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48.月の宮の王

前だけを見て飛んでいると、目の前に月の結界が見えて来た。

後ろから来ていた帝羽が、叫んだ。

「行け!月の宮の軍神が迎えに出て参る!我はここまでぞ!」

自分を抱えている兄は、後ろを振り返らない。

涼夏は、帝羽を振り返ったが、帝羽はもう遠く、自分達が出て来た宮の方向へと飛んで戻って行った。

父の軍神達がまだ追って来ていたが、帝羽はもう、それらを相手にもしないし、父の軍神達も帝羽に襲い掛かったりはしない。

元より、全く敵わないのを知っているので、向こうから襲って来ない限り、手を出さないのだ。

「…月の結界ぞ!」

兄が叫ぶ。

すると、中からワッと白い甲冑を身に付けた、軍神達が出て来た。

「待っておった。ここは我らが。」と、その目が覚めるほど美しい金髪の軍神は、脇の軍神に言った。「王がお待ちぞ。関の房へ。」

その軍神は、頷いた。

「は!」そして、兄を見た。「こちらへ。」

兄が頷くと、その軍神は下にある、小さな建物へと誘導していく。

涼夏が見上げると、さっき指示をしていた軍神が、手を前に翳して、言った。

「我は月の宮筆頭軍神、嘉韻ぞ。これより月の宮結界ぞ。許可なく触れようとするものは、消す。」

そして、その手からは大きな光の玉が射出され、傍の地上に着弾してズーンと大きな音を立てた。

…嘉韻…!ああ、あれが嘉韻なんだ…!!

なんて綺麗な軍神。

涼夏は、自分が置かれた状況も忘れて、見とれてしまった。

その間にも、兄は涼夏を小脇に抱えたまま、地上に降り立って関の房と言われる場所へと足を踏み入れて、涼夏を下ろしていた。

「涼夏。自分の脚で立て。蒼様にお会いするのだ、見苦しい様ではならぬ。」

涼夏は、そうだった、とハッとして乱れた着物を整えた。

「はい、お兄様。」

涼夏は、皇女としての誇りを失ってはいけない、と、髪を整え、蒼との対面に備えた。

今こそ、亡くなった祖母の教えを使う時だ。

きっと、祖母は月の宮王との対面を、黄泉から光栄なことだと見てくれているはずなのだ。

こんな形だが、蒼と対面できるのは、涼夏はとても嬉しかった。

七夕の時に見掛けた、あの優しそうな、思っていたより凛々しい顔立ちが、思い出されては消えて行く。

そこへ、さっきの軍神が戻って来て、言った。

「王が、お越しになられます。」

涼と、涼夏は深々と頭を下げた。

そこへ、それは優しい、癒しの気がワッと入って来て、蒼が現れたのが感じ取れた。

…ああ、これが月の気なんだ。

涼夏が思っていると、思っていたより低めの声が言った。

「…表を上げよ。」二人が顔を上げると、そこには想像していたよりずっと背が高い、蒼が涼し気な目でこちらを見て、薄っすらと微笑んでいた。「オレが、月の宮王の蒼だ。よく来たな、涼、涼夏。十六夜から聞いてるよ。」

涼夏は、涙が浮かんで来た。

蒼…!ああ、これが蒼なんだ。思っていたよりずっと男っぽいけど、優しそう。

兄が、言った。

「初めてお目に掛かります、蒼様。この度は我と妹を助けてくださり、心より感謝致します。」

蒼は、じっと涼と涼夏を見つめて、頷いた。

「…元より主らには罪などないと思っておるから。だが、神世は厳しい。これよりはこちらで臣下としてオレに仕えて行かねばならぬが、それでも良いのだな。」

涼は、頭を下げた。

「元よりそのつもりでございます。これからは誠心誠意蒼様にお仕えして参ります。」

蒼は、涼夏を見た。

「主も。良いか?」

涼夏は、頭を下げた。

「はい。我にできます事を力の限り務めて蒼様にお仕え致します。」

蒼は、満足げに頷いた。

「ならば、屋敷に案内させよう。主らに与える屋敷はもう、準備してある。」と、さっきの軍神を見た。「李心。案内所してやるがよい。」

その軍神は、頭を下げた。

「は!」

李心なんだ…!

涼夏は、あの物語に出て来た神達が、今目の前に居て、間違いなく生きて動いているのに感動した。

なんと幸運なんだろう。

涼夏は、こんな形ではあったが、こうして皆に会えるのが嬉しかった。

あの宮で疎まれて過ごすより、余程良い気がした。

迅にも、見せてやりたかった。そして、二人で語り合いたかった。

でも、涼夏に前世の記憶があるのを、蒼は知らない。

涼夏は、蒼をチラと見た。

すると蒼は、何か思うところがあるのか、ジーッと涼夏を見ていた。

驚いて慌てて頭を下げると、蒼は誤解されたと思ったのか、慌てて言った。

「あ、別に興味があるとかではないぞ。なんだろう…主は、他の神と違うの。何か、気が混じるような。」

蒼には分かるのかも。

涼夏は、思った。

このまま隠しておくのがいいのか、それとも言ってしまっておかしな奴だと思われるのがいいのか。

涼夏は迷った。

だが、ここは一度迅に相談してからの方がいいのではないか。

なので、言った。

「…己では良く分かりませぬが、蒼様には何かおかしな所があるように思われますか?」

蒼は、首を振った。

「いや、変な気というわけではないのだが。あるはずもないのに、人が微かに混じるように感じてな。何やら懐かしい。」

元は人だったんだものね。

涼夏は、思った。

蒼は、人の高校生の時に覚醒した。

つまり、生まれてまだ16年ほどでだ。

神ならまだ赤子の年で、そんな頃から月の力を使って、戦った。

お腹が空いて大福を山ほど維月に持たされて食べながら、十六夜と能力を使う鍛練をしていたのだ。

それから神と関わるようになって、何百年も、こうして生きて来た。

今でも、人は懐かしいのだろうし、涼夏の記憶に人の物がある以上、それを気取るのだろう。

「…人世には行った事はありませぬが…。」

今の人世には、だけど。

涼夏は、思っていた。

蒼は、苦笑した。

「そうであるな。主の筋は分かっておるし、人など混じっておらぬはず。すまぬな、おかしな事を言った。」

いえ、間違っていないのよ。

涼夏は思ったが、言えなかった。

そして、そのまま宮へと帰って行く蒼を見送り、李心に案内されて新しい屋敷へと向かったのだった。


蒼は、自分の居間へと戻って来て座った。

これであの二人はもう、父王に殺されることはない。

だが、何やら涼夏の気が気になった。

あの懐かしい気は、最近の人にも感じない、一昔前の自分達と同じような気配なのだ。

それが珍しくて、気になって仕方がなかった。

すると、十六夜の声が部屋へと入って来た。

「おう。見てたぞ。涼夏が気に入ったのか?やたら見てたよな。」

蒼は、慌てて否定した。

「違うんだって!なんか懐かしい感じの人の気を感じてさ。」と、十六夜の後ろに維月が居るのに気付いた。「あれ?帰るんじゃないの?」

維月は、頷いた。

「帰るわよ。十六夜が送ってくれるの。帰る前に蒼に挨拶に来たのよ。」

蒼は、そうだったのかと頷いた。

「気を付けてね。って何かあるはずはないけど。」

十六夜は、維月を連れて蒼の前に座った。

「あいつらは今、李心に屋敷の説明を受けてるな。どうやら涼は、早速軍に連れて行ってくれと李心に頼んでる。それにしても、涼って名前、お前らの妹と同じじゃねぇか。ややこしいから変えるか?」

維月が、苦笑した。

「確かにあの子と同じ名前だけど、あの子は李関と、黄泉で楽しくやってるわ。お父様が教えてくださったの。私は別に構わないけど…。」

前世の、人の頃の娘の名だからだ。

維月には、有、蒼、涼、遙、恒と五人の子達がいた。

だが、全員人で生まれたので、今残っているのは月になった蒼と、神になった恒の二人だけだった。

他は、皆そのまま黄泉に向かう事を選んだからだ。

蒼の友であった裕馬も、蒼のために神格化して残ってくれているが、蒼が本当に心の底から自分を出せるのは、恐らく恒と裕馬の二人だけだと思われた。

「…ま、考えるよ。」蒼は、言った。「涼だって名前を変えるなんて複雑だろうし。でもなあ、涼夏はね、なんか気に人が混じって感じるんだ。そんなはずないのに。」

維月が、え、と眉を寄せて虚空を見つめた。

おそらく、月からか地から、見ているのだろうと思われた。

「…ほんとだわ。」維月は、しばらく黙ってから、言った。「なんだか、私達が人だった頃の人みたいな。数百年前の人の気配よ。」

十六夜も、眉を寄せる。

「…言われてみたらそうだな。でも、あいつは生粋の神だろ。混じるような家系じゃねぇ。それとも、涼弥の祖父かなんかが人と密かに子供でも作ったのかな。」

蒼は、首を振った。

「そしたら涼弥の父王が半分人じゃないか。バレるって。会合に出るんだし。それに、命に何か混じってる感じじゃないしな。気だけなんだよ。」

維月は、うーんと首を傾げた。

「わからないわね。人と付き合った事があるとかでも、今の人だから何百年前の気っておかしいし。お父様に聞いてみる?」

十六夜が、顔をしかめた。

「親父が答えるかあ?本神に聞けとか言われるぞ。」

蒼は、首を振った。

「聞いたよ。人世は知らないみたいだったよ。」

維月は、言った。

「どちらにしろ、また何かあったらいけないし、もし隠してる事があるなら話して欲しいって言っておいた方がいいわよ。もう、処刑とか嫌でしょう。」

蒼は、何度も頷いた。

「そんなために助けたわけじゃないからね。わかった、聞いておくよ。今はここに慣れようとしてるところだから、落ち着いたら呼ぶことにする。」

維月は、頷いた。

「気を付けておいてね。何かあったら維心様に聞いてみるから言ってね。」

蒼はまた頷いた。

「またね。」

そうして、維月は十六夜に抱き上げられて、居間の窓から飛び上がって行った。

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