55.意味
十六夜は、迅と涼夏の事を、蒼にしっかりと話したようだった。
なぜなら、次の日涼が訓練場へと行った後に来い、と蒼が二人を居間へと呼んだからだ。
ただ話があるから来い、というだけで、蒼が何の用なのかは侍女は伝えては来なかったが、涼夏には用事といえばアレしかないと分かっていたので、素直に宮へと上がる事にした。
迅も、きっと同じ気持ちだろう。
涼は、どうして迅と涼夏がと案じていたが、蒼様に限って何もないから案じることはない、と涼夏は兄を安心しさせて、無事に訓練場へと送り出したのだった。
侍女の案内で宮へと入って行くと、迅が入り口で待っていてくれた。
迅には侍女がついていなかったが、それは宮の中を知っているからだと涼夏は知っていた。
迅は、侍女に言った。
「ここからは、我が涼夏を連れて参るゆえ。蒼様にお目通りして参れば良いのだな?」
侍女は、頷いた。
「はい。ですが王には居間までご案内するように申し遣っておりますので、ご案内致しますわ。」
品の良い侍女だった。
その侍女について、二人は黙って奥宮の、蒼の居間へと向かったのだった。
居間へと到着すると、その侍女が声を掛けた。
「王。迅様と涼夏殿をお連れしました。」
中から、蒼の声が答えた。
「入るが良い。」
中へと入って行くと、正面の椅子に、相変わらずこれでもかと癒しの気を纏っている、蒼が座ってこちらを見ていた。
だが、顔は何とも言えない複雑な表情だ。
あんなに困惑しているのに、相手を癒す気を放っているなんて、月は凄いなと涼夏は思った。
蒼は、二人を連れて来た侍女に言った。
「松。ご苦労だったな。下がって良い。」
松と呼ばれた侍女は、優雅に頭を下げた。
「はい、王よ。御前失礼致します。」
最上位の宮って、侍女まで気品があるんだなあ。
涼夏が思って出て行く松を見送っていると、蒼が言った。
「じゃあ、二人とも。そこに座って。」
蒼は、自分の正面の椅子を示した。
小説でもよく、維心の正面の椅子に炎嘉が座ったと描写されていたが、それがどれぐらいの距離なのか知らなかった。
だが、思っていたより遠い。
正面の椅子とはいえ、蒼とは三メートル以上は離れていた。
蒼は、二人が座るのを待って、言った。
「…十六夜から聞いたよ。」二人が、ゴクリと唾を飲み込む。蒼は続けた。「俄かには信じられないけど、十六夜があり得ないほど知ってるって言うから。本当に、主らはあの時代辺りの人世から転生して来たのか?」
迅が、頷いた。
「そうなのです。蒼様、我らの前世は人でした。それはたまにある事かもしれませぬが、蒼様が信じられないのは、我らが小説の話だと申すからでしょう?」
蒼は、渋い顔をしながら頷いた。
「そうなんだよね。でも、オレが人だった時の事も知ってるんだろ?人の時に公園で十六夜と特訓していた時、ハンバーガーと大福食べてたの知ってたって言ってた。十六夜が初めて実体化したのも、その公園だってさ。」
蒼は、半信半疑ながらもほとんど信じているようで、自分達に対する話し方が人のようだ。
迅は、また頷いた。
「はい。全部知っておって。その、何から何まで。蒼様が人の頃に沙依さんというかたとお付き合いなさっていて…あの、蛇神の巫女の。価値観が合わずに別れて、その話の時に平手打ちされていたのも知っています。」
そんなことまで。
蒼は、目を丸くした。
十六夜が言うように、そんなことまで記録に残っていないし、そもそもこの二人はこの世に生まれていなかったのだから、見ていたという事も無い。
「…で、ネット小説だったのか?」
それには、涼夏が頷く。
「はい。特に読者が多いわけではないお話だったので、迅がそれを読んでいて同じように記憶を戻したと聞いた時には驚きました。二人とも、これがその小説の中のことだと認識しておりましたから。でも、こんなことをお話しても絶対信じてくださらないと思ったので、落ち着いてから機会があったらお話しようと思うておりました。」
蒼は、頷いてハアアアと大きなため息をついた。
どこの誰だか知らないが、どうしてオレ達の事をそんなに詳細に知って、ネット小説なんかに書いたんだろう。
だが、それが事実だったとしても、それは遠い昔の事で、今はもう、それを書いていた作者もこの世にはいないはずだった。
「…十六夜が言うには、君達が読んだのは今年の正月までなんだって?」
迅が、答えた。
「はい。なので、先の事は分からずで。もしかしたら、オレ達の他に長生きして小説を最後まで読んだ人も居るかもしれないんですけど、それらが記憶を持って転生しているかどうかは分かりません。」
蒼は、額に手を置いた。
「そんな人が転生していたら大変だ。これからの事もみんな分かるから、良いように出来るかもしれないだろう?君達は記憶が偶然なのか必然なのか、自分達が読んだところが終わってから記憶を戻したけど、そうでなければ今回のゴタゴタだって、阻止しようとしただろう。それは悪い事を排除することだから良かったかもしれないが、私利私欲のためにオレや維心様に何かあったら困った事になる。何しろ弱点た って何だって、全部知ってるんだろ?全部って…どこまでだと思ったらいい?」
迅は、神妙な顔をした。
「ええっと…書かれていたことは全てなので、多分結構多くを知ってるかと。」
涼夏も、渋い顔をした。
自分が蒼なら、マジで嫌だっただろうからだ。
「その…だからって誰かに言ったりしていませんわ。迅と話し合う時ぐらいで。私達、結構コアなファンだったから、数少ない相手なんです。」
蒼は、顔をしかめた。
「…ちょっと、碧黎様に聞いてみるかな。碧黎様は知ってる?知ってるよな、絶対。」
二人は、同時に頷いた。
「もちろん知らないはずがないですね。でも、天黎様も側に居るんじゃ。」
迅が言うのに、蒼はまたハアアアとため息をついた。
「だよね。」と、言った。「碧黎様!」
すると、パッと目の前に青い髪で青い瞳の、人型が浮いて出現した。
ほんとにパッと出るなこの一族は。
涼夏が、驚いて胸を押さえる。
碧黎らしいその人型は、チラリとこちらを見た。
…思ってたより、若い!
涼夏は、思った。
しかもかなり美しい容姿だ。
髪も、青と書いてあったので本当に青を想像していたが、実際に見ると紺色のような色だった。
鋭い目は、維心と似ているようにも見える。
そういえば、ポールシフトの時に姿が若くなったとか何とか皆が言っていたっけ。
涼夏が思っていると、碧黎は、ため息をついた。
「…本当なら出て来たくなかったのだがの。こやつらは皆知っておるのだろう。」
碧黎でも、知られているのは居心地が悪いらしい。
蒼は、言った。
「そうなんですよ。どういう事でしょう?なんか、小説だとか言うんですけど。」
碧黎は、観念したように蒼の横にある椅子に座った。
「…我も分からぬでな。天黎なら知っておるだろうから、訊ねてみたのだ。そうしたら、それは人の能力に関係しておると。」
迅と涼夏も、固唾を飲んで聞き入っている。
蒼は、首を傾げた。
「能力ですか?」
碧黎は、頷いた。
「そう、能力ぞ。そも、ああ言った小説というものは、誠に作り話の時があれば、本人も知らぬで他の次元の出来事や、時を超えて他の時代の出来事、未来の出来事などを、読み取って書いている時がある。つまりは、それはその書いた人の想像したものではなくて、映像のように頭に現れるものを文章として描写しているということもあるのだ。たまに人が、そんなつもりはなかったのに書いていたら勝手に登場人物が動いて話すとか言っておる時があろう。それがそうよ。だが、人にはそれと作り話を見分ける事は出来ぬ。本人もまさか己の頭から出ているものが存在しておるなど思わぬし、そんな能力が己にあるとも思わぬ。そんなわけで、全てが作り話として世に出回る。こやつらが読んだのは、恐らく後者。神世を透視して、書き続けているうちに未来すら読んで書いていたのだろうの。」
蒼は、知らなかったらしく、身を乗り出した。
「じゃあ、その人が数百年前に残した小説が見られたら、これから先の事も分かるということでしょうか。」
何年後まで書いているのか分からないが、起こる事柄が分かれば、取り返しがつかなくなることがない。
だが、碧黎は首を振った。
「いや、無いであろうな。仮にあったとして、我らが見る事を許されると思うか。無理よ。そも、こやつらが記憶を戻したタイミングを考えても、上手く調整されていたのだと思うと合点がいく。人にしては転生のタイミングも遅い。書かれた事が消えるのを見計らって転生したとしたら?我は、そう思えてならぬのよ。」
涼夏は、確かに、と思った。
人だった頃の記憶はあっても、黄泉での記憶がないのだ。
なので、言った。
「私達、黄泉での記憶がないんです。」碧黎と蒼は涼夏を見た。涼夏は続けた。「人の頃の記憶は鮮明に戻って来たのに、ここへ転生する時の記憶が全くありません。だから、どうしてここへ転生して来たのかも、分からないままなんです。」
迅は、頷いた。
「そう、我らは本当に、つい最近まで神として何の疑問もなく生きていました。本当突然に、朝起きたら思い出しておったのです。」
碧黎は、ため息をついた。
「ま、それは主らのせいではないゆえ。責めるつもりはないが、知っておる事をこれまで同様、誰彼構わず話すでないぞ。主らは、普通の神なら知ってはならぬ事を知っておる。誰かが知ったら、特に維心や炎嘉などは脅威とみなす可能性もあるゆえ。おとなしゅうしておく方が良い。」
それには、蒼が驚いた顔をした。
「え、じゃあ維心様にはお話しちゃいけないんですか?」
碧黎は、頷いた。
「その通りよ。そも、これらの頭の中には、これまで主らが培って来た全てがあると思うた方が良い。忘れておる事もあるだろうが、ほとんどがある。そんなものを、誰かに利用でもされたらどうするのだ。月の宮へ来たのは当然の流れであると思うておる。ここでなら、神世に深く関わることも無いし、誰かに攫われて利用される事もない。我の膝元であるから、監視もできる。ゆえ、寿命までこちらで誰にも言わずに過ごすのが良い。穏やかに暮らしたいと思うのならの。」
言われて、涼夏は確かに、と思った。
全て知っている自分達が、絶対に蒼や維心に歯向かおうなどとは思わないが、しかし歯向かおうと思っている誰かに脅されて利用される可能性はある。
それを考えたら、維心や炎嘉はあっさりと処分することを選ぶだろう。
それは、ここまで小説を読んでいた自分達には分かった。
迅も同じようで、頷いた。
「はい。我らはこちらで今生を終えるまで過ごします。それが、一番だと碧黎様は仰るのですね。」
碧黎は、頷く。
「主らのためぞ。主らの存在を誰かに知られたら、という事なのだ。こちらが神世の中で一番に安全な場所。平穏にこちらで生きて、生を終えたら良い。」と、蒼を見た。「蒼、難しいかもしれぬが、維心には言わぬようにの。知られる時は知られるが、それもまた流れぞ。十六夜は口が軽いゆえ案じられるが、維月にも言わぬようには話しておく。分かったの。」
蒼は、真剣な顔で頷いた。
「はい。では、涼夏も屋敷で過ごすのではなく、早めに宮に上げた方が良いですね。同じ月の結界の中ですけど、宮が一番安全ですから。侍女として、宮へ上げる準備を進めます。」
碧黎は、頷いた。
「そうせよ。それから、迅はこちらへ迎え取ると陸に言うた方が良いわ。あれも…これから、少し面倒なことが続くやもしれぬからの。それに迅が巻き込まれる可能性がある。これが逃れようと己の中の知識を使って何某かあったら面倒ぞ。分かったの。」
蒼は、また頷いた。
「はい。では早急に。」
迅と涼夏は、顔を見合わせた。
思っていた以上に、自分達の存在は神世に面倒なものらしい。
このまま、月の宮に籠って平凡で平穏な日常を過ごして、平和に死んで行くのが一番良いのだろうと、涼夏は心底思っていた。




