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私の姉は、きれいなクズ  作者: 水上栞
第六章 タワマンとシャンパンコール
36/49

1・どうせハダカで稼ぐなら

 

2012年11月14日(水曜日)



「はい、絢華さん。次はこのセットね」



 スタジオの隅に設置された、カーテンだけの簡易フィッティングルームで、絢華は素っ裸になりブラジャーとパンティを身に着けた。クロッチには防汚のためのシートが貼ってある。今日は通販ランジェリーの撮影で、早朝から既に20組以上の下着を着けたり脱いだりしている。


 

 離婚後、しばらく実家で引きこもっていた絢華だが、家事もせず浪費ばかりするので、とうとう母親が音を上げた。夫がいなくなった家に可愛い娘が帰ってきて、せっせと世話を焼いてしまった母も悪いが、なぜ自分が離縁されたか反省の色ひとつない絢華はもっと始末が悪い。


 


 最後には伯父がやってきて、働かないなら出ていけと叱りつけた。そこで、仕方なくモデルの仕事に復帰したのだが、これがどうにも納得がいかない。以前はメインだった呉服やヘアカタログなど美人枠の仕事はなくなり、通販や量販店のチラシなど地味な仕事が多くなった。しかもギャランティがひどく安いのだ。


  これは発注側からすれば当たり前の理屈で、以前の絢華は若くて可愛いからこそ需要があった。しかし現在は、何年もブランクを経たアラサーである。しかも絢華には恵まれたプロポーションや基礎がない。しっかり訓練を積んだモデルなら、ミドルエイジを求める企業からオファーがあるだろうが、突っ立ってにっこりするしか能のない低身長の半素人を雇う理由がないのである。

 


「あーあ、つまんない仕事」

 


 ダサいデザインの主婦向け「らくちんブラ」を眺めながら、絢華が独り言ちる。それを聞いて、近くにいたモデル仲間が声をかけてきた。彼女も絢華と同じく三十路前で、ナツキという名前である。



「ギャラも安いしねぇ」


「ほんとに。でも仕方ないよね、稼がないといけないし」


「ねえ、もしかしてカネコマ?」

 


 一瞬考えて、絢華は理解した。カネコマとはネットスラングで、金に困っているという意味だ。ちょっと頭の軽そうな女だなと思いつつ、絢華は曖昧に返事をした。


 

「まあ、そうかもね」


「じゃあさ、今夜ちょっと付き合わない? ひとりメンツが足りないの」


 

 その夜、ナツキが絢華を誘ったのは「ギャラ飲み」だった。文字通り、金をもらって飲み会に参加するのだが、絢華はこれがけっこう気に入った。ギャラは1万円から3万円ほどで、上客になると料亭や寿司屋ということも多い。もちろん飲食代はタダだし、何しろ男たちからちやほやされるのがいい。


 中には体に触ったりホテルに誘う輩もいるが、そういう男をあしらうのは絢華の得手である。ときには「いいカモ」を見つけて一夜の関係に応じることもあった。やがて本業のモデルよりギャラ飲みとアフターの小遣いが、絢華のメイン収入となっていった。どうせハダカになるのなら、ダサい下着のモデルより売春の方が効率がよい。それが絢華にとってのポジティブシンキングであった。


 


 

 そんなある日、絢華が突然実家を出ていった。あまりに母や伯父がうるさかったのもあるが、久々に超優良物件の「カモ」を見つけたのが大きな理由だ。


 その男は50代の既婚者で、田舎の土地を売買してけっこうな資産を持っている。絢華の住む街には仕事で月に1〜2回やって来るのだが、投資と出張用の住居を兼ねて、中心地のタワーマンションを購入したという。絢華はその部屋の鍵を手に入れたのである。


 

「俺が居ない間は、好きに使ったらいいよ」


 

 そう言われて、すぐさま絢華はそこを根城にした。広さこそ1LDKの単身者用であったが、高層階のリビングから眺める夜景が美しく、ベッドルームにはクイーンサイズのベッドが備えられている。


 しかも、週に一回ハウスキーピングが入るため、掃除や片付けが苦手な絢華にはありがたかった。出張用なので洗濯機は置いていなかったが、マンションのコンシェルジュに頼めば、クリーニングした衣類を部屋まで届けてくれる。


 


 絢華は嬉々として、贅沢なタワマン生活を楽しんだ。悟との暮らしも、家事さえなければどんなに快適だっただろう。今は、たまに来る田舎の男を喜ばせ、あとの時間は遊んで暮らすだけで良い。服や美容に金がかかるので、相変わらずギャラ飲みやアフターは続けていたが、タワマンの主とは恋人関係ではないので、咎められることはないと思っていた。


 

 そうしているうち、絢華は来年30歳を迎える。普通の女なら、離婚した時点でこの先どう生きていくか、真剣にライフプランを考えるのだろうが、絢華は恐ろしく呑気であった。



 バツイチだろうが三十路だろうが、まだまだ自分の魅力は男に通用すると絢華は信じていた。どうせ子どもは生むつもりもないし、好きなだけ遊んで、それから条件の良い男と再婚すればいい。海外のセレブは40代や50代で何度も結婚している。自分にできないはずはない。


 他人が聞いたら、どんな夢物語だと嘲笑われるような未来予想図だが、絢華にとっては真剣そのものである。永遠に若く、美しく、チートに生きる。絢華は現実と自己評価のすり合わせができない、危険なアラサーになっていた。


 




 そんな脳天気な日々に変化が訪れたのは、とあるギャラ飲みの席だった。その日はナツキが顔を出しており、久しぶりだったので帰りに一杯飲もうと誘われた。ちょうどアフターもなかったので絢華は気軽に承諾したのだが、何やらナツキはもの言いたげな様子である。



「ねえ、ホスクラ行かない?」


「ホスクラ?」


「ホストクラブだよ。行ったことない? 楽しいよ」



 相変わらずナツキは、頭の悪そうな略語を好んで使う。正直、絢華はホストクラブには興味がなかった。あくまでも自分は貢がせる側であり、何が悲しくて男に金を払わねばならないのか。しかしナツキは強引だった。クリスマスのイベント期間なので、お気に入りのホストの売り上げに貢献したいのだそうだ。



「絢華は初回だから、セット料金も安いしさ。気に入った子がいれば、場内指名してあげればいいよ。枝を連れていくと、キャストが喜ぶんだ。そのうち担当ができたら、アイバンで飲むのも楽しいじゃん」


 

 何を言っているのかさっぱり意味不明だったが、要するに指名ホストのいる客を幹、それに伴い来店する客を枝というらしい。どうやらナツキは相当入れあげているホストがいるようだ。必死な彼女の様子を見ているうちに、絢華の心の中で意地の悪い考えが頭をもたげてきた。


 


 ナツキのお気に入りのホストはきっと、絢華を見て美しさに目を奪われるはずだ。その光景をナツキに見せつけて、優越感に浸るのはさぞ愉快だろう。烏滸がましくもそう考えた絢華は「いいよ、行こう」と誘いを快諾し、人生初のホストクラブへと足を踏み入れた。



「姫、ようやく来てくれたね。俺、待ちくたびれて死ぬかと思ったよ」


「お待たせ~、綺羅のランキングに貢献しに来たよ!」


 

 ナツキの担当ホストは綺羅(きら)という名前で、年齢は25歳前後。さらりとした長めの黒髪と、切れ長の目元が涼し気な印象だ。店での人気は3位あたりを漂っているそうで、光沢のある細身スーツの袖から覗くHUBLOTを絢華は見逃さなかった。地方都市のホストとしては、まあまあ売れっ子なのだろう。


 絢華とナツキは半円形のソファ席に案内され、中央の女性陣を囲むように二人のホストが座った。ナツキの隣は綺羅、そして絢華の隣には憂夜というヘルプが付いた。こちらはかなり若く、安物のスーツに金髪のスジ盛り頭が、路地の呼び込みのようなルックスである。

 


 彼らは精いっぱい楽しませようとしていたし、初回客の絢華には数人のホストが入れ替わり挨拶にも来た。しかし、絢華は何となく居心地が悪かった。ホストクラブの雰囲気に慣れていないせいかと思ったが、どうやら違う。


 


 原因は、綺羅だ。最初こそ「よろしく」と愛想を振りまいたものの、彼はナツキと盛り上がるばかりで、一向に絢華に関心を示さない。ナツキの本指名なので当たり前なのだが、モテるつもりで来た絢華にとっては屈辱であった。


 

 やがて帰り際に見送りに来た綺羅が、ナツキをお姫さま抱っこして額にキスをした。それを目にした絢華は「なるほど」と得心した。彼は思春期の男子が素直になれないのと同じように、わざとそっけなくして反応を見ているのだと絢華は独自の解釈をした。


 


 特にこういう店のルールでは、幹と枝を同じホストが担当する、いわゆる「被り」は推奨されないと聞く。きっと綺羅もナツキの手前、積極的にはなれないだろう。それなら、こちらから彼に道筋を作ってやればいい。ちょっとしたゲームのようで、絢華はわくわくした気持ちになった。


 通常はホストが客に自分を惚れさせて、金を引き出すのが色恋営業と呼ばれるものだが、絢華のやろうとしていることは、客からホストへ仕掛ける「逆色」である。愚かにもこのときの絢華は、ホストとの色恋勝負に勝てると確信していたのである。


 


 


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] あっ、これアカンやつや。 [一言] 身近に水商売の営業裏を見てましたが、気の引き方を何パターンかやられると、みなさんどれかで引っかかっちゃうんですよ。
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