45.変動
兄の部屋へと引きずるように連れて来られて、涼夏は椅子へと崩れた。
いくら何でも、最近はあまり動いていなかったので、こんなに急いで歩いたら疲れるのだ。
ゼエゼエと息を上げながら、涼夏は言った。
「いったい、何事ですの?!お母様が封じられていることすらショックでしたのに…お父様も、まるでひとが変わったように。」
兄は、険しい顔で言った。
「変わったのよ。」涼夏が驚いた顔をして兄を見ると、兄は苦虫を嚙み潰したような顔で続けた。「良い歳をして、愛羅殿の妹君を娶りたいと逆上せておるのだ。ゆえ、我らが邪魔なのよ。今や罪人の子となった我らが居ては、せっかくに自立に向けて励んでおるこの宮の序列が上がらぬ。ゆえ、出て参って欲しいのだろう。それか、龍王が上手く処分でもしてくれたら良いとでも思うておるのではないのか。」
え、処分?!
涼夏は、慄いた。
連帯責任…でも、確か小説の記憶では、王妃を殺した女の親兄弟も、殺されはしなかった。
結界外へ追放となっていたはずだ。
「…狂神となり果てて皇子を滅したとしても、その子が殺されることはありませぬ。」涼夏は、言った。「結界外への追放はあるかもしれませぬが…そうなると、我らははぐれの神となるのでしょうか。」
はぐれの神の事は、小説でよく知っている。
だが、兄は立ち合いが出来るし、何より真面目。
月の宮に頼んだら、受け入れてくれるかもしれない。
だが、白虎の皇子を殺した女の、子となると蒼も志心への対面上、そんな事はできないのだろうか…。
確か、高瑞という元王を虐待した女の筋の八重というはぐれの神が、月の宮で問題を起こして処刑された。
蒼が、後にその女の筋だと聞いて、問題を起こしはしないかと気を遣っていてそれだった。
もう、罪人の筋は要らないと考えているのでは…。
涼夏は、それでもはぐれの神になったら、十六夜が気にかけて話しかけてくれるかもしれない、と思った。
真面目に生きていたら、見ていてくれて受け入れてくれるかもしれない…。
それにしても、陸のように、と兄は言っていた。
どういうことなのだろうと、兄を見た。
「…そういえばお兄様、陸様のように、とおっしゃいましたわね。どういうことですの?佳織様には罪はないのでしょう。迅殿は、咎められる事は無いはずですわ。」
涼は、涼夏を見た。
「迅は恐らく気付いておると思うぞ。父上と話しておるのを聞いた。陸殿は、愛羅殿の腹の子が男ならば、それを跡目にと思うておるらしい。なぜなら、二番目の宮の王の子である愛羅殿から生まれる、皇子の気は迅より大きいだろうからだ。それでなくとも迅は、誰の子なのか分からないであろう?陸殿が、なぜか公表しないからぞ。妹の奏多は佳織殿の子であるが、まだ幼い様子で何も知らずにいる。此度のことも、深くは考えておるまい。だが、迅に分からないはずがない。ゆえ、あのように申したのよ。父上にとって、我はもう不要なのだろう。」
そう言った、兄の顔は怒りというより寂し気だった。
毎日のように政務を共にこなして、父を諫めることすらやってのけて宮を支えて来た兄を、こんな風に簡単に切り捨ててしまえるなんて。
だが、母が悪かったとはいえ、母も切り捨てた父なのだ。
自分達だって、もう邪魔でしかないのだろう。
母がここから帰されて、いつもどこか不安だったのは、これだったのかもしれない。
いつか、自分も捨てられてしまうだろうという、不安だったのだ。
涼夏は、ため息をついた。
「…覚悟はしております。お兄様、大丈夫、二人で生きて行けますわ。はぐれの神になったなら、月の宮の蒼様にお願いしてみましょう。もしかしたら、蒼様が受け入れてくださらなくてもどこかの宮を紹介してくださるかもしれませぬ。我は、侍女でもなんでもできまするから。きっと、生きる道はあるはずですわ。ですから、もうお父様の事は考えずでおきましょう。」
兄は、思いのほかしっかりと、うろたえもせず考えている涼夏に、フッと口元を弛めた。
「…まだ処刑されないとも限らないのに。」と、息をついた。「そうであるな。どうにでもなる。我とて、ただの軍神として仕えよと言われたらそれもする。蒼様は、はぐれの神を受け入れておられる唯一の神。最後には蒼様にお聞きしよう。」
そうして、兄妹二人で頷き合った。
しかし涼夏は、迅が案じられてならなかった。
…今日は、その事に関しては何も言っていなかったのに。
涼夏は、傾いて来ている日を見上げたのだった。
涼が言ったように、迅は気付いていた。
あからさまに大きくなって来る愛羅の腹を愛おしそうに見つめては、その誕生を待ち望んでいる父の様子を見ていると、その腹の子が男なら、自分は無用の長物となるはず。
だが、前世の記憶を戻した迅にとって、それは些細な事だった。
王になるなど、面倒でしかないのを知っている。
あの小説を読んでいたら、第二皇子ぐらいの地位が、安穏と暮らせる絶好の位置なのは知っていた。
だが、これまでも今も、宮の政務を手伝っているのは迅。
なので恐らく、腹の子が育って来た頃には、宮は自分と腹の子で二つに割れるだろう。
王になりたくもないのに担ぎ出された挙げ句、処刑でもされたらたまったものではない。
恐らくこの宮の中で、神世のことを一番知っているのは、迅だろう。
小説の知識は健在で、それが間違っていないことは、ここで生活していた二百年の記憶が知っている。
最上位の王達の事情も、公表されていないことまで詳細に知っているのだ。
陸に呼ばれた王の居間で、現在の状況を知った。
育ての母である佳織は死んだ。
夏奈の術の糧となったのだと清から聞いたと父が言っていた。
それでも、元は妃であった女の不幸にも、父は淡々としていた。
もはや涼弥の宮まで沙汰が及ぶ勢いであるらしく、白虎の唯一の皇子であった、志夕が犠牲になったのだという。
そんなことをしでかした、女の子である涼夏と涼とは、接するなと釘を刺された。
宮の預かっている涼弥の職人達も、明日には返す予定なのだと言う。
つまり、父は涼弥への支援を断つつもりでいるのだ。
「…涼弥殿を切り捨てられるのですか。」
迅が言うと、陸は頷いた。
「この状況ぞ。友であるからこんなことはしたくないが、宮の将来がかかっておる。佳織には罪は無いとはいえ、何を言うてくるか分からぬし、奏多も諦めねばならなくなるやも知れぬ。主は佳織の子ではないゆえ、咎められる事は無かろうが、奏多は分からぬからな。皇女なのだから、佳織と共に清の宮に返しておけば良かったわ。」
…実の娘であるのにか。
迅は、思った。
今の父は、愛羅とその子のために宮の地位と立場を守ろうとそればかりだ。
だが、前世の記憶からして陸はそこまでできた王ではない。
曾祖父と祖父が優秀で、それを継いだので宮は裕福で問題ないが、最上位の王の動向や考え方を深く知っている迅から見ると、甘かった。
それでも頭は良いようなので、下位の中ではできる王に見えるのかも知れない。
だが、大した事はしていなかった。
迅が黙っているので、陸は自分でも薄情なことを言っている自覚があるのか、誤魔化すように言った。
「…それで、傘下の宮の事は?主に任せておったよの。上手く回せる体制にしたのか。」
迅は、頷いた。
「は。臣下と詰めてある程度は形になってきておりまする。」
陸は、満足げに頷いた。
「そうか。ならばそれで進めよ。」
…己でやらぬか。
迅は、内心そう思った。
こんな時に妃ばかりに構って政務はいつもやっていた事だけ、新しく増える事は全て迅に丸投げだ。
これで次の王になる子に、どうやって跡を継がせるつもりなのだろう。
迅は、無性に涼夏と話したくなった。
涼夏は、同じ事を頭に持って、同じように考えている。
部屋へと下がりながら、夜涼と涼夏と話して来よう、と迅は思っていたのだった。




