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私の姉は、きれいなクズ  作者: 水上栞
第四章 絢華とひとクセありの男たち
23/49

3・御曹司、絢華のヤバみに気づいた偉い


 2004年2月14日(土曜日)



 今年のバレンタインデーは土曜日に当たり、夜の街には多くのカップルが繰り出していた。絢華と雅之も、その中の一組だ。


 これから二人は、半年先まで予約が満杯の隠れ家イタリアンで食事をして、雅之のマンションで夜を過ごす。雅之の住まいは彼らしく、高級住宅街に佇む低層階マンションだった。メゾネットタイプの2LDKが4軒だけという贅沢な設計の建物である。


 もちろん、賃貸ではなく分譲だ。頭金は達川の父が出し、月々のローンを将来への投資として雅之が支払っている。きっと彼と結婚したら、最初の棲家はここになるだろう。絢華はその暮らしを想像すると、口角が上がるのを抑えきれなかった。



「ありがとう、大切に使うね」



 絢華から雅之へのプレゼントは、ベルギー王室御用達NEUHAUSのチョコレート。そして、サヴィル・ロウのテーラーが数量限定で予約受注している、カシミアのマフラーだった。チャコールグレーのベースに、ほのかに赤みを含んだライトグレーのピンストライプが入っている。これを買うために絢華は、あらゆる伝手を使って頑張った。高級品に目の利く御曹司だけに、下手なものを贈るわけにいかない。




 この頃の絢華は、とても充実していた。秋には雅之と二人で軽井沢の別荘で過ごし、冬は苗場でスキーを楽しんだ。クリスマスには高層階のフレンチレストランで夜景と鴨を堪能し、正月には雅之が見立てた訪問着で初詣に行った。そして迎えたバレンタインデー。この絶頂期がずっと続くと、そのときは愚かにも信じていたのである。



 しかしそれから一か月後、絢華は微妙な立場に立たされていた。つい昨日、雅之から「二人の関係について考えたいので、少し距離を置こう」と言われてしまったのだ。


 ホワイトデーのため訪れた、ミシュラン星付きの高級チャイニーズ。雅之はいつものように笑顔で、食事も美味しかったし会話も弾んだ。絢華が欲しがっていたブランドのアクセサリーもプレゼントしてくれた、それなのに。



 店を出ると雅之はタクシーを止め、運転手に絢華の住所を告げて財布から一万円札を出した。いつも食事の後は二人で雅之のマンションへ行くのに、今日はどうしてなのかと訝っていたところ、前述の言葉を告げられたのだ。




 茫然とした表情で帰宅した絢華を見て、母親の祥子が目を丸くした。セレブと娘を結婚させたい彼女は、達川家に絢華が嫁ぐのを強く望んでおり、この日も当然のように泊ってくると思っていたのだ。



「何で帰って来たの? 雅之さんと何かあったの?」



 そう言いながら追いかけてくる祥子を振り切り、絢華は部屋に閉じこもった。彼の言葉の理由を、あれこれ考えてみるが思い当たることがない。雅之と交際を始めて約7カ月、彼との仲が深まるよう、絢華は自分なりに最大限の努力をしてきた。彼もそれを喜んでいたのではないのか。




 その答えは、翌週わかった。絢華が良かれと思った努力の方法が、どうやら雅之の望むものでなかったらしい。久々に呼び出されたのは、レストランではなくホテルのカフェラウンジ。雅之はいつものように笑顔を湛えながら、残酷なひと言を容赦なく絢華へ突き付けた。



「ごめんね、絢華ちゃんと僕は価値観が合わないと思う」



 絢華は雅之との結婚を意識してからというもの、三日と空けずにデートをせがんだ。雅之が忙しいときも遠慮なしで、メールの返信が遅いと何度も続けて送ったし、それでも返信がないと電話をかけた。


 また、絢華は自分たちの関係を周囲にアピールしたがった。友人との会食に雅之の同伴をねだり、自分も雅之の会社の集まりに同席させろとせがむ。さすがに「職場には関わってくれるな」と雅之が頼んだが、そうすると絢華は拗ねて泣いてしまうのだ。そのうち雅之の昔の恋人が会社の同期だったことを知り、彼女よりも自分が優位であることを、事あるごとに確かめるようになった。



「彼女はもう結婚してアメリカに住んでいる。今は何の関係もない人なんだよ」


「でも、思い出したりしない? 女性は上書き保存、男性は別名で保存っていうけど、本当は雅之さんもそうなんじゃないの?」



 いちいち相手をするのが大変なので、そのうち雅之はマンションの合鍵を渡して絢華を納得させようとした。彼自身はあまり他人を家に入れるのは好きではなかったが、それで絢華の独占欲が満たされるのなら仕方ないと思ったのだ。


 ところが絢華は、部屋のインテリアを勝手に模様替えしたり、着替えや化粧品を持ち込んだり、しまいには表札に自分の名前を書き込んだため、管理人から「結婚したのか」と問い合わせが来た。これにはスルースキルの高い雅之も、苛立ちを抑えきれなかった。



 絢華はそれが愛情の表現だと思っており、恋人同士の絆を深める行為だと信じていた。しかし普通の男がそれをやられると、精神的に追い詰められてしまう。絢華は自分では自覚していないが、いわゆる「重たい女」だったのだ。彼女にとっての愛は恋人を思いやる愛ではなく、迷惑な自己愛の押し付けである。



 雅之は面倒な母親に育てられ、我慢強い男であった。絢華は恋愛経験が乏しく、社会人経験もない女の子だ。ある程度の暴走は仕方ないし、自分が導いてやればいいと思っていた。


 絢華は着物が抜群に似合う美人で、日舞やピアノなどの素養もある。前の彼女はキャリア志向だったので、妻には専業主婦を希望する自分とはライフプランが合わなかったが、絢華なら素直に家庭に入ってくれそうだし、母親と揉め事も起こさないだろう。雅之はそう考えて、遠くない将来の結婚も視野に入れていたのである。



 その雅之でさえ「もう無理だ」と思わせたのが、絢華がホワイトデーに着けてきたマフラーだ。何と、バレンタインデーに雅之に贈ったものとお揃いだった。三十路に手が届こうかという男が、ペアルックで街を歩けるはずがない。しかし絢華は「サプライズ」と言って、悪戯が成功した子どものように笑った。雅之が絢華との別れを決心したのは、その瞬間である。





 絢華はその後しばらく大学にも行かず、ビジネスホテルで過ごした。雅之と別れたことを告げると母親がヒステリーを起こしてしまい、絢華を責め続けるので鬱陶しかったのだ。いちばん癇癪を起したいのは、本人である。しかし雅之に追い縋るのは、絢華のプライドが許さなかった。



──お久しぶりです協力して欲しいことがあります



 雅之と付き合い始めてからは、すっかりご無沙汰していた暇人に、絢華はメールを送った。雅之のために身辺整理をしたとき、二度と連絡をすることはないと思っていたが、絢華にもう守るものは何もない。ただ、日増しに膨れ上がる雅之に対する恨みを、晴らさずにおくことができなかった。



──奇遇ですね。ちょうど私もあなたにやって欲しいことがあります






 暇人が絢華に命じた対価は、ある人物に対する裏切り行為であった。その人物とは、今や県会議員として足場を固め、次の選挙で国政に打って出る勢いの都築祐作だ。彼は絢華が処女を売った相手であり、この5年間パトロンの関係でもあった。その都築のスキャンダルを公にするのが今回のミッションである。



──あなたほどの適役は、他にいないでしょうね



 暇人からの文面には皮肉が感じられたが、絢華は何とも思わなかった。政界で力を蓄えていくにつれ、敵が多くなるのは当然だ。都築の失脚を狙う勢力が、選挙前に醜聞で彼の威を削ごうと画策しているに違いない。


 都築とは長い付き合いだが、あくまでも金とセックスを交換する関係であって、そこには男女の情はない。絢華は迷いなく暇人との取引を受け入れ、都築と密会するホテルに隠し撮り用のカメラをセットした。


 都築は誰に嵌められたか、すぐに気づくだろう。もう二度と彼から援助を受けることはできなくなるが、絢華はそれでも暇人の力を借りて雅之に復讐したかった。




 やがて週刊誌やワイドショーが、都築の破廉恥なスキャンダルを取り上げ、彼の国会議員への道は遠のいた。それと時を同じくして、絢華の復讐も密やかに行われた。暇人は変態ではあったが、約束は守る人間である。



 有名な呉服屋の御曹司がモデルの元恋人に暴力をふるい、大騒ぎの挙句とんでもない金額で示談になったという噂が聞こえてきたのは、それからしばらく経ってのことであった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 一気読みしました。 絢華のクズっぷりは中毒性があり、かなりハマってしまいます。
[一言] 震撼しております。 :(;゛゜'ω゜'):
[良い点] あやかと関わるとろくなことがないですねー 生きる厄災ですわー
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