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70.宮へ

涼夏は、話を聞き終えてただ呆然としていた。

つまりは、昌士は迅の本当の弟で、夕は拐われた時に既に身籠っていたのだ。

そして、DV夫から子だけ逃して自分は耐えていた。

そして、ここへ浬と共に来たのだ。

「…知らなかったわ。ならば浬はあなた方の弟なのですね。」

迅は、頷く。

「会った事はないが、また後で保育園を訪ねようと思っておるのだ。我らの父違いとはいえ弟であるからの。それで…涼夏。」迅は、改まったように言った。涼夏は、何事だろうと迅を見つめる。迅は続けた。「我は、宮へ帰る。昌士と共に。」

涼夏は、ショックを受けて息を飲んだ。

宮へ帰る…?迅が?!

「え…?!どうして?!碧黎様は、こちらに居るべきだと。」

迅は、首を振った。

「事情が変わった。主にはまだ話す機会がなかったが、今朝昌士が知らせてくれたのは、愛羅殿が流産したということだったのだ。つまり、腹の子は生まれなかった。あの宮の皇子は、我と昌士の二人だけなのだ。」

涼夏は、そんなことになっていたとはと、またショックを受けた。

だから、迅は帰るしかないと判断したのだ。

「そんな…!迅は、ずっとここに居るのだと。」

迅は、苦笑した。

「我だってそのつもりだった。だが、流れがそれを許してはくれなんだ。しようがないのよ。戻るしかない。宮には多くの民が居るし、我らはそれらにも責任がある。このまま放置はできぬ。」

涼夏は、自分でも思ってもいなかったほど衝撃を受けた。

迅が、宮へと帰る…それは、王族に戻るという事で、陸の次の王として、あの宮に君臨するということだ。

対して自分は、母親の罪を負って父に追われ、こうして月の宮へ来た王族でもなんでもない、難民のような侍女の一人…。

前世の記憶を持っていても、何の役にも立たずにここで一生を終えるだけ。

これまでのように、迅と前世の話をして笑い合うこともできなくなり、それどころか、迅とはここで別れたら、もしかしたら一生顔を合わせることが無くなるかもしれない。

最上位の王達ならば、蒼を訪ねて来ることも多いので、侍女をして給仕していれば会うこともあるが、下位か上から三番目の宮の王である迅が、宮を閉じているこの月の宮へ、頻繁に訪ねることはできないだろう。

モニター上では、RPGのストーリーが粛々と進んでいるが、さっきまでそれを興味深く眺めていた涼夏が、今は全く頭に入って来なかった。

迅は、突然にこんなことを言い出したので、涼夏が戸惑うのも分かる、と続けた。

「…本当はの、我だって主らと共に、こちらで気楽に蒼様に仕えて生きて行きたかったのだ。だが、そういうわけにも行かなくなった。我一人の事で、多くの民の運命が決まる。我の肩に、多くの民のこれからが関わって来るのだと思うと、安穏としていられなかったのだ。始め、弟が居ると聞いた時、その弟に任せて己はここで過ごそうと思っていた。だが、それが昌士だと知った時、とても昌士に全てを押し付けて己だけ楽ができないと思ったのだ。昌士は、共に来てくれると言った。我は、昌士が居ってくれるのなら、なんとかやれる気がする。ゆえ、蒼様は今、お忙しいので話せぬが、明日の朝、昌士と二人でこの事をお話しようと思うておるのだ。」

涼夏は、涙が流れて来るのを感じながら、言った。

「でも…迅、あなたはこちらに居るべきよ。だって…だって、碧黎様だってああ仰ったわ。我だけが、こちらに残っておれと申すの?我だけが…記憶を持ったまま…。」

涼夏が泣きだしたので、迅は慌てて胸から懐紙を引っ張り出して、涼夏に渡した。

「分かっておる。我だって気になるが、しかし仕方がない。主と我とは違うのだ。主はこちらで、蒼様の結界内で守ってもらうのだ。我は行く。我には我の、責務があるのだ。これがそれなのだろう。」

涼夏は涙を流して項垂れていたが、昌士が気を遣って言った。

「…我は、先に宿舎へ帰っておく。迅、また明日の朝、主の屋敷を訪ねよう。」

迅は、頷いた。

「分かった。また明日の。」

昌士は頷いて、そこを出て行った。

涼夏がまだ泣き止まないので、迅は困って小声で言った。

「…涼夏。仕方がないではないか。今の状況を聞いたであろう?」

涼夏は、涙でぐちゃぐちゃになって来ていた顔を上げて、迅を見た。

「だって!あなたは皇子に戻って、王になるのよ?もう、会えなくなるわ。こんな記憶を持ったまま、私にここで一人で生きろって言うの?もう…もう、罪人の子の我とは、口を利くのも憚られる地位になるのに!」

迅は、確かにそうだ、と顔をしかめた。

涼夏は、罪人の子だと言われているので、ここを出ると涼弥に命を狙われるだろうし、そもそもが出ることができない。

だが、自分は王達に認められていて、否と言っても王座にと、無理に推されるほどの地位だ。

戻りたければ戻れる自分と、涼夏の立場は全く違った。

涼夏の言うように、臣下に止められて話すこともできなくなるだろう。

それに、あの宮の王如きでは、蒼と話すことは叶わなくなる。

月の宮は本来、閉じているので安易に訪ねることはできない宮で、蒼は最上位の王達にしか、基本結界内を許していないのだ。

自分が自由に出入りしてしまえば、他の王だって我も我もとなるだろうし、安易に入れることができないのだ。

そうなって来ると、涼夏や涼輝とは、もうここを迅が去った時が、最後になる可能性まであった。

涼夏は、それを言っているのだ。

それに思い当たると、確かに迅も、心がチクリと痛んだ。

やっと、こちらで己を解放して楽しんで生きて行ける気がしていた。

何にも縛られず、涼夏と過去の記憶を共有しながら、時に己の本心を曝け出して、楽になってまた神としての自分を生きる…。

迅は、そう思ってハッとした。

自分は、一生独身でいるとか言いながら、涼夏とはずっと一緒に居るような気がしていた。

恋愛感情など感じていないが、それでも涼夏を置いて行くのが、何やら罪なような気がしてならなかった。

「…我だって、今回の事があるまでは、いや、あったと知った時も、まだこちらへ残るのだと思っていた。だが…我が拒否したら、話は昌士に行く。昌士は、たった一人で豊かな集落を見つけ出して、何とか生きて来たのだ。そして、やっと月の宮で軍神として仕えることができるようになった。我のように、皇子として安穏と育ったのではない。教育も満足に受けられていないので、恐らく急いで一から学ばねばならないだろう。そんな苦労を、今更させたくないのだ。我の我がままで…そんな、無責任なことは出来ぬ。」

涼夏は、迅の言うことが分かった。

だが、どうした事か迅を行かせたくなかった。

せっかく月の宮へ来たのに、という、訳の分からない感情が湧き上がって来て止まらないのだ。

「…ごめんなさい。あなたが言っていることは分かっているのよ。それなのに、せっかくこちらへ来られたのにって気持ちが、湧いて来て止まらないの。なぜかしら、とても不安なのよ。だって…だって、おかしくない?碧黎様はこちらに居た方が良いって言ってるのに、神世の王達はあなたをあちらへ帰そうとするし、でも蒼様に庇われて何とかこちらに居ることができるようになったのに…今度は、あなたの異母弟が生まれて来なくなって…!弟まで出て来て、そしてあなたは自分の意に反して、結局あちらへ帰ることになったのよ…?そっちへ行っては、いけない気がするの。どうしてたが、駄目な気がするのよ…!!」

迅は、その通りだ、と気が付いた。

こちらへ来た時には、蒼は受け入れてくれたが、自分には決められない、と最初渋った。

だが、頑張って説得し、最上位の王達も、愛羅が皇子を産むからと、渋々ながらも何とか理解してくれた。

それなのに、愛羅は流産してしまい、それではと希望を持って見つけ出した母親が、知らせてくれた弟の存在は迅に光を見せた。

だが、それが他でもない自分の友だと認識したばかりの、昌士だったと知った時、とうとう迅は、こちらで穏やかに暮らすことを諦めた。

迅だって、できたら帰りたくはなかった。

だが、自分の責務もあるし、昌士を一人であちらへ行かせるわけにはいかない。

これ以上、弟を苦しませるわけには…。

迅は、泣き崩れる涼夏の手を、慰めるように握ってみた。

涼夏は、ハッと顔を上げて、その手を握り返すと、自分の頬に迅の手の甲を摺り寄せた。

それを見た時、迅はあれだけ面倒な女だと思っていた涼夏が、なぜか昔から知っている、とても親しい人だったような気がして、思わず涼夏を抱きしめた。

涼夏は、一瞬びっくりしたような顔をしたが、迅に抱き着いて、言った。

「…どうしよう。分かってるのに、行って欲しくない。迅、私、あなたにあちらへ戻って欲しくないの…!」

言いながら、涼夏はそれが、無理なのだと心のどこかが絶望している気がした。

迅は、急に自分が無力になった気がして、ただそのまま、涼夏を抱きしめていたのだった。

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