9.新しい生活
涼夏は、必死に祖母についていろいろ学んでいた。
祖母が居ない時は、侍女の帆波がとても博識なので、神世の歴史などを詳しく学んだ。
そして、この神世では最重要だと言われている、書の指南も受けた。
文字が美しいと、そのままその女神が優秀だと言われるらしい。
もちろんの事、涼夏は書も苦手だったので、これまでの己を恨みながら毎日そんな事ばかりしていた。
すると、瞬く間にひと月が過ぎてしまい、もうひと月かと、涼夏は驚いていた。
帆波は、とても穏やかで明るい侍女で、歳も200歳と近く、涼夏は咲耶を思い出して楽しくしていた。
いつも涼夏を気遣ってくれて、疲れていたら疲れの取れるお茶を淹れて来てくれたり、祖母の滞在が長引いてつらくなって来たら気取って終了を促してくれたりと、本当に細々と感謝していた。
そして、今日は祖母が、良くなって来たので試してみておいた方が良いでしょう、と言って、周辺の宮から皇女を招いて、茶会を開くことになっていた。
涼夏が知っている皇女の方がいいだろうという事で、父の宮の周辺の、幼い頃から気安い皇女達に、招待状を書いて送った。
それも、指南の一つで、祖母が横について、文言や、美しく見える文字の書き方などを、付きっ切りで教えてもらいながら、苦労して書いたものだ。
その結果、清の宮の佳子、佐久の宮の美代、陸の宮の奏多、吉賀の宮の佐那、塔矢の宮の聡子と、まだ成人前の幼い皇女も含む、四人が来てくれることになった。
それぞれの兄である、河清、佐伊、迅、那都も妹の世話のために来るらしい。
ちなみに聡子は一人っ子なので、たった一人の参加となった。
この中で、返事の文をそれぞれ見た祖母が言うには、聡子が殊の外できる皇女であるらしい。
確かに涼夏と同い年で、もう去年七夕祭りに連れて行ってもらったと言うほどなので、聡子はしっかり学んでいるのだろう。
一番仲が良い友である聡子が褒められているのに、涼夏はもっと聡子のように勉強しておけば良かった、とつくづく思った。
自分もそれぐらい、できていたかもしれないという事だからだ。
過ぎた事を落ち込んでいても仕方がないので、涼夏は皆が到着するのを、じっと待った。
到着口に次々に降り立つ輿からは、皆外向きの着物を着て着飾って、降りて来た。
まず最初に到着したのは、清の宮の佳子と、その兄の河清だった。
佳子は150歳、河清は200歳で、涼夏は思わず河清に見とれた。
神の王族たちは皆、例外なく美しい。河清も、黒髪に青い瞳でそれは美しい顔立ちだった。
兄と同じ歳なのだが、こうして見ると、違った趣で変に意識してしまい、ギクシャクしてしまった。
侍女に先に案内してもらって、無事に二人が茶会の席へと去って行くと、次は美代と佐伊だった。
佐伊はまた、涼夏と同じような白っぽい髪で、だが緑掛かった色で、瞳は緑でとても柔らかい感じのするイケメンだった。
同じく成人しているので、また大人な気がして凛々しく見える。
…ああ、神世に来て、良かったなあ。
涼夏は、いろんな種類のイケメンを見られることに、神に感謝した。
次は、奏多と兄の迅だった。
迅は、黒い髪にまた黒い瞳で、一見して冷たい雰囲気なのだが、それがまた美しい。
歳はまだ100を過ぎた辺りらしいのだが、とてもそうは見えなかった。
きっと、成人したら回りの宮の皇女が放っては置かないだろう。
もしかしたら、涼夏の父の涼弥のように、上位の宮の皇女が見染めて、などということがあるかもしれない恵まれた容姿だった。
まだ幼い奏多は、兄の影に隠れるようにしていたが、涼夏とは顔見知りなので、少し微笑んでくれた。
そんな子供まで茶会に呼んでしまって、良かったのだろうかと涼夏は少し、心配になった。
その後、佐那が輿から降り立った。
佐那は、まだ幼いからと兄の那都が返事を書いて来てくれたのだが、皇女以外では、那都がダントツに美しい文字だと祖母が絶賛していた。
涼夏も、あまりに美しいお手だと恥ずかし過ぎてどうして文など出してしまったのだろう、と後悔したぐらいだ。
その那都が、まだその半分ぐらいしか身長がない佐那の手を取って、輿から降り立ったのだが、その様がまた、美しいのだ。
所作が美しいとは、こういう事なのだわ。
涼夏は、それを見て思った。
毎回、祖母に動きを美しく、所作には気を付けてと言われるが、どうやったらそうなのか分からなかったぐらいだった。
いつも、祖母を真似てこんなものか、と調節して動いていた。
だが、那都と佐那は、それがとても自然なのだ。
動きが香るようなとは、正にこの事だと涼夏は思った。
「涼夏殿。御招待くださって、感謝致します。我は那都、吉賀の宮の第一皇子でありまする。佐那を連れて参りました。」
那都は、非の打ち所がないとはこのことだというほど、美しく会釈した。
そして、隣りの人でいう所の小学一年生ぐらいの大きさの佐那は、綺麗にお辞儀をした。
「お招きいただきまして、ありがとうございます。王妃様にも、本日はお出迎えありがとうございます。」
本当にまだ60歳なの?
涼夏は、目を丸くした。
小さな頃から練習する意味とは、こういう事なのだ。
それが当然と、佐那はそこに立っている。
祖母が、感動したのかフルフルと扇を持つ手を震わせて、言った。
「まあ…誠に美しいこと。那都殿、佐那殿、ようお越しくださいました。どうぞ、茶会の席へお越しになってくださいませ。まだお客人が来られるので、我らも後で参ります。」
那都は、佐那と共に頭を下げて、そうして、侍女について奥へと歩いて行った。
その様すら、目を離せないほどだった。
祖母は、小声で言った。
「涼夏、ああいうことなのですわ。誠に、那海様がどれほどに優れたかたであるのか、あれで我にもすっかり分かりました。維月様と同じ、月の眷族であられると聞いておりましたけれど、まあ、誠にあのように…見習わねばなりませぬよ。あのように幼い皇女がまるで貴婦人であられるのですから。涼夏、恥ずかしいと思うて、精進せねば。」
涼夏は頷いたが、最上位の宮の女神に勝てるはずなどないではないか。
なので、黙っていることにした。
すると、素朴な形だが、それは美しい彫刻が輿全体にされた、見た事もないほど珍しい輿が、到着口に降り立った。
「あら…何と美しい彫刻かしら。」
祖母は、もう那都と佐那の事は忘れたかのように、目の前の輿に目を丸くしている。
すると、中から聡子が静々と降りて来て、頭を下げた。
祖母が、言った。
「ようお越しくださいました、聡子様。」
聡子は、思った通り完璧な仕草で顔を上げて、言った。
「この度はお招きいただきまして、誠にありがとうございます、王妃様、涼夏殿。」
涼夏は、言った。
「よくいらしてくださいましたわ、聡子殿。あの…とても美しい輿ですこと。」
聡子は、それを聞いて嬉しそうに微笑んだ。
「はい。父が他の宮で見た柱の彫刻が殊の外美しかったのを思い出して、御自ら本日のためにと刻んでくださいましたの。」
聡子の父は、塔矢だ。
何でも自分でこなすそれは器用な王だと聞いているが、宮はとても小さい。
だが、塔矢の気は、下位の宮の中でも恐らく一番ではないかと言われているほどの大きさがあった。
聡子の母は、聡子を産んで亡くなったと聞いているが、父が一人で育てたのに、聡子は本当によく礼儀に通じていた。
小さい頃から何でも父が、父がと言っていた聡子だったが、最近では己で機織りから裁縫までするようで、着物も美しいと褒めたら、自分で織ったのだと、糸の染め方から嬉しそうに話してくれたものだった。
もちろん、涼夏はそんな事は全て忘れてしまっていたが、つまりは聡子は、何でもできるのだ。
祖母は、感心したように言った。
「まあ、塔矢様が。何とこのような才がおありになるなんて。素晴らしいですわ。職人であられたら、我にも彫って頂けないかとお頼みしようと思うほど。」
娘のためだろうが、綺麗な花々が彫り込まれていて、愛らしいのに美しい。
女が使う輿だと、ひと目で分かる様なのだ。
聡子は、頬を赤く染めて微笑んだ。
「そう言って頂けたら、父も喜びますでしょう。」
祖母は、その輿に見とれていたが、ハッとして言った。
「まあ、我としたことが。すっかり見とれてしまいました。では、ご案内を。皆様ご到着なさっておいでです。共に参りましょう。」
聡子は、頷いた。
「はい、王妃様。」
そうして、涼夏と聡子、そして咲奈は茶会の席へと向かったのだった。