68.弟
迅が、昌士と共に月の結界に近づくと、そこからスッと義心が出て来た。
驚いた二人は顔を見合わせて、そうして無視をするのもなので、そちらへと飛んで目の前に浮いた。
義心は、涼夏が騒ぐだけあってそれは凛々しい軍神だ。
涼夏が羨ましがるだろうなと思いながら、迅は言った。
「義心ではないか。」と、言ってからハッとした。「いや、こんな口を利いてはならぬな。ええっと、義心殿。」
義心は、苦笑した。
「同じ軍神同士、気にする事はない。ところで、主の母を探しておると聞いたが。」
迅は、頷く。
「この、昌士が結界内を先に探してはと言うので、戻って参ったのだ。我が探しに参った集落は、我が結界側にあるものなのだが、昌士はそこで育ったというので。」
昌士は、義心を前に緊張した顔をしながらも、頷いた。
それはこの大きさの気を目の当たりにすると、皆そうなるだろう。
「は。その、元ははぐれの神でありますので、はぐれの神の集落には詳しいのです。」
義心は、頷く。
「だろうの。その判断は間違っていない。」二人がえ、と義心を見つめると、義心は続けた。「迅の母はこちらで侍女をしておった。蒼様が気づかれて本神に聞いたところ、そうなのだと分かったのだ。最初、自分の存在が知れたら子に迷惑が掛かると渋っていたが、話してくれた。己がユリナであると認めた。」
迅は、目を見開いた。
そんな、間近に居たのか。
「では…では、我は母に会わねば。」
母から、ここに残るためのヒントがもらえるのだ。
義心は、頷いた。
「それはそうだが、実は主には別に兄弟が居た事が分かった。」
迅は、母は宮の中なのに、早く話を聞きたいと気もそぞろになりながら答えた。
「それははぐれの神に拐われたのだから、生んでおろうな。それが何か?」
義心は、首を振った。
「違う。主の同じ兄弟ぞ。同じ陸様の御子。拐われた時に身籠っていたのだ。だが、拐った男より気が強かったので、殺されずに生めたのだと話していた。だが、男が暴力ばかりを振るうので、そこを去ったらしい。まだ50ほどの子供であったと。」
それを聞いた、迅は母のことも吹き飛び、目を丸くした。
「え…?父上の、御子?!」
それが継いでくれるかもしれないから、碧黎は母を探せと言ったのか?
だが、どこかで聞いたような話だ。
昌士が、にわかに顔色を変えて、言った。
「その、拐った男の名は?」
義心は、答えた。
「幹。」と言ってから、ハッとした顔をした。「…待て、主の気…?」
言われて、迅は怪訝な顔をしながら、脇の昌士を見た。
昌士は、何やら真剣な顔で義心を見つめている。
そして、言った。
「では、迅の母は夕だと言ってはいなかったか。」
義心は、もはや何かを確信したような顔で頷く。
「その通りぞ。今は夕と名乗っておる。ちなみにこちらの名は分からぬので、子の名はあちらの名なのだと。マラートと申しておった。」
昌士はますます顔色を変えた。
迅は、まさか、と昌士を見た。
「まさか…」そして、ハッとした。言われて見たら、昌士の顔立ちはもしかしたら記憶に遠い、若い頃の父、陸に生き写しなのではと気付いたからだ。「…主、もしかして我の弟か…?」
最上位の宮でも、軍神として働ける気の大きさ。
下位の宮でも、王族ならばあり得るのだ。
「…母に会わねばならぬ。」昌士は、言った。「早急に。」
そう言った、唇は微かに震えていた。
義心は、頷いた。
「参ろう。」と、足元の今出て来たばかりの結界へと向いた。「蒼様にお目通りを。」
昌士は頷いたが、もはや心ここにあらずだ。
迅は、碧黎が言っていたのはこの事だったのだと、二人の背を追って飛びながら思っていた。
宮へと入ると、出て来た侍女に義心が蒼に面会させたいので伝えて欲しいと伝えてくれて、そうして蒼は、応接間から急いで出て来てくれた。
そこで、義心は維心に報告が先なのでと言ってその場を離れて行き、今すぐにでも何か言いたそうな迅を制して、蒼は、言った。
「…ここでは誰かに聞かれるから。」と、速足に歩き出した。「オレの居間に行こう。」
迅は頷いて、後ろでじっと立っている昌士に頷きかける。
昌士は頷き返して、蒼の後を追って、奥宮へと急いだ。
居間へと到着すると、蒼の侍女がびっくりしたように言った。
「王?もうお帰りでしょうか。」
蒼は、首を振った。
「いや、話があってな。それより、夕をここへ呼んで来てくれないか。話があるからと。」
その侍女は、頷いて頭を下げた。
「はい。では御前失礼を。」
そうして、そこを離れて行った。
侍女が去ったと確認しているのか、蒼はじっと宙を見つめていたが、しばらくして、二人を見た。
「とにかく、立っていないで座れ。」二人は、言われるままに蒼の前の椅子へと並んで座った。蒼は、続けた。「それで、義心から聞いたな?夕が主の母だったのだ。」
迅は、頷く。
「はい。義心から聞きましたが、我に弟が居ると母が言っていると。顔は父に似て、色合いは母に。」
蒼は、頷いた。
「その通りだ。」と、ハッと昌士を見た。「え、もしかして?」
言われてみれば、その条件にぴったり。
蒼は、だから連れて来たのかとやっと気づいて目を丸くする。
昌士が、頷いた。
「その子供がマラートという名だと言うのなら、それは我です。」蒼がやっぱり、とますます目を見開くと、昌士は続けた。「我は、あの頃継父に殴られて殺されると考えておりました。母は、父が追って来るのを危惧して残り、我だけが逃げた。そうして、知らずに実の父の結界近くの、はぐれの神の集落で育ちました。あちこち彷徨いましたが、あそこが一番に穏やかで、子供一人が生き延びるにはちょうどよい環境だったのです。母が我に着けた名は、こちらでは無く奇異なものとみられるので、その頃可愛がってくれていた、陸様の宮から来る軍神の一人に頼んでつけてもらいました。それが、昌士なのです。」
そうか、陸が軍神達に着物なんかを運ばせて世話をしている集落だから。
蒼は、思っていた。
自分もはぐれの神を拾っている手前、そういった動きはよく知っている。
陸は、面倒を起こされたくないというような理由ではあったが、自分の結界近くの集落のはぐれの神には、定期的に着物などを渡し、世話を続けていた。
財力がある宮なので、そうやって回りの治安を維持していたのだ。
だが、奇しくもそれで己の知らなかった皇子が助けられ、育っているとは夢にも思ってはいなかっただろう。
「…そうか。だったら主は皇子なんだよ。」蒼は、昌士に言った。「知らなかったんだろうが、それが真実だ。迅の弟に当たる。ま、ほとんど同い年だがな。たった一年違いで生まれたわけだから。」
昌士は、頷いた。
迅は、急に兄弟が居たと言われても、なかなか受け入れることができなかったのだが、それが昌士だったので、最初から何やら親しみが湧いたのは、血のせいだったのだと合点が行った。
昌士は、苦労した弟だったのだ。
そこへ、夕が入って来た。
「王。お呼びだと伺いまして、参上いたしました。」
蒼は、その声に答えた。
「入るが良い。」
こちらで、迅と昌士の二人がゴクリと唾を飲み込んだのが分かる。
二人がじっと見守る中、その扉が開いて、夕が入って来た。
「…!!」
夕は、二人を見てハッとしたような顔をすると、口に手を当てた。
そして、みるみる涙を浮かべた。
「え…もしや、この二人は…。」
夕が言うと、蒼は答えた。
「そう。こちらが迅、こちらがマラートぞ。今は、昌士という名で月の宮の軍神となって仕えてくれておったのだ。まだ来て日が浅かったので、二人とも宮までなかなか入っては来ておらぬで。目にすることもなかったの。」
夕が、ボロボロと涙を流すのに、昌士が立ち上がって言った。
「母上。あれからどれほどに案じておりましたことか。まさか、蒼様に拾って頂けていたとは。」
夕は、何度も頷いた。
「ああ、会っても分からないと思っていたのに。一目で分かったわ。マラート、そうなの、あれから我は幹の子を産んで、浬と申して賢しい子で。その子と二人、幹に連れられて良く分からないままこちらへ連れて来られました。でも、幹はあの性質であるから結界内を許していただけず、我と浬だけこちらへお仕えさせてくださいましたの。やっとあの男から逃れられて、今は幸福にやっておりました。あなたがどうしているのか、気になっておりましたけれど、我には力も無いし…。ただ、浬には、上に二人の兄が居る、とは教えておりましたの。もう、会えないと思うけれどと…。」
迅が、言った。
「母上。」夕が、ビクと肩を震わせた。「我が迅です。攫われたと父が申しておりましたが…ご無事であられて良かった。」
夕は、迅を見て頭を下げた。
「申し訳ありませぬ。迅、あなたは我とは違う。皇子という地位がありましたでしょう。我などが母であったら、あなたに迷惑が掛かるからと、絶対に知られてはいけないと思うておりましたものを。でも、どうしてあなたはこちらに?」
迅は、言った。
「実は、父が新しい妃を迎えて…子が、男であると分かって。それに跡目を継がせたいと思われたようで。ですが、臣下の中では割れておりました。我は、宮が乱れてはと宮を出て蒼様のお世話になっておるのです。まさかここで、母上と弟に会う事になるとは思ってもいませんでしたが。」
迅は、陸が自分を殺そうとした事実は伏せた。
蒼は、迅が言いたくないならと敢えて夕にはそれを言わないでおこう、と思った。
「だが、ここへ来て昌士も無事であることが分かったのだから、正式に陸の子として認めさせるのが筋ぞ。何しろ、黙っておってもよう見たらこれほど似ておるのだからの。その上で、後の事を考えるしかない。分かるな?あの宮の王座のことぞ。」
王座、と聞いて迅と昌士が堅い表情になった。
夕は、え、と蒼を見た。
「でも、陸様は新しい妃のお子を跡目にされるのでは?」
蒼は、首を振った。
「その子が、昨夜流産して亡くなったと知れたのだ。これはまだ、誰も知らぬから誰にも言うでないぞ。ゆえ、この二人しか、陸にはもう、皇子が居ないのだ。」
迅が、言った。
「ですが…我は今さら…。出て参った宮であります。」
分かってるんだよな。
蒼は、思いながら、チラと昌士を見た。
昌士は、じっと硬い顔をして、何かを考えているようだったが、蒼を見た。
「…もしかして、我がその跡目にと?」
蒼は、ため息をついた。
「多分。その…最上位の王達は、あの宮に傘下の宮を与えて世話をさせたいと考えているのだ。その仕組みは迅が作って、陸が今、形にしようとしている所。だが、陸はその…少し、面倒でな。」
昌士は、知っているのか頷いた。
「それは知っておりまする。我は、あちらの軍神に可愛がってもらっていたと申しましたでしょう。まさか父だとは思っておりませんでしたが、あの宮の動きはよく知っておりますから。なので、迅がどうしてあの宮を出て来たのかも、来た時から知っておりましたし。」
迅は、驚いた顔をした。
だから、昌士は最初から好意的に接してくれていたのだ。
父に殺されかけて宮を出て来た迅を、世話してくれようとしていたのだろう。
見つかる前は、弟が居ると聞いた瞬間、だったら弟に継いでもらおう、と安易に嬉しく感じた。
だが、それが昌士となると、話は違う。
あんな面倒なことを、昌士に押し付けたくない。
「…駄目だ、我には出来ぬ。」昌士が、何のことかと迅を見ると、迅は続けた。「主にあんな面倒な宮を押し付けて、己がここで安穏とはしておられぬ。主が弟なら、我が戻る。やっと幸福になった主に、またそんな修羅場など経験させとうない。」
蒼は、驚いた顔をした。
あんなに王になどなりたくないと言っていたのに。
「ちょっと待て、碧黎様が主はここに居た方がと言っていたのではないのか。だからこそ、母を探しておったのでは。」
迅は、蒼を見た。
「その通りなのですが、我は安易に己が否だという地位を、弟が居るならそれに任せたらと思うてしまったのです。でも、それが昌士だった時、これには苦労させたくないと思うた。我の方が、安穏と生きて来ました。どちらかが行かねばならないのなら、我が。またもし父に皇子でもできたら、それに教えてまたこちらへ戻って参っても良いですか。」
もう、あちらへ戻る話になってるし。
蒼は、困った顔をして迅を見ていたが、昌士が言った。
「いや、迅、我こそぞ。」迅が昌士を見ると、昌士は言った。「我は、苦労と言うて最初幹と一緒に居た時ぐらい、そこから離れてあの集落を見つけた後からは、子供一人であるし近所の女神にも、物資を届けてくれる軍神達にも可愛がられて、気安く過ごした。主のように、回りに疎んじられて認めさせるために必死に勉学に励む必要などなく、ただ時々やって来る軍神達から読み書きを教わったり、そんな事を楽しんで生きていた。ゆえ、主の方がよりつらい思いをしておるのよ。どちらかが行くというなら、我が。一から学ばねばならぬが、やる。そも、我は父であるらしい陸様に、集落の面倒を見てもらっておって感謝こそすれ、恨みなどないからの。」
自分だって、別に父に恨みはない。
何しろ、前世の記憶があって、そっちの方が強いから、どうしてもこの生が、小説の中だという意識がどこかにあるからだ。
父に殺されかけたとて、そんなものだと思ってしまう。
何しろ、維心が最初の頃に父王を殺して王位に就いた話が出て来るのだ。
身内同士でも、そんな事があるのは当たり前という意識ができてしまっているのだ。
蒼が、言った。
「待て。」二人は、蒼を見た。蒼は言った。「とにかく、そんなに覚悟があるなら一度、最上位の王達と話しをしてみるか?オレは、本日話すのは少し性急かと時を改めようと思うておったが、どちらかが帰らねばならないと分かっておるのなら一度、話してみたらどうだ。皆が打ち揃っているのは今しかない。日を改めたら、また集まってもらわねばならないから。」
迅と昌士は顔を見合わせた。
今から、あの大きな気の集団と話をしろというのか。
迅は、自分は良いが、昌士の事を慮って、言った。
「…蒼様。少しお待ちを。その、昌士と話しをさせてください。まだ、弟だと分かってからしっかり話していないのです。」
蒼は、頷いた。
「良い。」と黙って聞いていた、夕を見た。「夕も。三人で一度、話して参るが良い。奥宮前の、待機の間を使う事を許そう。話す気になったらオレに連絡を。明日でも良いから。」
蒼は、本当にこちらを気遣ってくれる神だ。
迅は、頭を下げた。
「ありがとうございます。では、待機の間をお借りします。」
そうして、母の夕を伴って、迅は昌士と共にそこを出て行った。
蒼は、一人応接間へと向かいながら、あっちで質問攻めにされるんだろうなあと、正月から疲れ切っていたのだった。




