ex.近藤さん
誤字脱字はお知らせください。泣いて喜びます。
「お疲れ様、あの企画は無事に進みそうだ。頼りにしてるぞ?」
「はい、お任せください」
休憩中、上司が労わりの形として缶コーヒーをブラつかせる。
それに笑顔を見せるのは物腰の柔らかい穏やかな男。
黒髪を七三分けにして、スーツを皺一つなく着こなした模範たる姿。
身体的特徴を上げるとしたら、人よりもやや大柄だった。
「ホントにお前要領いいよな~、羨ましいわ」
「殆ど俺の出る幕は無かったぞ?今回は周りが優秀だった」
昼休憩に定食を口に運びながら、席を同じくする同僚に羨望の眼差しを受ける。
相変わらずの柔和な態度は、嫉妬すら生み出さない。
「それはそれで運がいいじゃねーか、俺もそれに参加してえよ近藤ーっ」
「無理言うなって…」
そんな男の名は――近藤 正邦。
まさに理想的といった人物像をしていた。
真面目で丁寧な人間。そんな評価を受けるのが近藤だ。
学生時代から成績優秀で、友人も多く、そのまま彼はサラリーマンとして勤務。
社会に出た後も業績は文句なし、信頼を築き、金にも困らず順風満帆。
昔の友人との縁から娯楽も嗜み、堅物ではない親しみやすさも持ち合わせている。
だが時間が経ち年を重ねるにつれ、徐々にとある変化が彼を蝕み始めた。
「――藤、近藤?聞いてるのか?」
「ッ、ああ悪い。もう一度頼む」
「なんかお前、最近耳遠くなったか?」
――他人との会話がやけに遠く感じるようになった。
同僚に指摘されて聴力検査へ赴くものの問題は無く、環境音も鮮明に聞こえる。
ただ、人の言葉だけが抜け落ちたように聞き取れない。
「近藤、お前の事は信頼してるし評価してるが…最近は集中力が足りてないんじゃないか?」
やがて仕事にも支障をきたし、注意と叱責が増え始める。
その日は先方の言葉を何度も聞き返し、相手の機嫌を損ねてしまった。
加えて、業務報告でも確認漏れといった伝達ミスも相次いだ。
(あぁクソッ…!何がどうなってんだ…?)
理由もわからない障害だった。
難聴として片づけるには奇妙な現象に、近藤は精神をすり減らす。
やがて生活が一年続くと、ついには頼れる人が彼の元から離れていく。
そもそも頼ったところで聞こえない。聴覚は損なわれていく一方。
次第に無気力な時間が増し、かつての友人との関係も疎かになりつつあった。
そんな疲弊が続く中、ある日近藤は夜の街をフラフラと歩いていた。
特に行きたい場所は無い、これといった用事も無い。ただ、無性に歩きたい気分だった。
とはいえ明日も変わらず仕事はある。
全てを放り出し、どこまでも歩いて行けるような世界ではない。
彼と同じように明日に備え、帰宅する足音や、車の走行音と排気口の音が響く。
(…静かだ)
しかし人が雑多する交差点は彼にとって異質だった。
相変わらず言葉だけが耳から耳へ通り抜け、入ってこない。それ以外の音はすべて鮮明に聞こえるというのに。
一人だけ浮世に捕らわれたような気分であった。
「――ふざけんなっオモテ出ろや!!」
だが怒声が耳朶を打つ。
大声ならば流石の近藤も、なんとか言葉として認識できる。
久方ぶりに感情剥き出しの声を聴いた近藤は肩を震わせ、その出処を探す。
スーツのままで慣れない疾走を繰り返し、見つけたのは二人の酔っ払いだった。
酒が回る内に口論がヒートアップし、店から出てきたのだろう。
お互いに酒瓶を持ったまま取っ組み合いは、奇異の目を集める。
だが周囲は傍観者のままだ、誰も止めようとはせずに遠巻きに眺める。
近藤も高見の見物だった。介入はしない。だが熱が籠った体のまま、その喧嘩を眺める。
二人の吐く罵詈雑言は、何故か鮮明に聞こえたからだ。
――声を張り上げているからか?いや、音量の問題なら単純な難聴と診断されたハズだ。
――伝えたい内容がシンプルな罵声だからか?違う、どれだけ簡単な言葉だろうと聞こえない時は聞えない。
理由を考察する近藤。
だがその間にも酒乱の勢いは増していく。
「――きゃッ」
ついに一人がよろけ、観衆だった女性とぶつかった。
「…!?見てんじゃねえよ!」
男は吠えながら胸倉を掴む。
確かに野次馬として、その場に居た非はあるだろう。
しかしそれ以上に、暴力をふるってしまえば加害者だ。
腕を振り払い、女性を突き飛ばそうとする酔っ払い。
「助けッ――」
――その呟くような漏れ出た音に、近藤は動いた。
「…ア"ン?」
相手の手首を掴み、寸前で止める。
鋭い目つきを送られるも、近藤は意にも介さない。
いや、介している余裕などなかった。
(なんで今ッ、声が聞こえたっ?何が違う!?)
その助けを求める声は、決して大声ではなく、まだ何を言うか不明瞭の段階でも彼の耳に届いた。
激昂する相手を置き去りに、一人驚愕する近藤。
「離せっ!」
だが相手は律儀に待つわけもなく、酒瓶に残っていた酒を全て浴びせられる。
これにようやく思考が引き戻されるも、近藤が掴んだ手は解かれてしまった。
酔っ払いそのまま自由になった拳を握りしめ――。
――殴りつける前に近藤が組み伏せる。
柔道のように、試合ならば一本となるほど綺麗に決まった。
「いだだだだッ」
痛い思いをしてようやく落ち着いたのか、沈静化に成功する。
残ったもう一人の酔っ払いを見れば、気圧されたのか酔いは覚めたようだ。
そんな醒めた目が写すのは、怯えの感情と――酒を被って黒髪がオールバックとなり、スーツも着崩れた近藤だった。
――――――
――――
――
女性からの感謝を受け取り、その場を後にした近藤は自宅に着いていた。
あの後、歩き回る気分にはなれず、ずっとあの感触を思い出している。
「感謝…憎悪…違うな」
悪感情だけは鮮明に聞こえるだとか、感謝だけは心に響くだとか、そんな単純な話ではない。
そんな善悪の問題なら――。
「いや、本音…――本性か!?」
ガバッと起き上がる。
一つの天啓を得た気分だった。
「だがどうやって試す…」
確認しようにも、手段が乏しい。
あんな喧嘩は都合よく何回も起こらない。
故意に発生させる事も出来なくはない。が、社会的信用を失うリスクがある。
(それに生半可な再現じゃ駄目だ――もっと…心からの…)
そうして部屋を見渡すと、彼の眼にはゲーム機が映った。
古くからの友人との縁も切れ、唯一形として残ったそれ。
この思い出の残骸を前に、一つの記憶が蘇る。
――最近、VRってのが出てさぁ!?超ほしくね?めっちゃリアルって聞いたぞ!?
――それ凄い高いんだろ?一体いくらするんだよ…。
それは学生時代最後の会話。卒業間際、友人らと最後に話した中身のない無駄話。
「…久しぶりにやるか、ゲーム」
***
翌日、近藤は有給を使ってVRゲーム機器を購入した。
最初にプレイしたゲームは、銃弾の飛び交うありふれたシューティングゲーム。
「悪くないが…まだ、軽い」
確かにその世界で聞く言葉は、多少聞こえやすくなった気がする。
だが、まだ言葉の重みが足りなく、右から左へと耳を通り抜けるような気分。
その後、近藤は様々なゲームを渡り歩いたが、満足するものは無かった。
プレイスタイルも色々試した。人助けを優先するプレイから、人を侮辱し、陥れるプレイングまで。
やはり感触が良かったのは後者だが、それでも何かが――鬼気迫るような慟哭は無く、響かなかった。
そうして半ば諦めかけていた頃、彼は『ルシフェル・オンライン』というゲームに出会う。
「なんだこれ…」
それを見たとき、近藤は目を疑った。
よもやウイルスに感染しそうなサイトからダウンロードできるそれは、なんと痛覚が存在するという。
「ハッ、ありえねぇだろ…たかがゲームでンな事…」
それどころか、ゲームで使用する通貨は現実とリンクしている。
口座も必要で、情報を見聞きする為の掲示板では現在地という個人情報を公開しなければならない。
――そしてなによりも、大抵の夢は叶ってしまう【天恵】があるという。
あまりの異質さに、光を放つパソコンの前で近藤は固まってしまう。
彼の冷静な思考は、それを非現実的だと否定する。――だが、手で覆われるその口角は上がっていた。
やがて、膨れ上がる好奇心は抑えきれず、それにログインした。
本編とは何の関係もないおまけ。
もともと付与術師として武器を強化して戦うスタイルだった。
裏ギルドを設立してからは拳で。
声ばっか求めてるからこいつ声フェチなんかって書いてて思う




