95.母
十六夜が、思ったよりすぐに戻って来たので、まだ蒼は治癒の対に居て、迅と涼夏と一緒に居た。
蒼が、言った。
「…聞いてた。」蒼にしては珍しい。蒼は続けた。「気になって。あれは本物だな。」
十六夜は、頷く。
「間違いねぇ。雰囲気が前と全く違ったし、炎嘉に対してもオレに対しても、全く物怖じしなかった。落ち着いててこっちが躊躇うほどだ。間違いなく、あれは詠み人だろう。迅、涼夏、お前達が忘れてる事も、あいつは覚えてたぞ。お前達が、自分の知ってる筋が過去になるのを待って記憶を戻したのも知ってた。あっちじゃ一応、顔見知り程度の知り合いだったみてぇだけど。」
迅は、首を振った。
「全く覚えておらぬ。転生してからも聡子とは面識があって、涼夏など幼い頃からの友であったが…我らは、記憶を戻す事も無かったし、聡子もそうだろう。まさかそんな事とは、思いもせず。それで、どうであった?何が分かったのか。」
十六夜は、ため息をついた。
「蒼は聞いてたから知ってるだろうが、ガッツリ過去から未来まで知ってるようだ。こっちが聞かねぇと言わねぇが、詠み人本人なんだからそりゃお前達より知ってるだろうな。炎嘉が聡子から聞いた事を話してくれたが、陸の宮は本来、陸が狂って迅と昌士の争いの中で廃宮になるんだってさ。実際は陸が狂わなかったので、恐らく病で倒れたのだろうと言っていた。なのでこのままお前が帰ったら、多分昌士がおかしくなるんじゃねぇか?流れに流れされてるから、お前が争わずにおこうと思っても、あっちが敵意を持つようになっちまう気がする。流れはあの宮の、廃宮だからな。」
迅は、頷いた。
「我もそれは気取っておった。昌士の反応が悪いので…恐らくはと。やはり帰らぬ方が良いか。帰ったら、そちらの流れに尚近付くことになるから。」
十六夜は、顔をしかめた。
「まあ、そこはオレにもまだ言えねぇけど。親父に相談してから考える。あのな、陸の宮は廃宮になって、隣りに定満の宮に吸収される事になるらしい。で、その時に定成があの宮の面倒を見ると言うが、定弥がそれを許さないので廃れて皆が路頭に迷う事になる。だが、その定弥も性格に難ありだからそれが仇になって筆頭軍神に殺されて、まあ、滅ぶんだそうだ。つまりあの辺りは最後には、何も無くなるわけだな。はぐれの神以外。」
あの辺りが、荒れ放題になるのか。
涼夏は、心を痛めた。
今回の事で、せっかく美しかった全てがなくなる事になるのだ。
父の涼弥の宮は、今では訪ねる神も居らず、それは静かで廃れた様子になっているらしい。
一時は三番目の宮になろうとしたほど栄えていたのに、最下位から二番目に陥落してしまい、臣下の士気も著しく下がり、見る影もないらしい。
もう、跡継ぎすら居らず後は消えるばかりの宮と、皆に遠巻きにされているのは知っていた。
かつての友である清だけは、時に涼弥を訪ねているらしいが、父はかなり老け込んでしまっているらしかった。
初めて愛した麗羅は銀令に嫁ぐ事が決まっており、涼弥にはもう、何の希望もないようだった。
今では正気に戻ったのか涼弥や涼夏の事ばかり聞くらしいが、自分達はもう、帰るつもりはなかった。
そこへ、別の声がした。
「…炎嘉と志心に任せよ。」振り返ると、碧黎が浮いていた。「全部聞いておった。問題ない。あやつらが言う通りにするが良い。あやつらの話を聞いておったが、良い考えだと思うたわ。あれらは、高瑞に昌士の教育をさせようとしておる。燐でも良いが、高瑞があの辺りには詳しいからの。その間に陸が復帰してきたら、高瑞を戻せば良いのだからの。迅には、こちらで病の後遺症で…そうであるな、脳の病とでも言え。それを治さねば危ない流行り病だからまずいとか言うて。神世はとかく脳の病を怖がるからの。それであちらも何も言うて来ぬようになろう。」
今度は脳の病か。
迅は思ったが、確かに分かりやすく籠る理由になりそうだった。
蒼が、言った。
「じゃあ、オレから高瑞に頼みます。最近ゆっくり過ごしているから、何か目新しいことはないかとよう言うておったのですよ。天媛も行くだろうけど、それは大丈夫ですかね?」
碧黎は、頷いた。
「あれがついておったら、高瑞の心の病が再燃しそうになっても大丈夫だろう。むしろ一緒に行かせた方が良いわ。とにかく、主から迅が病の後遺症で脳がおかしいこと、高瑞を代わりに行かせる事を書いて昌士に知らせよ。それで様子を見るしかない。我も今のところそれが一番良いと思う。」
蒼は、頷いて立ち上がった。
「じゃ、とりあえず高瑞に話して来ます。」と、迅と涼夏を見た。「また何かあったら報告するから。」
二人が頷くと、蒼はさっさと部屋を出て行った。
十六夜が、言った。
「それで親父。聡子を見たか?というか、知ってたのかよ。」
碧黎は、首を振った。
「知らなんだ。そもそもが最近に思い出したのだろうが。あれは黙っておったし炎嘉に会いたいと言うだけで、詳しい事は塔矢にさえもらさなんだ。ゆえ、我にもあの瞬間までわからなんだ。徹底しておる…恐らくは、詠み人であるから己の知識の危険性を誰より知っておるのだ。事が終われば黄泉へ帰ると言うておったであろう?あれは誠に、誰より神世を理解しておるのだ。」
十六夜は、碧黎を見つめた。
「まさか、聡子の寿命を切るつもりじゃねぇだろうな。いくら詠み人でも、まだ160だぞ?いくらなんでもそれはないだろ。炎嘉は多分、誰かの嫁にしたらと思ってるみたいだけど。」
碧黎は、むっつりと十六夜を見つめた。
そして、涙を浮かべてそれを聞いている涼夏をチラと見てから、ため息をついた。
「…それを本神が望むと思うか。あれは仰せの通りにと言うておったが、恐らく黄泉へ行くことしか考えておらぬ。なぜならあれがどこかへ嫁ぐ事で、その宮が力を持つ事になるからぞ。それを誰より知っておる。世の均衡が崩れたらどうする?維心が娶るならこの限りではないが、あやつは維月以外を側には置くまい。後は、蒼。月の宮なら世の覇権など関係ないからの。だが、蒼が娶るか?あやつもあれこれ抱えて大変なのに、いきなり母のような意識を持つ妃が側に来るのだぞ。それとも十六夜、主が娶るか?否ではないのか。」
十六夜は、顔をしかめた。
確かに、炎嘉だろうが志心だろうが駿だろうが高彰だろうが、そこへ詠み人の聡子が行く事でその宮の発言力が半端なく上がる。
全てを見通す妃を持つだけで、それが聡子が言った事ではなくとも、そうではないかという邪推が生まれてその王が言う事が、維心の言う事より尊重されるのは想像に難くない。
世が二分される…昔の鳥と龍のように。
涼夏は、言った。
「あの子は本当に良い子で。我がこんな風なのに、ずっと友で居てくださいましたし。恵麻殿に話したいからと聡子に文を書いた時も、とても親身になって話を聞いてくれました。あの子が不幸になるのは嫌なのですわ。詠み人の記憶を戻しても、友であった記憶は消えませんから。どうして、詠み人であっただけでこの世を諦めてあの世に参らねばならないのですか。普通の幸福を生きて、寿命を全うするのではならぬのですか。」
碧黎は、またため息をついた。
「それは我とてせっかくに出て参ったのだからまともに生きさせてやりたいが、本神が己の責務を決めて来ておるから。それは混乱する神世を正して元凶の神を黄泉へ連れ帰る事なのだ。それを終えたら帰りたいという心地も分かるゆえ、我には強く残れとは言えぬ。ま、終わってからの事よ。消せぬ記憶を頭にもって、言えぬで苦しみながら生きるのと、黄泉へ渡るのと、あれはどちらを選ぶのかの。」
言われて、涼夏は涙を流した。
聡子は、こうなっても文をくれた唯一の友だった。
罪人の子では迷惑になるからと距離を置いていたが、聡子には幸福になってもらいたい。
責務だけで世を去るなんて、まるで維月に出逢っていなかった頃の維心のような、理不尽さを感じるのだ。
だが、今の涼夏にできることは何もなかった。




