37.祟り神
涼夏は、兄と共に必死に父の居間を目指した。
もう、先触れも何もあったものではない。
何しろ、もしも祟り神が誕生しようとしているのなら、何としても阻止しなければ、回りは皆巻き込まれて同じように成り果てる。
一度祟り神になってしまったら、元へ戻すのは困難だった。
二人が生き急ききって父の居間へと駆け込むと、父は驚いたように二人を見た。
「なんだ、どうした?何かあったのか。」
涼夏が慌てるのは見慣れていたが、涼までもがこのようになるのはあまり見たことがない。
涼弥が思って聞くと、涼は言った。
「父上、今涼夏と話していて気付いたのですが。」涼は、息を整えながら言った。「母上のこと。もしや、と思うのですが、もしや母上は、祟り神になろうとしておるのでは?」
涼弥は、驚いて顔色を変えた。
そして、じっと考えると、首を振った。
「まさか…あれは、なろうと思うてもなれるものではないのだぞ。そこそこの気を持たないと、そこまでにはならぬもの。夏奈は知っての通りそう大きな気でもないし、いくら恨みの念が育ってもあり得ぬ。考え過ぎぞ。」
涼夏は、それでも言った。
「でも、祟り神は誕生の時に大きな力を放つのだと聞いておって。ここ最近のハッキリとしてきた気の意味が、もしやそれなのではと落ち着かぬのです。清様の宮はいかがなのでしょう。佳織殿は、落ち着いておられるのですか。」
涼弥は、それにも首を振った。
「聞いておらぬ。清が封じておるのだとは聞いておるが、それゆえか外から気取るのも…探らぬから気取らぬだけやも知れぬがの。」
どちらにしろ、祟り神になってしまったら、対応できるのは龍王だけだと神世では言われていた。
涼夏は小説を読んでいたので月の眷属達の方が綺麗に治せるのを知っていたが、今生そんなことは誰も知らないはずだった。
もちろん、最上位の王達ならそこそこやるだろうが、それは治すのではなく、始末して処理する、という事だ。
祟り神になろうとしている神を元に戻せるのは、龍王の血筋と月だけなのだ。
その龍王ですら、祟り神になってしまったら助けることはできない。
それは、以前の小説の内容で、前世の炎託が過去へ行ってしまった時に一緒に行った神が、祟り神の気に触れて戻って来た場面で見たので知っていた。
…十六夜と話せたら…!
涼夏は唇を噛んだ。
十六夜なら、身分なと関係なく助けてくれるはずなのだ。だが、知らない神の願いなど聞いてもいない。
月に願う人や神が多すぎるからなのだ。
「…詳細なお母様のご様子を、調べねばなりませぬ。このままではお祖父様の宮の神達が、皆巻き込まれる未来しか見えませぬもの。どうなって、気の大きくないお母様がそうなっておるのか分かりませぬが、確かにこの感じは祟り神だと言われたらそうなのです。」
涼弥は、顔をしかめた。
「…主らにしたら母かもしれぬが、我にとってはもう関係ない神ぞ。高峰殿も、安峰殿もな。主にした仕打ちといい、同情などせぬ。それより主らがそれに巻き込まれることの方が避けねばならぬ。この事は、他言無用ぞ。義心が来た事で、もうあちらの宮は強硬手段も取れなくなった。自滅するならそれもまた運命ぞ。あちらへ近付くことは禁ずる。」
「お父様!」
涼夏は追い縋ったが、父は奥へと戻ってしまった。
涼が、歯を食い縛ってそれを聞いていたが、言った。
「涼夏。」涼夏は兄を見る。兄は言った。「父上の申される通りぞ。我らが巻き込まれることは避けねばならぬ。仮に祟り神だとして、対応できるのは龍王のみぞ。我らにできることはない。だが、確かでもないことで龍王に陳情などできぬ。ここは、見ておるしかない。」
涼夏は、兄に縋るように言った。
「でも…!」
「参るぞ。」兄は、足を扉へと向けた。「共に。我の居間へ参れ。」
涼夏は、有無を言わせぬ兄の様子に、項垂れて従った。
あの、今生の母は、そして祖父、祖母、叔父は、どうなってしまうのだろう…。
黙って見ているしか、本当にできることはないのだろうか。
父の居間から出て、兄の居間へと戻って来ると、兄は矢継ぎ早に言った。
「…涼夏、迅ぞ。迅に会いに参る。」
涼夏は、涙ぐんだ顔で涼を見上げた。
「え…?迅殿?もう日が落ちておりますわ。」
涼は、頷いた。
「分かっておる。だが、我は最近迅と頻繁に情報を交換しておるのだ。麗羅殿のこともあるし、あちらの宮のことを聞いておるのよ。」
麗羅?麗羅がなんだろう。
「麗羅殿がなにか?」
涼は、苦笑した。
「別に娶りたいとかではない。とにかく、もうすぐ時なのだ。お互いの結界外にある小屋に、月が真上に来たら参る約束でな。主も参れ。思った以上に主は賢しいようだからの。祟り神のことにしても、我は思い当たらなんだ。一度部屋へ帰って、休むふりをして和泉を遠ざけよ。窓の外に迎えに参る。」
涼夏は、それでどうにかなるのか分からなかったが、頷いた。
確かにこういう時は、迅が頼りになりそうだからだ。
兄が連れて行ってくれる気になったのだから、涼夏は言う通りにしようと、急いで自分の部屋へと戻って行ったのだった。
言われた通り、和泉には今日は疲れたのでもう休むと言って、部屋へ戻るように言った。
涼夏が精神的にも疲れているのだろうと思ったのか、和泉は特に何も言う事も無く、与えられている侍女の部屋へと下がって行った。
それを見てから、急いで起き上がって外出用の着物を纏って適当に着付けると、兄がもう、窓の外に来て、浮かんだ。
…急いで良かった。
涼夏が、そう思って窓へと駆け寄ると、兄は手を差し出した。
「行くぞ。己で飛べるか。」
小説の中のように、抱いてってはくれないのね。
涼夏は思ったが、兄だって妹を抱いて飛びたいとは思わないだろう。
なので、頷いた。
「大丈夫。礼儀など弁えない時は、庭を飛び回っておりましたし。」
兄は頷いて、涼夏の手を握ったまま浮かび上がった。
「では、参れ。そら、我に合わせて飛ぶのだ。行くぞ。」
涼夏は、必死に兄に合わせて、飛んだ。
夜の空を飛ぶのは、初めての事だったが、月が空に高く昇っていて、思っていたほど怖くはなかった。
父の結界を抜けて、誰の結界の中でもない境目の場所の森の方へと向かって行くと、兄はその森の中へと降り始めた。
木々の間を身を縮めるようにして降りて着地すると、そこには兄が言ったように、小さな小屋のようなものが建っていた。
前世の記憶がある涼夏には、少し立派な玉ねぎ小屋か、それとも小さな山小屋かという感じの建物で、転生してからは見慣れない形だ。
兄は、もう慣れたようにその小屋の方へと歩き出した。
「こんな小屋に、神が居るなど誰も思わぬだろう?」兄は、少し楽し気に言う。「だからここにわざとこんな風に建てたのだ。たまに、はぐれの神が迷って来ておる時があるが、我らが建てたと知ると出て行く。別に、住んでも良いが自分で建てたら良いのにの。」
はぐれの神には、そんな知識もないのよ。
涼夏は、思った。
全てを奪うことで生きて来ているはずなので、自分で何とかしようという意識のある命なら、きっと月の宮に拾われてあちらで蒼に保護されてやっているだろう。
そんなことを思いながら兄を後についてその小屋へと入って行くと、迅がもう来ていて、小さな窓の前の、椅子に座って待っていた。
「遅かったな、涼。」と、涼夏を見て、顔をしかめた。「なぜに妹まで連れて参ったのだ。」
あからさまに嫌そうな顔しないでよ。
涼夏は思ったが、頭を下げた。
「ごきげんよう。兄が連れて参ってくれると言うので。」
涼は、迅を見た。
「此度は連れて参った方が良いかと思うて。これは、思ったよりいろいろ考えておるのだ。愚かで学ぶのが嫌いであったのに、本日我より物を知っておるようなことを申して。あの、母上のことぞ。」
迅は、怪訝な顔をしたが、頷いた。
「まあ、主がそう申すなら。主の母がどうしたのだ?何やら本日、安峰殿が軍神達を連れてそちらへ参ったと聞いたぞ。それで案じて、早めにここに参ったのよ。」
涼は、頷いた。
「説明する。最初からな。」
涼は、今日あったことを順を追って迅に話し始めた。




