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私の姉は、きれいなクズ  作者: 水上栞
第七章 美人と呼ばれた女の末路
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1・絢華、メンテナンスに目覚める

 

2019年8月20日(火曜日)



 先日、絢華は37歳の誕生日を迎えた。稲田会長が死去し、サービスドアパートメントを追い出されて以来、絢華は男のもとを転々として暮らしていた。


 セレブがいいだの、年収がどうだの、選り好みしている余裕はなかった。口説いてくる中から面倒を見てくれそうな男をつかまえては、手当たり次第に寄生した。こうなってもまだ、自分で働いて身を立てようという気にならないのが絢華である。



 その中に裏稼業の中国人がいた。最初は張本という通名を使っていたが、本名は張明という華僑である。金時計に釣られて転がり込んだ高級マンションには、絢華の他にも二人の女が囲われており、全員GPS内蔵のブレスレットを装着されていた。



「いいか、外そうなんて思うなよ。これは特殊な工具でしか外れない特別製で、もし無理に外そうとしたら、すぐ俺に通知が来る」



 張はそう言って、頬に冷たい笑みを浮かべた。さすがの絢華も「ちょっとこれはまずい」と思ったが、下手に逃げると殺されそうなので大人しく従った。しかしある日、クラブの仕事から帰ると、一緒に住んでいる女の一人が慌てた様子で走り回っている。絢華は不思議に思って、その理由を聞いてみた。



「ねえ、どうしたの?」


「あっ、あんた、早く逃げないと!」


「えっ、何なの、どこに逃げるの」


「知らないわよ、そんなの自分で考えな! 張先生が逮捕されちゃったのよ、ここにもすぐに警察が来る!」



 それを聞いて絢華は自分の部屋に飛んでいき、わずかな荷物を大急ぎでまとめた。そして逃げ込んだ場末の安ホテルで、張が麻薬取締法違反で逮捕されたというニュースを見た。ヤバい男から逃げられたのは幸運だったが、自分も警察に呼ばれるのではという恐怖で、絢華はしばらく怯えて暮らした。


 結局、警察からの事情聴取などはなく、やがていつもの日常に戻った。特殊な工具が必要と言われていたブレスレットも、何のことはない。客のひとりにバイク屋がおり、あっさりと六角レンチで外してくれた。大騒ぎした割には拍子抜けだったが、それ以来絢華は男の素性をしっかり見極めるようになった。




 その後も絢華は、宗教法人の幹部や学習塾の経営者、運送会社の親方など、店の客やネットで漁った男など、手当たり次第に食い物にしていったが、20代と比べると明らかに男のレベルも貢がせる金も下降線をたどった。絢華はその原因が、自身の容色の衰えにあると確信していた。



 きっかけは、店で撮ったスナップ写真だ。それを見て絢華は、愕然とした。自分に良く似た中年女が、だらしなく口角を下げて笑っているではないか。しかも、目の下には青黒いクマまで浮いている。慌てて翌日、自然光で素顔を観察してみると、うっすらとほうれい線のヒビが認められた。しかも頬の高い部分にシミらしきものまで見える。絢華は叫び声をあげそうになった。



「美容液? エステ? いや、美容外科?」



 20代の頃は、高級化粧品を使いエステにも毎週のように通っていた。しかしそれで肌が保てたのは、若かったせいもある。この年齢ならメディカル一択だろう。そう考えた絢華は初めて美容外科を訪れ、光治療5回で5万5000円のコースを試すことにした。シミに直撃するレーザーと違い、肌全体の若返りが期待できるらしい。



「山下さんは、年齢の割にきれいなお肌をしておられるので、最初は肌の基礎力をアップすることから始めましょう。光治療はくすみ解消だけでなく、シワの改善にも効果があるんですよ」



 ゴーグルをつけた向こうで、パシッという音が聞こえる。肌に当たる少し痛いくらいの刺激を感じつつ、絢華は施術者の声に期待を膨らませた。何しろ、店では28歳ということになっている。実年齢から10歳近くサバを読んでいるのだ。絶対に老けこむわけにはいかない。


 そして5回の施術が終わり、しばらくはあまり変化がない気がして不満だった絢華だが、肌のターンオーバーが整う頃になると、明らかに肌に透明感が出ていることを実感した。ほうれい線も心なしか薄くなっている。絢華は目を輝かせて、クリニックに次回予約の電話を入れた。



 こうなると、発生してくるのが金の問題だ。絢華は今もヘルプなので、稼ぎは月に手取り30万ほどである。これでも一般のOLに比べると多いが、そこから衣装代や美容院代、交通費などが飛んでいくため、そうそう美容医療に費やす余裕はなかった。さらに、今は時たま体を売るチャンスがある程度で、生活の面倒を見てくれる男がいない。困った絢華は、つい危ない橋を渡った。客の財布に手を出してしまったのだ。




 酔って足元の怪しくなった客をエレベーターまで送るついでに、素早く財布から金を抜く。万引きで鍛えた絢華の腕は未だ現役で、月に7~8万円はこの手口で稼いだ。酔客はクラブで安くない飲み代を支払い、タクシーで帰宅する。財布の残高などはっきり覚えていないはずで、そこが絢華の狙い目だった。



 そうして絢華がせっせと美容医療に金を注ぎ込む中、恐れていたことが発覚した。実年齢がバレてしまったのだ。しかも、最も絢華が苦手としているお局、玲子にである。実際は絢華より玲子の方が2歳若いのだが、絢華は年齢詐称しているためいつも「姉さん」と呼んで年寄り扱いしていた。


 それなのに、うっかりロッカールームに病院の診察券を落としてしまった。旧式な総合病院にありがちな、表に生年月日が印字された券である。それを玲子が拾ったらしい。翌日、診察券を絢華の目の前に突き付け、玲子が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。



「ごめんなさいねぇ、見られたくなかったわよね。でも、私が悪いんじゃないからねぇ?」



 同僚のホステスたちが、それを横目で見ながらニヤニヤしている。絢華は意地で平静を装い「ありがとうございます」と微笑みを返したが、腹の中は煮えくり返っていた。これから、何かにつけ年齢のことで攻撃されるに違いない。そして思った通り、その日から全員に「姉さん」と呼ばれるようになった。



 こうなると、さすがにメンタルの強い絢華でも居心地が悪い。近いうちに店を変わろうかと考えたが、それでは逃げるようで悔しいし、次の仕事が見つかるかどうかもわからない。そんな迷える絢華に、天から救いの手が差し伸べられた。美容モニターのアルバイトである。



「もちろん、どうしても嫌だってことはしないけど。プロの目から見て、これが最適という治療を提案するので、その点では信じてもらって大丈夫だよ」



 美容整形外科の手塚は、そう言いながらでっぷりと肥えた二重顎を揺らした。彼は絢華が通うクリニックの副院長で、近々独立して分院を立ち上げるという。その際に専属モニターになってくれる患者を探しているらしい。


 このとき絢華は気づいていなかったが、手塚はあまり腕が良いドクターではなく、オペの場数を踏むために実験台が欲しかった。そこで普段から「無料モニターになりたい」と言っていた絢華に白羽の矢が立ったのだ。


 もちろん絢華は、二つ返事でOKした。手塚は絢華にクリニック近くのワンルームマンションを与え、モニター料として月々20万円を支払うという。絢華にとっては少ない小遣いであったが、美容医療に費やす費用がタダになると思えば、悪くないオファーである。何より、店を辞められるのが嬉しかった。




 それからすぐに、絢華は店を辞めた。案の定、玲子からは「お姉さんができたと思ったのに、残念」と揶揄われたが、それを予測していた絢華は恐ろしい置き土産を残してきた。


 玲子が化粧直し用に控室に置いている、高級ブランドのパウダーブラシに、カッターナイフの刃を埋めておいたのである。きっと今ごろ玲子が顔を血まみれにして泣き叫んでいるかと思うと、絢華は笑いが止まらなかった。





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― 新着の感想 ―
本格的に壊れ始めましたね!(爽やかな笑顔)
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