12話~覚悟、固めます~
「…クレア様、聞いておられますか?」
「えっ、あ、はい……すみません」
「…珍しいですね、あなたが集中力を途切れさせるなんて」
淑女教育の最中、私はつい意識を飛ばしていた。
眠っていたわけじゃない。ただ、目の前のことじゃないのについ意識が向いてしまう。
教育係の先生を心配させてしまい、申し訳なく思う。
なんとか授業を終わると、大きな疲労感を吐き出すように大きく息を吐いた。
婚約者候補として過ごす期間は、残り1か月を切った。
あと1か月。
もう1か月。
アーネストともっといたい。
もっと彼の成長を見ていたい。
彼を支えたい。
その役目を、誰にも譲りたくない。
そう思っても、次の瞬間には『それに自分はふさわしいのか?』という考えがよぎる。
そばにいたい。でもふさわしくない。
堂々巡りの思考が、私を四六時中支配していた。
でも、そんなときふと気づいてしまったの。
アーネストは、私がそばにいてもいいのかって。
どうして一番肝心なところに考えがいかなかったのか。
アーネストにだって、選ぶ権利があるはずだもの。誰に、隣にいてほしいか。
考えもしなかった自分が恥ずかしくなる。
「…お待たせしたっす。で、聞きたいことは?」
というわけで呼び出したのはネイサン。場所は私の私室だ。さすがに他の使用人とかアーネストに聞かれたくない。
ネイサンなら、アーネストがどんな気持ちなのか、ある程度知ってるはず。本人に聞くのが一番手っ取り早い?聞けたら苦労しないわよ。
「…率直に聞くわよ」
「どんとこいっす」
緊張に喉が渇く。聞きたくない。でも、聞けないと先に進めない。
私は思い切って口を開いた。
「…アーネストって、誰か好きな人いるのかしら?」
「……………………はい?」
「いやその、…好きな人」
「…本気で聞いてます?」
「本気よ!なに、バカにしてるの!?」
ネイサンの思いっきり呆れたような物言いに、つい語気が荒くなってしまう。なによ、そんな聞き方しなくたって!こっちは本気なのに!
ネイサンをにらみつけると、彼は天を仰いだ。それはまるで、言っていいのかと悩んでいるかのようで。
(やっぱり…誰かいるのかしら)
嫌な予感が脳裏をよぎる。
そうだ、もしいたら…私はどうする気だったの?全然考えていなかった。心のどこかで、いないはずだと思い込んでいたのかもしれない。
ネイサンが私に向き直る。彼の表情は、言うべきか言わざるべきか、悩んでいるようだった。
「もう言っちゃった方が早いっすか?いやでも、やっぱりこういうのは当事者同士で言うべきっすよね…。なーんであれで分かんないっすかねぇ。鈍感ここに極まれり?でも状況的には殿下にとって都合がいいわけですし、もういっそクレア様にぶつけさせたほうが早いっすかね」
口の中でブツブツ言ってる。そんなに言いづらいことなんだろうと思うと、やっぱりいるんだという確信が強くなり、心が沈んでいく。
「クレア様、ちょっと待っててっす」
「えっ、ちょっと」
呼び止めるのも間に合わず、さっさとネイサンは出て行ってしまった。
と思ったらすぐに戻ってきた。よりにもよってアーネストを連れて。
(なんでアーネスト連れてくるのよ!これじゃ聞くに聞けないじゃない…)
ネイサンをにらみつけてもどこ吹く風だ。
彼はアーネストを正面に座らせると、さらっと爆弾発言していった。
「殿下、クレア様は殿下が誰を好きなのか聞きたいみたいっす」
「ちょっとおおおぉぉぉぉーーーー!?」
思いっきり叫んでしまった。一気に顔が熱くなる。
何で言うのよぉ!?アーネストに聞けないからネイサンに聞いたのに?!
一瞬きょとんとしたアーネストは、次には頬を赤らめて目をそらした。きっと、好きな人を思い浮かべているんだろう。
(やだ、そんな顔を見たくない…)
もう俯くしかなかった。聞きたくない。でも、もう聞くしかない。
牢獄で審判を待つ囚人のように、その時を待った。
「クレア…」
「……」
「俺の…好きな人を聞きたいんだな?」
私は顔を上げられず、そのままさらに首を下げて肯定した。
「そうか。……ネイサン、下がってもらえるか?」
「了解っす」
足音が遠ざかっていく。
ネイサンには聞かせられないと言う事らしい。それがなぜなのか。ダメだ、今はもう何も考えたくない。
アーネストが立つ気配がした。すると、私のすぐそばまで歩み寄り、ひざまずいたのが視界の端に移った。
「クレア」
彼の伸ばした手が、膝の上で知らず握りしめていた私の手を取る。
剣を握りつづけ、固くなった手のひらが包み込んでくれる。
「俺が好きなのはクレア、君だ」
「…………えっ」
アーネストの言葉に、私は驚いて顔を上げてしまった。
すぐ正面にアーネストの顔がある。そのエメラルドのような瞳は、確かな熱をはらんでいた。熱はしっかりと私を捉え、注がれているのが分かる。
(…本当に、アーネストが私を…?)
「信じられないと言う顔だな。俺だって信じられないよ。あれだけ露骨にアピールしていたつもりだったんだが、まったく伝わっていなかったのがな」
アピール?露骨に?一体どれがそうだったのか分からず首をかしげる。
それにアーネストは苦笑していた。
「まぁ仕方ない。俺は弟のように思われていたからな。ただのじゃれ合いにでも思っていたのかもしれない。だが、今度はもうやめだ」
やめだ…そう言った瞬間、彼の目はギラリと鋭くなった。まるで、仕留めるべき獲物を見つけた狩人のように。
その目に射竦められた私は、その目から自分の目が離せない。
「クレア、君を愛している。俺を外の世界へと連れ出してくれた君を、この先ずっと愛し、守り抜こう。正式に婚約を交わし、そして俺と結婚してほしい」
「う…あ…え……」
発せられた言葉は、もう婚約を通り越してプロポーズじゃないの!?
いいの、そんなこと言って?
私はそんな…大した女じゃないのに。でも、まともにしゃべれないほどに、嬉しさが溢れてくる。
「わた…し、貴族、じゃない…のよ」
「貴族の血は引いてるだろ?」
「下町…育ちで、礼儀も、マナーも…まだ全然で」
「俺も同じだ。共に学んでいけばいい」
「乱暴で…がさつで…」
「クレアらしいじゃないか。毛むくじゃらだった俺には最高のパートナーだよ」
あ、乱暴でガサツなのは否定しないのね。
ちょっと冷静になれた。
「もう一度…いや、何度でも言おう。クレア、あなたを愛している。俺とともにこの先の人生を歩んでほしい」
そう思ったのに、アーネストの再告白が冷静さをはぎ取っていく。
「はい……」
ここまで言われて、なにも返せないほど私だってバカじゃない。溢れる想いで視界が滲むけど、それでもちゃんと言葉を返す。
「私も、好き」
「…クレア!」
「きゃっ!」
アーネストがいきなり立ち上がり、私を抱きしめた。腕の中に閉じ込められ、伝わるぬくもりが、今現実であることを教えてくれる。
(聞けて、よかった…)
ちらりと振り返ると、ネイサンがいい笑顔で親指を立てていた。
最初は何てことしてくれたんだと思ったけど、今だけは感謝だ。
「…クレア、今くらいは俺だけを見ていてほしいな」
そう言われ、顔を戻すと少し眉をひそめて嫉妬するアーネストの顔があった。
その表情がなんともかわいらしくて、笑みがこぼれる。
「大丈夫、ちゃんとあなただけを見るから」
そう言うとほっとした表情を見せてくれる。
それもかわいいと思ってしまうあたり、本当に自分はアーネストを好きなんだなって実感するわ。
その夜は料理人によりごちそうが用意され、ネイサンからは盛大に祝われた。
気恥ずかしかったけど、お祝いされるのに悪い気はしないもの。
ただ、ネイサンは「じゃあもう婚約っすね!」と言われた時は止めた。
「えっ、なんでっすか?」
「く、クレア!?」
婚約を止めたことにアーネストが焦ってる。でも、婚約したくないというわけじゃないのよ。
「だって、半年たった時に『婚約者候補』のままだったら報奨金っていう契約だもの」
「「あ~……」」
今婚約者になってしまったら契約外になってしまうわ。もらえるものはしっかり貰わないと。
そういうわけで、婚約者になるのはあと1か月経ってからにしてもらった。ネイサンからはすごく残念そうな、アーネストからはしょぼくれた顔をされたけど、これだけは譲れないわ。