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50.軋轢

陸は、維心と炎嘉を見送った後、しばらく茫然と出発口で座り込んでいたが、ハッと我に返ったような顔をすると、迅を睨みつけた。

「主は!なぜに王座に就きたくないなど偉そうなことを!」

迅は、そんな陸を見下ろして言った。

「…事実でありまする。我が王座に就きたいと申したら、父上は困られたのではありませぬか?腹の子が男だったら王座にと、常申されておるのに。我などがこちらに居ったら、争いの元になりまする。分かっておられるのだと思うておりましたが。」

陸は、ぐ、と黙った。

確かに、今は迅を王座に就けるつもりはなかった。

だが、これまではそれを目指して精進していたのは確かだったし、迅は大変に優秀で、何を任せても完璧にこなしたので、このまま腹の子が生まれて成人するまで迅に政務を手伝わせ、そうして育った弟の教育をさせた後に、弟に代を譲って、迅の事は考えよう、と思っていたのだ。

考えるとは、宮を出すのか、弟の補佐をさせるのか、そういったことだ。

結局は、使い捨てにするつもりであったのだが、迅は優秀なだけに先にそういった陸の思惑を気取っていたのだ。

どうせ、母がしっかりした弟には敵わぬと、泣き寝入りするとばかり思っていたのだ。

「…それでも、弟を育てねばなるまいが。宮を放って置いて出て参るなど許されることではないぞ。」

迅は、陸を睨んだ。

「父上、それは父上の仕事では?」陸がたじろぐと、迅は続けた。「なぜに我が弟を育てる責があるのですか。それでなくとも、最近の父上は庭にばかりいらして、通常の政務すらままならぬことがあると臣下から苦情を受けておりまする。その度に我が探しに参って、嫌なお顔をされる。そんなものも、全て見られておったのですよ。ゆえ、龍王は自ら鳥王と共にこちらへ来たのでしょう。臣下のためを思うのは王族の務めでありましょうが、王はその要になるもの。それがそのようで、どうやってこれから大きくなる宮を維持して参れるのですか。宮を動かしておるのは臣下なのですぞ。分かっておいででしょう。」

鴇も、木佐も黙ってそれを聞いている。

陸は、激昂して立ち上がった。

「うるさい!これまで散々やって参ったわ!主こそ、母の身分があれほどに低いのに王族として育ててもらった恩があろう!弟を育てることぐらいやれ!」

迅は、首を振った。

「我の仕事ではありませぬ。」と、傍に膝をつく、鴇から巻物を受け取った。「これを。傘下の宮を治めるための形を、皆で考えて作ったもの。しっかりと見て、覚えて参られよ。」

陸は、その巻物をバシッと叩いて落とした。

「そんなもの!我が知らぬでも良い!」

転がって行く巻物を、迅は目で追って、言った。

「…別に我は構いませぬが。来週は師走の会合。同じ事を龍王と鳥王に聞かれて、困るのは父上でしょうし。」

そう言われて、陸はビクリと肩を震わせた。

あの二人が、それをしないとは言えない。

むしろ、確認だと言って皆の前で聴かれて、恥をかくことになる。

それだけで済んだら良いが、今度こそ迅に譲位しろと言い出すかもしれない。

陸は、鴇に言った。

「何をしておる!拾って持って参れ!」

鴇は、急いで転がって行った巻物を追い掛けた。

迅は、ため息をついた…こんな父など、もう補佐して良いように使われたくない。

そのまま父に背を向けると、場を外す許可も取らないままに、その場を後にした。

もう、この皇子という地位が、嫌で仕方が無かった。


次の日、涼弥の宮に降りた沙汰を聞いた。

涼弥の宮は、下位の中で下から二番目に陥落という絶望的なもので、今後三番目には、永劫に上がらないと宣告されていた。

そして、崩落した高峰の宮を建て直すことを言い渡され、涼弥の宮の軍神達は、必死に石を切り出そうとしている、ということだった。

心配していた涼と涼夏の事だが、木佐が言うには龍王からは処刑以外の沙汰を涼弥に一任、ということだったらしいのだが、涼弥は頭に血が上ったのか、宮が地に落ちた原因の女の子供だと、処刑だと言い出したらしい。

だが、義心の目の前で刀を抜いたため、義心も同じく刀を抜いてまず龍王が求めた沙汰だ、とそれを阻止したのだという。

そうして、涼と涼夏は宮から追放という、最初の沙汰を受けた後に、父王から宮を貶めたとして命を狙われて追われていたらしい。

自分があの時気取ったのは、それだったのだ。

涼と涼夏は、命を懸けて必死に逃げていたのだろう。

そして、龍の軍神たった一人が護衛して、月の宮結界へと無事にたどり着いたのだそうだ。

蒼は、軍神を結界外へと出して追い縋る涼弥の軍神を留めて、二人は月の宮の住人になったのだ。

…涼夏は、喜んでおろうな。

迅は、フッと月の宮の方向の空を眺めて、笑った。

あの小説の、多くの事件の舞台となった宮だ。

今は宮を閉じていて、なかなか足を踏み入れることができない土地だが、あの二人が居るのなら、自分もいつか、中を見て回ることができるのかもしれない。

迅は、中で楽しくはしゃいでいる涼夏の姿を思い浮かべると、面倒な父のことなど忘れて、自分も穏やかな気持ちになった。

そんな自分が、不思議だった。


そうやって数日が過ぎた朝、ここのところ会合にも出ないと決めて顔を出していなかった迅の元に、鴇がやって来た。

何事かと鴇を見ると、鴇は言った。

「迅様。王が、高峰様の宮を建設している、涼弥様のお手伝いをするのだと仰って。軍神達をお貸しして、一刻も早く宮の建設が終わるようにと手助けなさるそうです。」

迅は、頷いた。

「父上がそう決めたのならそれで良いのではないのか。他に何か?」

鴇は、頷いた。

「は。他の宮の建設どころではないのでございます。」迅が眉を上げると、鴇は続けた。「明日は神世の今年最後の会合でございます。それなのに、王はまだ、あの迅様がお渡しした巻物を、全て理解してくださっておりませぬ。今回は名代として、迅様に行かせようとか言い出す始末。そのような事をしてはまた龍王がこの宮にと申し上げて、やっと自分で行ってくださることを承諾なされましたが、あれでは宮の序列など、恐らく上がらないのではないかと。」

迅は、ため息をついた。

もともと、曾祖父と祖父が偉大であっただけで、父はそれを継いだだけだ。

機転は利く方だったので、これまで回りの宮とも上手くやって来て、問題など起こらなかったが、元々そんなにたくさんの事を一度に考えられる能力の持ち主ではない。

なので、妃の事に一生懸命の今、他の事がおざなりになってしまっているのだ。

それでも、やらねばならないと執務に勤しむと、愛羅と離れていなければならなくなり、それがストレスになるらしく、機嫌が悪くなって効率が下がる。

宮にとっては喜ばしくない状況に陥っていた。

迅は、言った。

「…我ではどうにもできぬわ。父上が王ではないか。そも、父上だってここのところ我を呼ぶ事は無いし。できるのだろう?」

鴇は、とんでもないと首を振った。

「そのような!ただの意地であのように。迅様が来られなくなって、どれほどのことが決まらずに滞っておりますことか。この上傘下の宮のことまで入って参ったら、絶対に立ち行かなくなるのです。それなのに、今日も朝から愛羅様との散策の時間はきっちりお取りになって。臣下からも、あれではただ居るだけの王だと陰口が出始めておりまする。」

迅は、まずいことになって来ている、とは思ったが、もう捨てようと思っている宮。

なので、背を向けた。

「我に申すな。父上は我が面倒だと思われておるのだ。あんな父のために、何かをするつもりなどない。」

だが、そこへ入って来た木佐が、迅の前に膝をついた。

「迅様。我ら…迅様にお仕えしとうございます。」

迅は、目を丸くした。

それはつまり、王として仕えるということだ。

迅は、なぜにそうなると慌てて首を振った。

「我では主らの王にはなれぬ。分からぬか、まだ成人したばかりなのだぞ?」

木佐は、言った。

「それでも!龍王でも成人してすぐに王座に就かれたと聞いておりまする。炎嘉様は、必要なら王座に座らねばならない時がある、と申されておりました。」

迅は、険しい顔をした。

「…父を殺せというか。」

木佐は、頷いた。

「は。できるだけ早く。」

迅は、木佐を鋭い目で見た。

「それが父の罠ではないとなぜ言える?」

陸が、それをそそのかして逆臣として迅を始末するために、木佐に命じたのではないかと言っているのだ。

木佐は、首を振った。

「違います。迅様、全てお話致します。我ら、王から命を受けました。今、鴇がお話したように、王は涼弥様の手伝いをするとお決めになった。ですがそれは、涼弥様のためではありませぬ。」

迅は、眉を寄せた。

「どういうことぞ?」

木佐は、続けた。

「迅様、我らは迅様の指揮に従って、宮の建設をするようにと命じられました。つまり、迅様があちらの工事を監督なさることになるのです。そこで、事故を装い、始末しろと言われておりまする。上手く行けば、涼弥の責にもなるからと。王は、迅様が己を弑して王座に就くのではと、危惧しておりまする。」

迅は、もう手を下そうとしておるのか、と呆れた。

自分が陸だったら、もっと落ち着いてからにする。

何しろ、まだ龍王と鳥王が来て、諫めて行ったばかりなのだ。

こんなにいきなりにそんなことをしたら、目立って仕方がないはずなのに、どうしてそんなに急いで自分を殺そうとするのだろう。

迅は、あからさまに鬱陶しそうな顔をした。

「何を考えておるのだ。今そんなことをしたら、簡単にバレる。というか、恐らくここは三番目に上がることができなくなるぞ。実行するにしても、今少し時を待つべきなのに。」

外ならぬ襲撃相手に馬鹿にされているのだが、陸は知らない。

木佐は、頷いた。

「もう、あまりに愚かなと、我らは話し合って迅様を王と戴こうと。そうしないと、この宮は廃宮に成り下がってしまいまする。」

迅は、うーんと唸ってから、言った。

「…良い。我が父上に話すわ。」え、と木佐が驚いた顔をするのに、迅は言った。「軍神達が話しておったのを盗み聞いたとか言うゆえ、案ずるな。とにかく、愚かな事ばかりしておったら宮が無くなるというのに。そこのところを説いてみる。駄目なら仕方がない。そこは考える。だが、とにかく話して来る。」

面倒ばかりを掛けさせおって。

迅は、もうすっかり全てを捨ててここから出たかったので、できたら木佐達には素直に襲撃していて欲しかった。

そうしたら、自分はそれから逃れる自信があるので、逃れて月の宮へ逃げたのだ。

十六夜とは、知り合いになったのでいつでも話を聞いてくれるだろう。

それなのに…!

「全く!」迅は、叫んだ。「どいつもこいつも、我を放って置いてくれぬのだから!」

迅は、腹を立てながら奥の居間へとズンズン歩いて行ったのだった。

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