2・整形してみたけど、思ってたんと違う
2020年2月8日(土曜日)
モニターになった絢華の仕事は、まずシミ取りレーザーから始まった。光線で素肌を照らすとシミの予備軍が浮かび上がる装置があり、それによると絢華の頬骨辺りには無数のシミがスタンバイしているらしい。
「光治療は新陳代謝が促されるぶん、肌の奥にあるシミも浮かび上がってくるんですよ」
嘘か誠かよくわからない口上を述べる看護師に、バシバシとレーザーを打たれ絢華の頬は赤く腫れあがった。客だったころと比べて、モニターの扱いは手荒な気がする。さらに施術が終わった後は四方八方から写真を撮られ、毎日の変化を記録する作業もある。もちろんその写真はクリニックの宣伝に使用されるし、時には新規の客に実際の仕上がりを見せることもあった。
もとから整った絢華の顔立ちを、手塚は「自分の手術によるもの」と触れ回っているようで、そういう意味でも絢華は恰好の素材だったようだ。こうして絢華は手塚クリニックの広告塔として、思っていたよりも多忙な毎日を過ごした。
そんなある日、ついに手塚がオペの話を持ちかけてきた。実を言えば絢華は、顔にメスを入れるのは恐ろしかった。できればレーザーや、せめて注射で何とかできないかと思ったが、モニターで金をもらっている以上はそうも言っていられない。
「目の下のたるみと、ほうれい線。これはフィラーで処置すると不自然になりがちだし、年齢とともに崩れやすいので手術がおすすめだよ」
なるほど手塚の指摘する箇所は、絢華も気になっていた部分である。若い女の子がメイクで強調する涙袋とは、あきらかに違う影。そして悩みのほうれい線は、年を追うごとにくっきりと深くなってきている。絢華は勇気を出して、手術を受けることにした。若いうちに手術しておけば、それ以後の老化スピードが遅くなるというし、しわくちゃになってから手術するのは人生の無駄だと思ったからだ。
こうして絢華は、何度かの手術を受けた。最初はもっとも気になるほうれい線を消すためのフェイスリフトである。これは確かにほうれい線が薄くなったし、口角のたるみも解消されたが、とにかくダウンタイムが長くて困った。痛みはともかく、髪をかき上げるたびに縫合の痕が見えてしまうので、体で稼ぐ小遣い稼ぎができないのだ。
絢華はクレジットカードをリボルビング払いにしており、考えなしに買った服やバッグの代金が、羽振りの良かった頃と同じく毎月10万円引き落とされる。これは今の絢華の稼ぎでは多すぎる出費であった。そのため常に男たちから金を引き出す必要に迫られている。
それでも、自身の美貌が最盛期に戻る夢を信じて、絢華は手塚の言う通りに手術を受けた。フェイスリフトに続いて、唇にハリを与えるヒアルロン酸注入、目の下のたるみを除去するアイリフトも行った。この頃すでに絢華は、美容整形依存症になりかけていたのかもしれない。手術さえすれば、20代の美しさが取り戻せると信じていたのだ。
ところが、アイリフトの腫れが引くころになると、絢華は自分の顔に違和感を覚えるようになった。ぱっちりとしていたはずの目元が、一回り小さくなった気がするし、皮膚を引っ張ったせいか全体的に平面的な顔立ちになった。手塚はそのうち落ち着くと言うが、昔の美貌どころか格段にレベルが下がっている。絢華は強烈な不安を覚えた。
「美容形成ってそういうもんだよ。ひとつのパーツを整えると、他のパーツとのバランスが変わるのは当たり前。そのたびに微調整しながら、全体を仕上げていくのが成功するセオリーだから」
絢華の訴えを、手塚は面倒くさそうに切り捨てた。腕のいい外科医ならば、最初からバランスよく仕上げることもできるだろうが、手塚はそこまでの技術がない。術後の絢華の顔は、確かに若く見えるしシワやたるみも解消されたが、あからさまに「整形しました」という感が否めない。絢華はようやくここへ来て、安易にモニターになってしまったことを後悔した。自分が持っていた唯一の武器である、天賦の美貌をすり減らしてしまったのだ。
「先生、元の顔に戻してください」
「いや、一旦手術をしたら全く元には戻らないよ。それも含めてモニター引き受けてくれたんでしょ」
手塚に突き放されて契約書を再確認すると、そこには手術結果の如何に関わらずクレームを入れないという但し書きがあった。絢華は何とかその違和感を解消しようと、部分的な手術を求めるようになり、いよいよ顔立ちは人工的になっていった。
そして間もなく39歳になろうかという頃、絢華は手塚のクリニックからモニター契約解除の通告を受けた。もう顔も体も手を入れすぎて、ビフォーアフターの検証ができなくなったためだ。当然、ワンルームマンションも出ていくことになり、絢華は頭を抱えた。貯えもなく、金蔓になる男もなく、美貌さえも失われたアラフォー女は、もはや路頭に迷うしかない。
手持の金も底をついていたため、絢華は仕方なく実家へ戻った。ところが、家の雰囲気が何だかおかしい。以前は絢華を猫かわいがりしていた母の祥子が、絢華が戻ってきたことを歓迎していない。今日も昼過ぎに起きて、何か食べ物はないかと尋ねた絢華に、祥子は厳しい口調で言い放った。
「絢華ちゃん、そろそろ自分のことは自分でやってちょうだい。お客さまじゃないんだから」
「なんでよ、ここは私の実家なのに」
「実家だけど、もうあなたは小さな子どもじゃないでしょう。一応は主婦だったんだし、居候するなら家事くらいやってもらわないと困るわ」
感情のこもらない声が、鼓膜で不協和音を奏でる。いきなり冷たく突き放されて呆然とする絢華に、祥子はさらに畳みかけた。
「家事をしたくないんなら、働いてお金を家に入れてちょうだい。ニートの娘を養えるほど、お母さんには余裕がないの。それに──」
「……それに?」
「どうして、そんな顔になっちゃったの。せっかく、きれいに産んであげたのに。ご近所でどんな噂が立つか、お母さんの立場も考えて欲しいわ!」
そう言うと祥子は、自分の部屋へ去っていった。それを聞いて、絢華はショックを受けた。疎ましがられているのは知っていた。前に実家に出戻ったとき、母の貴金属を盗んだり、財布から金を抜いたことを根に持っているのだろうが、いざ娘の顔を見れば「仕方ないわね」と甘やかしてくれると思っていた。
しかし母は整形した絢華の顔を見るや、化け物を見るような嫌悪を露にした。自分でも失敗したなと思っているだけに、元の顔を知る母親にそう言われたことが、絢華には耐えがたいダメージだった。
さらには、家の中の防犯が厳しくなっているのも絢華には屈辱だった。昨日、母の留守中に寝室に侵入しようとしたら、見たこともない鍵が付けられていた。ヘアピンで鍵をこじ開けて中へ入ってみれば、金目の物は見当たらず、代わりに押し入れに小型金庫が設置してある。さすがにそれは絢華でも開けられないので、歯噛みしながら自室へ戻ったのだ。
せっかく上げ膳据え膳でゆっくりしようと思っていたのに、働いて金を入れて小言まで喰らうのなら、実家にはもう何のメリットもない。しかも、母親も自分の味方ではなくなっている。絢華はその日のうちに実家を出ていった。
それからの絢華の暮らしは、やけっぱちと言ってもいい荒れようだった。会社員になろうと思えば可能な年齢であったが、あまりにもブランクがあり過ぎるし、経歴を詐称しなくてはどこも雇ってはくれないだろう。
絢華はまず、向かない職種ではあったが熟女専門のソープに飛び込み、寮で暮らしながら小金を貯めた。元は売れっ子少女モデルで、歯科医の妻でもあった。そんな自分がなぜこんな屈辱に耐えねばならぬのかと悶える日々であったが、同時にまだチャンスはあると信じる気持ちもあった。
やや人工的な顔立ちになってしまったが、同じ年の女に比べれば、はるかに美しいし若く見える。そんな自分を高みに導いてくれる男が、きっと現れると機を伺っていたのだ。絢華はそういう面では、非常に諦めの悪い女であった。
やがて絢華は店で懇ろになった男の家に転がり込み、ソープをやめてクラブとは名ばかりの、雑居ビルにある小さな店で働くようになった。絢華が死んだときに勤めていた店である。やがてその男とは別れて、何人かの男の家を転々とした挙句、旧いアパートの二階で暮らし始めた。絢華が間もなく40歳になろうかという頃である。




