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27.女神

月日は飛ぶように過ぎて行った。

あれから数ヶ月、大きな障害もなく宮は順調に発展していた。

何やら不穏な気配がする、と、闇ではないかと月の宮の蒼が会合に召喚されていたらしいが、結局そうではない、という結論で、特にこちらには何の支障もなかった。

陸の王妃である愛羅から、涼夏に文が来たのは、そんな朝夕涼気が強くなってきた神在月のことだった。

和泉が興奮しながら持って来たその文箱は、見たこともないほど綺麗な塗りの物だった。

涼夏は慎重にその紐を解いて中を見ると、ふわっとそれは良い香の香りがした。

「…まあ、白檀でしょうか。それにしては清々しいような…。」

もしかして、香合わせとかできるのかな。

涼夏は、香合わせどころか何も知らない。

ここでは香といえば貴重な白檀が奥宮に保管されてあって、王族の着物には焚き染めるのだが、こんなに複雑な香りではないのだ。

つまりは、やはり何かと合わせて練り香を作っているということになる。

小説では知っていたが、やはり上位の宮ともなると香合わせは常識なのかもしれなかった。

中の折り畳まれた紙を出して開く。

そこには、おおらかで優しい、それは美しい文字が書き連ねてあった。

…やっぱり!愛羅様というかたは、物凄く上位の王族らしいかたなんだわ!

和泉がそれを覗き込んで喜ぶよりも、困った顔をした。

「…ああ。困りましたわね、お返事をお書きしようにも、我も文字は…。」

皇女があんまりな手の場合、侍女が代わりに書くのだが、そこそこ綺麗な文字の和泉も、これには敵わない。

そもそも涼夏は、書は苦手でまだそこまで書けはしなかった。

「…でも、お返事しないと。だって、御指南くださるって言ってくださっているの。この際だから、文字も一緒にお願いしますって、書いてみるわ。」

和泉は、仰天した顔をした。

「え、そんな厚かまし…いえ、あれこれお頼みして、気分を悪くなさいませぬか。」

涼夏は、顔をしかめた。

確かに、あの宮と関係が悪くなるのは避けたい。

何より、陸は愛羅をそれは大切にしていて、しょっちゅう共に庭を歩いたりしているらしかった。

王妃の着物は毎日ほど仕立てさせ、うちの山から薔薇色の石が出たと聞いた時には、何にがなんでも大きな物を言い値でもらうと言って、それこそ年間予算ぐらいの品を送ってまで物にした。

そしてそれを、全部王妃の装飾品として加工させたらしいのだ。

もちろん、今宮に滞在しているという、麗羅という妃の妹にも、頚連にして贈ったらしい。

それも、愛羅が心細いと哀れだからと、残るのを勧めたので滞在しているらしく、陸がどれほどに愛羅を大事にしているのか、分かっていた。

「…じゃあ、遠回しに。」涼夏は言って、紙を準備させた。「ほら、墨も。恥ずかしいけど、書かないという選択肢はないのよ。」

和泉は、仕方なく墨を擦り始めた。

涼夏は、何とか愛羅から教えると言ってもらおうと、一生懸命考えて文の返事を書いたのだった。


結局、涼夏は自分は文字が苦手で、誰も教えてくれるものが居なくて、本当に恥ずかしい限りですがこうして御文を戴けで嬉しい、と、愛羅の気持ちに訴える文を書いた。

愛羅が、文字の通りに大らかで優しい女神なら、きっとだったら自分が教えようと言ってくれるはず。

そう期待して、頑張って書いたのだ。

文箱はそんなに良い物はないので、とりあえず庭に咲いていた秋の薔薇の棘を取ってたくさん詰めて、良い香りがするようにとそれで送った。

心配だったが、次の日にはきちんと愛羅から、美しい薔薇に見とれてしまった、いつでも宮へと来てほしいと返事が戻って来た。

文字の事については何も書いていなかったが、多くを望んではいけないと涼夏は父に、愛羅が自分の訪問を許してくれたと報告しに行った。

すると、父は少し考えて、頷いた。

「良いだろう。明日陸の所へ相談に行くことがあったので、今先触れを出そうかと思うておったところなのだ。主のことも一緒に連れて参ると伝えてもらっておく。涼も、迅と話したいことがあるとかで、共に参るしな。」

お兄様まで来るのね。

涼夏は驚いたが、涼と迅は仲が良くなったんだなと少しホッとしていた。

陸の宮とは、絶対に上手くやって行かないといけないのだ。

次の王同士も、仲が良いならこれ以上のことはなかった。

なので、後は父に任せることにして、何とか失礼のない着物を準備しないとと、涼夏は部屋へと取って返して、和泉と厨子をひっくり返して考えたのだった。


神在月、つまり十月は、この辺りの宮は暇な時期だ。

霜月にもなると、年末の準備も始めないことには、師走になってからでは忙し過ぎて正月に間に合わない。

ただ、最近では龍の宮の龍王に挨拶をしに行かなくて良くなったので、少し楽だった。

本来、龍の宮へと挨拶に上がることで、手土産をくれてそれがそこから一年の重要な財政の支えになるので無くなると死活問題だったのだが、それを知っている龍王は、正月の祝いとして、全ての宮に自動的にいろいろと送って来てくれるようになった。

なので、正月、今はいろいろ少しは楽なのだ。

そんなわけで、暇なこの時期に、愛羅は宮へと呼んでくれたのだろうと思われた。

とはいえ、愛羅自身も文月の終わりに慌ただしく輿入れしたばかりなので、いろいろやっと落ち着いて来たばかりだろう。

そんな時に押し掛けるのも気が咎められたが、しかしこちらも生憎急いで学ばねばならない事が多過ぎて、できるだけ早く教えて欲しい。

なので、とにかく低姿勢で対応しようと涼夏は心に決めていた。

何しろ、あり得ないほど高い地位の宮から来たのだから、こちらの方が格下なのだ。

前世の記憶は封印して、とにかく下位の宮の皇女として分相応の動きを心得なければと、もう充分だと言われているのだが、それでも和泉と一緒に何度も茶を飲む練習を重ねていた。

タプンタプンのお腹を抱えて、その夜は涼夏は、眠りについた。


次の日、涼夏は勉強するのにふさわしいように、品の良い着物をおとなしく着付けて、父と兄と一緒に輿へと乗り込んだ。

でも、歩いても行けるかもしれない距離なので、多分一瞬で到着するけど。

涼夏は、思って輿が浮き上がるのを感じていた。


そして、思った通りあっさりと一瞬で着いた。

飛ぶには近いが歩くには遠いといったぐらいの距離なのだ。

それにしても、上空から見たこの陸の宮は、前に見た時より大きくなっていた。

前から内宮の中庭を潰して行って蔵を立てていたのだが、遂に全ての中庭がなくなってしまっていて、更に外宮の方へと浸食するように蔵が乱立していた。

そのせいか、前の奥宮だった場所は内宮に吸収されて、奥に真新しい宮が建ち上がっていたのだ。

恐らくは、あれが聞いていた新しい奥宮なのだろう。

到着口へと輿が降ろされると、父が先に降りて行って、兄が自分の手を取って一緒に降ろしてくれた。

そして、そこには陸と、目が覚めるほどに美しい白い髪に紫の瞳の女神、並んで立って待ってくれていた。

…あれが愛羅様…!

涼夏は、ドキドキしながら頭を下げて、待った。

父が、先に陸と挨拶を交わす。

「陸。出迎えすまぬな。これが王妃の愛羅殿か?」

陸は、微笑んで頷いた。

「そう、我の正妃の愛羅ぞ。」と、愛羅を見た。「愛羅よ、これが我が友の涼弥、それに皇子の涼、皇女の涼夏ぞ。」

愛羅は、完璧な所作で頭を下げた。

「初めてお目にかかります、涼弥様。」と、顔を上げて、兄を見た。「涼殿。迅殿と同じお年頃であられるのですね。仲良くして頂くと嬉しゅうございますわ。」

兄は、顔を上げた。

驚いたことに、珍しくかなり緊張気味な顔をしていた。

「は。我も迅殿と話しが出来るのがとても有意義でございます。」

涼夏は笑い出したい気分だったが、じっとひたすらに愛羅が声を掛けて来るのを、頭を下げたまま待った。

愛羅が、言った。

「涼夏殿。お会いしとうございましたわ。美しい薔薇をありがとうございました。楽しみにお待ちしておりましたのよ。」

涼夏は、やっと顔を上げた。

そして、まともに愛羅と目が合って、あまりにも愛らしい顔立ちなので、思わず頬を赤らめた。

「愛羅様、我こそ、お目に掛かれてどれほどに嬉しいことか。どうぞよろしくお導きください。」

愛羅は、フフと扇で口元を押えて、笑った。

「そのように構えぬでも良いのですよ。楽しくお話をして、覚えて参りましょうね。」

ああああ人の頃、これこそ夢見てた女神の姿よ…!

涼夏は、内心身悶えていた。

涼もぼーっと見とれている中、陸が機嫌良く愛羅を見た。

「では、主は涼夏を連れて奥の応接間へ参るか。麗羅も連れて参るのだろう?」

愛羅は、頷いた。

「はい、王よ。奥で茶を飲みながらお話を。麗羅にも紹介したいと思うております。」

陸は頷いて、涼弥を見た。

「涼弥、では我らは居間へ参ろうか。涼よ、主は迅が先に訓練場に居ると伝えて欲しいと言うておった。そちらへ参るが良い。」

涼は、まだぼうっとしていたが、言われて慌てて頭を下げた。

「は。では、失礼してそちらへ参りたいと思います。」

そうして、サッと逃げるようにその場を去って行く。

涼弥が、その背を見送りながら、苦笑した。

「全く、涼は。愛羅殿があまりにも美しいので、呆けてしもうたようよな。」

愛羅が、驚いた顔をしたが、ポッと赤くなった。

「まあ…そのような。」

陸が、クックと笑った。

「分かるぞ。我でも未だに居間で一緒に座って居っても呆けて見ておる時がある。不思議な事に、いくら見ても飽きぬでなあ。」

愛羅は、ますます赤い顔になった。

涼夏は、フフと笑った。

「まあ陸様。誠に愛羅様を愛しておられるのですね。」

陸は、自分が惚気(のろけ)たのだと分かっていなかったらしく、焦った顔をした。

「あ、いや、そうであるな。いや違う、その、正直に申しただけよ。」

だからそれが惚れてるんですって。

涼夏は、陸がそんな風で、愛羅も恥ずかしそうだが嬉しそうに微笑んでいるので、幸せそうなので良かったと思った。

涼弥が、自分しか場を収められないと思ったのか、笑って言った。

「ああ、良い良い。分かっておるわ。さあ、それでは皆が当てられてしまうゆえ、居間へ行こうぞ。」と、涼夏を見た。「主は愛羅殿と応接間にの。行って参れ。」

そうして、涼弥は陸を連れて、そこを去って行った。

それを愛羅と二人で頭を下げて見送り、そう後愛羅の侍女達と愛羅と共に、奥の手前にある応接間へと、向かって歩いて行ったのだった。

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