国一番の美男美女の悩み ー二人で愚痴大会を開きますー
「それでは、失礼致します」
はぁーーーー。
アイリスは扉が閉じると同時に心の中で深いため息をついた。
第四王子の呼び出しは日を追うごとに頻度を増し、確実に仕事に支障が出ていた。髪を思い切り書き上げたいのを我慢して心の中でため息をつく。
はぁ。こんなことをしている暇はないんだけど。
死んだ魚のような目をして王宮を歩く。
アイリスは美麗で名高いクラレンス家の末の娘だ。クラレンス家といえば、貴族の間では「御伽話のクラレンス」と言われるほど有名である。
クラレンス家の人間は必ず美しく生まれる。たとえどんなに平凡な見た目の女を嫁に迎えようと、あるいは武将のような男を婿に迎えようと、クラレンス家に生まれたものは必ず眩しいほど顔面と誰もがうっとりするほどのプロポーションを持って生まれるのである。まるで御伽話のような見た目、御伽話のような一族。それがクラレンス家。
ーーそして当の本人たちは美しさには全く興味はないのもまた有名な話。
基本的に自分たちの容姿に寄ってくる異性を煩わしいと感じている。煩わしいあまり認識阻害の道具すら発明する始末である。別名「持ち腐れのクラレンス」。
クラレンス家人間は、自分たちのことをただの魔術研究馬鹿だと思っている。魔術研究こそ幸せであり人生である。美しさはおまけにすぎない。おまけどころか重荷だ。
アイリスの父は王城の防衛に関する研究をしている。兄たちもまた、何かしらの魔術あるいは魔道具の研究に没頭していた。もちろん、アイリス自身も。
アイリスはクラレンス家の一人娘であり、その美しさ故にありとあらゆる令息たちから求婚を受けているが断り続けている。もはや国中の令息たちの求婚を受けたのでは?と感じるくらいには求婚を受けている。煩わしくて仕方がない。いっそ平民と結婚してしまおうかと思ったものの、それはそれで身分を振り回すタイプの貴族に目をつけられれば面倒だと思ってやめた。
兄たちは婚約者が決まっている。そろそろアイリスも決めなければ、決めなければと思っているけどどうにも興味が湧かない。研究を妨げる煩わしい男はごめんだ。
ーーそもそも、私の美しさに目が眩むような男性は論外だわ。
どうせなら自分に興味のないような人間がいい。研究も続けさせてもらえるといい。放っておいてくれるとパーフェクト。そんなに難しい条件じゃないと思うけれど、なぜこんなに見つからないのか。
はあ、とため息をつく。
アイリスの婚約者が決まらないのをいいことに第四王子に目をつけられたのは今年の初めのこと。長兄と第一皇女の婚約式に出席したらすっかり気に入られてしまった。だから王族の出るパーティは嫌なのだ。うっかり惚れられれば他の貴族のように誘いを断るわけにもいかない。面倒でしかない。
そもそも。そもそもだ。すでに長兄が第一王女と婚約しているのだ。
これ以上クラレンス家から王家に嫁ぐことはない。いくら権力に興味がないクラレンス家とはいえ、権力的によろしくない。だからアイリスが王子がと結婚することはあり得ない、そう誰もがわかっているし、アイリスも、そして王子の周りも何度も進言した。陛下も直接言ってくださった。
が、恋は盲目。第四王子は聞く耳を持たず。
「結婚はしなくてもいい、愛し合いたい」
などと訳のわからないことを言いながら、アイリスをかなりの頻度で王宮に呼び出していた。教育に失敗していると思う。第四王子で皇位継承の可能性が低いとはいえ、ボンクラもいいところだ。
ーーはあ。時間の無駄すぎる。
アイリスの目は相変わらず目は死んでいる。
「気晴らしに温室でも見て帰りましょう」
侍女にそう伝えて、慣れた足取りで王宮の温室へ向かう。この温室は本来であれば王家の、それも皇后が許可した人間しか立ち入ることはできない。
第四王子の茶番に付き合わされる代わりに、皇后が「好きな時に散歩していいわ」と許可したのだった。何を言っても通じない息子のわがままに付き合わせて申し訳ないとも思っての気遣いであった。
ーーあんなに聡明で謙虚な母から、どうして残念な王子が生まれるかな。
ぼんやりと不敬なことを考えながら温室を歩く。
そこには本来首都では見られない、各地や異国の植物たち、蝶や鳥たちが管理されていた。息を吸えばなんともいえない甘い香りがする。
バランスの取れた植え方、管理された花たち。常に最高に美しい状態を保った温い籠。魔術にしか興味がないとはいえ、美しい花々を見るのは悪くない。
アイリスは王子との面会の後、温室の最奥のベンチに座り一息つくのが恒例だった。ただぼうっとして時間を過ごす。王城の者たちは幸いにもアイリスの事情を理解しており、また同情を向けてくれている。だから温室に入る時間を邪魔などしない。
はあ。
何度目かわからないため息をつき、ゆっくりと花を見ながら歩みを進めていくと、ベンチには先客がいた。
「あら?」
視界の先には一人の黒髪の騎士の姿があった。
ーーああ、なんだ、同朋か。
アイリスは心の中で勝手に彼を「同朋」と呼んでいた。
黒髪の騎士といえばフレデリック・ヴェンタール。
皇室騎士団の団長。若き美麗な秀才。領地を中身に各地で魔獣を狩り尽くし、隣国との親善試合で圧勝し、それでいて驕らず寡黙な、小説に出てくるような侯爵家嫡男の団長様。
彼を見るためにたくさんの令嬢が演習場を訪れると聞く。実際に彼が公開演習に現れる日は馬車が混んでいる。
クラレンス家の人間が妖精のような美しさとするならば、フレデリックは黒髪に黄金の瞳、悪魔のように危ういクールな美しさがある。
まあ、要は顔が綺麗で強くて地位のある貴族である。そしてなんと決まった婚約者がいない。アイリスに負けず劣らずの婚約者の座をめぐる静かな戦いが繰り広げられている男である。
彼もまた第五王女に目をつけられアイリスと同じように頻繁に王宮に呼び出されては話し相手をさせられていた。アイリスが彼を「同朋」と呼ぶ所以である。
第四王子と第五皇女は歳の近い末の皇族ということもあり授業のスケジュールが被っているのか、アイリスとフレデリックは呼び出しのたびに出会っていた。
とはいえ、王宮でこの二人が言葉を交わせばそしてそれを誰かに見られようものなら一言一句報告される。
なんなら貴族の間で大きな噂にもなりかねない。「あの噂の美男美女が!?」と大袈裟に騒ぎ立てられ、お互いに王子と皇女から迷惑な嫌がらせを受けることだろう。
自身の顔がどんな影響を及ぼすか、それは重々理解しており簡単な挨拶はするものの言葉を交わしたことはほとんどなかった。
ーー温室で出会うのは初めてね。きっと前回の呼び出しで皇后様が温室への許可をお出しになったのね。
この温室はいわば皇后の私物である。温室を完璧に保つために幾重にも魔術が張り巡らされており、王宮の中で唯一王子たちの監視の目が及ばないところと言っても過言ではない。
だからこそ、アイリスは王子に呼び出された後は決まってこの温室で一息過ごすのだ。
「ごきげんよう、クラレンス嬢」
「ごきげんよう、フレデリック様。兄がいつもお世話になっております」
クラレンス家の長兄は、騎士団の装備にまつわる研究開発を行っている。それゆえに騎士団長とであるフレデリックとは同僚である。しかしアイリスはフレデリックについて噂以上のことは知らない。
「よろしければ、お隣いかがですか」
フレデリックはそういって自身が座っているベンチにハンカチを敷いてみせた。アイリスは意外そうにフレデリックを見下ろす。
ーー数多の求婚を断っていると聞いたけど女性が苦手というわけではないのね。
「ではお言葉に甘えます」
断る理由がないので隣に座る。広い温室。アイリスの侍女が一人。あとは誰もいない。時折鳥たちの鳴き声が響いた。
実はアイリスはフレデリックと会話をしてみたいと前々から思っていた。
それは他の貴族たちが抱く、フレデリックに対する恋情や憧れなどからくるものではなく、単純に、同じ状況に置かれている同朋として。
ーー別にお堅い貴族ってわけでもなさそうだし。
チラリと隣の男の顔を見れば目が合った。そして気さくそうな微笑みを浮かべてくれる。
「お互い苦労しますね」
温室の中でなければおそらく不敬な発言である。一応軽く防音の魔法でもかけておくか。
アイリスは自分たちを小さな円で囲った。瞬間、フレデリックは頭上を見上げる。魔法をかけたことに気付いたようだ。
「失礼かとは思うのですが、フレデリック様とは良い友達になれるのではと思っているんです」
「それは同感です」
「お互いにしか理解できない苦労があるのではと」
「ですね」
「防音魔法かけてるから言いますけれど、私、そろそろ限界なんです」
「私もです」
そして二人揃ってはあ、と長いため息をついた。お互い目が死んでいる。
「フレデリック様、嫌なら断ってくださって構わないのだけど」
「なんでしょう」
「愚痴大会しませんか?」
「…はい?」
「参加者は私とあなただけにはなってしまうけど、誓ってあなたには触れませんし口説きもしません。私、美しい顔というものは幼い頃から見飽きておりますから。それよりも私とあなたしか分からないこのクソみたいな悩みを思い切りぶちまけたいです」
誘った言い訳をするようにアイリスは矢継ぎ早に話す。フレデリックはそれを見てふ、と笑った。
「ふふ、そうですね」
ああ、よかった断られなくて。
この方は笑うと意外と幼く見えるな、とアイリスはフレデリックの笑窪を見て思った。なるほど、この笑顔にみんな落ちるわけか。
「その話、乗りましょう。そして私もアイリス嬢には指一本触れないことを誓いましょう。触れてしまったら、あなたの兄は一生私のことを無視して大変なことになりそうですしね」
「まあ」
お互いくすくすと笑う声が温室に響く。
「お酒はお好きですか?」
アイリスはフレデリックに尋ねる。
「飲む頻度はそこまで多くはないですが、好きですね」
「ふむ、じゃあ今夜空いてます?」
「20時以降であれば」
「であればこれを差し上げます。私の秘密基地への招待状です。20時になると転移するようにセットしておきます」
「これは?」
「誰にも聞かれず、悟られず、思い切り会話できる場所への招待状です。時間になればカードに仕込まれた魔法が発動して転移します。追跡魔法程度では足がつきませんから、ご心配なさらず」
追跡魔法程度、とは言うものの追跡魔法はそれなりに高度な魔法なんだがな、とフレデリックは思う。まあクラレンス家からしてみればそんなものなのか、と普段会話するアイリスの兄を思い出して思う。
「わかりました、必ず20時に持っておきます」
フレデリックは笑顔で白いカードを掲げた。
***
アイリスは自室にいた。手にはフレデリックに渡したものと同じく白いカードを持っている。
これは完全紹介制で、かつ審査を通ったもののみが入手できる、機密性の高い部屋への招待状だ。その部屋に行くにはこのカードを持っていなければならず、そして本人しか使用できない。
貴族の間で『秘密の部屋』と呼ばれる部屋。
予約時間になるとカードから転移魔法が展開され、この国のどこかに存在している秘密の部屋へと移動する。
部屋にドアはなく、執事やメイドもいない。食事や飲み物は全て部屋に仕掛けられた魔法によって用意される。
その部屋は誰も探すことができず、追跡することも監視することも盗聴することもできない。給仕の者もいないため目撃される心配もない。
機密性の高い話をするのに利用される。貴族間の重要な取引や逢引き、要人の緊急保護など。利用料は高いが、その部屋にいる間は身の安全が保証され、飢える心配もない。
追跡や監視の魔法がかけられた人間がこの部屋に入ってきたとしても、部屋に入った途端に追跡は途絶える。魔法は解除または遮断されアーティファクトは破壊される。
それくらい強力な魔法がかけられている。
ゆえにカードを手に入れたい貴族が多いが、カードを持っている者からの紹介で、かつ管理者の認めたものにしか与えられない。王族ですら持っていないカード。管理者は不明となっている。
ーーさすがに管理者が私だとは思わないわよねえ。
これはアイリスの作品だった。
本業の研究の片手間に作ったものだった。数多の貴族に求婚されて辟易していたころ、誰にも追跡されない部屋で自由に時間を過ごしたいという欲のもとに作られた。
発想は思いつきだったものの、いざ作り始めてみれば「いっそ今ある技術を使って最も機密性の高い部屋を作ってみたらどうだろう」とどんどん突き詰めていくうちに、とんでもなくセキュリティレベルの高い部屋が完成した。完成したままにするのも勿体無いだろうという兄のアドバイスにより、小規模ながら事業化したのである。
「我ながらいいものを作ったわよねぇ」
カードを眺めながら一人ごちる。
そして時計から20時を知らせる鐘が鳴り、彼女を『秘密の部屋』へと転送した。
「フレデリック様、ごきげんよう」
「ごきげんよう、クラレンス嬢。ここは…」
「はい。ここは『秘密の部屋』です」
告げるとフレデリックは驚く。
「私の分のカードをどうやって…?」
王族ですら手に入らないカードですよね?とフレデリックは尋ねる。
確かに王族が会員を介して、カードが欲しいと何度も言ってきている。が、アイリスは第四王子の相手をさせられている仕返しのためにそれには応じていなかった。
ーーこの人になら教えても良さそうかしらね。
「この部屋を制作し、管理しているのは私ですから」
「え…?」
「クラレンス家が魔術お馬鹿なのは有名なお話でしょう。この部屋と事業は私が思いつき、作ったものです。ゆえにあなたのカードも常に持っている予備のうちの一つです。お酒を用意しますわね」
驚いているフレデリックをよそに、アイリスは自分の部屋のように部屋に仕掛けられた魔法を作動させていく。二人の前に二つのグラス。魔法で自動的に氷が用意され、ウィスキーが注がれた。
フレデリックは諦めたようにはあ、とため息をつくと上着を脱いでソファに身を預けた。
「有名なのでご存知かとは思いますが念の為ご説明しますね。この部屋で語られたことは決して外部に漏れることはありません。それはどんなに一流の魔術師が盗聴や追跡の魔法をかけられていたとしても、あなたがこの部屋に来たこと、そして話したことは知ることができないでしょう。第四王子であれ、第五王女であれ、私たちがここにきたことを知ることは不可能です。なのでご安心を。そんなことより、」
アイリスは言葉を区切る。
注ぎ終わったウィスキーのグラスを一つ、フレデリックに渡す。フレデリックは途中で言葉を切ったアイリスを不思議そうに見つめた。
「早速愚痴大会、開きたいのですけど良いですか??」
ウィスキー片手に真剣な眼差しで聞いてくるアイリスを見て、フレデリックは思わず「ふはっ」と笑った。
「喜んで」
アイリスは「やはり同朋ですわね」と言ってグラスを掲げた。フレデリックも笑ってグラスをぶつけたのだった。
***
「もうほんっとうに王子ったら気持ち悪いんです!毎回毎回うっとりした顔で私の顔と谷間を交互に見ながらねっとりした声で「会いたかったぞ、愛しのアイリス嬢」なんて言うのよ!?」
アイリスはガンッっとウィスキーの入ったグラスをテーブルに叩きつけた。だいぶ酔っている。もはや何杯目かはわからないが、部屋に仕掛けられた魔法によって、空いたグラスにはウィスキーが補充される。酔っ払いシステム。
「『会いたかったぞ、愛しのアイリス嬢』」
フレデリックは王子の声を真似て、顎に手を当てて真剣な眼差しで言う。
「やだ、フレデリック様ったらそっくり」
「伊達に普段王族を警護してませんから」
「騎士団長なのに不敬だわ」
「誘ったのはあなたでしょう。「様」は要りません。フレデリックと呼んでください。年は同じなんですし」
「そうなの?」
「ええ、なんなら敬語も外していただいて構いません」
「フレデリックは女性が嫌いなのかと思ってました。ああ、私のことはアイリスと呼んでくださいな。兄とも紛らわしいでしょう。敬語は慣れないから追々で良いかしら」
「もちろんです。私もあなたは男性が嫌いなのかと思っていましたよ。王子の部屋を出た後はいつも死んだ魚のような目をしていましたし」
フレデリックもまたウィスキーを煽る。こちらも随分と酔っているようだ。
「皇女様も大概です。ものすごい香水の匂いをさせながら媚薬を混ぜた飲み物を私に飲ませようとしてくるんですから」
「やだ、皇女様ったら大胆。飲んだ感想は?」
「まさか。あの手この手で毎回飲み物には手をつけないようにしています。万が一があっては大変ですからね」
「感想を知りたかったのに」
「ご興味がおありで?」
「フレデリックも敬語じゃなくていいわよ。興味があるというよりは感想を聞きたいわ。おそらくうちの家門のものが作ったでしょうから」
「ああ、なるほど」
彼らは一方的に王室に好意を向けられる。が、それに応えることはない。けれど婚約者がいないがために断ることもできない。顔面が良すぎるのだ、ただそれだけの理由で王族のわがままにまで付き合わなければならない。
二人は最高にストレスが溜まっていた。
王族への不満など、人前で言うわけにはいかない。それに誰かに言ったところで顔が良すぎるが故の悩みなどわかってくれるはずもない。
なんなら王族とのコネクションが軽々とできたことに嫉妬されることだってあり得る。
フレデリックとアイリスはお互いが唯一の理解者だった。
「私、仕事をやめたくないの。でも私のように美しい人間は着飾って黙って座ってればいい、みたいな考えの人がほとんどでしょ。だから婚約者探しに一家で困っていて」
顔を酔いで赤らめながら力説する。同じく顔を赤くしたフレデリックもまた、うんうんと頷く。
「俺も、俺の顔に魅力を感じず、また不在にしがちな俺に何も思わない人がいいですね。ただどうしてもみなさんこの顔が良いみたいで。ずっとそばにいてほしいって口々に」
ーーそうよね、とアイリスはため息をつく。
同じような状況だろう。口説かれる口上も、とんでもない贈り物も、全て予想ができた。そしてアイリスははたと閃く。
「やだ、ちょっとまって、フレデリック、今名案を思いついたのだけど」
「なんです??」
フレデリックは真っ赤な顔をかしげる。
「嫌なら正直に言って」
と前置きして続ける。
「私たちが結婚すればいいのではないかしら…?」
フレデリックはハッとしたようにアイリスを見る。お互いキラキラとした目と目が合う。
「た、確かに!」
「フレデリック、私の顔をどう思う!?」
「美しいとは思いますが、それだけです!」
「そうよね!?私もあなたの顔のこと、なんっとも思わないわ!」
確かに整っているな、とは思うがそれだけだった。それはそう、彼らには輝く顔面を持った家族がいるのだ。二人はもう自棄になって続ける。
「ねえねえねえ!名案ではないかしら??あなたはどう思う?」
「確かに、妖精と名高い兄を二人持つアイリス嬢なら、俺の顔に盲目的になることはないでしょうね。ただ…」
「ただ?」
「俺の妻になれば苦労をかけることになります」
「それは帝国中の令嬢を敵に回すという意味で?」
「いえ、いや、まあそれはあるかもしれないけど、お互い様で、そうではなくて、」
フレデリックは気まずそうな表情をする。
「我が領地は北部領です。善処はしていますがあまり豊かな土地とは言えません」
帝国で最も農作物が育ちにくく、また頻繁に魔獣が出る。
好んで住むものはおらず、そのせいで何かしらの理由で土地を追われたものたちが集まる土地と言われていた。主な収入は魔獣を狩ることで得られる素材だが、それはお人よしな先代領主のせいでずいぶんと安く買い叩かれているのは有名な話だ。
だがアイリスは任せろと言わんばかりに、大きな声で反応する。
「やだ、そんなのは瑣末なことだわ。誰がクラレンス領を国の穀物庫と呼ばれるまで育てたと思っているのよ」
えっへんと胸を張る。
「ここだけの話、クラレンスの領地を運営しているのは私よ。私の研究は、まあざっくり言ってしまえば土地を豊かにすることだから」
アイリスの研究は、いかに庶民の生活を豊かにできるのかということだった。彼女は王城の研究に没頭する父に変わり、魔道具を駆使して領地に巨大な農場を作り領地を国一番の穀倉地帯にまで育て上げた。今では最も住みたい領地とまで言われているほどだ。
クラレンス領の穀物の生産量が近年国内一位になったことは有名だが、その理由については明かされていなかった。
「だから領地運営もまかせなさいな!私たちが結婚したらとりあえずその年の冬は西の穀物を、魔物の毛皮を対価に取引しましょう。次の年には領地で冬を越せる分だけの食料を収穫できるようにして差し上げます!」
そう宣言してさらに酒を煽る。
「そんな都合の良いことがあって良いのか?」
フレデリックもまた、釣られて酒を煽りつつ問う。
「ほかには?あなたは私との結婚になにか懸念点はあるかしら?」
「俺はあなたが領地にいる間も首都にいるけどそれでもいいのか?」
不安そうなフレデリックに対し、アイリスは舐めるなと言わんばかりに「はんっ」と息を吐く。
「言ったでしょう。私は仕事がしたいの。別にあなたがどこに居ようと気にしないわ。まあどうしてもってなったら首都と北部領でポータルでも繋いでおけばいいでしょ。はあ、北の大地、厳しい冬の大地、魔物の溢れる土地。いいわね、前途多難な土地を豊かな土地にするなんて実に魅力的だわ」
アイリスは北部領をを思いうっとりする。自身の顔ではなく、北部領が魅力だという。そんなことはフレデリックにとって初めてのことだった。
「アイリスは懸念はないのですか?」
「そうねえ、まあできればそれなりに仲良くやっていきたいわね」
「それは俺も同じです」
「私はあなたのこと、顔を抜きにしても好ましく思っているんだけどあなたはどうかしら?私と結婚生活すること、想像できる?想像できるかどうかって案外大事なことよ」
言われてフレデリックは自分でも驚くほどすぐにアイリスとの結婚生活が想像できた。
顔面に陶酔することもなく、お互いの仕事を尊重して、静かに暮らせそうだ。子供も作ろう。おそらく輝く宝石のような子供達が生まれそうではあるが、お互いの処世術を教えてなるべく苦労しないように守ってもいけそうだ。
「ふむ、自分でも驚くほど簡単に想像できました」
「では一旦進めても良い?」
「一旦と言わず、一気に行きましょう」
フレデリックは右手を差し出す。アイリスは勢いよくその手をつかみ、握手をした。
「よし、では今父上に許可をとるわ」
「今!?」
「我が家はね、研究に没頭して家に帰らないことも多いから連絡だけはすぐに取れるようにしてあるの」
アイリスは部屋の隅にある鏡に向かい魔法を唱え始めた。どうやら父と通信するらしい。
こんな遅くに父上に連絡して大丈夫か…??しかも婚約の連絡を…?と不安になる。
アイリスは部屋の隅で父親と通信をしている。しばらくすると一枚の書類を持ってフレデリックの対面へと戻ってきた。
「こちらが婚約の書類よ」
アイリスは署名欄が空欄の、王の署名入りの紙を持って戻ってきた。フレデリックは署名入りの書類をみてぎょっと驚く。
「王子のわがままに付き合わされる代わりに、王家に対価を求めて得た書類。王子と結婚するなんて絶対にあり得ないのに思い出作りのために研究時間を削るんだから。陛下にお願いして、婚約と結婚許可証をもらったの」
「随分と強気ですね?」
「当然の権利だわ。この書類にお互いがサインして提出すれば、それだけで許可されます。父上にも先ほど許可をもらったわ。フレデリックは?ご両親に相談する必要があるんじゃない?」
「いえ、私の両親は私が誰でもいいので早く結婚することを望んでいるので事後報告で良いでしょう」
むしろ両親に小言を言われることより、今ここでこのチャンスを逃すことの方が恐ろしいまである。
驚くほどとんとん拍子で物事が決まっていく。
「じゃあ明日、お互いの気持ちが変わっていなければ提出ね」
「何から何までありがとうございます」
「それはこちらのセリフよ。はあ、北部領、ずっと行ってみたかったの」
「何もないところですよ?」
「何をおっしゃいます!魔物が出るということは、それだけ資源が豊富ということです!」
それから彼らは語り合った。
王子たちの愚痴を言ったり、北部領の問題に向き合ってみたり、お互いを褒めあってみたり、なんだかんだ盛り上がり最終的には見事にベッドインしたのだった。
それから二人は婚約して三ヶ月で結婚した。
アイリスは宣言通り北部の食料問題を解決し、三年もたてば北部は随分と賑やかな都市になった。婚約した後も諦めきれない皇子と皇女が何度か妨害を試みたが、全て失敗に終わった。
領地が落ち着くとアイリスは主な住まいを首都に移した。そしてアイリスとフレデリックの間には三人の子供が産まれた。みんなそれぞれ天使のような見た目を持って産まれた。あまりにも愛らしい見た目に同世代の貴族たちはざわめき、そして結婚させたいと子作りに勤しみ始めたと言う噂があるくらいだ。
「うーん、この子達のためにもやはり「ちょっと不細工に見える魔道具」ってあった方が良いかしら」
「気配を薄くする魔道具の方がいいんじゃない?」
「それはそれで犯罪に悪用されないかしら…」
「確かに」
「私たちみたいに王族に目をつけられたらどうしましょ」
「その時は隣国に留学させよう、この間の交流試合で隣国の王家と接点ができたんだ」
「フレディったら、この子達のことが大好きなのね」
「ああ、愛してるよ。でも君が一番」
この国で一番の顔を持つ男と女が幸せそうに微笑んで、豊かになった北部領を眺めていた。