78.成長
迅は、書状を出す命令を出しに行った蒼の背を見送ってから、隣りの応接間の前に立った。
そして、声を掛けた。
「迅でございます。」
すると、炎嘉の声が答えた。
「入るが良い。」
迅は、入って頭を下げた。
焔は寝ていて、他の王達は何やらこちらに体を向けてもいなかったが、維心と炎嘉だけがこちらを見て並んで座っていた。
恐らく、皆この二人の決定に従うつもりで任せているのだろうと思われた。
炎嘉が、言った。
「世話を掛けておるの。隣りで夜通し見ておったのだろう。」
迅は、顔を上げて首を振った。
「いえ。涼夏と交代で寝ておりますので皆様のように寝ておらぬのではありませぬ。蒼様からお聞きしました。昌士の事をお知りになりたいと。」
炎嘉は、頷く。
「その通りよ。あれはどうか?」
迅は、答えた。
「は。昌士は真面目な性質で、毎日きっちり我が与えた課題をこなして参ります。一度教えたことは覚えておるので、大変に進みやすい。元々、我の宮の軍神に可愛がられておったようで、断片的ではありますが、予備知識があるのでさらに学びが進みやすいのです。礼儀の面でも我に教えられることは伝え終わっており、神世の歴史はもとより、我が宮のことも砂が水を吸うように身に付けて参り、今では我と政務の話で論を戦わせることができるほどになり申しました。とはいえ、新体制のことはこれからで。傘下を抱えてからの宮の動きは、これから教えようと思うておりまする。」
聞きたいことは言えただろうか。
迅は炎嘉と維心を観察したが、二人が同時に頷いたので、これで良かったようだ。
ホッとしていると、維心が言った。
「こちらが知りたい事をよう分かっておるの。それが聞けたら充分よ。誠に惜しいの…主なら間違いなく王になれるのに。」
迅がまさかまだ我を王座に、と焦っていると、炎嘉が、横から小突いた。
「こら。我とて同じ心地だが、それはもう仕方ない。ではとりあえず、その本神に…。」
そこまで炎嘉が言った時、外から声がした。
「昌士、お呼びにより参りました。」
蒼様が伝えてくださった。
迅が思っていると、炎嘉が言った。
「入るが良い。」
昌士は、その声を聞いて入って来た。
スッと背筋が伸びており、前のようなどこか粗野な雰囲気はすっかり抜けている。
今は特に緊張しているのだろうから、さらに気を遣っているようで、足の運びも美しく、動きにはキレがあった。
昌士が完璧な角度で頭を下げると、炎嘉は言った。
「今ちょうど主本神に会いたいと言おうとしておったところよ。よう励んでおるようよな。迅から聞いた。」
昌士は、答えた。
「何事も弁えませぬので…できる限りと努めております。」
受け答えも前のようにどこか拙い様子ではない。
自然にすらりと口から出ているようだ。
迅は思ったが、炎嘉も思ったようで微笑んだ。
「僅かな間に。そこまでになるのは並大抵の努力ではあるまいの。して?陸の治世のことは聞いたな。主はどう思う。」
昌士は、緊張気味に答えた。
「我などがおこがましい限りではありますが、思うたことを申し上げますと、父上には曾祖父、祖父と努力の甲斐あって豊かにお過ごしであるので、少し政務には隙があるようでございます。兄上が正された箇所などをお聞きしていて、そう感じました次第です。はぐれの神の支援にしても、何か別の意味があってと考えておりましたが…つまりは、後には良い神を取り立てようとか、育てようとかいうことでありますが。そうではなく、ただ面倒を起こさせないためだけと聞いて、少し失望しました。とはいえ、此度の事であれらに日の目を見せてやれると、我も励まねばと思うておりまする。」
炎嘉は、頷いた。
「誠にの。とはいえ、主もそこで育っておったから分かるかと思うが、その方法でとりあえず、あの辺りの神は余裕が出て落ち着いて誰かに仕えるということが分かるようになっておるようよ。」
昌士は、それには頷いた。
「はい。あの辺りを任されておるという認識になっておったので、皆が励んで治安を守っておりました。己の王が陸様であると、あの当時は皆が思うておりましたから。父本神はそんな風には思うておらなんだのは、兄上から聞いてもう知っておりまする。」
炎嘉は、苦笑した。
「まあ、あれは運の良いヤツだったのよ。己の子の事も、知らずで世話ができてこうして育っておるのだしな。だが…運だけではそう続かぬもの。」と、迅を見た。「主も分かっておるの。陸は愚かではないのだ。財を増やすことに関しては天性の勘を持っておるようで、上手く蓄財を増やしたり珍しい鉱物を掘り出したりと務めておるのも知っておる。ただ、少し政務に関しては考えが甘いところがあって、これまで主や臣下に頼っておったところがある。そんな事を理解できるようになったのなら、昌士もよう学んでおるわ。なら…これなら、良いかの。」
炎嘉は、チラと維心を見る。維心は、軽く頷いた。
炎嘉は、昌士を見た。
「…良い。しばらく見ぬ間に見違えたぞ、昌士。それなら王族でも充分通る。もちろん上位となるとまだ励まねばならぬが、陸の宮なら充分ぞ。よう励んだの。」
昌士は、思いもよらず褒められたので、戸惑いながら頭を下げた。
「は…恐れ入ります。」
次に、炎嘉は迅を見た。
「主もぞ。やはり主は優秀な奴よ。何やら事情がなければ必ず主を王座にと決めたと思うが、仕方がない。昌士も優秀であることが分かったし、主が補佐すれば問題ないだろう。」
迅は、頭を下げた。
「は。必ずや、ご期待に添えますよう努めます。」
維心が、言った。
「…ということは、もう問題ないということであるな。もういつでも良いな。旭にいつなり申せと伝えるか。」
炎嘉は、うーんと唸った。
そして、背後を振り返った。
「主ら、どう思う?」
箔炎が、答えた。
「まずは陸に昌士の存在を認めさせねばならぬ。その後の事ぞ。何もかも一度にではあやつも混乱してまた何をしよるか分からぬからの。」
志心は、それに頷いた。
「我もそのように。今蒼が書状を送っておるのだろう。それが到着してあちらの出方を待ち、昌士を認めた後落ち着いたら旭に知らせを送らせよう。その方が良い。」
維心は、頷いた。
「では、それで。」と、二人を見た。「主らも。後しばらくとは思うが、戻った時のために励むが良い。迅、しっかり大きくなった宮を束ねられるよう、教えておくのだぞ。恐らく陸が忍びでこちらへ来る事になろうが、その折間違いなく臣下も共に参る。心しての。」
迅と昌士は、頭を下げた。
「は!」
炎嘉は、ホッとした顔になって、言った。
「戻って良い。」
二人は、揃って頭を下げてから、そこを辞して廊下へと出た。
途端に、ハアと肩で息をついた。
「…ようやったわ、昌士。」と、涼夏が待つ隣りの応接間へと歩いた。「こちらへ。」
昌士は頷いて、疲れ切った顔をしていたが、共にそちらの部屋へと入る。
二人が扉を入って行くと、涼夏が振り返って迅を見た。
「迅…。」
迅は、驚いた。
涼夏は、涙を流していたのだ。
「どうしたのだ。」迅は、急いで涼夏に歩み寄った。「何を泣いておる。案じる事などないだろうが。」
涼夏は、首を振った。
「申し訳ないわ。なんだか不安で…何が不安なのか、本当に分からないのに不安を感じて涙が止まらないの。もうすぐ月の宮を飛び立つのは、分かっていて決めた事だったのに。いったい、何を忘れておるのかしら…きっと、知っていたのに。」
迅は、涼夏の肩を抱いて、懐紙を渡した。
「我だって時に不安にもなるが、何とか大丈夫だと己に言うて聞かせておるのだ。我ら二人が共ならと碧黎様は言うたではないか。大丈夫ぞ。」
涼夏は、懐紙を受け取って涙を拭いて、頷いた。
「分かっておるわ。ごめんなさい、なんだか急にこんなことに。これができる最善なんだって分かっているの。すぐに落ち着くと思う。急に、胸が詰まってしまって。」
迅は、頷いて涼夏の肩を擦った。
「不安定になるのは仕方がない。どうする?一度屋敷へ帰る時ができた。戻るか?」
涼夏は、頷いた。
「ええ。着物を換えて来ないと。あなたも。」と、まだ涙に濡れている瞳で、無理にフッと笑った。「行きましょう。」
迅は、涼夏が必死に感情を抑えようとしているのを感じて、胸が詰まりそうだったが、頷いた。
「参ろう。」と、昌士を見た。「昌士も。ご苦労だったの、主はやはり優秀ぞ。最上位の王達にも、あれほど落ち着いて立ち回れるなど、見ておって安心した。」
昌士は、苦笑した。
「必死であったわ。主がいろいろ教えてくれておったから、あの場で恥をかかせてはと内心ハラハラしておった。だが、あれで良かったようだの。」
迅は、頷いた。
「主はもう、立派に皇子ぞ。後は、傘下を持った後の宮の采配。それは我が臣下と考えてことであるから、どう考えて作ったのかも、詳細に説明してやれるゆえ。客が帰って我がこの責務から解放されたら、また図書室で共に学ぼう。」
昌士は、首を傾げた。
「主の屋敷の方が良いのでは?あそこには教科書があるゆえこれまであの場で学んでおったが、これからは主の頭の中の事を教わるのだろう。ならば、他の神が居らぬ方が良い。宮の中の事を他の誰かに聞かれるのも後々面倒になるやも。」
迅は、フッと微笑んで頷いた。
「やはり主は優秀ぞ。では、我の屋敷で。四日後から始めよう。」
昌士は頷いて、迅と涼夏と共にその部屋を出た。
回廊を三人で歩きながら、涼夏はしっかりしなければ、と自分を鼓舞して、まだ肩を抱いていてくれる迅の、温かい胸を背に感じていた。




