57.大晦日から正月
年越しそばは、大釜で茹でて臣下皆に振る舞われた。
宮の入り口に誰も彼もが集まって来て、持って帰って屋敷で食べる者、そのまま入り口付近に設置されている席で食べる者と様々だったが、見習い侍女の涼夏も、早々に非番になって、同じように仕事を終えて来た兄と迅と合流し、そこの大きな長いテーブルの椅子に座って、セルフサービスのお店よろしく、他の神達に混じって年越しそばを食べた。
兄は、言った。
「人世の習慣らしいが、我には初めてよ。」と、月が昇る空の下、白い息を吐きながらそばをすすった。「ここは食す物が豊富だの。」
涼夏も、頷いた。
「いろいろ菓子なども戴けて、とても嬉しいですわ。甘い物の美味しさって、宮に居た頃には知りませんでしたから。たまに茶に砂糖を入れた物がありましたけど、西洋のお茶などですから滅多に手に入らないし。でもこちらは、何でも人世から取り寄せてとてもたくさんありますわね。」
何が良いって、ここにはタオルが豊富なのよね。
涼夏は、思っていた。
実家に居た頃はタオルは貴重品で、滅多に使えなかったのだが、こちらは基本、タオルだ。
月の宮で神世の全てのタオルを生産しているので、貴重品ではないらしかった。
お風呂から出てタオルを使えるのは、マジで助かっていた。
「人世には珍しい物が多いゆえ、誠に面白いものよな。」迅が言った。「ところで明日は、我は出勤になったわ。」
涼夏は、え、と迅を見た。
「休みではないの?お兄様と迅と一緒に、お節料理を食べようと思っていたのに。お雑煮の準備も屋敷に運んであるのよ。」
兄も、頷いた。
「そうだぞ、我は本日雑煮用の餅を山ほどついたのに。他の軍神達は慣れておるようだったが、我はこんなことまでするのかと驚いていたのだ。」
普通神の宮で餅つきなんかしないもんね。
涼夏は思って聞いていた。
迅は、苦笑した。
「我だって競争率の激しい正月勤務は遠慮しようとしておったのに、ゲームがの。我しか詳しい者が居ないからと、蒼様から何か不具合が出た時のために広間橫に待機してくれと言われたのだ。なので、我は三が日は全て宮に詰めねばならぬのよ。」
そうか、何があるかわからないもんね。
涼夏は、納得した。
他にもできる者は居るのだが、恐らく人世に行ったり暇を取っていてこの時期結界内に居ない事が多いらしいのだ。
人世からの帰還者にとって、正月は人世に帰りたい一番の時であるのだろう。
「…そうか。主、人世に詳しいものな。涼夏もいろいろ知っておるようだ。」
涼夏は、慌てて言った。
「いえ、我はそこまででは。興味があったので調べていただけですわ。お兄様よりは暇がありましたもの。」
兄は、頷いた。
「そうだな。まあ、我も学んで参る。月の宮に仕えておるしの。」
ここには、人の習慣がたくさん浸透している。
涼夏や迅にとってはそうでもないことでも、涼輝には珍しい事が多いのだろう。
そんなことを思いながら、年越しそばを食べ終えた後、今夜はこちらの屋敷に泊まってはと涼輝に勧められて、迅も共に同じ屋敷へと帰って行ったのだった。
次の日、迅が夜明けに起き出したので、涼夏は夜に準備していた雑煮を温めて、お節料理と共に迅に出した。
兄はまだ寝室から出て来ていなかったが、疲れているのだろうと起こさずにいた。
迅は、明けてくる空を窓から眺めながら、雑煮を啜って言った。
「…白味噌か。」と、中身を見た。「オレが人の頃は吸い物だったから。そうだよな、蒼は関西の方の出身で、維月がこれを作ってたから。」
涼夏は、頷いた。
「そうね。小説にもあったわよ?白味噌だって。でも、こっちもおいしいでしょう?」
迅は、頷く。
「そうだな。こんな正月は、本当に久しぶりな気がするよ。帰って来たような…でも、もうあのオレは居ない。」と、複雑な顔をした。「…変な気分だよ。オレの中に二人居て、どっちもオレなんだ。あの頃の家族とか彼女のことは、もうとっくに忘れてるが、生きてた記憶は強い。なんでそう気も大きくないオレ達が、前世の記憶なんか持って来たんだろうな。碧黎が昔、忘却は天が人や神に与えた能力だと言っていたが、オレ達はそれをもらえなかったってことか。」
涼夏は、首を振った。
「別に、お父様に追われた事とかもう忘れて来てるし、きっと人並みには与えられてると思うわよ?覚えてたのは、何か意味があるんだと思う。それが何なのかまで、私にはわからないけど…でも、そのうち分かるんじゃないかな。ほら、迅は今日も蒼の役に立つわけなんだし。」
迅は、頷いた。
「そうだな。前世の記憶も利用価値がある。使えるところに使って、助けになればいいか。」と、椀を置いて立ち上がった。「じゃあな。雑煮、旨かったよ。」
涼夏は、フフと笑った。
「実は味付けは台番所の神がしてくれたの。私はお餅を入れただけ。」
迅は、クックと笑った。
「まあ、お前に料理なんか無理だと知ってたさ。」
そうして、迅は飛び立って行った。
それを見送りながら、一人でも自分の気持ちを分かってくれて、理解してくれる神が居て良かった、と涼夏は思っていた。
空を見上げると、そろそろ最上位の神達が、やって来ている気配がしていた。




