7・モデルの世界はタマの取り合い
2001年7月27日(金曜日)
大学生になってモデル事務所に復帰した絢華だが、純然たるモデルの仕事は回ってこなかった。その理由は、身長の低さである。
キッズやジュニアの時代は小柄でも良かったが、大人のモデルになると最低でも170㎝は求められる。しかし、絢華は公称158㎝で実際はそれよりさらに小さい。そうなると雑誌のヘアメイク記事や商品を大きく見せたい広告、イベントガールなどが関の山である。
絢華本人は向上心など皆無なので、こだわりなく受けていたのだが、本気でトップを目指す人間からすれば、そういう仕事はモデルとは言えないらしい。中でもことあるごとに、絢華を上から目線で貶すのがリーナである。
「あんた、楽でいいよね。カメラの前でへらっと笑ってればギャラもらえるんでしょ」
リーナは日本とクロアチアのハーフで、身長は178㎝。エキゾチックな顔立ちと、腰から下の細長いラインが売り物だ。いつか大きなコレクションでランウェイを歩くのだと、熱心にウォーキングのレッスンを受けている。また、厳格なヴィーガンで飲み物もイタリア産の硬水しか飲まない。ミネラル分が多いそうだが、絢華に言わせれば「ぼったくりの高い水」である。
それなのに、努力と実績は比例しないようで、ギャラの額で言えば件数をこなしている絢華の方が多いのだ。それもリーナは気に入らないのか、顔を合わせるたびにネチネチとマウントを取ってくる。
もちろん、絢華はいつものように微笑みながら受け流してはいるが、あまりにしつこいので、そろそろ鬱陶しくなってきた。そんな時に、タイミングよく表れたのが、某医大でイベントサークルを主催する村崎拓也である。
拓也は一応医大生ではあるが、病院を経営するパパが寄付金を積んだに違いないアホ坊ちゃんである。顔がそこそこ良く、フェラーリを乗り回しているため女にはモテるそうだが、傲慢で利己的な匂いがダダ漏れしている危険人物だったので、絢華は寄り付かないようにしていた。
しかし、拓也は絢華に狙いを定めたようで、このところ執拗にデートの誘いを受けていた。噂によると、拓也は女の飲み物に睡眠薬を入れてレイプするらしい。そんな男となど、誰が出かけたりするものか。そう思って絢華は相手にしなかったのだが、その危険人物に利用価値を見出した。リーナを釣り上げる餌である。
「お待たせ。モデルのお友だちも一緒なんだけど、いい?」
待ち合わせをしていたカフェに、二人連れで現れた絢華を見て、最初はむっとした拓也だったが、マイクロミニのスカートから伸びるリーナの脚を見て、その表情が瞬時に助平なニヤニヤ顔に変わった。わかりやすい男だ。
「こちら、リーナ。素敵でしょう。うちの事務所のトップモデルなの。自慢したくて、連れてきちゃった」
「リーナちゃん、すごいキレイだね。俺、拓也って言います。よろしくね」
そう言って、拓也が馴れ馴れしく手を差し出す。その袖口からちらりと覗くパテック・フィリップを、リーナは見逃さなかったはずだ。彼女はキャリアに関しての上昇志向も強いが、金に対する執着はもっと強い。この日も「フェラーリに乗っている医大生を紹介する」と言ったら、ホイホイついてきた。
「リーナちゃん、コーヒー飲まないの? 冷めちゃうよ」
拓也がリーナの前に置かれたままのコーヒーを、不思議そうに指さす。リーナに代わって絢華がその事情を説明した。
「リーナはプロ意識が高いから、水以外は飲まないの。それも、イタリア製の特別なお水。1本1000円近くするんだって。リーナ、今日も持って歩いてるんだよね」
「そうなの。これよ、ミネラルとシリカが豊富に入ってるの」
そう言って、水のボトルをリーナがバッグから出した。それを見て拓也の目に悪い光が宿ったのを確認すると、絢華はポケットの中でケータイを操作した。ワンタッチでバイブレーションが起動するようにしていたので、まるで電話がかかってきたように見える。
「わ、マネージャーからだ。ちょっとごめんね」
絢華はそのままカフェの外へ出て、電話をするふりをしながら拓也とリーナの様子を観察した。窓越しに見える二人は、大いに盛り上がっているようだ。絢華はにんまり笑うと席に戻り、申し訳なさそうに二人に手を合わせた。
「ごめんね、昨日の撮影がリテイクになって、今から打ち合わせらしいの」
「わー、お気の毒。でもクライアントは神様だから逆らえないよね」
リーナの言葉には、モデルとしてのプロ意識半分、邪魔ものが消える嬉しさ半分が込められていた。そして拓也の方といえば、残念そうな顔はしているものの、内心ではどっちでもいいと思っているはずだ。彼にとっては獲物が変わっただけで、この後やることは同じである。
それから数日後、リーナがあの翌日スケジュールに穴をあけたと、事務所で噂が広がった。午後イチからのロケに現れず、マネージャーが電話してもケータイの電源が入っていない。ようやく連絡がついたのが夜で、クライアントは激怒して違約金を払えと言っているそうだ。
いつも几帳面すぎるほど時間に正確だったリーナが、なぜ仕事を放棄したのか。リーナは拓也に薬で眠らされていたのである。
絢華が仕事に行った後、当然のように拓也はリーナをデートに誘った。そしてリーナもフェラーリに釣られて即座にOKした。そのときリーナは拓也がどういう男か知らなかったので、イケメンの優良物件に見えていたはずだ。絢華のような顔だけ良い半端モデルより、こういうセレブは自分の方が相応しいと思っていたかもしれない。
しかし、拓也は噂通りの男だった。ドライブの後にエスコートしたレストランで、リーナのためにヴィーガン料理をオーダーしたところまでは紳士の顔だったが、リーナが化粧室に立った隙を見て、水のボトルに睡眠導入剤を混入させたのだ。
リーナが眠ったのは「家まで送るよ」とフェラーリに乗せられた約10分後。そのまま拓也はリーナを自宅のタワーマンションに連れ込み、医大の遊び仲間に電話をかけた。
「おい、俺んち来いよ。ハーフのモデルがいるぜ」
リーナがその後のことを覚えていないのは、不幸中の幸いであった。リーナは薬物を注射され、数人の男たちに弄ばれる様子をビデオ撮影されていた。翌日それを知ったリーナは泣きながら拓也を罵ったが、良心を持たない人間には響くわけもない。
「どうする、って聞いたら君がうちに来るって言ったんだよ。覚えてないって言われても、こっちが困るよ」
「警察に行くわ」
「行けばいいんじゃない? いろいろ世間に広まっちゃうかもだけど」
撮影したビデオを公開するぞということを、暗に匂わせているのだ。リーナは身を竦ませた。スキャンダルで名が売れてしまえば、モデルとしての未来が途絶えてしまうかもしれない。
さらには、昨夜のうちに打たれた薬も怖かった。いまだ朦朧として四肢に力が入らない。もしも警察の検査で違法な薬物が検出されれば、仕事どころか社会生活さえも奪われるのではないだろうか。
そんな葛藤が脳内でせめぎ合い、リーナは拓也のマンションから逃げ出した。怒りよりも恐怖に支配されていたのだ。そして半日迷った挙句、マネージャーに全てを打ち明けた。
マネージャーはリーナが被害者であることを理解したものの、警察に行かないのであれば、単なる契約違反者であることを冷たく宣告した。それは事務所も同じ考えで、大口のクライアントを怒らせたモデルなど、抱えておくメリットがない。
こうしてリーナは事務所を解雇された。もう二度と、絢華に絡んでくることもないだろう。また、同時に拓也のしつこい誘いも、この一件で断る口実ができた。
「よくも私の友だちにひどいことしたわね。二度と連絡しないで」
うざったい人間を一度に処理できて、絢華はとても清々しい気分だった。自分の周りにいる人間は全て利用価値がなければいけない。今回、リーナは絢華にとって、汚物を一掃する雑巾のような存在だったのだろう。
絢華はこうして、ますます尊大なクズになっていった。楚々とした笑顔の下に渦巻く、利己的な欲望と野心。なまじ悪知恵が働くばかりに、まんまと成功体験を得て、それが絢華の暴走をさらに加速させていったのである。
第三章/完




