83.違う流れ
文月から二月、長月になってやっと、陸は百合奈と昌士を引き取ると蒼宛ての書状を送って来た。
蒼に聞いたところ、これでも相当に早い対応らしかった。
なぜなら、まだ愛羅と正式に離縁したばかりで、そんな時に月の宮に隠し子と妃が居たなどと、公表するのは外聞も悪いからだ。
できたら、五年は待ちたいところらしかった。
なので、百合奈の事はまだ公にはせず、密かに宮へと入る事になった。
昌士の方は、ハッキリと陸の第二皇子だと公表して宮へと入る。
先に皇子が月の宮に保護されていたのが見つかった、と告示されていたので、誰もがそれを陸が引き取ると言ってもおかしいとは思わなかった。
陸からの迎えの輿が立ち並ぶ中、月の宮の出発口で、蒼、迅、涼夏、そして浬は並んで昌士と百合奈を見送りに出て来ていた。
「気を付けてな、昌士、百合奈。これよりは王族として、あの豊かな宮で過ごせるのだ。ようよう励んでの。」
蒼が言うと、昌士は蒼に頭を下げた。
「蒼様。蒼様が我をお助けくださらなければ、今日のこの日はありませんでした。誠に、ありがとうございました。」
蒼は、頷いた。
「百合奈。こちらでよう励んでおった事が役に立つ時が来た。こちらで習った礼儀のことなど、あちらへ行ったら臣下にも教えてやるが良い。主は立派に最上位の宮の侍女としてやっていたのだ。誇りに思うが良いぞ。」
百合奈は、深々と頭を下げた。
「蒼様には、誠にお世話になりました。これよりは、浬の事をどうぞよろしくお願い致します。」
蒼は、頷いて隣りに立つ迅を見た。
「迅と涼夏が面倒を見てくれるらしいし、オレは結界の内を許しているだけだ。二人が残ることになって良かったのかもしれぬ。」
迅は、進み出て百合奈に言った。
「母上。弟のことは任せてください。自立しようと励んでいる子でありますし、良い軍神になるでしょう。こちらで立派に育てます。」
百合奈は、涙ぐんで頷いた。
「ええ。迅、陸様からあなたがこちらへ来た経緯は聞きました。あなたもいつか戻る時があるかもしれませぬが、その時には浬も共に連れて参ってね。」
迅は、苦笑した。
「浬が望みましたなら。」
浬は、百合奈を見上げて、言った。
「母上、本当にお綺麗です。王妃様みたいだ。」
百合奈は、陸から贈られた着物や簪などで、大層に飾り付けられているのだ。
百合奈は、笑った。
「ありがとう、浬。母はあちらの宮へと参りますが、あなたももし、来たくなったら文をちょうだいね。あちらの王は、あなたを臣下として迎えても良いと仰っていたから。寂しくなったら申してね。」
浬は、少し拗ねたような顔をした。
「母上、我は子供ではありませぬ。我は蒼様にお仕えすると決めたから。大丈夫です。でも、文は書きます。」
百合奈は、頷いた。
「ええ…。」
昌士は、言った。
「迅、我は行く。主がくれた知識があるゆえ、何も案じてはおらぬ。また文を書く。分からぬことがあったら相談するゆえ。」
迅は、昌士に頷いた。
「ああ。何でも聞いて来るが良い。我はここで主らを見守っておるよ。」
そうして、軍神達に促されて、二人は輿へと乗り込んで行く。
「ご出発!」
軍神の声が響き渡り、そうして輿は浮き上がった。
二人は、迎えに来た陸の軍神達に守られて、月の結界を出て陸の宮へと飛び立って行ったのだった。
昌士が正式に宮へと入って、陸の宮はさらに落ち着いて回り始めた。
昌士は、来た時から精力的に宮を見回り、迅から与えられた知識が間違っていないことを確認してから、宮の会合にも出席して、的確な意見を出して陸と臣下を驚かせた。
何しろ何もかも始めから手取り足取り教えねばならないと思っていた臣下にとって、寝耳に水状態だったのだ。
まるで迅が帰って来たようだと皆が喜び、それが他ならぬ迅本神からの知識であると聞いてからは、皆が盲目的に昌士を皇子と認めて従うようになった。
陸も、迅が宮のためにここまで昌士を育てて返してくれたのかと、更に迅に感謝して、宮は愛羅が戻らないにも関わらず、驚くほど穏やかに明るい雰囲気になっていた。
しかも、昌士は陸に生き写しだった。
皆が仕えるのに何のわだかまりもなかった。
そんな落ち着いた明るい宮の雰囲気に、良く思わない者も居た。
辰巳と呼ばれる男は、むっつりとどこかの軍神らしい男と会う場所へと急いでいた。
その男は定成と名乗り、辰巳が知る限り陸より大きな気の持ち主だった。
はぐれの神として生きて来て、陸より大きな気の神を見ていなかった辰巳は最初警戒したが、定成は落ち着いた様子で、こちらに敵意など感じない神だった。
ふらりとやって来て話し掛けて来たが、それはまだ、昌士がここを飛び立った頃、一年以上前の事だった。
皆で月の宮に取り立てられることに決まった昌士を祝い、盛大に送り出した、その次の日の事だった。
思えば、最初から不思議な男だった。
あの頃は、まだ陸も落ち着いて君臨していて愛羅という妃も来ておらず、落ち着いた様だった。
だが、その男は言った。
「…これより混乱が起ころうな。」辰巳が驚いていると、定成は続けた。「神世が再編成されるが、その折こちらは上から三番目に上がる話が舞い込む。そして、夢のように美しい愛羅という妃が参る。今の妃は返されるが狂う。涼弥は妃を返すがその妃が恨んで事件を起こす。それゆえ失脚して宮は最下位へと下る。陸は愛羅に狂うて迅が宮から逃げるように出るだろう。月の宮へな。」
…何を言っているのだ。
辰巳は、眉を寄せた。
「そのような縁起でもない。高位のお方でもお口が過ぎましょうぞ。」
辰巳が言うと、定成は怒る様子もなく、逆に微笑んだ。
「…直に分かる。我が申しておることが偽りではないことがの。」
そう言って、怪訝な顔をしながら見守る辰巳に背を向けて、その場は去った。
しばらく様子を見ていると、全てが定成の言った通りとなった。
辰巳は、一緒に集落を守ってる自警団の男達に、その男、定成のことを話して聞かせた。
その男は先読みの才があるに違いない、と誰もが思った。
そして、迅が月の宮へと向かったと聞いた頃、また定成はふらりと集落へとやって来た。
待ってましたと皆で定成を迎え、集落に建てた掘っ立て小屋の中に案内して、皆で話を聞いた。
「仰る通りになり申した。あなた様には先読みの才が?」
定成は、苦笑した。
「まあ、そのようなものよ。」と、皆を見回して、言った。「これよりしばらくしてここは陸の結界内に入ることになろう。しかし扱いはそう良くはない。臣下達の主らに対する扱いは良くならぬ。はぐれの神のままだろう。とにかく、昌士という皇子が月の宮に見つかる。ここで育っていたが、あれは陸の第二皇子であったことが露見する。もうすぐ愛羅は旭が引き取りここを去る。腹の子は誕生を待たずに死ぬ。そして、愛羅は戻らぬだろう。その後陸は狂うゆえ、主らははぐれの神のままであった方がまだましであったと思うだろう。」
結界内に入ると聞いて喜びを顔に出していた皆だったが、その後に続く言葉に凍り付いた。
「そのような!我らはここまで努めておったのに報われぬと申すのか。」
誰かが言うのに、定成は答えた。
「世の中とはそんなもの。元はぐれの神を対等に扱うのは、月の宮の蒼ぐらいのものよ。あちらは能力次第で真面目に努めていれば認められる主らにしては夢のような宮。我も、そんな宮を作りたいと願うのだ。」
言われて、辰巳達は顔を見合わせた。
「それは…我らをそちらの宮で使ってくださると?」
しかし、定成は首を振った。
「我は第二皇子で王座にはつけぬ。今のままでは兄の定弥が王座に就こう。我が申し上げても父ははぐれの神などと二の足を踏む。なのでそれができぬでな。」
辰巳は、身を乗り出した。
「その、先読みの才があれば兄君など蹴落とせるのでは。」
定成は、苦笑した。
「何を申しても、我は妃の子であって、正妃の子である兄には勝てぬのよ。残念ながら、無理であろうな。…しかし、こちらの宮がもし混乱の中で崩れれば、近くの我が宮が吸収することになるはず。領地を接しておるからの。だが、父にも兄にもここまで広範囲を治める力はない。ゆえ、恐らく我が面倒を見ると申し出るつもりよ。そうしたら、この宮を臣下ごと受け継いで我が再編できる。主らのことも対等に取り立てて面倒を見れるだろう。我は先を知っておる。ゆえ、分かるのよ。なのでこちらを見に参っておったのだ。」
宮が消滅する。
辰巳からしたら、そして、ここで陸に面倒を見て来られていたはぐれの神達にしたら、それは死活問題だった。
「…取り潰しになると?」
定成は、頷いた。
「そう。何もしなければ宮はなくなる。我が父が面倒をみることになるのだが、父はもとより知らぬ土地で興味もないので放置する。ただ結界を広げるのみよ。そして、臣下も主らもここを追われる。父の考え方ではそうなるのだ。それが見えたので、それでは哀れだと我が面倒を見ると申し出ようと思うておるが…上手く行くかは、その時期の問題なのだ。」
辰巳は、眉を寄せた。
「時期?」
定成は、頷いた。
「そう、時期よ。あまりに遅くなると、父上は兄上に譲位してしまう。兄は、殊の外我を嫌っておってな。何しろ妃の子であるから、正妃の母から何か吹き込まれておるのか当たりが強い。恐らく我が望んでも、いや望むからこそ許さぬだろう。だが、父上は違う。父上が王座に居るうちに、どうあってもこちらには滅んでもらわねばならぬ。どうせ滅ぶなら、皆を助けたいと我は望むのだ。」
辰巳は、皆と顔を見合わせた。
これまで、言った事に間違いはなかった。
あるはずのないことが起こり、そして、それを予見して話していた男…。
「…今少しお時間を。」辰巳は言った。「皆が信じられねばなりませぬ。今お聞きした、隠し子のこと。妃が戻ることなど、確かにその通りであったなら、我らお力になりましょうぞ。」
定成は、頷いて立ち上がった。
「それで良い。次はここから先、林の脇にある洞窟の前で待っておる。事が終わった夜にの。」
そうして、定成は去った。
そして、その後言う通りの事が起こり、辰巳は定成に従う事にした。
だが…。
辰巳は、先を急いだ。
昌士と迅が戻るのではなかったか。
愛羅が去って陸は狂うと申したのでは。
辰巳は、ますます眉を寄せていた。




