6・頂き主婦、アヤカちゃん
2010年3月4日(木曜日)
こうして最終的に選ばれたのが、4人の男たちである。会社経営や商売をしていたり、職場でそれなりの役職に就いている40代から60代だ。いずれも割り切った付き合いを望んでいたのだろう、やり取りの中であっさりと既婚者であることを白状した。絢華にとっては理想的な「お客さん」である。
数回のメッセージの後「会いましょう」という話になり、絢華は隣県にある喫茶店を指定した。身バレしないよう、プロフィールに嘘の居住地を設定していたためだ。なお、この時点では男たちも相手を警戒していた。ネットでの出会いを利用して男から金品を巻き上げる、いわゆる「美人局」が横行していたことが大きい。
しかし絢華を見た男たちは、想像をはるかに超える美貌に衝撃を受け、警戒心より欲望が勝ってしまった。そして「どうしてそんな美人が出会い系などしているのか」というお決まりの質問に至る。そこで、絢華お得意の大芝居が始まるのである。
「相談相手が欲しかったんです、ちゃんとした、大人の男性の」
上目づかいで絢華にそう言われて、心が揺らがない男は稀である。ましてや下心を紳士の仮面で包み隠して、浮気相手を物色している不届き者たちだ。早い者は初対面で、慎重な者でも二回目には絢華の手に堕ちた。
絢華の演じる谷村尚美は、交際相手がギャンブルで作った借金を背負わされ、昼は会社員、夜は水商売をして返済をしている。しかも男が働かないので、生活費も稼がなくてはいけない。さらには親が早逝し、親戚とも疎遠で頼る人がいない。まるでドラマに出てきそうな薄幸の美女である。
「別れたいと言うと、暴力を振るわれるし……。私名義で消費者金融からお金を借りてるので、まずはそれを返さないとどうしようもなくて」
こう言って絢華が長いまつ毛を伏せると、男たちはとりあえず「いくら借りてるの?」と聞いてくる。絢華の答えは「150万円」であった。小金を持っている男が、妻に内緒で工面できなくもない額である。
男たちは頭の中で性欲と金を天秤にかけた。風俗へ行けばもっと安いセックスが手に入るが、彼らは玄人では満足できないから出会い系で素人を探している。そんな中で、絢華のようなとびきりの上玉に遭遇した。これほどのレベルの女には、これから先の人生できっと出会えないだろう。そう考えると、最終的に彼らの行きつく答えはひとつだった。
「よかったら、尚美さんの力になりたい」
こうしてまんまと金蔓を得た絢華は、それから約一年で約1000万円の金を手に入れた。絢華の狡猾なところは、「自主的な援助」を引き出させたことだ。男が金を出そうとすると一旦は断り「返す当てがない」と、しょんぼり肩を落とす。そうなれば、男は出したものを引っ込めるわけにもいかず「いつでも構わない」「返す必要はない」と恰好をつけたがる。
その言質を絢華はちゃっかりと録音し、いざという時の保険にした。一方、自分の正体については一切ひた隠し、深入りしてくる男は容赦なく切った。簡単なことである。連絡用の携帯電話を解約すれば、谷村尚美はこの世から消える。あとは名前を変えて、また別の出会い系で新しいカモを漁ればいいのだ。
そんな不埒な生活を、夫や姑の目を盗んで続けていた絢華であったが、秘密を隠しおおせていると思っているのは本人だけで、周囲は当然ながらある種の違和感に気づき始めた。
まず最初に勘が働いたのは、三井の義母である。週一回の家事チェックで、掃除や料理が改善されたのは評価に値することであったが、どうもキッチンの様子がおかしい。冷蔵庫いっぱいに並ぶ密閉容器の中身は、煮物やポテトサラダなど家庭的な惣菜であるのに、それらに用いる調味料や器具が見当たらないのだ。
それとなく、どうやって作るのか聞いてみても「本やネットのレシピ通り」と、かわされてしまう。どうにも疑念が拭えずとうとうある日、絢華がトイレに行っている間にゴミ箱を覗いてみた。すると、野菜のクズなどは全く入っておらず、ビニール袋や丸めたラップ、お菓子の袋ばかりである。ベテラン主婦の目からすれば「これは妙だ」と疑わざるを得ない。しかしそれを息子に伝えると、妻の肩を持つのが腹立たしかった。
「母さん、穿った目で見るからそう思うんだよ。絢華だって努力してるんだから、そろそろ認めてやってくれ」
そう言って絢華の味方をしていた悟だが、そのうち彼も絢華の様子がおかしいことに気付き始めた。月に5万円の小遣いでは買えないようなバッグやアクセサリーがクローゼットに入っていたり、専業主婦で親しい友人もいないのに、近ごろは何かと理由をつけて外出が多くなった。
決定的に不信感が強まったのは、絢華がついた嘘である。悟は毎週木曜日が歯科の休診日で、その日はインプラントの勉強会に出席していた。本来なら夕方までプログラムがある予定だったのだが、登壇者の都合で昼からキャンセルになった。
そこで、絢華と食事でもしようとメールで連絡を入れたが、返信がないので車で出先に迎えに行ってみた。朝食の際、絢華は「今日は料理教室に行く」と言っていたはずだ。ところが悟が教室へ行ってみれば、その日は休講日であった。
不思議に思った悟が絢華に電話をするも、電波が入っていないのか繋がらない。仕方がないので帰宅してテレビを見ていたら、ようやく夕方になって絢華が帰ってきた。リビングのソファに座る悟を見た絢華はびっくりした様子で、聞いてもいないのにぺらぺらと言い訳を口にした。
「やだ、帰ってたの? ごめんなさいね、教室のお友だちがお茶して帰ろうって言うから遅くなっちゃった」
悟は鈍感ではあるが、暗愚ではない。妻の口から流れるように嘘が吐き出されるのを聞いて、薄々感じていた疑念が現実であることを確信した。ただし、悟はその場で妻を追求することはしなかった。
最たる理由は、絢華のことを愛していたからだ。見合いではあったが、一生をこの女性と共にするという覚悟の上で結婚をした。美しい妻は彼の自慢でもあったし、二人の生活がより良くなるよう彼なりの努力も怠らなかった。
今回のことも、できれば思い過ごしであってくれという想いが強い。しかし、もしも絢華が自分を裏切っているのなら、合法的に責任を取らせるつもりだ。今はまだ状況証拠に過ぎないため、絢華に気取られることなく真偽を定かにせねばならない。このような場面においても、悟は冷静な思考をする人間であった。
同時に三井の家では、悟と絢華が結婚して2年以上経つのに、子宝に恵まれないことが問題になっていた。悟は長男であり、医院を継ぐべき男児を授かることが望まれていたからだ。悟は医療職なので、不妊の原因が男女ともにあることを熟知しており、結婚前にブライダルチェックを受けていた。その結果、何の問題もないと太鼓判をもらっていたこともあり、姑は絢華を疑っていた。
「若いお嫁さんだから、どんどん産んでくれると思ったのに。もしかして、体に欠陥があるんじゃないのかしら」
「そんなことを言うんじゃない」
姑の暴言を、舅がぴしゃりと窘めた。絢華は患者ではないにせよ、歯科医の妻が近所でそんなことを言いふらして回れば、医院のコンプライアンスが疑われてしまう。しかし長男教で孫を切望する彼女は納得しなかった。
「だって、悟はもう33歳なのよ。あなたが同じ年の頃にはもう、二人も子がいたわ。ねえ、絢華さんに検査を受けてもらうことはできないのかしら?」
翌日、母親から電話で絢華に検査を受けさせるよう迫られた悟は頭を抱えた。新婚当時は、しばらく二人の生活を楽しみたいと避妊をしていたが、最近は自然に任せるようになっていた。それでもなかなか妊娠しなかった理由は、まだ遊び足りない絢華が、夫に内緒でピルを服用していたためだ。しかし、結果的にはそれが不幸中の幸いだった。もし今の状況で絢華が妊娠していたら、悟はDNA検査を依頼しただろう。
悟は取りあえず母には曖昧に返事を濁し、絢華を引き続き泳がせることにした。そして、絢華には「最近不眠に悩まされている」と理由をつけ、寝室を別にした。そんな微妙な気配が周囲に伝わったのか、ある日看護師のひとりから悟は「先生に内密でお話があります」と相談を受けた。この数か月後、優雅に主婦生活を謳歌していたはずの絢華は、一気に地獄に突き落とされることになる。




