2:アークイラ商会の一人娘
「まったく……我ながらとんだひねくれ者で困る。でもまあ、女の子に気を遣える点では前より成長したとも言えるが……」
アズライト王子と別れた後、カナリアは城下町の商店街をぶつぶつ呟きながら歩いていた。ところどころ破れた服装で歩く少女はかなり目立つはずだが、周りの人間は特に気にしていない。
変な話なのだが、この少女の衣服が破れているのは大体いつものことなのだ。
「あら、カナリアちゃん。相変わらず元気そうね。今日はカブトムシ捕れたの?」
商店街で果物を売っていたおばちゃんが、カナリアを見て笑顔で語りかけてきた。実はカナリアは、この辺りでは『甲虫狩りのカナリア』として有名なのだ。
「いえ、今日は収穫ゼロでした。見ての通り服だけがボロボロでして」
カナリアは肩をすくめながらおばちゃんに返事をした。おばちゃんはりんごを一つ取り、カナリアに手渡す。カナリアも遠慮なくそれを受け取った。
「森に行くのはいいけれど、あんまりご両親に心配をかけちゃ駄目よ。あなたもそろそろ結婚を考える年頃だし、可愛いんだから一人で出歩くのも危険だからね」
「気を付けます」
カナリアの実家は商家であり、商店街では顔見知りも多い。カナリア自身は全く気付いていないが、外見だけならカナリアはかなりの美人の部類なので、狙っている男も多いのだ。
とはいえ、カナリア自身に結婚願望は全く無い。厳密にいえば、男と結婚する気は皆無である。カナリアは十五年後の未来から転生してきたアズライト本人であり、男色ではないのだから。
おばちゃんに一礼をし、カナリアはそのまま自宅――アークイラ商会へと足を向けた。カナリアの本名はカナリア=アークイラ。アークイラ商会の一人娘である。
商会と名乗っているが、基本的には夫婦だけでやっている小さな店だ。その割に取引が途絶えず、カナリアは平民としてはかなり裕福な生活をしていた。
石畳で舗装された道を歩き、赤レンガで作られた自宅にたどり着く。そのまま門をくぐりぬけ、カナリアはノックもせずにドアを開ける。
「ただいま戻りました」
「カナリア! また森に行っていたのか? 心配したじゃないか!」
「ぐぇ」
ドアを開けた瞬間、待ち構えていたかのように、大男からベアハッグを食らう。
「お、おどうさま……ぐるじ……」
「ああ、すまんすまん!」
悶絶するカナリアに気付き、大男は慌てて手を放す。カナリアが顔を上げると、そこには心配そうにカナリアを見つめるひげ面があった。
彼の名はサイガ=アークイラ。アークイラ商会の代表であり、カナリアの父である。身の丈2メートルを超える巨漢で、ハンマーか斧でも持たせたら誰がどう見ても商人ではなく戦士にしか見えない。
その外見に違わず剛腕だが、非常に穏やかで争いごとを嫌う性格でもある。
「元気なのは結構だが、森にばかり行っていては駄目だぞ。この辺りは比較的安全だが、少し離れれば肉食獣や魔物だって出るんだ」
サイガはカナリアの頭を撫でながら説教をする。心配をかけて申し訳ない気持ちはあるが、カナリアはこの説教が嫌いではなかった。
すると、声を聞きつけたのか、家の奥からエプロン姿の女性がやってきた。銀髪を長く伸ばしたなかなかの美人である。
「ほんとにもう……また服を破いてきたのね。あなたの趣味は否定しないけど、あまり無茶はしないでほしいわ」
呆れたようにそう言うのは、カナリアの母、マーガレット=アークイラだ。街一番の美人と呼ばれ、サイガと並ぶと美女と野獣などとよくからかわれている。
「お父様、お母様、本当に申し訳ありません。ただ私的にはやらなきゃならないことでして」
カナリアは素直に頭を下げた。両親が本気でカナリアを心配してくれているのは理解している。そして、それは前世では到底ありえないことだった。
アズライトの母は彼を生んだ直後に亡くなり、父である王は、王としては優秀かもしれないが、アズライトにとっては最大の敵だった。
だからこうして、平民ながらも両親の愛を受けられるということは、カナリアにとっては何よりも大事なことで、何が何でも守りたいものの一つだった。
「あんまりカブトムシばかり追いかけていると、誰もお嫁さんに貰ってくれなくなるわよ」
「その時はお父様に貰ってもらいますから」
「はっはっは! それもいいな。うん、カナリアは俺の元に置いておくというのも悪くな……いてっ!」
子煩悩のサイガが真剣な口調で言いかけたので、マーガレットが彼の足にローキックを入れた。それを見てカナリアは苦笑する。
「とにかく、服は後で直してあげるから、着替えてらっしゃい」
「はーい」
悶絶するサイガを横に、マーガレットに促されてカナリアは二階への階段を昇る。この建物は二階建てで、一階が事務所を兼ねていて、寝るときは二階である。カナリアも自分の部屋を持っている。
自室に戻ると、カナリアは服を脱ごうとする。最初は戸惑ったが、十五年も続けていると慣れるものだ。服のボタンに手をかける時に、ちらりと横に積んである木箱に目を向ける。
「すまんなカブトムシ達。世界の平和のために少し我慢してくれ」
カナリアの部屋には一般的に女の子が好む可愛らしいものがあまり無い。申し訳程度に動物のぬいぐるみや花などが飾ってあるが、ほとんどが父や母から誕生日プレゼントで貰ったものだ。
それ以外に少数あるのは女の子アピールのためのダミーである。そして何より、カナリアの部屋には大量の木箱が置いてあり、そこには拉致されたカブトムシやクワガタムシなどが放り込まれている。
別段こいつらが好きな訳ではない。ただ、アズライトを追いかけるとどうしても人外魔境に片足を突っ込むことになり、そんな話がバレたら森に行くこと自体を禁止されてしまう。
そんなわけで、『カブトムシを探しに近所の森に行ってます』という大義名分のため、出かけた後にテキトーに捕まえてくるのだ。カブトムシからしたら完全なとばっちりである。
「まあ嫌いじゃないのだけど」
王子だった頃は気軽に虫取りなどしたことなかったので、なんだかんだ言いつつ楽しんではいる。こうした何気ないささやかな生活をずっと送りたい。カナリアは心からそう願っている。
服を着替え、マーガレットに破れた服の補修を頼むために部屋を出ようとすると、不意にこつこつと何かを叩く音が耳に届いた。
音の方に顔を向けると、カナリアの部屋の窓ガラスの向こうに、青とオレンジの混じった宝石のように美しい小鳥が見えた。カワセミという種類の小鳥である。小鳥はしきりに窓ガラスをつつき、早く開けろと催促しているように見えた。
――いや、実際に催促しているのだ。
カナリアは多少顔をしかめつつも、要求通りに窓を開けてやると、カワセミはすぐに部屋の中に飛び込んだ。
『やあ、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ』
「久しぶりだな。配信者」
小鳥は少年のような声で喋りだしたが、カナリアは驚きもせず返事をした。
当然である。この小鳥こそ、アズライトがカナリアになった元凶なのだから。