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私の姉は、きれいなクズ  作者: 水上栞
第三章 エロスと犯罪のテーマパーク
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5・とうとうやっちまったな


2000年10月1日(日曜日)



 若者で賑わう日曜日の繁華街。人気ブランドが多数出店しているファッションビルのエントランス前に、一人の少女が現れた。白のカットソーにグレーのカーディガン、プリーツのミニスカートというありふれた服装ではあるが、深めにかぶったベースボールキャップとごつい黒縁メガネが不自然に浮いている。


 少女は辺りを見回すと、急にその場にしゃがんだ。そして何と、放尿を始めたのだ。周囲の買い物客は何が起こったのかわからず、唖然としてその光景を眺めていたが、少女は構わず何秒か放尿を続け、立ち上がると猛烈なスピードで走り去った。


 その跡には黄ばんだ尿の水たまりが残され、人々はあまりに突然で突飛な出来事に理解が追い付かなかった。結局、頭のおかしい人間の仕業だと処理されたが、実はその少女こそが絢華である。江藤久美子を駆逐する手助けの対価として、絢華は暇人が提示した「罰ゲーム」を実行したのだ。




 ──たいへん面白いショーでした、お疲れさまです



 あの大衆の中のどこかに紛れていたらしい暇人が、大仕事を果たした絢華を労った。



 ──約束は守ったので絶対にお願いします


 ──もちろんです。今月内には、楽しいご報告ができると思いますよ



 2回目のチャットで暇人からの申し出を受けた絢華は、江藤久美子を柳瀬から引き離す計画を練り始めた。単にサークルを辞めさせたり、大学内に居づらくするだけでは満足できない。柳瀬が彼女のことを、女性として見限ることが絢華の望みである。



 ──江藤さんが売春している、という筋書きはどうでしょう。もちろん、実際に彼女が売春などするわけありませんから、そう見えるように仕組んで噂を流します



 絢華は内心でむっとした。「売春などするわけない」という一文が、自分を蔑んでいるように思えたからだ。実際そうなのだろう。崇高なエロスの概念を理解できない連中は、既成概念に縛られているので話にならない。絢華はふんと鼻を鳴らして、暇人の悪意を無視することにした。仕事さえきっちりしてくれれば、それでいい。ただし、公衆の面前で大恥をかかされたのだ。それに見合う成果がなければ、そのときは思う存分罵ってやるつもりだ。



 暇人は江藤への攻撃を引き受けた見返りとして「自分を楽しませて欲しい」という要求を突き付けてきた。絢華は性的な意味でとらえたが、暇人の求めたのは罰ゲームであった。日曜の繁華街のど真ん中で、衆目に晒されながらおしっこをする。18歳の女の子には耐えがたい羞恥である。それを強要して楽しむのだから、最初に感じた狂気はビンゴだったようだ。


 もちろん、絢華は罰ゲームを頑として拒否した。いくら性に奔放な女でも、露出で興奮する趣味はない。第一、お姫さまとして生きてきた絢華のプライドが許さなかった。もし誰かに見られでもしたら、もう外を歩けなくなってしまうではないか。その代わりに絢華は金を払う、もしくは体で払うことを暗に提案したが、暇人は全くそれらに食指を動かさなかった。



 ──私はお金にも女性にも興味がありません。誰かを辱めたり、恐怖に陥れたりして、その様子を眺めることにしか喜びを見いだせないんです



 筋金入りのサイコパスである。絢華はそのままチャットから退出し、「やはり彼に頼るのは間違いであった」と連絡を絶つことにした。個人情報を入手されているのは気になったが、このまま関わり続けると、危ない闇に引きずり込まれる気がした。


 しかし、そうなると絢華の目的は頓挫してしまう。あれから何度か柳瀬を尾行したが、江藤と仲良さげに手を繋いで歩いたり、食事を楽しんだりしていた。どこから見ても、睦まじいカップルである。


 柳瀬は完全に自分へのアガペーを見失っている。そう思った絢華は、苛立ちのあまり自棄になった。そして、キャップとメガネで変装することを条件に、暇人の要求を呑んだのである。それがあの日の放尿事件の顛末だ。




 しかしその甲斐あって、暇人は絢華の納得する結果をもたらした。江藤久美子は今度こそサークルからも大学からも消えていなくなった。その理由は、ある日週刊誌に掲載された「女子大生の闇バイト、援交の瞬間をキャッチ」という記事である。


 目に黒い線が被せられ、名前もK・Eさん(20歳)と伏せてあるが、江藤を知っている人間なら一目でそれが彼女とわかる写真が掲載されている。「援助交際」という言葉は1996年に流行語大賞となり、大きな社会問題になっていた。そのため大学内でも噂は爆発的に広まり、江藤は一躍時の人となった。



「ねえ、この人って前に泌尿器科の問診票が掲示板に貼られてた人だよね」


「本当にやってたんだ。とんでもないビッチじゃん」



 週刊誌の噂が広まると同時に、春ごろ絢華が仕掛けた掲示板の事件と紐づけられるようになり、江藤はとてもではないが登校できない状態になった。もちろん、学校にも友だちにも無実を訴えたし、雑誌社にもクレームの電話を入れた。しかし、記事を担当した編集者の対応は冷ややかなものだった。



「写真はスクープとして持ち込まれたものです。異議があるって言われてもねぇ、写真も名前も肝心な部分は伏せてあるでしょ?」



 記事の写真は、合計4枚。一枚目は江藤が中年サラリーマン風の男から封筒を受け取っており、二枚目は封筒の中身を確認している。望遠で撮っているためやや不鮮明だが、三枚目の手元のアップではそれが紙幣だと確認できる。そして4枚目では、江藤が封筒を自分のバッグにしまっている。どう見ても、男が江藤に金を払っているシーンだ。



「誤解です。この男の人に落とし物ですよ、って声をかけられて」



 それは嘘ではなかった。サラリーマン風の男は暇人が雇った人間で、江藤は封筒を渡された際に「私のものではない」と答えた。しかし男は確認してみるよう、江藤にすすめた。



「でも、あなたのバッグから落ちましたよ。一応、中身を確認してみてください」



 そう言われて江藤が中身を見てみると、千円札が三枚入っていた。



「やはり私のじゃないです。誰かが落としたんじゃないですかね」


「そうですか。ではすいませんが、交番に届けてもらえますか? 私ちょっと時間がないもので」



 江藤はそれを承諾し、そこで二人は別れた。江藤の失敗は、その金を着服したことである。金額が少なかったので、つい罪の意識が薄れてしまったのだ。これは暇人の心理分析による作戦勝ちである。



 ──かえって何万円も入っていると、怖くなって交番に届けるんです。人間ってそういうものなんです



 その金を交番に届けてさえいれば、記録が残るので江藤は潔白を証明することができた。しかし彼女は金をバッグに入れてしまった。その一連の光景は傍から見れば、援助交際の金銭授受に見えてしまう。


 その後も江藤は延々と無実を叫び続けたが、「じゃあ、あの金は何だったのか」と言われると、後ろ暗いところがあるため言葉を濁すしかない。結局、柳瀬にも本当のことを打ち明けられなかったようだ。


 やがてその年が終わるころ、江藤久美子はひっそりと大学を去り、柳瀬と会うこともなくなった。絢華はその事実を知って、満足げな笑みを浮かべた。



 ──あなたは週刊誌に知り合いがいるの?あの記事に写っていた男性もあなたの仲間なのでしょう?


 ──ノーコメントです。結果的にお望み通りになったのですから、それでいいではありませんか


 ──そうだけど気になります望遠カメラで撮影したのならプロに頼んだのですか


 ──好奇心は猫を殺す、という言葉を知っていますか。あまり下手に人を探ると、痛い目を見るという例えです



 そう言うと暇人は、あるURLを送ってきた。その時代のチャットでは文字しか表示できなかったため、別のサーバーにアップした画像を別画面で開いて見る必要があったのだ。絢華が疑いもなくリンクをクリックすると、そこには自分が放尿している姿が、はっきりと映し出されていた。


 しゃがんでも局部が周囲から見えないように、絢華はあの日ボックスプリーツのスカートを履いて行った。しかし、事後すぐに立ち去れるよう最初から下着は付けていなかった。それを狙って真正面のローアングルから捉えた写真は、飛び散る飛沫までも明瞭に写し込んでいた。



 絢華は悲鳴を上げそうになるのを必死にこらえ、背後に人がいないことを祈りながら画面を閉じた。やはり暇人は危険な人間だ。今回はたまたま江藤が餌食になったが、彼の機嫌を損ねれば、次は絢華が制裁のターゲットになる。暇人はそれを絢華に警告したのだろう。


 もう秋だというのに滝のような汗を拭いながら、絢華はインターネットサロンを後にした。今もどこかで暇人は自分を監視している。そう思うとぞっと悪寒が背筋に走り、絢華は身震いをしながら家路を急いだ。





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[良い点] うーむ、おもしろくなってきましたね!
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