3・綺羅くんがタワマンに住みたいって言うから
2013年3月29日(金曜日)
「久しぶりだし、ちょっと飲もうよ。あの店、また付き合って。ボトル入れなきゃ、そんなに高くないし」
ナツキに会うのは、今年に入って初めてだ。あのホストクラブの飲み以来、彼女とは仕事が重ならなかったので、すっかり意識から抜け落ちていたが、そう言えば綺羅からまだ電話もメールもない。絢華の予想では、何らかのコンタクトを取ってくると思っていた。
連絡手段なら、店の顧客カードに残してきたメールアドレスがある。実際、送り指名にした若いホストは何度も誘いのメールを送ってきた。もっと店歴の長い綺羅が、その情報を知らないはずがない。きっと絢華に関心がないふりをしているのだ。そう考えて絢華はナツキにカマをかけてみた。
「うーん、でも私、もう忘れられてるかもよ?」
「そんなことないよ、綺羅もこの間の美人さん連れておいでよ、って言ってたし」
絢華は内心で「やっぱりね」とほくそ笑んだ。思った通り、綺羅は絢華に興味があるらしい。幼稚な意地を張っているのか、ナツキに遠慮しているのか。どちらにせよ、このままでは膠着状態である。ならば、ここは自分から動いてやろう。そう考えた絢華は、ナツキに仕方なく付き合う友人のふりをして、二度目のホストクラブへ赴いた。
「指名?」
「そう、好きなホストを担当に選べるの。絢華はまだキャストの名前とかわかんないだろうだから、今日は場内指名にしてみたら?」
ホストクラブでは、隣に座って接客するホストを指名することができる。指名には二種類あり、「本指名」は永久に一人のホストが担当となり、他のホストは指名できなくなる。そのためまだ来店歴が浅い客は、相性の様子見としてその日限りの「場内指名」をするケースが多い。
「気が合うなと思ったら、本指名にしちゃえばいいよ。その方が親密になれるしね」
なるほど、指名のあるなしでホストの対応は大きく変わるらしい。綺羅から歩み寄りがなかったのは、指名待ちだった可能性が高い。そう得心した絢華であったが、綺羅はナツキの担当なので今夜は指名することができない。そこで、受付で渡されたタブレットを見て、好みのホストを場内指名することにした。俗に「男本」と呼ばれるホストのカタログである。
「じゃ、この翔琉さんにしようかな」
邑咲翔琉(むらさきかける)は、くっきりとした目鼻立ちに浅黒い肌で、韓国アイドルのような綺羅とは正反対のルックスであったが、この二人が現在二位を競っているらしい。一位は不動のオーナーなので、実質エース争いということになる。正直、翔琉の顔立ちは絢華の好みではなかったが、ライバルを同テーブルに着かせることで、綺羅を煽ってやろうと思ったのだ。
「こんばんは、絢華ちゃん。ビビった、すげぇ美人じゃん! 俺、今夜は超ラッキーかも」
そう言いながら絢華の隣に座った翔琉は、アイボリーのスーツにチャコールグレーのシャツ。大きく開いた胸元からは、クロムハーツのドッグタグが覗いている。彼が動くたび、むせかえるような女物の香水が漂い、絢華はそのたびに口で呼吸をした。
しかし、翔琉を指名したのは正解だったようだ。前回と同じく、半円形のソファの中央に女性二人。その隣にそれぞれの担当が囲むように座っていたのだが、翔琉はライバル心をあからさまにして綺羅をいじりまくり、お陰で絢華は、綺羅が田舎から出て来て鳶職をしていたことや、長らく借金貧乏だったが最近ようやく店の寮を出られたことなどを知った。
どうやら翔琉の方が先輩格に当たるようだ。綺羅は曖昧に笑いながらやり過ごしていたが、とうとう見かねたナツキが助け舟を出した。
「ちょっとぉ、翔琉くん! そんなにいじめちゃかわいそうじゃん。ねぇ綺羅、なんか元気の出るもの、頼んじゃおっか」
そう言ってナツキはオリシャンを入れた。店のオリジナルシャンパンだ。絢華はほぼ下戸に近いのでソフトドリンクだが、ホストは客の勘定で酒を呑む。絢華には納得できないシステムであったが、仕方なく翔琉にもビールを注文した。2本セットでコンビニの10倍、4000円である。全く馬鹿らしい。
ナツキは鏡月のボトルを入れており、それだけでも諭吉が飛ぶのに、さらに8万円のシャンパンである。いったい売れないモデルのどこからそんな大金が出るのか。きっと怪しげな裏バイトをしているのだろうと、自分のことは棚に上げて絢華は邪推した。
「お待たせしました、コール入ります!」
やがてウェイターが、花とろうそくで囲まれたシャンパンクーラーを持ってテーブルにやってきた。すると綺羅が立ち上がってマイクを持ち、スポットライトが一斉に絢華たちのテーブルに集中する。そこからは、絢華には未知の世界だった。
「ソーレ、ソレ、ソレ、ソイヤソイヤソイヤソイヤ!」
綺羅の意味不明な叫びに若手が合いの手を入れ、「ナツキ姫」に拍手と投げキッスが注がれる。いわゆるシャンパンコールというものだ。酒の値段によって派手さが変わるらしい。最後に綺羅がナツキをお姫さまだっこして、そこらを一周して戻ってきた。一瞬だけ自分がこの空間の主役になれる、そのための投資ということだろう。
その様子を見て、絢華は得体のしれない不快感を覚えた。金で買った注目とはいえ、自分がいるにも関わらず、他の女が男からちやほやされるのが我慢ならなかった。そして、今夜も綺羅は絢華とアイコンタクトさえ取ろうとしない。絢華は、金で彼を縛り付けて、バカのようにはしゃいでいるナツキを疎ましく思った。
結局、その日はセットの二時間だけで絢華は帰宅した。シャンパンの酔いで絶好調のナツキは、飲み直しをするため店に残るらしい。あれだけ散財した上に、さらに二回目のセット料金を献上するという。見送りに来た翔琉がしきりに次回の来店と本指名をねだって来たが、絢華はふんわりと微笑んで「またね」とタクシーに乗り込んだ。
タワマンに帰って、絢華はある決心をした。お邪魔虫のナツキがいる限り、弱腰の綺羅は絢華に手出しができない。金になるどころか金食い虫のホストなど、放っておけばいいのだが、それでは絢華の征服欲が生殺しである。綺羅を落としてすっきりするために、絢華は大胆な行動に出た。
「え、大丈夫なの? 本当に?」
それから数日後、ホストクラブに一人で来店した絢華を見て、綺羅が戸惑いの表情を見せた。なんと絢華は、綺羅を本指名したのである。幹と枝の担当が被るのは、本人同士が納得していない限りトラブルの火種になりやすい。ましてや絢華は前回、先輩の翔琉を場内指名している。綺羅としても、どう扱っていいのか内心複雑なのだろう。
「ナツキとは別に友達ってわけじゃないし、別々に来る分には問題ないでしょ?」
「まあ、そうなんだけど。翔琉さんじゃなくていいの」
「いいの、私は綺羅くんが気に入っちゃったから」
「そっか、じゃあ末永くよろしくね、絢華」
そういうと綺羅はプロの顔になり、いきなり絢華への距離を縮めてきた。一対一で話してみると、けっこう色気のある表情を見せる。絢華はやはり彼は自分に気があり、そっけない態度はナツキに義理立てしていたのだと確信した。実際は、単に綺羅が店内での序列やルールを守っていただけの話である。
「ところで、綺羅くんって、タワマンに住むのが夢なんだって?」
「そうそう。俺、高いとこ好きなんだよ、元鳶職だから」
綺羅にグラスワインを2杯飲ませたあたりで、絢華はいよいよ仕掛けてみた。前回、翔琉がぺらぺらしゃべった情報の中に、綺羅が喰いつきそうな餌があったのだ。
「私の家、タワマンだよ」
「マジで? 何階?」
それから数時間後、綺羅は絢華の住む部屋のバルコニーに立ち、夜景を背景にしてカメラにポーズを取っていた。カメラマンは絢華である。二人とも先ほどベッドルームで一戦を交え、しどけないバスローブ姿だ。
その写真は翌日、綺羅のブログにアップされるだろう。この頃は芸能人がこぞってブログを開設し、一種の社会現象となっていた。綺羅たちホストも客にアピールするため、普段店では見られない生活を公開したり、高価な持ち物を自慢したりしている。
綺羅の場合は、それが24階から見える夜景である。田舎から出てきた高校中退の小僧には、地方都市とはいえ高層マンションは成功のシンボルである。実際、絢華の住まいを見渡して、綺羅はその豪華さに目を輝かせていた。
「すっげえな、この景色。玄関に置いてあったゴルフクラブも超高いやつだろ」
「いつでも遊びにおいでよ。ただし、鬼がいない時ね」
こうして絢華はまんまと綺羅を篭絡し、業界で言うところの「宿カノ」となった。店で金を使わせる一般客とは違うカテゴリーに入ったことで、絢華はナツキに対して一種の優越感を覚えた。彼が魅力を感じたのはタワマンであって、絢華自身ではないのだが、彼女のルールではどうやら勝負に勝ったことになるらしい。




