73.相談
二人がそこへ入って行くと、蒼は隣りに気付かれないようにそっと月の結界で音を軽く遮断し、言った。
「…十六夜から話を聞いたんだな?それで、昨夜か?」
迅は、頷いた。
「話しておりましただけですが、一緒に我の家から出たのでもう、皆の間では噂になっておりまする。今夜には正式にと、涼夏と話し合っております。」
蒼は、ため息をついた。
「こんなことで相手を決めるのもと思うやもしれぬが、これが恐らく最善なのだろう。では、それで話すのだな?昌士は、本日維心様方にお目通りさせねばならぬから、もう呼んであるのだ。恐らくそろそろ来る。」
迅は、頷いた。
「は。では、昌士にも話は通そうと思うております。とはいえ、まずは父上に事実をお話しなければならないのと、旭様のご動向ですな。」
蒼は、頷いた。
「そうだな。こちらは、できる限りの準備は整えた。後はあちら次第。」と、涼夏を見た。「主も、事情は知っておるな?」
涼夏は、頷いた。
「はい。我も迅とは離れがたいと思うておりましたので、これが一番良いのだと、昨夜十六夜が来て話し合いました。安堵致しておりまする。」
蒼は、ホッとしたように頷き返した。
「この正月に怒涛の状況変化で、正直オレも疲れてるんだが、当事者の主らはもっとだろうから。オレもできるだけ手を貸すし、これからも何かあったら何でも言ってくれていいからな。どこに居ても、月には十六夜が居る。月に向かって話せば、必ず十六夜が答えるから。それは、覚えておいてくれ。」
ああ、十六夜が答えてくれるんだ。
涼夏は、実家の宮に居た頃、必死に月に向かって叫んでいた自分を思い出した。
あの頃は、十六夜から全く認識されていなくて、いくら呼んでも返事も返してくれないし、恐らく気付いてもいなかったのではないだろうか。
それが、今では自分達の声に、答えてくれるのだ。
自然、涙が浮かんで来た涼夏の肩を、迅がソッと抱いてくれた。
するとそこへ、扉の向こうから声がした。
「王。お呼びにより参上いたしました。昌士でございます。」
昌士が来た。
蒼は、答えた。
「入るが良い。」
扉が開いて、昌士が入って来た。
そして、迅が居るのは想像していたようだったが、涼夏が居て、そしてその肩を抱いているのに驚いた顔をした。
だが、先に蒼に膝をついた。
蒼は、言った。
「ああ、良い。主もこちらへ来て、座るが良い。」
昌士は、頷いて指示通りに空いているソファに座った。
蒼は、迅と涼夏を示して、言った。
「二人は婚姻しての。我に報告に来てくれたのだ。」
昌士が、びっくりした顔をした。
「え、昨夜でありますか。」
迅が、言った。
「こんな時にと思うであろうが、これは碧黎様からのご進言に従ったことで。だが、公式には我が強く望んでということにするつもりぞ。ゆえ、主もそのように。」
昌士はまだ戸惑っていたが、碧黎と聞いて頷く。
蒼が、説明した。
「この二人は、できたらここから離れない方が良いと碧黎様に言われておったのだが、どうしても出なければならないのなら、できたら涼夏も一緒の方が良いとまた、言われたのだ。それで、今回恐らく動きが迅をあちらへとなりそうなので、ではと涼夏と婚姻を急ぐことになった。二人とも、強く望んだわけでもないのだが、そうするのが一番だとお互いに決めたことぞ。」
迅は、頷いた。
「我らは共に生きて行くと決めたのだ。だが、涼夏は罪人の子と言われておって、恐らく臣下は良い顔はしないだろう。だが、我が戻らねばあちらは立ち行かぬ。なので、我と主が共に行って、主は父上の跡目に、我がその補佐になって戻ろうと思うておるのだ。我が王では、涼夏が産んだ子が後を継ぐことは出来ぬし、他にも妃をとややこしいことになってしまう。ゆえ、主が王として立って欲しいと思うておるのだ。」
昌士は、それには困った顔になった。
「我が?宮のことなど何も知らぬのに。我などが王になど、臣下が良いとは言わぬだろう。」
迅は、首を振った。
「我が補佐するし、臣下は我が王になった方が困るのだ。そも、父の陸は我を一度殺そうとしておるし、本来なら戻れと言う事すら憚られる状態であるのに戻る上、我には涼夏という妃が居る。それならば、主という何も問題の無い王が立ち、それを補佐してひっそりと我が側に居た方が、臣下には好都合なのよ。主ならすぐにいろいろ学ぼう。なので、我はそう願っておるのだ。」
昌士は、それでも自信が無さそうだった。
蒼が、言った。
「…恐らくであるが、碧黎様がああ言っておるので、迅が涼夏を娶っておらずでも、最上位の王達は戻すなら昌士だけと考えただろう。それほど、碧黎様というのは世を見通していて、先を知っておられるのだ。その碧黎様がわざわざ仰っているのに、一緒に戻そうとは考えないものなのだ。だが、迅は昌士を一人では帰せないと共に行くと言った。それだけでも、良かったのだと思うと良い。そうでなければ、恐らく今から隣りへ参るつもりだが、最上位の王達は、時が来たら昌士に戻れと指示をすると思う。あの方々は、己が何でもできるので、その気になって学べない事など無いと思っておられるから。昌士が王として、学んでやって行けば良いと簡単に考えるのだ。王族と分かったからには、主にも覚悟が要る。兄が共に来ると言ってくれるのだから、励まねばならぬぞ。」
昌士は、たった一人で帰されて、迅も居ないなど考えたくもなかった。
「はい。兄には感謝しております。我も…できるところまで、やりたいと思っております。」
蒼は頷いて、立ち上がった。
「…では、覚悟ができたところで、参ろう。」と、扉へと向かった。「涼夏はこちらで待て。迅と昌士と共に、隣りの部屋で王達と話して来る。」
涼夏は頷いて、二人が出て行くのを見送った。
蒼と迅と昌士は、意を決した表情でそこを出て行ったのだった。
その頃、涼輝は屋敷に一人帰って、少し寝ようと思っていた。
やはり一人では、着替えるのも時がかかってしまったが、とりあえず形にはなって、ホッとする。
だが、着物の畳み方は全くわからないので、仕方なく衣桁に掛けて、涼夏に頼もう、と思った。
そして、ハッとした。
…もう、涼夏は戻らないのだ。
このままでは部屋に衣桁を濫立させることになると、着物の畳み方ぐらいは教わって来なければと思っていると、扉の方から声がした。
「涼輝様。佐織でございます、お忘れ物をお届けに参りました。」
涼輝は、ハッとした。
佐織とは、あの図書室の司書をしていて、コンピュータールームのことも管理している女神で、昨日から本日まで、皆の世話を一手に引き受けてくれた女神だった。
慌てて扉へと向かって開くと、少し疲れた様子の佐織が立っていた。
「お疲れのところ申し訳ありませぬ。ですが、お困りになられるかと思うて。」
見ると、佐織の手には軍から支給される短刀があった。
…そうだった、胸に挿していては邪魔だと脇に置いて。
涼輝は、バツが悪そうに言った。
「すまぬの。今の今までそれが無いことも頭に上らなかった。誠に迷惑を掛けたの、佐織殿。」
佐織は、フフと笑って首を振った。
「いえ。これが我の務めですので。皆様お楽しみになられたのなら良かったですわ。」と、キョロキョロと見回した。「涼夏殿は居られぬのですか?」
涼輝は、頷いた。
「あれは、昨夜いきなり婚姻になって…迅に嫁いだので、王にご報告に上がっておるのだ。」
佐織は、驚いた顔をした。
「まあ!おめでたいことですわ。では…」と、涼輝の着物を見た。「あの、少し失礼してよろしいでしょうか?」
涼輝は、なんだろうと思ったが、頷いた。
「良い。なんぞ?」
佐織は、スッと進み出て涼輝の襟元を直すと、帯のひっくり返った場所を正した。
涼輝は、そういえば姿見で見ていなかった、と歪んだ着物のままで出ていたのを知って、顔を赤くした。
「…すまぬ。我は、このようなことも己で満足にできぬで。」
佐織は、フフと微笑んだ。
「皇子でいらしたのですから。お困りの際には何でも仰ってくださってよろしいですよ。我も大したことはできませぬが、内向きのことなら何とかお手伝いできますので。」
こんなことを言っているが、佐織は元々人世で育った女神なので、コンピューター関係には強く、図書室の本のことも熟知している勉強家だ。
こちらに戻ったのは20歳の時だったらしいが、誰よりも学んで図書室の司書を任される者の一人に抜擢されたそれは賢い女神だった。
涼輝は、言った。
「…主が賢いのは知っておる。そんな主に、こんな基本的なことをと思われるやもしれぬが、聞きたいことがあって。」
少し小さくなったように見える涼輝に、佐織は本当に困っているのだろうと頷いた。
「なんでございましょうか。」
涼輝は、頷いて奥へと引っ込むと、すぐに着物を持って戻って来て、言った。
「畳み方が分からぬのだ。涼夏が全部やってくれておったから、いずれはと思うておったがまさかこのように早くと思わずで、何も教わっておらぬ。すまぬが、教えてはもらえぬか。」
佐織は、それを聞いて目を丸くしたが、思えば自分だってここへ来た始めは何もできなかった。
なので、頷いた。
「はい。一度覚えたら簡単でございますわ。我も始めは何も分からずで…お教え致します。」
涼輝は、ホッとしたような顔をした。
「手間を掛けるの。よろしく頼む。」
そうして、涼輝は佐織に教わって、着物を畳めるように励んだのだった。




