47.沙汰
念願の十六夜と話せたというのに、涼夏の心は暗く落ち込んでいた。
これまで、あまりにもこの世界を甘く見ていたのだ。
つい最近まで元気に自分を叱ったり甘やかせたりしていた祖母や母が、呆気なく死んでしまった。
祖父も、龍王に死にはしないと言われているらしいが、酷くやつれて宮を無くし、野ざらしの天幕の中で療養しているらしかった。
母は、もう崩れている宮の地下牢の残骸の中に籠められ、意識を取り戻して泣いてばかりいるらしい。
その回りを監視する軍神達も、そんな母の事は無視しているとのこと。
涼夏は、前世の記憶をできるだけ総動員して、この悲しみを何とか遠くしようと必死だった。
月の宮に行ける。そう、月の宮に行けるのだから。
今までモブキャラだったのに、少し格上げになって主人公達の側で仕える事ができるのだ。
そう考えて、何とか持ち直そうとしたが、涼夏として生きて来た160年がそうさせてくれなかった。
和泉も誰も来ない真っ暗な部屋の中で、涼夏はひたすらに泣いて、その日は泣き疲れて眠ってしまったのだった。
次の日の朝、誰に起こされることなく目が覚めた涼夏は、鏡を見て、腫れた目に涙の跡が幾筋も残っているのを見て、さすがに何とかしなければ、と思った。
だが、顔を洗おうにも侍女も来ないので、仕方なく庭へ出て、庭の小川で顔を洗った。
宮には、水道がない。
人世とは違い、毎朝侍女達が井戸から汲んで来る水で桶から顔を洗い、彼女達に髪を手入れされて着物を着替え、過ごしていた。
そんな朝が、当然になっていた自分に涼夏は驚いた。
前世の記憶はあっても、やはり自分はもう、涼夏という女神なのだとそれで実感した。
…確か、月の宮には水道があると書いてあったなあ。
涼夏は、蒼の宮が人世に近い事を思い出していた。
月の宮なら、きっと問題なく快適に暮らせる。
前世の記憶があるのだから余計にそうだろう。
顔を洗い終わって部屋へと戻って来ると、そこには兄が来ていて、涼夏を待っていた。
「どこへ行っていたんだ。義心が到着したらしい。宮が騒いでおる。」
涼夏は、にわかに緊張した。
十六夜が命まではと言っていたが、父がどう決断するのかわからない。
震え出した涼夏に、兄は優しく言った。
「…さあ。大丈夫だ。我が父上に話す。そうしてここを出て、月の宮へ向かおうぞ。行こう。」
見ると、兄の着物は昨日のままだった。
涼夏は、兄の世話は自分がしないとと決意しながら、頷いて兄と共に、謁見の間へと向かった。
特に呼ばれもしていない二人は、表立って出ていくわけにも行かないので、脇の仕切り布の間に立って父と義心が対面しているのを見た。
義心の隣りには、また大きな気を持つ神が立っている。
いつ見ても義心は凛々しくて、つらい気持ちも一時忘れる事ができた。
そんな義心は、今日はとても険しい顔をして、父に向かっていた。
父は、言った。
「急なお越し、いったい何事だろうか。」
もちろん、あの出来事の沙汰だろう事は分かっているだろう。
だが、父はそんな風に言った。
義心は、胸から巻物を引き出し、それを父に見せた。
「我が王維心様よりの、此度の騒動に対する沙汰を申し渡しに参った。」
敬語を話さない。
つまり、今義心は維心の名代で、こちらは罪人の扱いなのだ。
父は、慌てたように言った。
「それは異なこと。我らは何も関知しておりませぬ。」
だが、義心は巻物をするすると開くと、言った。
「告。この宮を治める涼弥、己で決断し娶った皇女を怨恨を残したまま離縁し、後の事件で白虎第一皇子志夕、清の宮皇女佳織、高峰の宮王妃咲奈殺害の原因を作ったとして沙汰を下す。」
涼弥は、顔色を変えた。
原因を作ったと思われている。つまりは、重い罪になるだろうからだ。
「そのような、ワケがあるのです!」
義心は、構わず続けた。
「序列下位下から二番目に処す。永劫に下位からの格上げはなされぬものとする。高峰の宮の再建設を命じる。」
居並ぶ臣下達が、息を飲んだ。
宮は、もう永劫に下位からの脱出は認められなくなったのだ。
昨日までは、三番目の宮となるべく、皆で苦しいながらも励んだ事が、全て水の泡となった瞬間だった。
涼弥が絶句していると、義心は続けた。
「皇子涼、皇女涼夏の処遇に関しては、処刑以外の沙汰を下す事を王、涼弥に一任する。」と、その巻物を涼弥の方へと向けた。「以上、龍王、維心様からの申し渡しである。」
と、誰もそれを取りに来ないので、義心は言った。
「我が王からの書状、受け取らぬというか。」
慌てて転がるように出て来た、朱理がそれを恭しく受け取った。
しかし、その目は涙で溢れていた。
義心は、涼弥を見た。
「…沙汰を申し渡すのを見届けよと言われておる。二人はそちらに居るようぞ。今、我の目の前で申し渡してもらいたい。」
涼夏は、びくっとした。
義心には、恐らく気で丸分かりなのだろう。
父は、呆然としていたが、沸々と沙汰の内容が実感されて来たようで、怒りで顔を真っ赤にした。
そして、こちらを振り返ると、怒鳴った。
「ここへ!我の前に膝を付け!」
見たこともないほど恐ろしい顔に、身の危険を感じて涼夏は怯えた。
そんな涼夏を庇うように兄は前に出て、父から隠すようにして仕切り布から進み出た。
兄は、父の怒りを真っ向から受けて涼夏を促し、そうして言われた通りに父の前に膝をついた。
「…我が宮を地に落とした大罪人の子ぞ!」と、刀を抜いた。「龍王が求める件についての沙汰は追放、だが、我が宮を失墜させた罪で処刑する!」
ええ?!
涼夏は、尻もちをついた。
だが、兄の涼は立ち上がった。
「我らは出て参りまする。それが龍王様のおっしゃられた処刑以外の罰でありましょうから。後に処刑なさりたいのなら、追手を差し向けられるがよい。ここで処刑は龍王様の意思に反しまする。」
涼弥は、もはや何も聴こえていないのではないかというほど、気を発散させながら喚いた。
「うるさい!よくも…よくも我が宮の地位をここまで落としてくれたものよ!もう取り返しが付かぬ!」
今にも切り掛かりそうな涼弥に、義心が言った。
「待たぬか。」義心は、二人の前に進み出た。「皇子の言う事は的を射ておる。ここで先に処刑は我が王のご意思に反する。」
涼弥は、髪を振り乱して言った。
「うるさい!これは内政ぞ、干渉される謂れはない!」
義心は、フッとため息を付くと、刀の鯉口を切った。
「…主を斬る許可を得ておる。」と、刀を引き抜いた。「参るがよい。相手をしてやろう。」
途端に、義心から父など足元にも及ばないほど、大きな闘気が湧き上がった。
思わず涼夏が顔を庇うと、兄も必死に踏ん張っているのが見えた。
だが、目の前の義心は特に力を入れて構えている様子はなく、軽く戯れ程度で刀を握っているように見える。
…凄い…!義心はこんなに違うんだ…!!
涼夏が、その背を見上げながら座り込んでいると、兄が涼夏を引っ張って立たせた。
「しっかりせよ!龍王様からの求めで、我らの沙汰は追放。だが、父がこの宮を失墜させた女の子だと我らを処刑しようと追って来る事になるのだぞ?!」
つまり、ここを逃れても逃げなければならないのか。
涼夏は、途端にしっかりしなければ、と足を踏ん張った。
どうあっても、生きて蒼が居る月の宮へ行くんだ。
だが、義心の闘気に圧倒された父は、後ろへとふら付き、尻餅をついていた。
義心は、父を睨んだまま、小声で言った。
「…行け。結界を出て、月の宮へ。帝羽、頼んだぞ。」
これまで黙って控えていた、もう一人の軍神が頷いた。
「は。」
これは、帝羽なんだわ!
前世の、鷹の王箔炎の末の息子。
だが龍との子で、帝羽は龍なのだ。
「急げ。参るぞ。」
帝羽が言うのに、兄が涼夏をグイと引っ張ると、飛んだ。
「宮を抜ける!」
兄は、涼夏を小脇に抱えて宮の中を物凄い速度で飛び抜けていく。
後ろからは、帝羽が追手をしのごうとついて来るのが見える。
「お、追え!」涼弥が、尻餅をついたまま叫んだ。「結界を出たら、始末せよ!」
もう、あれは知っていた優しい父ではない。
涼夏は、その声が追って来るのを感じていたが、覚悟を決めた。
前を見ると、宮を飛び出して宮の結界を出、そのまま一目散に月の宮の方向へと領地境の結界を目指して、兄は飛んだ。
あれだけ自分達を命を懸けて守ってくれていた軍神達が、わらわらと追って来るのが見える。
だが、後ろで帝羽が追い付こうとする軍神達を、刀の鞘でガンガンと打ち据えて落下させていた。
斬れはしないが、かなり痛いだろうと涼夏はそれを間近に見て思っていた。
それにしても、たった一人であの数を簡単に倒してしまうんだわ。
涼夏は、下位と最上位の違いを目の当たりにしていた。
ここは、シビアな力社会。
非力な自分は、兄に守られてこれから生きるしかないのか。
蒼は、小説と同じように優しく自分達の話を聞いてくれる神なのか。
涼夏は、いろいろな不安を抱えながら、遂に父の結界を出て、飛んで行ったのだった。




