80.対面
次の日、まだ夜明け前に起き出して、迅は涼夏に手伝われて着物を着つけた。
今日は、一応正装しておかねばならない。
もう出て来た宮の王とはいえ、正式に会うというので、型をしっかりしておかないと、今仕えている王である、蒼のメンツもあるのだ。
着物も満足に臣下に下賜できない王だと言われてしまうのは絶対に駄目だ。
なので、涼夏も念入りに下重ねなど気を遣い、迅を綺麗に仕上げた。
迅は、涼夏を見た。
「行って参る。本日は母上も共にということぞ。父上がどのように思われるのかは分からぬが、我は見守るだけぞ。」
涼夏は、頷いて頭を下げた。
「行っていらっしゃいませ。恐らく、我の事をお話することにもなるかと思いますが…。」
涼夏は、言葉を濁す。
恐らく、迅が責められるのが目に見えているからだ。
しかし、迅は涼夏の肩に手を置いた。
「案じるな。元より覚悟の上のことぞ。心配ない。主とて、決意してくれたのだからの。」
それでも、迅の方が表立って矢面に立つことになる。
涼夏は案じたが、迅は特に構えることなく、屋敷を出て宮へと向かった。
迅が宮へと到着すると、恒が待っていて言った。
「迅。我が陸様を謁見の間へご案内するから、主は蒼が居る檀上の脇の、仕切り布の間に昌士と夕と一緒に待っていて欲しい。蒼が順に呼び出すよ。それから、王達は反対側の仕切り布間で座ってるから。黙って座ってるだけだし、直接会うわけじゃないから気にすることないよ。」
そうは言われても、気になった。
あの大きな気の王達が、仕切り布の間にひしめき合って座っているわけなのだ。
だが、自分には何も言えないので、恒に頷いて、侍女に案内されて謁見の間へと向かった。
正面の大扉ではなく、ぐるりと回り込んで裏の、蒼達王族が入る場所へと案内された迅は、恒が言ったように仕切り布の間に通された。
そこの脇に置いてある椅子には、既に昌士と夕が並んで座って待っていた。
夕は、大変に美しい着物を身に付けていて、こちらも侍女とはまた違った趣だ。
恐らく今日のために、蒼が考えて下賜してくれたのだと思った。
迅が合流すると、昌士が言った。
「蒼様が、こちらで座っておれと仰って。」昌士は、言った。「向こう側の仕切り布の間に、王達が我らと同じように座って見ているようだが、全く気取れない気に驚くな。これほど完璧に隠せるものなのだろうか。」
迅は、苦笑した。
「我らより遥かに大きな気であるし、遮断する膜があるのだろう。」
と言ってしまってから、ハッとした。
気を遮断する膜…恐らく、仙術のあれだ。
自分は小説を読んでいたので知っていたが、思えば上位の宮ぐらいしか、その存在を知らぬはず。
なので、迅は話すのをそこまでにとどめた。
見ると、蒼が向こう側の仕切り布から出て来て、正面の椅子へと座った。
…もう来るな。
迅は、自分の椅子の中で背筋を伸ばして、その瞬間を待った。
侍従の声だろうものが聴こえて来た。
「陸様、ご到着でございます。」
大きな扉が、スーッと音もなく外側へと開いた。
長い、青銀の毛氈が敷かれてあり、小さな宮ぐらいなら一つぐらい入るのではというほど大きな謁見の間の正面の壇上に、蒼が座ってこちらを見ていた。
…普段は穏やかで親しげなので意識していなかったが、蒼も最上位の王なのだ。
陸は、気軽に考えていた自分を恥じて、背筋を伸ばした。
そして、少し狼狽えた様子の臣下を後ろに、恒について蒼の前まで進み出て、頭を下げた。
蒼は、言った。
「よく来てくれたな、陸。本日、会ってもらいたい神が居る。書で知らせたが、昌士という名で。はぐれの神出身だが、とても優秀なやつなのだ。だが、どうも主に似ている。一度事情を聞いてみようと呼んだら、もしかしてという様子だった。なので主を呼んだのだ。」
陸は、顔を上げた。
「確認したく思います。歳は160と?」
蒼は、頷く。
「迅と一年ほどしか違わぬようぞ。本神は、何も聞かされずに育ったらしい。今は夕と名乗る女神が母で、同じく月の宮に迎え入れて侍女としてオレに仕えてくれている。先に夕を呼ぼう。」と、脇の仕切り布を見た。「夕。こちらへ。」
すると、壇上の脇の布が揺れて、そこから綺麗に正装した夕が進み出て頭を下げた。
あの頃100そこそこだったし、今はまだ300に届かないほどのはず。
陸が思っていると、夕は階段を降りて来て、陸の手前でまた頭を下げた。
「夕でございます。」
陸は、記憶の中にある、ユリナの姿と重なって震えて来るのを感じた。
「…表を上げよ。」
陸が言うと、夕は緊張気味に顔を上げた。
そして、陸を見上げた途端、ボロボロと涙を流した。
「…陸様…。」
ああ、間違いない。
陸は、その青い瞳に思った。
あんな所に居るのが不思議なくらい美しい女だった。
試しに宮から持ってきた着物を着せてみると、やはり品があって驚くほどに美しかった。
それまで全く女に心が動かなかった陸が、初めて愛した女。
父王に許されず、隠しているしかなかったが、それでも通っていた。
他に妃は娶らなかった。
拐われた時には血眼になって探した。
だが、たった一人では何も分からなかった。
父王に何度も軍神を貸して欲しいと頼んだが、迅を認めるのと引き換えに、忘れろと言われて諦めるしかなかった…。
「…ユリナ…!」陸は、その手を握った。「何としたこと、もう会えぬのだと諦めて…。まさか、まさかこちらに保護されておったとは…。何故に我に申さなかった。今なら誰に反対されても、主を宮に迎え入れられたのに。」
夕は、涙を流しながら答えた。
「何度も蒼様に、打ち明けようかと考えました。ですが我などが、迅の母であるのが知れたら迅にも陸様にもご迷惑が掛かろうかと。死ぬまで黙っていようと思いましたが…昌士が。蒼様は昌士から気取られて、我に問われたのでお話するよりありませんでした。ご足労をお掛け致しまして、申し訳ありませぬ…。」
そんな様も、あの頃とは違って大人びていて、そして月の宮でしつけられて更に品良く見えた。
「あの折また身籠っていたのだな。我は知らなくて…それなら何としても父上に申し上げて、軍神をお貸し頂いたのに。腹の子のために、父も飲まざるを得なかっただろう。」
夕は、頷いた。
「幹という軍神に拐われて。ですが腹の昌士は気が幹よりも大きかったので殺されることなく生まれる事ができました。途中、虐待されるので昌士だけ逃がし、昌士はたった一人で陸様の結界外までたどり着き、それと知らずに陸様にお世話されて生き延びました。感謝致しております。」
陸は、何度も頷いた。
「そうか。」と、夕の手を握ったまま、蒼を見上げた。「蒼殿、昌士に会わせては頂けませぬか。」
蒼は黙って頷いて、脇を見た。
今度は、昌士が出て来て蒼に頭を下げ、そして階段を降りて陸に頭を下げた。
「…昌士でございます。」
陸も、後ろに控える鴇と重臣達も目を見張った。
若い頃の、陸にそっくりだったのだ。
色は夕に似て黒髪青い瞳だったが、一目で陸にも臣下にも、これが陸の皇子なのだと分かった。
「…我の子ぞ。」陸は、昌士に手を翳した。「我の気がする。迅とそっくりの気。何より姿が、我の若い頃に瓜二つ。」
後ろで膝をつく、鴇が涙を流して頷いた。
「はい、王よ。我ら真実王のお子であると確認致しました。」
はぐれの神であったとは、思えないほどに落ち着いた、品のある様だ。
元々血の力もあり、恐らく月の宮で、自然そうなったのだろう。
「では、昌士を主の子であると認めるのだな。」
陸は、涙を浮かべて頷いた。
「はい、蒼殿。誠に感謝致します。何よりこれらを保護してこうして世話をしてくださっておったこと、重ねて御礼申し上げまする。」
蒼は、頷いた。
「良い。」と、椅子に座り直した。「して?どうする、宮に迎えるか。」
陸はすぐに頷いた。
「はい。すぐにでも。」と、夕を見た。「主も参れ。もう立ち働かぬでも良い。我の妃として宮に参れ。」
夕は、驚いた顔をした。
「え、ですが我などが…あの、只今の正妃の御方には気を悪くなさるのでは。我は正式に妃にして頂かずでも、こちらでお待ち致します。陸様が良い時に、ほんの少しお会いできましたなら…。お邪魔になりとうございませぬ。」
陸は、首を振った。
「主をもうそのように扱いたくない。もとよりあれは、上位の宮からの降嫁なので正妃としたが、あちらも我の事など想うてはおらぬ。」
だが、鴇が言った。
「王、ですが旭様の手前、もう少し様子を見てからの方がよろしいのでは。」
恐らく愛羅を返さないと言って来るはず。
陸は、旭と言われて戸惑う顔をした。
蒼が、言った。
「…では、今しばらくこちらで二人を預かろう。陸、宮の事を考えて、準備が整ったら迎えを寄越すが良いぞ。急いでおかしな事になったら、皆が不幸になる。それまで、密かにこちらへ夕に会いに来たら良いではないか。それを許すから。」
言われて、陸は蒼を見上げた。
「蒼殿…では、申し訳ありませぬが、今しばらくお願いいたします。」と、夕を見た。「ユリナ、名を変えたようだが、我が主に有里奈と新たに名を与えよう。字は、こう。」と、宙に気で光の筋を描いた。「有里奈ぞ。待っておってくれ。そう待たせはせぬから。」
夕改め有里奈は、頷いた。
「はい、陸様。」
微笑む有里奈の笑顔に、陸は確かに自分への愛情を感じた。
何より長い年月陸や迅に迷惑をかけまいと、黙って耐えたことで有里奈の気持ちは透けて見えた。
…姿などに惑うて、我は大切なものを違えるところだった。
陸は、これまでの己を心から恥じた。
そして、言った。
「…蒼殿。」蒼がこちらを見る。陸は続けた。「迅をこれへ。」
蒼は、真顔になって頷いた。
そして、脇の仕切り布を見ると、そこから迅が、スッと出て来て蒼に頭をさげた。
そして、こちらに向き直り、陸と目を合わせた。
陸は、迅の視線をまともに受けて、覚悟を決めたような顔をした。




