はジュードと一緒に馬車に乗ってから説明された。
婚約者とは、アーネスト・ブル・ヘーベルグ。このヘーベルグ国の第3王子という、雲の上の存在だ。
王子となんて、貴族令嬢が結婚するもんじゃないかと聞くと、どうやらこの王子が大の人嫌いで誰も近くに置かないらしい。
婚約者はもちろん、使用人もおらず、王都の王家所有のタウンハウスに一人暮らしをしているようだ。
これまで何人もの婚約者候補がアーネストと面会したが、全員追い払われてしまった。
そして、もはやだれでもいいとやけっぱちになった陛下に名乗りを上げたのがあのおっさんで、差し出されたのが私ということだ。
婚約者とは言われたけど、まだ婚約者候補である。
「あの、私貴族の作法とか知らないし、王子の婚約者とか無理ですよ」
「大丈夫です。殿下も全然教育を受けてません」
「いや、それは大丈夫じゃないでしょう」
つい突っ込んじゃったけどジュード様はおっさんと違い、気さくに話してくれるからやりやすい。というか問題はそこじゃない。
「私、どうすればいいんですか?」
「とりあえず、殿下と一緒に住んでください」
「それだけですか?」
「簡単に言いますが、すごく大変だと思いますよ?」
なんか神妙な面持ちで言われてしまった。一緒に住むだけ?それなら別に簡単…と、能天気に思った自分が恨めしい。
ちなみに、ジュードは国王の側近らしい。本当なのかしら?側近なのに、婚約者候補のためにわざわざ足を運ぶの?って聞いたら…
「陛下から責任もってこの案件を押し付け…預けられていますので」
って遠い目をしながら言った。ご愁傷様。
王都にはルートロード領から馬車で丸5日かかった。
そしてたどり着いた王都は、私が育った下町とは比べ物にならないくらい、人と活気にあふれていた。
「これが王都…」
馬車から外を眺めていると、そんな言葉が漏れる。同じ国なのに、こんなにも違うものなのが、ちょっとショックだった。
(ここにおばあちゃんたちの店を出せたらいいのにな)
そのまま馬車はしばらく進み、ある屋敷の前で止まった。
「こちらです」
そう言ってジュードが先に降り、手を差し出される。貴族令嬢は、男性のエスコートに従って降りるらしい。最初に馬車に乗る時に教えてもらった。この5日の旅でジュードに教えてもらったので、今では抵抗なくその手に自分の手を乗せられる。
「……ここが、その屋敷?」
一言でいえば、なんともおどろおどろしい屋敷だった。屋敷も門構えも見事なのに、至るところにツルが伸び、庭と思われる箇所も草が伸び放題だ。屋敷の大きさだけならおっさんの屋敷と同じくらいなのに、それが余計に不気味さを醸し出している。
「これ、人が住んでるんですか?」
「住んでます。ほら、そこに食料と日用品が置かれていますよね?」
そう言って指さした先を見ると、門をくぐった先の敷地内に庇があり、その下に木箱が並んでいる。
「殿下は人と会おうとしないんで、あんな風に支援物資は置いていくんです。ああ、これからはクレア様の分も運ばれてきますから」
そう言うとジュード様は門を開け、中に入っていく。えっ、鍵掛かってないの?とりあえず遅れないようにとジュードについていく。
「殿下ー、どこですかー?」
玄関をくぐって屋敷に入るとジュード様は王子を呼び始めた。しかしこの玄関、すごくホコリ臭い。あとかび臭い。
「これ、ほんとーに住んでるんですよね?」
「ほんとーに住んでますよ。ですが殿下は身の回りの世話ができな…」
「ジュード!」
そのとき、後ろから声がした。振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。…なのだが、ぼさぼさに伸びっぱなしの髪が目を隠し、ついでにひげも伸びっぱなし。髪が白…いや、銀色?見た目はもうおっさん…いや、おじいさんに近い。ただ、声だけが若者であることを示していた。
「おや殿下、外にいらっしゃいま…」
「さっさと帰れ!」
「………」
開口一番これか。なるほど、人嫌いとはこういうこと。取り付く島もないとはこのことなのかと明後日の方向に考える。
「今日は殿下の婚約者を連れてきました」
「いらん!連れて帰れ!」
「殿下、いい加減に…」
「くどい!帰れ!」
二人のやりとりを他人事のように眺める。こんな感じでは繊細なお嬢様がたでは耐えられないだろう。
すると、矛先がこちらに飛んできた。
「お前もさっさと帰れ!」
「帰っていいんですか?」
帰れと言われたので、ジュード様に聞いてみる。もちろん彼は首を横に振った。
「いえ、帰らずに婚約者…いずれは妻になっていただきたいです」
「当事者が拒否してるんですけど」
「早く帰れ!」
「懐柔してください」
「無茶言わないでください」
「頼みます、この時点で冷静なのは貴女が初めてなんです。そこをなんとか」
「いつまで喋ってるんだ!帰れ!」
「まぁこの程度のは下町に履いて捨てるほどいますから」
「早く帰れと言って…」
「うっさい!!」
「っ!?」
さっきからうるさい王子を一喝。すると、意外にもあっさり大人しくなった。ジュード様はにこやかな笑みを浮かべて拍手をしている。咎められるかと思ったけど、そんなことはなかった。
「素晴らしい。やはりあなたなら何とかできます。頼みましたよ」
「イヤです。面倒そうですし」
「…それなら、半年殿下と一緒に暮らしていただければ、報奨金を出しましょう」
「…いくらです?」
こちとら商売人の娘です。お金、大事。こ・ん・な・のと半年暮らすだけで報奨金がもらえるならがんばりますよ、ええ。
「金貨100枚」
「もう一声」
「200枚」
「何かオマケも」
「…では、王都への出店許可証はいかがですか?」
「よし乗った!」
グッとガッツポーズを決める。ここに来るまでの5日までにおばあちゃんたちのお店の話をしていた。それをジュードは分かってくれたようだ、さすがお貴族様は太っ腹。
これで半年後にはこっちに引っ越してこれる。そうすれば、あんなおっさんのいる領地で仕事なんかしなくていいし、こっちのほうが絶対もうかるはずだ。
「乗ったじゃない!俺の話を…」
「生活費はもらえるんですよね?」
「殿下に預けてあります。この様子ですとろくに使ってないと思いますので、貯まってるでしょうから、せびってください」
「了解」
「聞け…」
「あとで契約書をお願いしますよ」
「承知しました。後ほど契約書をお持ちしますよ」
「頼みます」
「お前らでてけー!」
こうして私と殿下の一つ屋根の生活が始まりましたとさ。