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私の姉は、きれいなクズ  作者: 水上栞
第三章 エロスと犯罪のテーマパーク
13/49

1・魚住エリカさん、シンガポールでご退場


2000年1月3日(月曜日)



 絢華の母、祥子(さちこ)は正月早々、すこぶる不機嫌であった。本家である実家に年始の挨拶に行き、そこでいつものように兄の叱責を受けたのだ。内容は、絢華の修学旅行のことである。


 一般的に高校の修学旅行は、2年生の秋ごろが多い。しかし絢華の通う女子高はエスカレーター式で、そのまま大学に進学する生徒がほとんどだ。そのため、毎年2月に行われるのが通例となっている。それは入学前からわかっていたはずなのに、祥子は音楽学校の受験前なので休ませると言い出したのだ。



「馬鹿なことを言うな、修学旅行は授業の一環だ。それに、高校時代でいちばんの思い出だろう。絢華がかわいそうじゃないか」


「だって一週間近くレッスンをお休みするのよ。それが原因で実力が出なかったら、どうするの!」



 1回目も2回目もボロボロの惨敗なのに、まだ望みがあると思っているのか。実力が出なかったのではなく、実力などないのだ。それは受験した絢華自身がいちばん知っている。


 結局、その案は伯父と父にバッサリ却下されて、絢華は修学旅行に参加できることになった。思い出づくりには全く興味のない絢華であったが、修学旅行に際してある企みがあったので、取りやめにならずに済んで助かった。



 ある企みとは、事あるごとに絢華にウザ絡みする同級生、魚住エリカへの制裁である。どうせ音楽学校は望みがないし、このまま行けば絢華はエスカレーター式で進学することになる。そうなれば、大学でもエリカに絡まれる可能性が大きい。それはさすがに気が滅入るので、今のうちに始末しておこうと思ったのである。




 絢華たちの女子高では、富裕層の親たちの希望を取り入れ、数年前から海外への修学旅行が実施されている。今年の行先はシンガポールで、出発空港ロビーの一角に仕切られた集合場所には、高級ブランドのスーツケースやボストンバッグが山のように積み上げられていた。普段の通学には学校指定の学生鞄を使用しているが、旅行期間中は私物のバッグが許可されているため、皆ここぞとばかりに自慢のブランド品を持ち込むのである。



「私、エコノミーに乗るのなんて初めて。こんな狭い所で何時間も座ってられる人たち、すごーい」



 割り当てられた生徒用の座席に着くなり、一般客が聞いたらこめかみに青筋が立つような暴言をエリカが吐く。さらに周囲の取り巻きもそれに追従し、機内食のメニューを見て「餌じゃん、これ」などと言って大笑いしている。お嬢さま学校と言いながら、実態は低俗なことこの上ない。



「山下さん、ちゃんと靴を脱いで乗った?」



 くすくすと意地の悪い笑いを含んだ声が頭上から降って来た。エリカと取り巻き連中だ。絢華が初めての海外だということを知り、しつこく揶揄ってくる。しかしその鬱陶しさもあと数時間で終わることを、絢華は知っていた。きっと初の海外は、晴れ晴れとした気分で楽しめるだろう。



 やがて飛行機がチャンギ空港に到着した。絢華の罠が予定通り発動したのは、入国審査の列に並んでいるときだった。青ざめた顔の学年主任と強面の空港職員らしき人々が走ってきて、エリカをどこかへ連れて行った。絢華も、周囲の同級生たちも、魚住エリカの姿を見たのはそれが最後だった。



 修学旅行の最中、皆が「エリカはどこへ行ったのか」と噂をしたが、教師たちは一様に口をつぐみ「魚住さんは事情があって帰国した」としか言わない。その後の情報が公にされたのは、帰国から実に10日も経った頃だった。



「魚住エリカさんは退学されました」



 担任はそれだけ言って、生徒からの質問には答えなかった。しかし情報通の誰かが、その翌日ビッグニュースを校内にばらまいた。なんとエリカは麻薬取締法違反で逮捕されていたのだ。チャンギ空港の麻薬犬が、エリカの荷物から禁止物の匂いを嗅ぎ当て、調べたところ乾燥大麻の葉が発見されたという。


 こうなれば修学旅行どころか、入国すらできなくなる。エリカはお気に入りのエコノミーで日本へ強制送還され、パパの雇った弁護士に泣きつきながら警察の取り調べを受けることになった。


 きっと本人は無実を訴えるだろう。実際、エリカは大麻など所持していなかった。ではどうして荷物に入っていたのか。もちろん絢華の仕業である。




 絢華はまずエリカが自慢げに転がして登場した、ヴィトンのトロリーに目をつけた。彼女はいつもキーケースをコートの右ポケットに入れている。きっとトロリーのカギもそこにあるはずだと絢華は考えた。人間はそうそう習慣を変えない。


 エリカは空港へ着くとコートを脱ぎ、畳んで自分の隣の椅子に置いた。それを絢華が通りすがりに落としそうになり「ごめんなさい」と言って、元通りに戻した。わずか3秒ほどの出来事である。



「ちょっとぉ、気を付けてよね」



 エリカがじろりと絢華を睨んだが、既にそのときには絢華はキーケースを抜き取っていた。そして何食わぬ顔をして荷物の集積所へ向かい、旅行代理店の管理者に「入れ忘れたものがある」と声をかけた。


 修学旅行生の荷物は、クラス全員がそろってからまとめて預け入れされる。そのため、この時点ではまだ積まれたままだ。それをいいことに、絢華はさも自分の物のようにエリカの荷物を開けて「ブツ」を仕込んだ。ちなみに、匂いがよく拡散されるよう、ビニールではなく紙の袋に入れてある。



 やがて生徒たちの荷物は機内へ運ばれ、エリカご自慢のトロリーは到着空港の税関でお縄となった。もちろんエリカは頑として無実を訴えたが、滝のような冷や汗が止まらなかった。実は身に覚えがないこともなかったからだ。


 エリカは交際相手である大学生の男と一緒に、何度か大麻を吸ったことがある。ずいぶん前なので尿には出ないと思ったが、毛髪を検査されたらバレる可能性がある。恐怖と後悔が入り混じり、とうとうエリカは声をあげて泣きだした。






 なお、この罠を仕掛けるために、絢華は数日前にもエリカのコートを漁っていた。キーケースに入っている、「彼マンション」のカギを拝借するためだ。エリカは教室で「合鍵をもらった」と自慢していた。校則で男女交際は禁止のはずだが、彼女の場合はクラスの誰もが知る公然の秘密であった。



「ヒデ君はねぇ、〇〇町のマンションの最上階に住んでるのよ。車もポルシェでかっこいいの」



 エリカがぺらぺらと自慢話をするお陰で、彼の個人情報は筒抜けである。絢華はその情報に従い、彼が留守にしている時間帯にマンションへ忍び込んだ。ちゃんと半地下の駐車場に、ガンメタのポルシェがないのも確認済みだ。


 最上階には部屋が二つあり、どちらの部屋かは聞いていなかったので、カギを差し込む瞬間はさすがの絢華も緊張したが、運よく最初のアタックでドアはすんなり開いた。むっとする煙草の臭気と、それに混じって何やら甘いような青臭いような不思議な匂い。どうやらエリカの彼氏殿は昨夜もお楽しみだったらしい。


 リビングを通り過ぎて、寝室へと向かう。大学3年と言っていたから20歳か21歳くらいだろう。郊外にある大きなパチンコ屋の御曹司だそうで、なるほどその年の学生には不釣り合いな、悪趣味ともいえる豪奢な家具が設えられている。



「やっぱり、あった」



 ベッド横の引き出しに、厳重に包まれたビニール袋を見つけ、絢華は満足そうに笑みを浮かべる。エリカの彼氏は、取り巻きいわく「サークルの幹事でクラブ好きな遊び人」らしく、絢華はそういう人物は必ず、良からぬブツを所有していると信じていた。


 根拠のない先入観とは言え、この時はそれが大当たりだった。絢華は現物を見るのは初めてだったが、間違いなく大麻と思われるその枯れた葉を、少しだけ抜き取って小袋に移した。


 そして部屋に入った痕跡を全て消し、マンションを出ると手袋を脱いだ。万が一指紋が発見されると困る。髪もしっかりゴムで結わえたし、防犯カメラがあるといけないので、マスクと伊達眼鏡も装着した。そういう面では絢華は非常に慎重である。



 ちなみにその翌日、絢華はエリカのキーケースにマンションのカギを戻した。きっとエリカは盗られたことさえ気づいていない。もちろん、空港でトロリーに大麻を入れた後も、エリカがお喋りしている隙にこっそりとキーケースを返却しておいた。なぜならそれが絢華のルールであるからだ。



「ちょっと借りただけだもの、泥棒じゃないわ」



 盗んだままなら犯罪だが、返却したのだから罪にはならない。絢華の頭の中ではそういう法律の解釈ができあがっていた。図書館やビデオのレンタルと同じに考えているのだ。絢華にとって善悪は、自分に利があるかないかで決まる。




 なお、空港での一件があった直後、エリカの彼氏も逮捕された。エリカのことだから、保身のために「自分ではなく彼の持ち物だ」とでも言ったのだろう。その際の泥仕合を想像すると、絢華は愉快でたまらなかった。



 執行猶予か実刑かは定かでないが、魚住エリカの優雅な令嬢生活は17歳で詰んだ。彼女の失敗は、ただひとつ。絡んだ相手が悪すぎた。絢華の楚々とした微笑みの奥には、迂闊に手を出せば死に至る、猛毒の牙が潜んでいるのだ。





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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほど……これが毒を以て毒を制すというやつか こわい; ;
[良い点] 蠱毒って感じですかのぉ…… 毒と猛毒が食い合ったというか…
[良い点] おいおい…… [一言] 何が犯罪か分からなくなるくらい全部犯罪でもはや清々しいわ!
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