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97.焦り

涼夏は、聡子に文を書くことにした。

元々、記憶を戻す前には聡子の方から文が来ていたのに、こちらが罪人の子として追放された身なので、聡子の将来にも関わると、返事をしなくなっていたゆえの疎遠だったのだ。

こんな事があってから、連絡するのも気まずい気がした。

だが、迅はそんなことを言っている場合ではない、と言って、涼夏はその通りだと聡子宛に文をしたためた。

だが、聡子からは、返事は来なかった。

あちらが文を読んでいるのかというと、十六夜が言うには読んでいるようだったが、それでもあちらも恵麻が皇子を出産したりと大騒ぎであったらしく、それに紛れてしまったのではないか、という事だった。

塔矢と恵麻の間の皇子は、桐矢と名付けられ、塔矢の第一皇子として告示された。

髪は塔矢に似て黒く、目は薄っすらと赤くて今度はしっかりと鳥を身の内に継いでいる気の大きな皇子だったらしい。

塔矢の宮では、その知らせを受けてお祭り騒ぎであったようだ。

そんな最中で忙しい事もあって返事が来ないのだと思いたかったが、こちらから疎遠にしておいて今さらと思われているのではないかと、涼夏は暗く沈んでいた。


そんな様子だったが、高瑞は無事に天媛と共に陸の宮へと渡り、そちらで昌士たちに下にも置かぬ扱いを受けて、王の奥の間より豪華にされた貴賓室に泊められ、政務を教えていた。

加えて、高瑞が言っていたように、あの宮の規模の政務など高瑞にはお手のものなので、あっさりと傘下の采配までこなしてしまい、時が空くので庭まで綺麗に整備してくれていた。

高瑞にしたら、違った宮の庭をいじるのが楽しいらしいのだが、臣下達からしたらそんなことまでさせてはと恐縮していた。

それでも、高瑞がそれをやるためにここへ来たようなものだとか言うので、今では誰も何も言わなくなっていた。

そんなわけで、陸の宮は陸が倒れているにも関わらず、順調に回っていた。


そんな状況で、定成は焦っていた。

元々の筋の中では、あの宮は滅びてしまうはずだった。

陸が狂い、迅と昌士が跡目争いをして、迅が昌士を殺し、臣下が割れて宮が割れ、迅も狂って廃宮となる。

そんな最中に、父の定満はかねてからの念願の譲位を果たして正妃の栄子を里へと返し、第一皇子の定弥が王座に就く。

廃宮となった宮が隣りなので、最上位の王からそちらを治めよと命が下り、それに従う事になるが、定弥には荷が重かった。

定成が自分が陸の宮に入って治める事を進言したが、そもそもが定弥は定成の言う通りにするのが絶対に否なので、それを蹴って手にした領地を放置するがままにしてしまう。

それでは最上位の王に示しが付かないと、臣下達は定弥に申し出るが、定弥は反抗する臣下は皆厄介者として処理することを命じる。

そして定成も勢い処刑し、その後筆頭軍神の佐々によって定弥は斬り捨てられる事になる。

そうして王族を失った宮は滅び、臣下達は散り散りになってしまうのだ。

ちなみに佐々は、その後月の宮へと取り立てられることになるはずだった。

定成は、知っていた状況と変わってしまっているのに、もしやあちらで見た、過去を知る者が関係しているのではないか、と思った。

過去を知る者が未来を知るはずはなかったが、あの二人は詠み人と何度か会って話したと聞いている。

自分は、あちらで詠み人に会うことはなかった。

噂ぐらいは聞いていたが、他にも多くの詠み人が居て、そちらの者達のとの交流に忙しいようで、ただの読者だった自分とはなかなか繋がりも無くて会うことは叶わなかったのだ。

…自分が降りて来た事は、知られていないはず。

定成は、思った。

最初、公明の皇子として生まれようとしていたが、その折激しく大きな光に思い切り弾かれて、気が付けばあろうことか、滅ぶ予定の宮の第二皇子だった。

これが、せめて定弥の方であれば、上手く宮を動かして模範的な王として励めば、まだ何とかなっただろう。

だが、自分は定成の方に生まれてしまっていた。

それでももっと幼い頃に記憶を戻していたのなら、あの正妃の栄子が兄におかしなことを吹き込む前に、上手く言いくるめてこちらの味方につけるなど、いろいろ画策もできた。

だが、実際は記憶を戻した時にはもう遅く300歳も近くなっており、すっかり兄は、あの憎しみに溢れた皇子に成長した後だった。

ここから出来ることは限られていた。

一番良いのは、陸の宮が滅ぶのが早まることだった。

まだ、父である定満が王座に居る間に滅べば、父は恐らく自分にあの宮を任せようとするだろう。

なので、それを何とか外から早めて行けないかと、はぐれの神を使って面倒でも起こそうとしていたのに、何やらおかしな動きをし始めた。

そう、迅が帰って来ないのだ。

父は日に日に栄子にうんざりし始めており、このままでは譲位も時間の問題だ。

定成がどうしたら迅をこちらへ返せるのかとため息をついていると、筆頭重臣の常盤(ときわ)が駆け込んで来た。

「定成様!急ぎ、急ぎ応接間へ!」

定成は、眉を寄せた。

「なぜに?我などが参ったら兄上がまた後で煩う申すのにか。」

常盤は、ブンブンと首を振った。

「今、志心様がいらしておるのでございます!只今王がご対応くださっておりますが、兄君は先に行っておられて。定成はどこぞと、志心様がわざわざ名指しで仰るのです。」

「え、我を名指しで?!」

バレではおらぬはず。

定成は、胸がどきどきと拍動するのを感じた。

自分が、未来を知るなどあの白虎の王は知らないはずなのだ。

何にしろ、まだはぐれの神の辰巳に接触しただけで、自分は何もしていない。

今から自分の居場所を作ろうとはしていたが、だからといって特に何もしていないのだ。

しようと思っても、陸の宮が思うように動かないのでできずにいたのだ。

だが、最上位の宮の王が来て呼んでいるのに、行かないという選択肢はない。

定成は、早鐘を打つ胸を抑えながら、急いで自分の部屋へと取って返して訪問着に着替え、応接間へと常盤について駆け出したのだった。


応接間へと到着すると、志心が上座に居てこちらを見ていた。

定成は駆け込んでおずおずと頭を下げた。

「お呼びでしょうか。」

つい、兄に長く虐げられて来たので、こんな感じになってしまう。

志心は、チラと定成を見た。

定満が、待ってましたと頷いた。

「定成。志心殿が来られたのだ。」

定成は、志心を見てまた頭を下げた。

「志心様。」

志心は、頷いた。

「定成。」と、チラと定弥を見た。「…主の宮では、まだ譲位もしておらぬのに皇子はそれぞれ格付けしておるのか。」

定満が、え、と顔を上げる。

志心は、定成の着物を指した。

「これ。明らかにそちらの定弥とは違う布であろうが。宮と申すもの、兄弟仲が悪いと後の宮の運営に関わって参るゆえ、どちらが就くか分からぬのに王座に就く前からこのような格差はつけるものではないのだ。此度の再編成でも言うておるがの、面倒を起こす宮など要らぬのよ。それが後であったも同じこと。もしや、と思うが、主の所の皇子二人は、仲違いなどしておらぬだろうの。」

こんな一瞬でそんなことに気が付くのか。

定成は、驚いた。

もちろんこれは、栄子の仕業だ。

己の子である定弥には良い着物を着せるが、妃の子である定成にはいつも臣下の着物の残り生地で仕立てさせていた。

定満はそんなことは知らないので、困惑した顔をした。

「いえ…確かに母が違うので、幼い頃から同じ対では育っておりませぬが、我はいつも共に教育しておりましたし。宮が割れるほど仲が悪いなど、宮の存続に関わる大事であるのでそのような事は許すはずもありませぬ。」

全く知らぬのだな、父上は。

定成は思った。

志心は、そう言う定満の顔をじっと見つめた。

そして、頷いた。

「よう分かっておるな、定満。主の皇子はこの二人だけか。」

定満は、首を振った。

「いえ…実は成子が産んだ子がもう一人。ただ、体が弱いので妃の実家に預けておりまして。」

志心は、片方の眉を上げた。

知らなかったのだろう。

何しろ第三皇子の定嶺(さだみね)は、生まれた時から美しく、臣下もあれを跡目にできたらとか言い出したので、栄子の機嫌が悪くなり危機感を感じた父が母の里へと預けて、あちらで安く育っている。

あちらは皇子が居なかったので、良かったと向こうの宮を継ぐようだった。

だが、神世にそれは公表されていなかった。

「ほう?それは誠か。見てみたいものよ。」定満が、驚いた顔をする。志心は、真顔になって、定満を見据えて言った。「定満。我ら、宮の中の事まで基本的に口を出す事は無い。だがの、此度は再編成の大事な時ぞ。三番目の宮が下位に、下位が三番目に上がる重要な時ぞ。同じように二番目が三番目に下がるやもしれぬ。そんな時に譲位だなんだと言うておる主の宮の、現状が滞りないか我らが気にせぬと思うておるのか。次の王が誠にこの宮の王として間違いがないのか、それともそれがまずいのなら他には居らぬのか、それを確かめて然る後に序列を決める。主の評価は良い。なので主ならば今この時間違いのない序列であると言えるが、その後のことぞ。見たところ、定弥の礼儀がなっておらぬ。言わなんだが我の前に出るのに何ぞ、その恰好は。維心なら無礼だと顔を見た瞬間に切り捨てたやもしれぬぞ。いくら己の宮の中でも、最低限訪問着ぐらいは着るのが礼儀ぞ。そんな事も知らぬのか。」

言われて見ると、定成は訪問着を着ているが、定弥は部屋着だ。

…そもそも己が天下で誰も咎めぬから気が回らぬのよ。

定成はいい気味だど内心笑っていた。

定満は、自分自身は訪問着に着替えて出て来たので、定弥の姿に恥ずかし気に頭を下げた。

「申し訳ありませぬ!これは…正妃が甘やかせて育てたもので、このように。」

志心は、大きなため息をついた。

「栄子か。加栄に申しておかねばならぬの。良い歳をして息子も躾けられぬとはどのような育ちであるのだ。このような大きな形なりで。もう300にはなるのではないか?そうよなあ…どうしてもこれを跡目にと申すなら、どこかに教育に出す方が良い。そうであるな、維心に頼むか。維明や維斗と共にあの宮に居れば、すぐに矯正されようぞ。何よりあの宮は、粗相をすれば首が飛ぶからの。我から頼んでやろう。そうせよ。」

龍の宮へなど、死にに行くようなものなのでは。

定成は、さすがにこの我が儘な兄が気の毒になった。

兄がこのようなのは、兄のせいではないと、定成は知っている。

あの、母親のせいなのだ。

もちろん全てを鵜呑みにする定弥にも問題はあるのだが、最後に殺される未来を知っている定成には、不憫に思えていた。

定弥は、龍の宮と聞いて、小刻みに震えている。

志心は、すっくと立ちあがった。

「よし、あい分かった。では、そのように皆には報告するわ。そうやって皇子を教育すれば、主も早う譲位してようなるぞ。良かったの、定満。まあ、一年ほど龍の宮に預けてみて、命を落とさねば定弥を跡目にしたら良い。死んだら、まだ第二皇子が居るではないか。それで行こう。己で皇子を育てられぬのだから、我らが手分けして手伝ってやらねば、主もなかなか王座を降りられぬものなあ。案じるでない。我が頼んでやるゆえ。」

死んだらと。

定成は、そんな軽いものなのだ、と愕然とした。

知っていたはずだった。

この神世というのは力社会で、どんな理不尽なことを言われても、最上位の王などに敵うはずもなく従うしかない。

だが、定弥の次は、自分だろう。

あの厳しい宮で無礼な輩と言われて最後には抗う事もできずに殺される。

それならまだ、ここで死んだ方がマシにも思えた。

定満は、慌てて志心の足元へと駆け寄った。

「お待ちを!あの、定弥はこちらで何とか教育を…。それまでは、我も譲位など考えてはおりませぬ。ただ、希望を口にしておっただけで、真実譲位をとは考えておらなんだのです。」

志心は、定満を見た。

「ほう?誠か。主があまりにも譲位と煩う言うゆえ、もう今にもかと皆で話しておったのよ。何度も申すが、何しろ今は、再編成しておるから。一つ一つの宮が気にかかるし、皆で見張っておる。義心があちこちウロウロしておるのを知っておるか?維心が調べさせておるのだ。ま、そう申すならしばらく様子を見るか。だが、今の定弥では余りにもの。定成も何やら陰気であるし、まるで嫌がらせでも受けておるような様であるが…主、何かあるなら父王に申して、この際であるからハッキリさせよ。小さなことでも、後に宮が無くなる危機に陥ることがあるのだからの。分かったな。」

確かにそれで、この宮はなくなる。

…この機会に、兄の暴挙は言っておく方が良いのかも知れない。

定成は、震えながらもコクコクと頷いて、同意した後に深々と頭を下げた。

志心はため息をついて、そうしてガタガタと震えている定弥と、フルフルと小刻みに震えている定成を置いて、定満の宮を後にしたのだった。

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