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私の姉は、きれいなクズ  作者: 水上栞
第七章 美人と呼ばれた女の末路
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3・たった二人の姉妹じゃないの

 

2021年11月16日(火曜日)



 家を出てからの数年のうち、絢華は何度か実家に顔を出している。もちろん、母親の顔を見たいなどという殊勝な理由ではなく、家探しが目的であった。母の寝室は鍵と金庫に守られているので、狙いはリビングルームである。テレビボードの下は大きな引き出しになっており、雑多な紙類が収納されている。その中に絢華の欲しい情報があった。妹夫婦の連絡先である。


 妹の絵梨とは長年疎遠だったので、お互いの携帯番号さえ交換していない。母親に聞いても教えてもらえず、あちこちで調べていたのだが分からないままだった。しかしこの引き出しになら、何か手がかりがあるのではないか。


 そう考えた絢華の勘は正しかった。残念ながら妹の住所がわかるものは見つからなかったが、「与田昌司」と書かれた名刺が奥から出てきた。大手製薬会社の営業部に所属している人物だ。裏面に母の筆跡で「エリ14時〇〇駅」と走り書きがしてある。きっと妹夫婦と待ち合わせでもしたのだろう。これで、ほぼ義弟であることが確定した。絢華はにやりと口角を上げた。



「一流企業の社員なんだから、少しくらい義理の姉に都合したって罰は当たらないわよね」



 絢華は早速、数日後にその会社を訪ねてみた。最近の企業は出入りのセキュリティが厳しいが、まさにそのビルがそうだった。カードキーを持っていないと、1階のインターフォンの先に進めない。仕方なく絢華は、与田を呼び出してもらうことにした。



「恐れ入りますが、アポイントのないお客さまは面会をお断りさせて頂いております」



 木で鼻を括ったような女の声が、冷たく絢華を拒絶した。しかしここで退いては、せっかく来た甲斐がない。絢華は執拗に食い下がった。



「与田さんの、義理の姉なんです。取り次いでもらえませんか」


「それでしたら、本人に直接ご連絡頂いてよろしいでしょうか」


「ちょっと事情があって、番号を知らないんです。一階まで降りてくるように言ってください」


「申し訳ございませんが、社の規則でございますのでお引き取りください」



 どうやっても取り次いでもらえそうになかったので、絢華は強硬手段に出た。ビルから出てくる人間に片っ端から声をかけ、ここで働いている与田昌司を知っているかと尋ねて回ったのである。


 ところが、何人かに声かけをしたところで、警備員が来てしまった。不審者がいると通報されてしまったようだ。絢華は脱兎のごとく逃げ出し、作戦の失敗に舌打ちをした。母が頼りにならない今、残された親族は妹だけなのに、全く連絡が取れない。絢華の顔に焦りが浮かんだ。



 毎月のリボ払いに、日々の食費や雑費、そして今もあちこち手を入れている美容医療。できれば、それらの不足分を妹夫婦に補ってもらいたい。取りあえず月末までに30万円ほど用立てできなければ、方々の支払いを滞納して利子が増えてしまう。絢華は金銭的に追い詰められていた。






 そうしているうちに、絢華はとうとう四十路になった。男たちから声がかかることもめっきり減って、借金の利子ばかりが膨らんでいく日々である。そんなある日、絢華の勤める店に一人の男がやってきた。クラブと銘打ってはいるが、実質はスナックなので飛び込みの一人客もしばしば訪れる。男はカウンターの端に陣取り、薄い水割りをちびちびと舐めていた。



「何のお仕事をされているんですか」



 店のママが、初めての客に必ず聞く質問を投げる。男は気怠そうに笑うと「ヤクの売人ですよ」と返事をした。



「あら、そうなんですね。ふふっ」



 ママも愛想笑いを浮かべながら、男の話に合わせている。この世界に長くいる女なので、余計な詮索はしない。男はそれで気を良くしたのか、ビジネスバッグの中から何やら取り出しカウンターに置いた。防湿ジッパーが付いた、薄いアルミの袋だ。



「嘘だと思ってるでしょ。本当に売人ですよ、その証拠がこれ」


「まあ、何かしら」


「美肌に効果のあるサプリですよ。2週間分のサンプル、よかったら飲んでみて」




 男はその後、もう一杯だけ水割りを呑んで帰っていった。サプリらしき袋は、ママから「知らない人にもらった物は気味が悪い」と、捨てるよう言われていたが、絢華はそれをこっそりと持ち帰った。もちろん絢華も中身を疑わしいとは思った。しかし、男が言った「美肌」という言葉が耳から離れなかったのだ。



 金銭面の逼迫から来る精神的なプレッシャーのせいか、最近の絢華は肌荒れに悩まされていた。昔のように足繁く光治療に通う金がない上に、食事はコンビニ頼り。深夜に帰宅して昼前に起きる不規則な生活が続けば、四十路前の肌が健康を保てるはずがない。毎日、出勤前に鏡の前で化粧のノリの悪さを嘆いていたので、それが解消できるなら、多少怪しい薬でも試してみる価値はある。




 そして2週間が過ぎ、絢華は毎夜「売人」の来店を待つようになった。恐る恐る試してみたサプリが、思いのほか効果があったのである。後に警察の調べで判明したことだが、そのサプリは皮膚科で肌荒れに処方される高濃度のマルチビタミンで、医学的なエビデンスが実証されているものだった。


 そのため、絢華も口の周りとアゴにできていた吹き出物やくすみが目立たなくなり、肌全体にうるおいが戻ってきた。光治療ほど劇的ではないにせよ、飲むだけでこれほど調子が良くなるなら、ぜひとも続けたい。そう思って彼の来訪を待っていたのだが、間もなく半年が過ぎようかというのに、例の男は一向に顔を出さない。


 もともと一見客だったので、酔った気まぐれで立ち寄ったのかもしれない。しかし、せめてあのサプリの入手先だけは聞き出したい。そう思っていた願いが天に通じたのか、絢華はある日コンビニで売人の姿を見かけた。慌てて駆け寄り肩を叩くと、「自称ヤクの売人」は驚いたように目を見開き、やがて「あっ」と小さな声を出した。



「もしかして、いつか飲みに行った店のお姉さん」


「正解です、覚えていてくださってありがとうございます」


「こちらこそ、一回しか行ってないのに。よく覚えてましたね」


「ずっとお店に来てくれないかなって、待ってたんです。いただいたサプリ、すごく良かったので、ぜひ続けたいと思っていて。あれは、どこで買えるのかしら」



 本当は先日のようにタダでもらいたかったが、売人にヘソを曲げられてサプリが手に入らなくなるのは困る。絢華にしては低姿勢でお願いしてみたところ、男は眉間にしわを寄せた。



「困ったな、あれはサンプルだから市販されてないんですよ」



 そう言われて絢華は肩を落とした。せっかく効果を得られたのに、手に入らないとは。しかしがっかりした様子の絢華に、男は例の薄い袋を差し出した。



「とりあえずこれ、どうぞ。一か月分です」


「えっ、ありがとう……ございます。いいんですか?」



 男が言うには、そのサプリは発売前のテスト段階で、たまたま医療機関や薬局に配るサンプルの手持ちがあったらしい。絢華は喜んでその袋をハンドバッグにしまい込んだ。



「あの、お代はどうしたら」


「いや、売り物じゃないんで結構ですよ。無事に発売されたら、うんと宣伝してください」


「もちろんです。ただ、これを飲み終わっちゃったら困るな」


「うーん、また来月にはまた手に入るかも。ただし店には行かないよ。あの店、けっこう高いわりにママさん愛想がないんだもの」



 男はそう言って笑い、絢華にまたサプリを持ってくることを約束した。仕事で毎月この時期に、近くまで来る用事があるらしい。意外だったのが、彼が絢華に金も体も要求しなかったことだ。絢華はてっきり金を取られるか、もしくは口説いてくると思っていたが、男は連絡先も交換せずに去っていった。単に意気地がないのか、全く欲がないのか。どちらにしても目的のものが手に入った絢華は満足であった。




 それから絢華は男と、店近くのコンビニで毎月会うようになった。相変わらず男は無料で絢華にサプリを届け、軽い世間話をしてあっさりと帰ってしまう。そのうち絢華は男をすっかり信用し、健康の悩みをあれこれと相談するようになった。実は最近、絢華はひどい頭痛と不眠症に悩まされていたのだ。


 酒は極めて弱い絢華だが、仕事がら全く飲まないわけにはいかない。客にすすめられて飲酒するたびに、頭が痛くなりアスピリンで誤魔化す。それを続けることで、肌荒れや不眠がひどくなっていたのだ。



「うーん、それならいいサプリがありますよ。サンプル、試してみる?」



 用心深いはずの絢華が、そう言われて飛びつくように飲んだ。それが遺体から検出されたバルビツール系の睡眠薬である。最初は一錠で驚くほど効果があったが、そのうち量が増えて、どんどん中毒に近い状態になっていった。




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― 新着の感想 ―
『単に意気地がないのか、全く欲がないのか』 おんどれに価値がないからじゃあ!
その男、悪の手先やで〜。 絢華ちゃん。もうちょい考えていきてかないと……。
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