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13話~夜会デビューです~

 それから1か月が経ち、無事に私とアーネストは正式な書類をもって婚約者となった。

 それと同時に、アーネストは王子という立場から王弟となった。彼の異母兄であるシーモア第一王子が国王となった時点で王弟ではあったけれど、政治と関わらなくなっていたため、なんとなく宙ぶらりんになっていたとか。

 今回の婚約を機に彼は正式に王族として扱われるようになり、王弟になったらしい。


「まぁ実際は、何も変わらないな」


 そう言ってアーネストは笑った。

 王族として扱われると言っても、実際にアーネストに王族としての責務はほぼ無く、あるのは万が一の事態のときのための王位継承権だけらしい。

 これまで全然王族として関わってこなかったのに、今更王族として何かやれと言われても無理だろう…というのが、王宮の意思決定となる議会の意思だとか。

 そういうわけで、アーネストは変わらず騎士になることを目標としたまま。それも、すでに入団試験を受けるのにふさわしい力量は身に着けているということで、教師から太鼓判が押されている。

 次の入団試験は二か月後。それまでは剣の自主的な稽古と勉学に励むという。


 一方、私といえば淑女教育と平行して、実家の祖父母やお母さんを王都へと呼び寄せようと連絡を取っている。

 手紙を送り、正式に婚約したこと。

 相手は王弟だから王弟妃になるということ。

 魔石とおばあちゃんのレースを使ったドレスを売り出していきたい、そのためには王都に来てはどうかという内容を贈った。

 試作となったあのドレスを作るために、おばあちゃんのレースが大量購入されており、その時に少し話はあったらしいというのは、手紙の返信で知った。

 まさかの王弟妃には驚かれたけど、私が納得してるならそれでいいということ。王都に移ることについては、祖父母もお母さんも前向きだという。ただ、長年その土地で商売してきたので、すぐというわけにはいかないとか。身辺整理ができ次第、改めて連絡してくれることで話が進んだ。


 そこで3人がどこに住むかだけど、ネイサンに相談したらアーネストが代わりに応えた。


「ここに住めばいい」

「えっ、でもここは王族所有のタウンハウスじゃ?」

「婚約祝いで陛下から賜った。だからこのタウンハウスの所有者は俺だ」


 婚約祝いで屋敷一つとか、王族すごい。


「クレアの母上や祖父母は俺にとっても義母上であり、祖父母だ。同じ家に住んでもらうのに何も問題はない。もちろん違う家がいいと言うなら止めはしないが、すぐには見つからないだろう。仮宿と思ってもらっても構わない」

「ありがとう、そうさせてもらうわ」


 実はこの件には結構頭を悩ませていたから助かった。

 報奨金で金貨200枚は貰っているけど、できればこれは開業資金にしたいから手を付けたくない。

 とても助かったわ。


 何もかも順調。

 そう思っていたところに、ものすごく気の進まない話が舞い降りてきた。


「婚約祝いで舞踏会を開く…?」

「そうだ、国王陛下主催で俺の婚約パーティーを開く。まぁ俺とクレアのお披露目ということだろう」

「そう…なの。ところで」

「欠席は無しだ。主賓なんだから、諦めてくれ」


 あぁ、逃げ道はあっさりふさがれてしまった。

 どう考えても、面倒なことになる予感しかしない。

 淑女教育で学んだのは、婚約したからといって結婚が決定したわけではないということ。解消あるいは破棄という流れは十分にあるし、それを狙って未婚の令嬢たちがアーネストに仕掛けてくる可能性は十分にある。

 負けるつもりはない。だけど、世の中には絶対なんてことはないから。そんな不安が顔に出ていたのかもしれない。不意に、アーネストが抱きしめてくれた。


「大丈夫だ。クレア」

「アーネスト…」


 耳元で確信するかのように囁かれると、本当に大丈夫だと安心できる。

 そう思っていたのに…


「俺みたいなやつを本当に好きになってくれるのはクレアだけだから」

「………」


 ちょっと感動した私がバカだったわよ。それ、どういう意味かしら?

 私からも、アーネストの首に腕を回し、抱き返す…ように見せて。


「っ!ぐおおおおぉぉ!待った、締まってる締まっ…首がぁ!」


 たまに思うのよね。

 なんでこんなやつ好きになっちゃったんだろうって。

 私はこっそりと息を吐いた。


 それからはドレスを作ったり、パーティーでは踊ることになるからダンスレッスンをメインに据えたり。

 時はあっという間に過ぎ、いよいよその日は訪れた。


 今日は朝から王宮から駆けつけてくれた使用人たちにより、私は徹底的に磨かれていた。

 湯船に浸かって血行を良くし、その後はじっくり全身マッサージ。そしてドレスを着させられる。

 ドレスはアーネストの髪色を模した銀色をベースにし、上半身は体のラインが分かりやすいピッタリとしたものながら、首元まで覆うことで貞淑さを演出。スカート部分はたっぷりのレースを纏ったものに仕上がっている。お祝いではあるけれど、主賓となる私たちがさほど政治的に重要な役割を果たしているわけでもないということで、控えめにしたらしい。

 庶民からすればこれでも十分豪華だと思うんだけどね。

 さらに指輪やネックレスにはアーネストの瞳と同じ色のエメラルドをあしらい、アーネストの婚約者であることを強く示すように。もちろんネックレスは、前にアーネストがプレゼントしてくれたものだ。やっと身に着ける機会がきたわね。


 服なんて頭からかぶればいいじゃない…そんな庶民意識満載の私には、ドレス1着着るだけでものすごく時間がかかったことに、もうすでに疲労困憊。

 さらに髪のセットも始まり、丁寧に梳かれた黒髪が結い上げられ、主役の証であるティアラが添えられた。もちろんそこにもエメラルドが添えられている。


「完了しました」


 そう声を掛けられ、ようやく目を開けることができる。

 正面の鏡に映っていたのは、艶やかな黒髪と美しいドレスを着た、私の知らない私。


「うそ…」


 鏡の中の自分が信じられなかった。でも、手を振れば鏡の中の自分も手を振る。間違いなく、映っているのは自分。


(いやもう、これ別人じゃない!?すごすぎだわ、王宮の使用人のレベル…)


 その技量の高さに驚き、固まったままでいたら声を掛けられた。


「クレア様。準備もできましたし、そろそろ殿下がお待ちです」

「あ、はい。行きます」


 部屋を出て玄関へと向かう。

 屋敷の中も、使用人が増え、調度品や花も飾られるようになり、どんどん賑やかになっている。

 そんな中を、ドレスを着た自分が歩いているかと思うと、本当に王族の妃として婚約したのだという強く実感する。

 玄関に行くと、そこには式典用の儀礼服に身を包んだアーネストがいた。

 黒を基調とし、金糸による刺繍が美しく輝いている。普段は下ろしている金髪を今日は後ろになでつけ、指にはブラウンムーンストーンの指輪が収まっている。アーネストもまた、私の髪色と瞳の色を纏っている。

 互いに互いの色を纏う。それが嬉しくもあり、気恥ずかしもあった。


(あんな風に整えてると、本当に格好いいわね。いや、普段は格好よくないとか、そんなわけじゃないんだけど…)


 自分で自分で突っ込むとか、ちょっとおかしくなってるかもしれない。こんな姿をアーネストに見せることに、緊張している私がいた。

 少し息を吸って落ち着くと、アーネストに向けて声をかける。


「お待たせ、アーネスト」

「いいや、待ってな…」


 こちらを向いたアーネストは、声も途中で固まった。

 その目は驚愕に見開かれている。口も開けっ放しで、せっかくの格好よさが半減だわ。

 その様子がなんだかおかしくて、つい笑ってしまった。


「…殿下、いつまでも固まってないで、言うべきことがあるっすよね?」


 そうネイサンにせっつかれて、やっとアーネストは戻ってきた。

 頬を染めたアーネストは、私を上から下から視線を巡らせる。その視線がなんだかくすぐったく、私は我慢できずに声をあげた。


「さ、さっさと何か言いなさいよ!」


 そう言うと、アーネストは何か安心したように私の目を見た。


「…ああ、良かった。ちゃんとクレアだな」

「どういうことよ!」

「いたぁ!?」


 ずいぶんな言いぐさに、つい手が伸びてアーネストの耳を掴んでしまった。ハッとして手を離すも、ネイサンは口元抑えて震えてるし、後ろの使用人たちは生温かい目で見てくるし。

 いたたまれなくなって、どんどん顔が赤くなってしまう。


「はいはい、夫婦漫才やってないで早く馬車に乗ってくださいっす」


 ネイサンにまで言われてしまい、私たちはしぶしぶ馬車に乗った。

 王宮にたどり着き、会場へとはいるとそこは天上と見紛うような、まさに豪華絢爛と呼ぶのがふさわしい様相だった。

 いくつもつり下げられたシャンデリアは煌々と輝き、壁際には数えきれないほどの花を生けた花瓶が埋め尽くしている。

 床は全面に絨毯が敷かれ、その幾何学模様が美しい。

 テーブルには豪華な料理やデザートが並び、ドレスを着るために軽食しか食べてこなかったお腹にはきつい。

 会場の端には楽団の姿もある。

 そして、色とりどりなドレスを着た女性たちと、礼服を纏った男性陣が埋め尽くしていた。


(これって、アーネストと私の婚約祝いのパーティーなのよね?こんなにも人が集まるものなの?)


 私はてっきり、社交界に出たことが無い私と、同じく出てこないアーネストという組み合わせだから、全然人なんていないと思ってた。

 来るとしても、アーネスト狙いの令嬢が数人かなと。

 そんな予想は裏切られた。これから、ここに居る人たちと繋がっていかないといけないのか。そう考えると足がすくみ、つながっている手に力が入ってしまう。


「大丈夫だ」


 そんな私に、アーネストは優しく微笑み、手も改めて握り返してくれる。


(そうだ、私にはアーネストがいるんだもの)


 勇気をもらった気分だ。私もアーネストに微笑みかえすと、扉の近くにいた従者から高らかに告げられる。


「アーネスト・ブル・ヘーベルグ王弟殿下と、婚約者クレア・ルートロード伯爵令嬢のご入場!」


 一斉に私たちへと視線が集まってくる。

 好奇、嫉妬、侮蔑…さまざまな視線が向けられる。それに向かって私は優雅に微笑む。淑女教育で何度も練習した笑みよ。

 そのまま静々と会場の中央へと歩みを進める。注目を集めてはいるけど、互いにほとんど知り合いがいない状態。話しかけてくる人はおらず、みんな遠巻きに窺うだけだった。

 まぁそのほうが私にとっては都合がいいけど。こっそり詰まっていた息を吐きだす。

 …そう思っていたら、近寄ってくる男性がいた。


「王弟殿下、本日はおめでとうございます」

「ああ、ありがとう」


 祝福の言葉を受けたアーネストが素直に感謝を伝える。はて、この男性は一体どちらさま?

 ちらっとアーネストを見ると、張り付けたような笑みを浮かべてる。…多分、アーネストも知らない。


「殿下。こちら、娘のセーラでございます」

「セーラです。殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」


 そう言って男性が前に差し出したのは赤い髪の…前に屋敷に突撃してきたご令嬢だった。今日も派手な赤いドレスを着ている。こういった催しでは主役より派手な服装は控えるものだと教わったけど、予想通りというか。


(ああ、あの令嬢の父親なのね)


 どうして声をかけてきたのか納得した。まだあきらめてないのね。婚約者が隣にいて、娘を紹介してくるとか、娘が娘なら父親も父親ってことね。

 ご令嬢はアーネストしか見てない。もちろん、微笑みを向けながら。当然その父親も、私を完全に無視してる。そうくるの、へー。

 ちょっと握る手に力が入りすぎてアーネストから「うっ」という苦悶の声が上がった。


「おや、王弟殿下どうなさいました?気分が優れないようでしたら、あちらの休憩室にいかれては?娘を介助につけますゆえ」

「問題ない。ああ紹介しよう。婚約者のクレアだ」


 そっとアーネストが背を押す。私は前に出ると、


「クレア・ルートロードでございます」


 そう言って正面のセーラを見る。

 セーラの瞳には明らかに敵対心が見える。まぁ散々煽ったんだものね。こういうのが来るだろうというのは想定内。だから面倒だったんだけど、来た以上は真っ向から受けて立つわ。

 セーラにも余裕の笑みを見せつける。彼女の微笑み自体はそのままだけど、前回の件を思いだしたのか、少し引きつってるわ。


「自慢の婚約者だ。私を立ち直らせてくれた恩人でもある。彼女だけが、私と向き合ってくれたのだ。そんな彼女と念願かなって婚約者になれて、嬉しい限りだ」

「そう、でございますか」


 さらにセーラの笑みが引きつる。言外に、「お前含め他の連中は逃げ帰ったからな」と言ってる。こんな腹芸ができるようになったなんて、私感動。

 私が潤む目元を拭うと、アーネストからこそっとツッコミが入った。


「…おい、今は照れるところじゃないのか?」

「なんで?」


 言ってる意味が分からない。どこが照れるところだったのかしら。本気で分からず首をかしげると、アーネストはそれ以上は言わず、ため息を吐いて前に向き直った。

 と、そこで国王陛下入場のアナウンスが響く。


 壇上に上がった国王陛下は会場を見渡し、最後にはアーネストと私へと目を向けた。


「皆の者、よく集まってくれた。今日は我が弟、アーネストが素晴らしいご令嬢と婚約することができた、めでたき日だ。盛大に祝ってやってほしい」


 陛下の言葉に、会場で拍手が巻き起こる。

 場が場だけに、なんだか素直に喜べず、微笑みを浮かべることしかない。なんだか裏がありそうって感じがするからかしら。


「婚約者であるクレア嬢は、アーネストの心の闇をはらってくれた、まさしく聖女と呼ぶにふさわしい女性だ。私は彼女がアーネストの婚約者となってくれたことに心から感謝している。これからも、彼女がアーネストを支えてくれることに期待しよう」


 うわぁ、国王陛下そこまで言いますか?

 つまり、私は陛下公認の婚約者ということだ。これではもう令嬢たちはアーネストに、いや私にちょっかいを掛けられない。そんなことをすれば陛下のご意向に逆らうも等しいのだから。

 そして陛下の合図でパーティーが始まる。

 それからは、とにかく私たちに挨拶をする貴族がひっきりなし。

 少し前の淑女教育で先生から教わったのは、アーネストの立ち位置だ。

 10歳の頃に母を殺され、それから今に至るまでの8年間屋敷に引きこもりだった。それが、国王陛下がアーネストを見捨てたという話もあり、アーネストと関わることには旨味がないと思われていたらしい。

 それが今回の婚約で、陛下はアーネストの婚約を祝福し、二人の関係は良好であることを表明した。だから、アーネストと関わることに旨味があると見出した貴族たちは競ってアーネストに、私に挨拶をしてくる。


 途切れない挨拶の嵐に辟易したころ、音楽が変わる。

 アーネストに手が引かれる。


「さぁ、踊ろう」


 今回は私たちが主役だから、ファーストダンスは私たちだ。

 散々練習した。先生からも大丈夫だと言われた。それでも、これだけの衆人環視の中では、どうしたって緊張がこみ上げてくる。

 つい俯いてしまった私を、アーネストは顎に手を当ててあげさせた。


「俺を見ろ」


 アーネストの碧眼は、自信に満ちていた。


(あれ、いつの間にこんな目ができるようになったっていうの?)


 吸い込まれそうになるその瞳に、緊張とは違う動悸が始まった。でもそれはなんだか心地よくて、こわばっていた体から力が抜けていく。

 音楽に合わせてステップを刻む。


(ああ、なんて楽しい…!)


 さっきまで緊張を生む原因の観衆が、今では高揚を生み出す原因になっている。纏うドレスの裾が回転に合わせて浮き上がり、妖精の翼のように魅せる。


「クレア、楽しそうだな」

「もちろん。あなたも、でしょ?」


 そういうアーネストも笑みを浮かべている。その笑みは決して張り付けたような笑みではなく、心から楽しんでいる笑みだ。この半年、一緒にいたからこそ分かる笑み。しかめっ面ばかりだったアーネストが、やっと取り戻した表情だ。


(誰にも、渡さない…!)


 アーネストの笑みを、誰にも壊させない。この笑みを保ち続ける。それはきっと私にしかできないことだから。

 ううん、そうじゃない。私以外の誰にも、その役割を譲りたくないから。

 決意を新たにしたところで曲が終わり、私たちは中央から引いていく。次の曲が始まり、続々と他の貴族たちも踊り始める。


「疲れたか?」

「いいえ」

「だろうな」


 今日にいたるまで、何回もぶっ通しで踊り続けてきたんだもの。この程度でへこたれるなんてことないわ。


「なら、もう1曲いいか?」

「喜んで」


 繋がれた手をそのままに、再び私たちは中央へと戻っていく。

 幸せな気分を味わいながら2曲目を踊り終えた私たちは、給仕からドリンクを受け取る。


「おいしい」

「ああ」


 動いた体に冷たいドリンクが心地いい。

 一息ついていると、ジュードが近寄ってきた。


「この度はご婚約、おめでとうございます」

「ああ、ありがとう」

「ありがとうございます」

「お二人がやっと婚約できたかと思うと…私、感激でもう夜しか眠れなくて!」

「いやしっかり眠れてるだろ」


 泣き真似をするジュードに、アーネストがしっかりツッコミを入れる。


「ところで殿下。実は殿下に紹介したい方々がおりまして」


 そういうジュードの後ろには若い令息たちの姿が見えた。


「是非陛下からも、顔を合わせていただきたいと」

「…私は頼んでいないが」

「騎士団所属の若手の騎士たちです。殿下にしても、将来的に知っておいて損はないかと」

「だが…」


 渋るアーネストは私の方をちらりと見る。ああ、私を一人にしたくないってことね。


「気にしないで。行ってきてください」

「いいのか?」

「ええ」


 そう言うと、渋々アーネストはジュードの連れられ、令息たちの集団へと混ざっていく。

 いくら王族としての責務のほとんどは無いにしても、騎士になりたい彼にとって騎士の知り合いを作っておくことは大事なはずだ。それくらいは快く見送りましょう。


(さて…どうしようかしら)


 令息たちはかなりの数がいた。一人ひとり挨拶していたら結構時間がかかるだろう。それまではせっかくのごちそうでも味わっていようかしら。

 しかし、突然に頭から冷たい何かが掛けられた。


「あら、ごめんなさい。見苦しい黒髪だから染めてあげようと思いまして」


 振り向けば、そこには空のグラスを手にしたセーラと、取り巻きと思われる令嬢たちがいた。

 銀色のドレスが赤く染まっている。掛けられたのは赤ワインのようだ。アルコールの香りがする。


(せっかく…アーネストの髪色のドレスが…)


 私が固まっていると、セーラは気分よくしゃべりだす。


「忌み子の分際で王弟殿下の婚約者だなんて嘆かわしい。さっさと婚約を解消してただけないかしら?きっと殿下もお喜びになるわ。殿下は優しいから、あなたみたいなみすぼらしい娘を哀れに思って婚約したのよ。それをまともに受け取って…恥ずかしいと思わないの?」


 よくもまぁ口が回るものだわ。とりあえずこのご令嬢は、さっきのアーネストと陛下の言葉は何も聞いてなかったみたいね。

 私は髪からワインが滴るのも気にせず、にこりと微笑む。それを見たセーラと、取り巻きの令嬢たちがひるんだ。


(仕掛けたのはそちらだもの。覚悟はできてるのよね?)


 内心燃え滾る何かを抑えつつ、私はちょうど近くを通りかかった給仕を呼び止めると、そのお盆に乗ったグラスを手に取る。そして躊躇いなくセーラの頭へと掛けた。


「っ!あなた!」


 1杯目が空になると、すぐに2杯目を受け取り、掛ける。


「うぶっ!?」


 続けざま3杯目。


「ちょっ?!」


 4杯目。


「やめっ…!」


 5杯目…はもうお盆にないわね。空になったグラスを戻すと、顔を真っ青にした給仕が逃げ帰るように会場を後にしていく。

 4杯もかけられ、髪はずぶ濡れ、ドレスはワインを吸い切れず、スカートから滴り始めている。たっぷりワインを吸ったドレスからは、プンプンとワイン臭がしている。

 それに周囲が唖然とする中、私は優雅に微笑む。


「いかがですか?赤ワインのおかげで、見た目だけじゃなく香りまで赤いドレスがそれらしくなったでしょう」

「この…!」


 にらみつけてくるけど、そもそも怖くないのよ。下町育ちなめんな。


「アーネスト殿下は私みたいな、ガサツで乱暴なくらいじゃないと手綱が取れないの。あなたみたいな貧弱なご令嬢の出る幕じゃないのよ」


 ちらりとアーネストを見る。以前に彼に言われたことを言ったら、顔を抑えてるわ。ざまぁ。


「…伯爵家の分際で!」

「あら、それは覚える頭があったのね。感動です」

「~~!!」


 顔を真っ赤にしたセーラはなおも私をにらみつける。

 しかし、そこにアーネストが戻ってきた。


「クレア」

「殿下」

「アーネスト殿下…!」


 彼は濡れるのも構わず私の腰に手を回し、ドキリと心臓が跳ねた。その光景にセーラは悔しそうに唇をかんでいる。

 アーネストはワインで濡れたドレスを見下ろし、怒りの混じった声で話しかけてくる。


「クレア、俺以外の色を纏うのを許した覚えはないぞ」

「……好きで纏ったわけではありませんよ」

「そうだな。さっさとこんな色脱いだ方がいいだろう」


 こんな色。それは赤ワインの赤という色。そしてセーラも赤い色。つまり、アーネストにとって赤なんてこんな色ということ。そして彼は、一切セーラを見ようとしない。

 それが分かって、セーラは顔色を変えた。

 彼女は取り巻きを引き連れて、逃げるように会場を後にする。あれだけずぶ濡れにしたんだから、着替えでもしたいだろうけど、どうするのかしらね。


(まぁ私が知ることじゃないわね)


 それに、私もワインが掛けられている。髪は濡れて崩れ始めてるし、ドレスもワインのせいで変色している。せっかくのドレスなのに、多分こんなの取れないでしょう。ああ、もったいない。


「クレア」


 アーネストからハンカチが差し出される。ありがたく受け取り、滴るワインを拭き取る。でも、とっくにしみ込んでしまったところはもう落ちそうになかった。


「休憩室に行こう」

「…いいの?彼らは?」


 アーネストは今日の主役だし(私もだけど)、彼には挨拶したい令息がいたはず。それを窺うと、彼はやれやれといった感じでかぶりを振った。


「後でいい。それに、どうやら陛下の差し金のようだからな」

「えっ?」


 ちらりと陛下の方へ目を向けると、ものすごいいい笑顔でこっちを見てた。とても面白い寸劇を見たかのような、愉悦に満ちた顔だ。


(つまり、これは陛下によって演出された喜劇ってところね)


「兄上も性格が悪い」


 休憩室に入ると、タオルでワインを拭き取る。あとは自然乾燥させるしかないというところまで処置をしたところで、私もアーネストもソファーに座った。


「結局何のつもりなのかしら」

「…クレアに手を出せば、手痛い反撃を受けるぞって警告だろう。俺の婚約者は只者じゃないぞって知らしめる意味で」

「…あらそう」


 それって珍獣扱いじゃないの?心外なんだけど。


「まぁ驚いたけどな。やり返すにしても、まさか4倍返しするとは思わなかったが」

「ああいうのは、二度とやりたくないと思わせるくらいがちょうどいいのよ」

「おお、怖い」

「あら、優しさよ?」


 言葉の通り、私は本心で優しさだと思っている。あれで何とかなると思わせたら、セーラは致命的なミスを犯してしまうかもしれない。その前に止めるのだから、これはれっきとした優しさだ。


「…でも、いいの?」

「何がだ?」

「…やりすぎだって、怒らないの?」


 あの時は、一気に頭に血がのぼってしまった。せっかくのアーネストからのドレス、彼に染められたドレスが、あんな子娘色に染まったことが許せなかった。

 でも、今更自分のしでかしたことに不安が湧いてくる。


「いいや、あれくらいがちょうどいい。あれで、クレアにも俺にも、近づく輩は減るだろう」

「そうなの?」

「ああ。俺とクレアが相思相愛って知らしめたからな」


 相思相愛…。その言葉の意味するところに、私は思わず顔が熱くなる。


「どうした?顔の赤ワインがまだ残ってるのか?」


 私の顔が赤い理由を分かってて、それを聞いてくるアーネストは意地悪だ。

 おかしい。いつからアーネストはこんな芸当ができるようになってしまったのか。



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