33.理由
そんな鬱々とした毎日を送っている間にも、父と兄はあちこちに出掛けて行って、宮の自立が進むようにと励んでいたらしかった。
それでも、涼夏は何とか宮の中の躾だけは自分の仕事だからとしっかりと見張っていて、宮の中の様子はかなり良くなって来ていた。
うつ症状が出てるのに、平気なふりして仕事するってきっとこんな気持ちなのね。
涼夏は、そんな事を思いながら日々、必死に努めていた。
そんなある日、迅が宮へと兄と涼夏を訪ねてやって来た。
だが、あいにく兄は吉賀の宮へと何かの話し合いに出ていて、留守にしていた。
なので、涼夏が対応することになった。
…気が滅入ってる時に、あいつ相手て余計に疲れるわ。
涼夏は内心そう思っていたが、これも仕事だ。
なので、じっと応接室で座って待っていた。
すると、迅がスッキリと美しい姿で、そこへ入って来た。
いつも思うが、黒髪に黒い瞳という珍しい色合いで、何を着ても似合うし美しい皇子だ。
それが、今は母となっている愛羅が選んだ着物を重ねて着ているので、更に美しく見えるのだ。
…ほんと、黙って立ってたら、癒しの姿なのに。
涼夏が残念に思いながらその姿を眺めていると、迅が言った。
「涼は留守だとか。まあ、主に話があったから良いのだがの。」
涼夏は、え、と眉を寄せた。
「我に?…また、何のお話なの?」
また面倒じゃないでしょうね。
涼夏が警戒していると、迅はため息をついた。
「主が我に文を送って参ったのだろうが。」と、椅子を見た。「座っても?」
涼夏は、忘れていた、と頷いた。
「どうぞ、お座りになってくださいませ。」
迅は、やっとそこへ座った。
前よりもスッキリと見えるのは、恐らく姿勢がずっと良くなったからだろうと思われた。
迅は、侍女が運んで来る茶を見ながら、言った。
「…茶か。主は、茶を飲む時の気の調整に手間取っておるのだとか?」
愛羅が言ったのか、と涼夏は頷いた。
「その通りですわ。でも、最近は違いますの。だって、お母様の事を聞いてしまって、命がと思うと居た堪れなくて平常心など無理なのです。でも、それを愛羅様に申し上げるわけにも行かぬし…なのに、毎回それではならぬと指摘されるのは、苦痛でしかないのですわ。確かにあちらは、おっとりとお過ごしでしょうけれど、こちらはそうではありませぬ。そう思うと、八つ当たりのように思えて来て、お顔を見るのをしばらく避けた方が良いかと思うた次第です。」
迅は、それを聞いてフッと肩で息をつくと、案外にあっさりと頷いた。
「主の心地は分かる。我も、そうだろうなと思うておったから、さり気なく父上に申し上げた。父上も事情を知っておるから、体調が悪いと申しておるならそっとしておけと申されたのに、しつこく文を出されておったの。」
涼夏は、頷いた。
「はい。ワケを申し上げるわけにも行かぬので、こちらからは同じ文言のご返答になってしまい申して、だからああして、迅殿にも恥を忍んで御文を差し上げたのですわ。先に申してくださっておったのですね。」
ほんとに、気が回るのよね。
涼夏が思っていると、迅は頷く。
「そう。だが、主から文が来てまだ送っておる事実を知ったので、また父上に申し上げた。すると、父上はなぜにそれほどに母上が主を来させようとしたのかワケを知っておったから、窘められたのだ。そんな事で、母が大変な事になっておる皇女を煩わせるでない、と言って。母上は知らなんだゆえ、大層驚いていたそうだ。そんな様子だと知っておったら、文など出さなかったと父上に謝っておった。だから、文が止まったのよ。」
涼夏は、ため息をついた。
「どうしてあんなに御文をくださっていたのですか?」
迅は、同じようにため息をついた。
「涼弥殿には言わぬでおって欲しいのだが、麗羅のためぞ。」
ああ。
涼夏が、それで理解した。
恐らく、毎日ほど通っていた涼夏が来なくなったので、一緒に来ていた父も行けなくなった。
それで、父に会いたい麗羅が愛羅に頼んで、涼夏に来てもらうようにとせっついていたのではないかと思われたのだ。
だが、父だって忙しい身だ。
これまでは、娘一人を行かせるのもなので、ならばついでに陸の宮の職人達を視察してという大義名分があったので通えていたのだが、それが出来なくなったのだ。
恐らく父だって行きたいだろうが、涼夏がどうして沈んでいるのかその理由は兄から聞いて知っている。
そんな涼夏に、別の妃を娶りたいから陸の宮へ行って来るなどと、母を案じて沈む涼夏を置いて、できる性質では父はなかった。
そんなわけで、恐らくお互いに悶々としているのだろうと思われた。
「でも…」涼夏は、暗い顔で言った。「…いくらお父様が娶りたいと思って、麗羅様もこちらへ嫁ぎたいと思うたとしても、陸様の時とは状況が違い過ぎますわ。この宮は、未だ陸様からのご支援で何とか回っておる次第です。自立を目指して励んでおるのに、こんな時に上位の宮から妃など、到底無理なお話なのです。お父様だって、分かっておられるのでは…。」
迅は、椅子の背に背を預けた。
「分かっておっても、どうにもならぬのやもしれぬしな。それに、母上も麗羅殿も、宮の事には詳しいが、政務のことにはからっきしぞ。今神世で何が起こっておるのか、これまで何が起こったのかも、全く知らぬのだ。宮が立ち行かぬという状況に直面したことが無いゆえ、それがどういう事なのか分かっておらぬ。なので…嫁ぎたいと言えば、嫁げると単純に思うておるのだと思う。塔矢殿の妃とは、えらい違いぞ。ま、あんな妃は珍しいが。」
涼夏は、首を傾げた。
「塔矢様の?」
初めて聞く話だ。
塔矢は、下位から三番目に上がると決まっている王で、傘下の宮も既に振り分けられている、今現在、宮を建設中の王だった。
聡子の父なので、涼夏も見たことがあるが、父といい勝負をすると思うほど、凛々しい王だった。
だが、父に比べるとしっかりと芯のある強い王という印象で、華やかな見た目の快活な神だ。
妃は体が弱かったと聞いている、聡子の亡くなった母だけだったと思ったが、塔矢も妃も迎えたのだろうか。
迅は、頷いた。
「知らぬか。噂になっておるぞ。昨日、鳥の宮から迎えられた、それは美しい妖艶な妃でな。なのに立ち合いもこなし、職人達の技術の指南までするのだとか。頭が良くて、宮に王が二人いるようだと、臣下達はもろ手を挙げて喜んでおるのだと噂されておる。」
そんな皇女が居たかしら。
涼夏は、首を傾げた。
炎嘉には、妃が居ないので炎月一人しか息子が居なかった。
その炎月の子も、炎託の転生した姿である、同じ炎託という名の鳥だけだったはずなのだ。
だが、もしかしたら炎耀の子だったら、あり得るかもしれない。
「…それは…もしかして、炎耀様の?」
小説の知識だったが、迅は頷いた。
「よう知っておるな。その通りよ。炎耀殿の皇女らしい。撥ねっ返りと言われてなかなかに嫁ぎ先がなかったらしいのだが、それが塔矢殿の宮では大変に重宝されておるらしいぞ。主も一度、気分転換に聡子殿を訪ねて参ったらどうか?新しい妃に会えるぞ。」
涼夏は、それはそうかも、と思った。
最近は、宮に籠って誰かが押し掛けて来るのではとか、そんな心配ばかりしていた。
母が狂っているというのも、気になった。
新しい華やかな宮の空気に触れたら、少しは気も晴れるのかもしれない。
それにしても、普段から我のことは嫌いだと思っていた迅なのに、もしかしたら気遣ってくれているのだろうか?
涼夏がそんなことを思いながら、見ているだけならとても美しい迅の顔を眺めていると、それに気付いて迅が、グッと眉を寄せたかと思うと、言った。
「…何ぞ?我は主に興味はないぞ?いくら美しゅうても、中身がそれであるからな。他を当たれ。」
涼夏は、やっぱりこいつはこんな奴だと、顔を赤くした。
「何よ!いつまでも我が元のままだと思わないで!それに、自意識過剰なのよ、我だってあなたなんて好みじゃないわ。いくら顔が良くても、中身が嫌味な男なんだもの!」
迅は、両方の眉を跳ね上げたが、フンと目を細めて言った。
「…ならば良い。お互いに干渉せぬでな。今はこんな事情であるし、隣り同士であるから仕方がないが、平常運転になったら、関わる事もないゆえ。安心するが良いわ。」
ちょっとでも、良いと思った時間を返せ。
涼夏は、そう思いながら、帰る迅を見送った。
だがよく考えたらこの世界に来てから、親しい異性といえば兄か父、祖父か、そうでなければ迅ぐらいしかいない。
このままじゃ、ほんとに恋愛も知らずに、どこかへ嫁ぐことになるんじゃ。
涼夏は、また大きなため息をついたのだった。




