1:大国の王子と平民の娘
ラーヴル王国――人間たちの国の中で圧倒的な力を持ち、魔道王ハインリヒ=ラーヴルによって統治される巨大国家だ。だが、その魔道王よりも遥かに強力な力を持つものがこの国には存在する。
その者の名は、この国の王子アズライト=ラーヴル。
この世界では人間は決して強力な種族ではないが、アズライトだけは違った。違いすぎた。魔獣や魔物と呼ばれる存在や、竜という遥か上位存在ですらアズライトを恐れた。
当然、人間たちもアズライトを恐れていたが、彼自身はそれ以上に周りの人間を恐れていた。彼の力によって周りが傷つくことが恐ろしかったからだ。
そんな理由で、アズライトは幼少期から人を避けた。二十歳となった今もそれは続いており、端正な顔立ちの黒髪の青年は、倒れた巨木に腰掛け、城から遠く離れた森の奥深くで一人本を読んでいた。
この場所は近くに美しい泉もあり、優しい日差しが差し込む彼のお気に入りの場所の一つだ。とはいえ、凶暴な獣も多くいるため、普通の人間が入るには護衛を雇わなければならない。
けれどアズライトは普通の人間ではない。むしろ周りの生物が本能的に危険を察知し近寄らないので、泉の周りは不自然なほどに静まり返っている。彼はときおり横になったりしながら、無防備な姿を晒している。
あまりにも不用心だが、彼にとって物理的に恐れるものなど何一つない。
……いや、一つだけ存在した。
「おーい! 待ってよー!」
「……やはり来たか。カナリア」
舌打ちをしつつ、アズライトは面倒くさそうに本を閉じた。それとほぼ同時に、はあはあと荒い息を吐いた少女が茂みをかき分けながら姿を現した。
「やはり来たかカナリア……じゃあないよ! いい加減、人外魔境に行くのはやめて欲しいんだけど。君はそれでいいかもしれないけど、か弱い乙女がここまで来るのは大変なんだから!」
勢いよくまくし立てブチキレているこの少女は、カナリアという名だ。
今年で十五になる、城下町の商家の一人娘。
さらさらの銀髪を短く揃えており、髪を伸ばすのが若い女に流行っているのを真逆で行っている。黙っていれば可愛らしいのだが、口を開くと奇怪な言葉が飛び出すので、あまり同年代の友達はいないようだ。
「か弱い乙女がこんなところに一人で来るわけないだろう」
「頑張って来たんだよ。途中で狼に三回も襲われるし、死ぬかと思ったよ実際」
カナリアはぷりぷり怒っているが、狼に襲われた割には全然怖がっていない。ただ、着ている服が爪痕らしきもので破れているあたり、本当に狼とやりあってここにたどり着いたのだろう。
カナリアはそこまで強力な力を持っていないが、なぜか魔力の扱いが異常に上手いのだ。少ない魔力を技術で補い、こうして王子のもとにたどり着いたというわけだ。
「何度も言うが、なぜわざわざ危険を冒して俺のところに来る? ここは別に女が楽しめるような物は何もないぞ。というより、教えてないのになぜ毎回毎回俺の場所が分かる」
「ええと、それは……直感?」
カナリアは若干どもりつつそう答えた。怪訝に思いつつも、アズライトはため息を一つ吐いただけで、それ以上言及しなかった。
そもそも、アズライトは城を出るときに誰にも場所を教えない。彼を襲うということは自死を意味する。護衛を付けたりするほうがむしろ邪魔だし、城の者も誰も気にしない。そうなると消去法で直感ということになる。
(俺と似たような思考回路ということになるが……)
馬鹿馬鹿しい考えだと、アズライトは首を振った。自分は大国の王子であり、強大な力を持った青年。一方、多少裕福とはいえただの町娘だ。共通点などあるはずもない。
考えても仕方ない。アズライトはこのうるさい少女を無視し、本の続きに戻る事にした。カナリアが来るのは勝手だが、別に相手に合わせる必要はない。
「あ、その本読んでるんだね。推理小説だよね。犯人は執事の……あ痛っ!」
カナリアが勝手にアズライトの横に座り、盛大なネタばらしを始めたので、アズライトは本の表紙で頭をひっぱたいた。
「あいたた……ひどいな。せっかく本を読む時間を短縮させてあげようと思ったのに」
「余計なお世話だ」
「いいじゃないか。別に楽しくて読んでるわけじゃないんだし」
「…………ふん」
ずばり言い当てられ、アズライトは内心で驚いたが表情には出さなかった。本を読むだけなら城で読めばいい。彼がこんな辺境まで来て本を読んでいるのはただの暇つぶしに過ぎない。
「一体お前は何が目的なんだ? こんなところまできて俺になぜ付きまとう? 言っておくが、俺はお前に好意など抱かんぞ」
「私だって別に来たくて来てるわけじゃない。君は友達がいないし、このままじゃ孤独を拗らせて魔王になって、そのとんでもない力ですべてを破壊しちゃうからさ。私が人間相手のコミュニケーションの練習台になるしかない」
「……不敬罪で牢にぶち込むぞ」
王子相手にとんでもない発言である。アズライトは少し声にドスを利かせて睨むが、カナリアはのほほんと座っている。大きな空色の瞳には怯えの色は全く見えない。
はぁ、とまたため息を吐き、アズライトは本を再び閉じた。畏怖の目で見られることは多々あるが、こうして懐かれることは滅多にない。
このカナリアという少女は本当によく分からない。ただ、アズライトもそれなりに付き合いが長くなってきたので、彼が本気で怒らないということを知っているのかもしれない。
「興が削がれた。付いてこい」
アズライトは腰掛けていた倒木から立ち上がると、カナリアに手を伸ばす。
「も、もしかして……二人きりというシチュエーションだし、そういうコト!? 私にも心の準備ってものが……あ痛っ!」
カナリアがわたわたし始めたので、今度は本の角で殴った。かなり痛かったらしく。カナリアは頭をさすっている。
「コラッ! 女の子に暴力をふるうのは良くないぞ! せめて性的なことにしないと……」
「逆だろうが。いいから黙ってついてこい。それとも、この場に置き去りにされたいか」
アズライトの言葉を聞き、カナリアはきょとんとした表情になる。
「……もしかして、送ってくれる的な?」
「このまま放置して狼に食われたいなら構わんぞ」
「行く行く! いやぁ、君にも温かい人の心が育ちつつ……わぁっ!?」
カナリアがニコニコ笑顔で話し終わる前に、アズライトは問答無用でカナリアの腕を掴んで宙を舞う。アズライトの膨大な魔力を放出すれば、鳥の真似事くらい造作もない。
「いやああああ! 腕がもげるうぅぅうぅ!」
ただし、カナリアは片腕で宙ぶらりんなので、鳥に捕まった虫みたいな扱いだったが。
そのまま高速で風を切り、カナリアが必死こいて抜けてきた森を軽々飛び越え、城下町付近の草原へと降り立った。そのまま放り投げられるような形で、カナリアは草むらに尻もちをついた。
「あいたた……もー! 本当に扱いが乱暴だから困る」
「やかましい。連れてきて貰っただけありがたく思え」
「君は本当に傲慢だね。まあでも、女性をエスコート出来るだけ成長したとでも言うべきかな」
「……本当に不敬罪で牢に入れるぞ。もうここでいいだろう。じゃあな」
アズライトはそれだけ言い残すと、カナリアを置いてさっさと城の方へ歩き始めた。カナリアは服に付いた草を払いながら、その後姿を見送った。
「本当に……成長してもらわないと困るからね」
カナリアはぽつりとそう呟く。先ほどは冗談めかして言ったが、放置しておけば、遠くない未来にアズライトはすべてを破壊してしまうだろう。
そういう噂は街中でも城内でもされているが、あくまでアズライトの力と性格から判断しただけだ。けれど、カナリアは違う。約束された破滅を知っている。
――なぜなら、カナリアは未来から転生してきたアズライト本人なのだから。