波乱の同居生活の幕開け!②
「チユキくん、起きて! 今すぐ逃げよう!」
そう叫んで、チユキの部屋を見回すが、そこに彼の姿は無かった。
——こんな緊急事態に、何処行っちゃったの!?
そう思いながら、きょろきょろと彼を探すも、一向に見つからない。先程玄関に行った時にはチユキの靴があったのだから、確かにこの家にいる筈である。
それとも、どこかぼんやりしている彼の事だから、靴を履くのを忘れて出掛けてしまったのだろうか。
うんうんと1人で考えているうちに、何処からか冷たい冷気が漂って来て、ひやりと足元を撫でた。
不思議に思い、その冷気の出どころを探すと、業務用で使われていそうなくらい巨大な冷凍庫の扉が僅かに開いていた。
——なんでチユキくんの部屋にこんな大きな冷凍庫があるんだろう⋯⋯?
私は、開いている扉を閉める為、その冷凍庫に近づいた。
そして、中身を見て思わず絶叫しそうになる。
「ひっ⋯⋯!!」
なんとその中には、青ざめて冷たくなったチユキくんこと碓氷千雪が入っていたのだ。
「ち、チユキくん!? なんでこんなところに!?」
殺人事件の現場を目の当たりにして、パニックで頭が真っ白になる。
——と、とりあえず、チユキくんを此処から出してあげないと⋯⋯!
溢れそうになる涙を拭い、深呼吸をしてなんとか心を落ち着ける。そして、彼の両手を掴み、力一杯に引っ張ってみた。
「うぅっ⋯⋯意外と重いっ!」
チユキはひょろりとした細身の体格であったが、やはり男の子なだけあって想像よりもずっしりと重みを感じた。
それとも、既にお亡くなりになっているため余計に重く感じるだけだろうか。
可哀想に思いつつも、ずるずると彼の身体を引き摺りながら冷凍庫から出すところでチユキの頭が扉にぶつかってしまう。
すると、死んでいるかと思った彼がぴくりと反応を示した。
「⋯⋯⋯⋯ん」
「えっ! チユキくん!? だ、大丈夫!?」
「⋯⋯⋯⋯あつ、い」
意識を取り戻したチユキは、そう呟いて不意にそれまで着ていたTシャツを脱ぎ出した。
「ち、ちちちチユキくん!? 何してるの!?」
年頃の男の子、しかもアイドルの裸をタダで見てはいけないと、咄嗟に両手で顔を覆う。
しかし、一瞬ちらりと見えたチユキの裸体は、想像よりもがっしりとしており、意外にも着痩せするタイプのようであった。
自分の目の前でイケメンがストリップしているという現実から目を逸らすため、頭の中で必死に素数を数える。
その間にも衣擦れの音は静かな部屋に響き、気まずさから顔に熱が集中した。
「チユキくん! とりあえず服を着て!」
「⋯⋯⋯⋯」
そう言って、そろりと顔を覆った手の隙間からチユキの様子を確認するが、寝ぼけまなこの彼には聞こえていないようである。
彼の奇行に気を取られて忘れていたが、ここに来てから大分時間が経っていた。
——どうしよう! このままじゃカヅキくんが来ちゃう! でも、チユキくんを置いて逃げるわけには⋯⋯
この非常事態に恥ずかしがっている場合では無いと、それまで顔を覆っていた手を離し、チユキに近づく。
「チユキくんっ、ちょっとだけ我慢してね⋯⋯!」
そう言いながら、床に投げられたTシャツを手に取った。
しかし、私の気配に気付いたのか、Tシャツを着せる間も無く、チユキががばりと抱きついて来た。
「!?」
チユキの突然の抱擁に理解が及ばず、頭の中に無数のはてなマークが浮かぶ。
しかし、彼は驚く私に構いもせず、すんすんと匂いを嗅いだかと思えば、首筋に鼻を寄せた。そして、かぷりとそこに噛み付いた。
「やっ⋯⋯!」
——も、もしかして、カヅキくんだけじゃなくてチユキくんもなの!?
度重なる恐怖で身体が思うように動かず、抵抗らしい抵抗も出来なくて、なすがままになってしまう。
しかし、身体を強張らせ襲いくるであろう衝撃に構えるも、チユキはカヅキのように首筋に牙を立てる事は無く、甘噛みを繰り返すだけであった。
——もしかして、寝ぼけてるだけ?
ほっと息を吐き、緊張が解けて強張っていた身体から力が抜ける。
すると、不意にちくりと、先程カヅキに噛まれた方とは逆の方に小さな痛みが走った。
「な、なに⋯⋯してるの!?」
「⋯⋯⋯⋯」
しかし、彼は私の問いに答えることは無く、ちゅうちゅうと首筋に吸い付いたままであった。
その不可思議な行為を止めようとチユキの顔を見ると、彼の凪いだ海の様だった碧色の瞳は、興奮からだろうか、ぎらぎらと激しく輝いていた。
そんなチユキの様子に身を固くするが、彼が首筋に吸い付く度に、私の意思に反して全身から力が抜けていくようであった。
——身体に力が入らない⋯⋯チユキくんが吸い付くたびに、まるで元気を吸い取られてるような⋯⋯⋯⋯。
ぐらぐらと視界が揺れる。このままじゃ、私——
もうダメだと諦めかけた時、部屋の入り口からカヅキの声が聞こえてきた。
「チユキ、起きろ。⋯⋯このままじゃそいつ、死ぬぞ」
その声を最後に、私の意識はぷつんと途切れた。