2・私のバージン、買ってください。先着3名様
2000年2月22日(火曜日)
絢華の常識からずれた価値観は、人間関係においても同様であった。特に異性に対しては、独自の「絢華さまルール」がここぞとばかりに炸裂した。その最たるものが、「私の処女売ります」である。
あまりに話が突飛すぎて何から説明していいのか迷うが、要するに絢華は今でいう援助交際、つまり「売春」をしていた。それが始まったのは高2の秋、ちょうどあの怪しげなアガペーとエロスの定義を確立させた直後である。
絢華は性に対する欲求の強い女であった。そこへエロス無罪という神の声(オリジナル解釈)が下りてきた。こうなれば、欲求を抑え込む理由はなくなる。そこで絢華は性の探究者として精力的に活動を始めたのだが、誰でもいいからセックスをするのは違うと考えていた。もちろんモラルの問題ではない。「金」の問題だ。
自分のような見た目の良い女には、高値がつくことを絢華は知っていた。処女ならば、もっと希少価値があるだろう。換金せねばもったいないではないか。柳瀬のストーキングや様々な悪企みの経費、そして自分を磨き上げる美容代などで、絢華には金が必要だったのだ。
それなのに、モデル時代のギャラはレッスン代に消え、親からも大した小遣いはもらえない。自分で稼ぐしかない絢華にとって、処女が金になるなら一石二鳥の大チャンスだ。かなり発想がサイコすぎるが、絢華はこのアイディアを気に入り、そして驚くことに、その案に乗っかった男がいたのだ。それも、3人。
ここで「どうやったら処女を3人に売れるのか」という疑問が出てくる。処女は喪失するものであるから、普通は人生で一度きりである。しかし絢華の場合は、無限に再生するエンドレス処女だった。
トリックは単純だ。最初の一人は普通に破瓜の痛みと出血を体験した絢華であったが、思っていたほど出血量が多くなかったため、コスプレ用の血糊を使用して処女を演じることを思いついた。匂いや質感は本物の血には程遠かったが、美少女のお初を征服して浮かれた男たちは、まんまと騙されたという訳だ。
ちなみに最初の相手は、総合病院の院長である久枝哲男。次に市議会議員の都築祐作、そして絢華の通う女子高を含む学校法人、礼英会の事務長をしている小笠原丈志と続いた。
前者二名はモデル時代の知人であり、後者は外部入学者向けのオリエンテーションが初対面だった。どの男も紳士然とした笑顔を浮かべながら、物欲しそうな目で絢華を舐め回していた連中だ。こういう方面の勘に関して、絢華は実に鋭い。
そして思った通り、分別盛りの三人が三人とも、自分の娘のような少女の誘惑にあっさりと堕ちた。絢華を拒絶したり、教え諭したり、肉体関係抜きで借金の肩代わりを申し出るような人格者は一人もいなかったのである。
それは絢華にとって好都合だった。彼らに人格など求めてはいない。絢華の必要な条件は、この三点だけであった。
一、ある程度以上の金を自由に使えること
二、お互いの秘密を外部に漏らさないこと
三、セックスのテクニックが優れていること
彼らは高額所得者で、いずれも既婚であるため守秘は確実と思われた。公的な立場がある人物を選んだのも、絢華の計算高いところである。女子高生の処女を金で買ったなど、バレてしまえば失職どころの騒ぎではない。また、表向きは清楚なお姫さまでありたい絢華にとっても、秘密の保持は大事な要件であった。
三番目の条件は、まだ性のイロハを知らない絢華にとっては基準が曖昧であったが、ガツガツした若い男よりは経験豊富な中年男性の方が、快楽へ導かれる可能性が高いのではないかという期待があった。
普通の17歳であれば、処女喪失はもっとロマンチックな夢を見るのが普通で、好きな相手と結ばれたいと考えるものだろう。しかし絢華は早く性の扉を開けたかったし、まとまった金が欲しかった。そもそも、エロスは使い捨てなのだから、大事に取っておいてもムダである。それが絢華の理屈であった。
なお、絢華が売春をしていた事実がわかったのが、この日付の日記の一文からだ。
──小笠原は切った方がいいあいつはケチだ普通の女子高生でさえタダでやれるはずはないのに私と付き合えると思っている時点で死んだ方がいい死ね今後は都築と久枝に限定しよう久枝は一回5万円くれるし都築はそれより少ないがコネが多くて役に立つ──
相変わらずクセの強い句読点なしの文字が、男たちとの金銭のやり取りを綴っていた。ここから前後の記述を繋ぎ合わせて、ようやく全貌が解明されたのだ。どうやら絢華は「親に内緒で知人から金を借り、その返済の代わりに関係を強要されている」という嘘をついて、男たちに泣きついたらしい。
「女子高のお友だちはお金持ちの子が多いので、無理して合わせようとして、お金を借りてしまったんです。そしたら……」
絢華のつぶらな瞳から、涙がぽろりと零れる。「返すのはいつでもいい」と言っていた相手が豹変し、返済の代わりに肉体関係を迫られている。しかし、親には学費で苦労をかけているので、これ以上の金銭的負担をさせたくない、というシナリオだ。
「私の浅はかさが招いた結果なので、自分で責任を取るべきだとは思うのですが……」
そこで絢華は言葉を切って目を伏せた。「相談がある」と呼び出された男たちは、この時点で「いくら借りたんだろう」と、自分のポケットマネーを気にし始める。そこで絢華は顔を上げ、涙で潤んだ瞳で男を見つめるのだ。
「初めては……特別な方に捧げたいのです。勝手なお願いだとは思うのですが、私を助けてはいただけませんか」
要するに「処女を抱かせてやるから借金返済する金をくれ」という意味だ。冷静な第三者なら、カモにされていると気づくのだろうが、下半身に血液が集中した男は頭のネジが外れやすい。
ちなみに借金の設定は30万円だ。女子高生には簡単に返せない金額だが、金持ちの中年男には造作なく用意できる、絶妙なラインを狙っている。絢華はこういう駆け引きを、躊躇せずやってしまえるから恐ろしい。
こうして節操のない男三人は17歳の女子高生の罠にかかり、絢華はまんまと100万円近い金を手に入れた。そしてその後もたまに彼らの呼び出しに応じては、肉体関係と引き換えに数万円の小遣いをせしめていたのだ。
なお、体験したくて仕方のなかったセックスについては、最初の1回こそ快感より痛みが大きかったが、数をこなすうちに見事に開花した。自分でも予感していた通り、絢華は相当に好色な女だったらしい。そう言う意味でも複数人との秘密の関係は、絢華にとって都合の良いものであった。
ただひとつの計算違いは、小笠原が思いのほか金を自由にできず、しかも絢華に惚れたことだ。彼は高給取りで地位もあったが、それらは全て婿養子に入った小笠原家の威光によるもので、妻には全く頭が上がらない。同居の義父母からも何かにつけ小言を喰らい、結婚生活はおよそ円満とは言い難いものだった。
そんな鬱積した小笠原の生活の中に、絢華という美少女が出現した。外部入学者の説明会で彼女を初めて見かけたとき、あまりの美貌に暫し見惚れてしまった。その絢華が初めての男に自分を選んでくれたことが、小笠原には天にも上るほどの感動だった。
小笠原はすぐさま、へそくりの中から30万円を都合した。さらには絢華から求められるままに、足りない出席日数を改竄したり、内部進学に必要な内申点を水増ししたりするなどの裏工作を行った。
それは学校法人の事務長という立場からすれば、とんでもなく危ない橋を渡る行いであったが、中年男の恋は若者のそれよりも、ある意味始末が悪い。次がない分、一人の相手に執着してしまうのだ。
しかし絢華にとっては、そういう小笠原の情熱は非常に鬱陶しいものであった。欲しいのは金やコネであり、財布の紐を妻に握られている男と、何が悲しくて郊外のファミレスでドリアをつつかねばならないのか。人目に付くとまずいのなら、ホテルやレストランの個室を借りればいいのだ。実際、都築や久枝はそうしている。
やがて小笠原がこらえきれず、自分の気持ちが恋であり、今後もこんな風に会いながら交際を続けていきたいと告白すると、絢華はいつものように静かに微笑んで、中年男の純情を言下に跳ね退けた。
「それは無理です、先生。だって、うちの学校は男女交際禁止ですから」
まさか校則を引き合いに出されるとは思わず、小笠原は硬直した。既に肉体関係があり、金銭まで授受している間柄である。そういう段ではないだろうと言おうとしたが、絢華は微笑を湛えたままその言葉を封じた。
「でも、ご援助ならいつでも歓迎します。それは校則で禁止されていませんので」
そう言って絢華はテーブルの紙ナプキンを取り、口元に付いたドリアのソースをぬぐった。そしてそれを小さく丸め、食べ終わった皿の横に置く。小笠原は絢華にとって、この紙ナプキンと同じだ。すでに役目を終え、何の使い道もない、そういう存在であった。
「ごちそうさまでした」
絢華はそう言うと、学生鞄を持って立ち上がった。慌てて小笠原が伝票を掴んで後を追う。小柄な絢華の、お下げ髪の後ろ姿。その背中から漂うにべもないオーラに、刹那の夢が終わったことを小笠原は理解した。




