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85.不穏

迅の屋敷には、先に十六夜が降りていた。

二人は、窓の外に現れた十六夜に驚いて、寝巻きに袿を引っ掛けただけの姿で、ウッドデッキに出て来たところだった。

「王!十六夜が話があると降りて参って。」

迅は、膝をついた。

蒼は、首を振った。

「ああ、今はそんな礼儀とかどうでもいい。それより、話があるんだよ。中に入っていいか?」

ここは蒼の物を貸し出しているのだから、もちろん聞く必要もなく蒼は入れるのだが、この性格なのでそう聞いた。

迅は、頷いた。

「もちろんです。どうぞ中へ。」

蒼は頷いて、言われるままに居間へと出てそこの椅子に座った。

涼夏が急いで茶を淹れている中、蒼は言った。

「困った事になったかもしれない。十六夜が見たことを話す。」

蒼は、順を追ってはぐれの神の辰巳という男と、定満の宮の軍神らしい男の話をした。

聞いているうちに茶を淹れている涼夏の指が震えて来て、茶器がカタカタと音を立てる。

迅は、言った。

「…過去を知る者とは、我らの事でしょうか。」

蒼は、迅が察しがいいのに頷いた。

「オレ達はそう思ってる。主は言ったな、先を読んでいたら未来が分かるのにと。そして、自分達より生きた人なら読んでいるかもしれないと。もしや、それが記憶を戻しているのでは。」

茶を淹れ終えた、涼夏が言った。

「…その、言葉が気になります。過去を知る者は興味はないようで、その男は秘かにここへ来た、と。何に興味がないと言うのでしょうか。我らは興味があるからこそ、あの小説を読んでいたのですわ。もしや…我らは神世をどうにかするのに興味がなかった、その男はあった、だからここへ来た、ということなら…もしかして、大変な事になるのでは。」

蒼は、頷いた。

「オレもそうじゃないかって思ってて。だから急いでここへ来たんだよ。」

迅は言った。

「ならばまずい。なぜなら我らは過去を知っていますが、未来は知らないのです。その男の言い様では、未来しか知らぬようにも聴こえます。でも、それがまずい。」

十六夜が言った。

「だが、変わってるみてぇだ。辰巳が、言っていたのと違う、ほとんどが合致しているがって、そんなことを言ってた。だから、お前が帰らなかったからじゃねぇのか?本来、涼夏も連れずに昌士と帰るはずだったんじゃ。」

迅と、涼夏は顔を見合わせた。

確かに、流れは迅を帰す方向に行っていて、最上位の王達も、何とかして迅を戻そうと考えていた。

碧黎が、帰らない方がと言ったから、最上位の王達はそれを強制しなかったが本来は、恐らく帰るしかなかった。

流れに逆らったのだ。

「…だとしたら、何としても我はここを出るわけには行きませぬ。何しろ何が起こるか、わからないのです。その男は我が帰る事を望んでいたのでしょう。流れ通りに進んで何かが起こるのを、望んでいるのではないでしょうか。その隙に何をしようとしておるのか、考えただけでも恐ろしい。恐らく良い事ではないでしょうから。」

蒼はふと、言った。

「…その男の顔を見たら、分かると思うか?」

迅は、すぐに首を振った。

「いいえ。我らは恐らく、会っていたとしても黄泉でしょう。今の姿は前世とは似ても似つかないので、お互いにわからないはずです。そもそも、黄泉の記憶が全く無いですし。」

涼夏は、頷いた。

「あちらは黄泉の記憶があるようですけれど…秘かにということは、我らはその男のやろうとしておることをあちらで気取って、阻止しようと降りたとしたら辻褄が合うのです。迅も我も、薄っすらと覚えておるのが、こちらへ来る前に誰かが我らに、間違いなく困難だが行くのか、というようなことを言ったということで。だから、恐らく阻止しやすい場所に分かっていて生まれたはず。あちらも我らが後だとしたら、どこに降りておるのか知らぬでしょう。見てもわからないはずです。」

蒼は、驚いた顔をした。

「え、主らにそんなことを問うた誰かが?顔は覚えているか。」

迅と涼夏は、困惑した顔で視線を合わせてから、首を振った。

「いえ…。はっきりとは思い出せませぬ。何やら乳白色の背景の中、我らは二人で何かを見下ろして立っていて、隣りに背の高い誰かが居たということだけ…。」

涼夏は、うーんと悩んだ。

「男性、だったと思います。声の感じがそうだったし、姿も大きかったし…。」

十六夜が、言った。

「ええっと、今の黄泉の番人は焔の父親だから煽か。それと、駿の父親の観。焔と駿に似た感じだったか?」

二人は、また顔を見合わせてから、首を振った。

「本当に全く覚えていないが、あの二人には全く似ておらなんだように思う。そんな感じではなかった。どちらかというと、雰囲気的には碧黎様の方が似ておるような…。」

十六夜は、迅に顔をしかめて見せた。

「親父は最初分からねぇと言っていたぞ。だから親父じゃねぇ。」

迅は頷いた。

「分かっておる。受ける印象が似ておったと思うだけで、碧黎様を見てもそうだと思わなかったことから、そうではないと思う。」

蒼は、ため息をついた。

「とにかく、ちょっと分かって来た。主らは、恐らく未来を知る誰かが転生したのを知って、それを止めようと降りて来た過去を知る者達だった。多分、その辰巳というはぐれの神と話していた定満の宮の男が、未来を知る者なんじゃないのか。でも…それが分かったところでどうしたらいいんだ?まだ確信もないし、オレが月の宮へそれを呼ぶのもおかしいんだよ。だってここは宮を閉じてるし、あの宮とは全く交流がない。」

十六夜が、頷いた。

「そうだな。それができるのは維心だけだ。あの宮が全部の宮を見てるから、維心が呼び出して来ない選択肢はないし、いきなり呼び出しを掛けられても文句は言えねぇ。」

蒼は、十六夜を見た。

「でも、碧黎様が維心様に言うなって言ってるから。オレには表立って何も出来ないんだよ。だから前から維心様に言っちゃ駄目かって聞いてるのに!」

十六夜は、まあまあ、と鬱陶しそうに蒼を手で押さえてから、言った。

「親父!蒼がヒステリー起こしそうになってるじゃねぇか!どうすんだよ、オレ達に神世なんか動かせねぇっての!維心に任せちゃいけねぇのかよ!」

すると、間違いなく聞いていただろう、碧黎がパッと目の前に現れて浮いた。

涼夏は、その姿を見て思わずポ、と頬を染める。

碧黎は、こうして見ると維心にどことなく似ていて、凛々しくて美しい顔立ちをしているのだ。

碧黎は、維月が縫っただろう月の気配がする部屋着の着物で、宙に胡坐をかいた。

「…あやつは諸刃の剣であるからの。別に言うても良いが、どう反応するのか考えたか。確かに主らが見つけたその、定満の宮の男を連行して尋問だの記憶の玉を取るだのぐらいやってのけるだろうが、その上で迅と涼夏の事もただでは済まぬぞ。恐らくは、記憶を抜き取って消すことを考えよう。良いのか、それで。」

言われて、蒼は確かに、と思った。

維心なら、脅威と思われるものは全て排除しようと考える。

迅と涼夏の記憶も、恐らくその、過去の小説の内容の部分は全て抜き取って、消し去ってしまおうとするだろう。

蒼だって、その方が面倒がないとは思うが、この二人の絆には恐らく、その記憶を持っているということも重要な役割を担っているはずだ。

それを消してしまったら、このまま婚姻関係とはならないだろうし、迅だって月の宮で軍神として生きるより、宮へ戻って皇子として王座を狙う方が良いとか考えるようになるかもしれない。

それでは、良い結果にはならないような気がする。

「…でも、過去の記憶を消してしまったら、迅は今の迅ではなくなります。つまり、涼夏だって。二人はここに居る己を哀れに思うようになるかもしれないし、恐らく迅は陸がああ言っていたのだから、涼夏を置いて宮へと帰って、昌士と王座を争う事になるでしょう。昌士だって、すっかり自分が王座に就くと思っているんだし。」

そこまで話すと、碧黎は顔をしかめる。

迅は、ハッとした顔をした。

「…そうですよ、蒼様、それでは。元の、記憶の無い我の事をお話しましたでしょう。もし、我が記憶が無かったら、父の所業を恨んでおるだろうと。そして、宮へ帰れるとなれば、喜んで帰って王座に就いただろうと。だが、昌士も居る。もしかして、我は記憶が無かったら、宮へ帰って昌士と争う事になったのでは。今我が帰ったら、我につく臣下、昌士につく臣下と割れるはずです。そうなったら、宮がどうなるか。父上は幸い正気でありますが、愛羅を失って病んでおったりしたら、恐らく宮は内側から崩れることになったでしょう。もしかして、それが小説の未来であったのでは。」

蒼は、驚いた顔をした。

だが、そうだ。

碧黎を見ると、黙ってこちらを見て浮いているだけだ。

否定もしなければ、肯定もしなかった。

「…親父、もしかして維心がそうしたら結局、元の未来になってこいつらがここへ来た意味が無くなるから、維心に知らせるなって言ってるんじゃ。」

碧黎は、十六夜の言葉に、ため息をついた。

「…まあ、何とでも考えよ。我からは何も言えぬのよ。ただ、維心は何も知らぬし、己が最善と思う事をする。つまりは、知らずに流れに乗る方向に動くということぞ。今回も、我が迅を月の宮から出さぬ方が良いと蒼に申して、それを伝え聞いたから思い留まったが、本来皆、焔のような心地であったはず。つまりは、涼夏を娶っておろうと無理に引き離して宮へと戻す選択ぞ。そうすることが、神世に良いと思うたら、一つの婚姻関係ぐらいあやつらには些細な事でしかないのだ。昔、己の妃でさえ見捨てて世を優先して生きて来た奴らなのだからの。」

迅と涼夏には、碧黎の言っていることが痛いほど分かった。

あの物語の中では、王というのは臣下民のために、己を殺して判断を下す存在だった。

そして、その中の最上位の王達は、そんな宮々を束ねて世を広く見据えて生きているので、感情など二の次に、世が乱れないために判断を下すのだ。

そんな話を、遠い世界の話だと俯瞰して見ていたあの頃が懐かしい。

二人は、このままどうなってしまうのだろうと、不安で仕方が無かった。

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